久下田城(くげたじょう)

久下田城の基本情報

通称・別名

所在地

茨城県筑西市樋口字城山221

旧国名

常陸国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

水谷正村

築城年

天文14年(1545)

主な改修者

主な城主

水谷氏

廃城年

元和元年(1615)?

遺構

曲輪、横堀(空堀)、横堀(水堀)、土塁

指定文化財

県史跡(久下田城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

中村城(栃木県真岡市)[4.3km]
伊佐城(茨城県筑西市)[4.5km]
桜町陣屋(栃木県真岡市)[5.3km]
下館城(茨城県筑西市)[6.4km]
真岡城(栃木県真岡市)[8.5km]
上三川城(栃木県河内郡)[8.8km]
薬師寺城(栃木県下野市)[9.9km]
結城城(茨城県結城市)[10.8km]
富谷城(茨城県桜川市)[11.6km]
刑部城(栃木県宇都宮市)[13.2km]

久下田城の解説文



久下田城(くげたじょう)は、茨城県筑西市樋口にあった日本の城。茨城県指定文化財(史跡)。

概要 

天慶年間(938-948)、藤原秀郷が平将門追討のために築いた三館(上館・中館・下館)[1]のうち上館にあたるという伝承がある。

結城・水谷と宇都宮氏の対立が深まっていた天文14年(1545年)、下館城主の水谷正村(蟠竜斎)が北方の宇都宮氏から下館領を守るため、下館城の北に築城した。

歴史・沿革 

  • 天文14年(1545年)、下館城主の水谷正村が築城。
  • 天文年間、宇都宮家臣の八木岡伊織を大将とする約200騎により攻められるも、水谷正村がこれを撃退。
  • 天文年間、宇都宮家臣の武田治郎を大将とする約3,000騎により城められるも、結城氏の援軍を受けた水谷正村が撃退。
  • 元和元年(1615年)、いわゆる一国一城令が出される(これを受け久下田城も廃城か)。
  • 寛永16年(1639年)、下館藩主水谷勝隆が備中国成羽藩に転封[2]

構造 

栃木県旧・二宮町(現・真岡市)に接し、東に勤行川が流れる台地上に建つ。筑西市樋口の城山一帯が城域で、往時は二宮町の台地を含み大規模な城下を構成していた。

考古資料 

遺構

二の丸跡が公園となっており、それを囲むように2つの曲輪が残る。空堀、土塁のほか、現在は用水路となっている水堀など多くの遺構が現存している。

久下田城の口コミ情報

2024年09月02日 城s#sおやじ
久下田城

16年ぶりに再訪しました。東側の階段から登城しました。階段手前の入口に一台くらい駐車できます。主郭に入った途端、強烈な雨が降り始め退散しました。

2024年02月12日 昌幸近江守晩秋リア旅
小栗城[久下田城  周辺城郭]



常陸と下野の境目の城、小栗(おぐり)城。北を流れる小貝川を天然の水堀とする堅固な城です。

平安末期の築城で、常陸大掾氏一族がこの地に入り小栗氏を称しました。
室町時代、幕府に反目するようになった鎌倉公方に対して危機を感じた幕府は、関東・東北の武将と直接主従関係を結び、彼らは京都扶持衆と呼ばれ、小栗氏も組み込まれました。そして京都より遠く離れた地で激しく争います。小栗満重は乱の中心人物にもなったほどです。
小栗城は落城と奪還を繰り返しますが、結局小栗氏は滅亡しました。
戦国時代は宇都宮氏と結城氏の争いの舞台となり、小栗城は宇都宮方の小宅氏が居城としました。しかし豊臣秀吉の命により宇都宮氏が改易されると、小栗城は廃城になったようです。

古い時代から使われてきた城なので、年代の違う遺構が混じっていると感じます。
まず中心的な3つの郭は古くからの遺構で、郭が丸く堀もそれに沿って掘られ、横矢など技巧的な部分が見られません。
城の東側の遺構は折れの入った深く大きな堀が造られています。I郭も東側のみ土塁と櫓台、段郭があります。何らかの脅威を感じるようになり、戦国時代に新たに造られた遺構と思われます。
※Ⅲ郭下も段郭が連なりますが、太平洋戦争後に開墾された畑跡だそうです。

車は内外大神宮か、その脇の砂利道を進んだ左側に広場があり、そこに駐車可能です。

【写真の説明】
①城域東端の堀底道。ここを通り登城。
②本城域下の堀切
③実は土橋の上から。笹薮を取り払えば相当立派なものが出てくるはず。
④I郭東側の帯郭。これが2〜3段ある。
⑤I郭を囲む堀。
⑥II郭へ向かう堀。流石に進めず。
⑦I郭内。土塁が残る。
⑧麓の内外大神宮。小栗氏が神官を務めた。

2023年02月05日 マグロ常陸介祐平
久下田城



Googleマップに従うと、お城の下に案内されてしまうので注意してください。主郭の西側と北側に土塁が残り周囲を堀がかこみ、東側は崖になっています。主郭から堀を隔てた北側の郭は竹薮となっていて遺構が見づらい状態です。

2023年02月05日 マグロ常陸介祐平
長沼古館[久下田城  周辺城郭]



宗光寺が城址でお寺の東側の駐車場付近から北側まで、薄めではありますが土塁と空堀が確認出来ます。また、門から50mほど離れた大銀杏付近にも土塁の様な盛土が見られます。境内ではなく、少し離れたところに長沼宗政の墓があります。

2022年07月24日 大膳大夫しろし
久下田城



本丸の奥側の曲輪にも行ってみました。竹藪だったけどかなりの段差でなかなかでした。二の丸の端っこ?に二層三階の様な民家がいい感じでした。

2022年07月24日 おかっぴき
久下田城



カーナビだと場所がちょっと分かりづらかったけど、アプリのナビで場所が確認出来た。土塁、曲輪、堀の確認が出来る。本丸には祠がある。

2021年05月11日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
小栗城[久下田城  周辺城郭]



茨城県の筑西市にある小栗城☆小栗判官で有名な小栗氏の居城です☆この小栗城は常陸大掾氏の一族の小栗氏の居城になります☆大掾重幹の子・重義は、ここに居住して来て小栗氏を名乗りました☆

歴史は古くて平安時代からこの地に根付きました☆

室町時代には【小栗満重の乱】の舞台になっていて小栗城主・小栗満重と京都・扶持衆が反乱を起こして鎌倉府の足利持氏と激戦を繰り広げました☆
鎌倉府軍の大軍に反乱軍の多くは劣戦を強いられ最終的に小栗城で自刃してしまい小栗氏は没落して行きます☆
【小栗満重の乱】の後は小栗城は鎌倉府領になりましたが、足利持氏の没後に室町幕府VS結城氏&関東の諸豪族が戦った【結城合戦】で小栗氏は戦功を挙げ旧領に復帰します☆
が…しかし…足利成氏からの攻撃を受け、小栗氏は滅亡しちゃいました【享徳の乱】

戦国時代には下野国の戦国大名・宇都宮氏の家臣・小宅氏の居城として坂戸城と共に使用されました☆小田城・城主の小田氏、結城家臣の下館城・久下田城・城主の水谷氏に対する宇都宮氏の防衛拠点として機能しました☆

小宅尚時が城主の時に結城氏に攻められ一度は結城氏の手に渡ってしまいますが、再び宇都宮広綱が奪還します☆


2021年04月28日 石田大宰帥いしのすけ
久下田城



近くまで行くと住宅地の中に入り、さらに畦道のような細い道に入ります。太陽光発電パネルがたくさんある所を進むと橋があり、その先が城跡になってました。橋を渡れる幅の車なら、中に入って停めた方がいいかと思います。方向転換もできますし。土塁と水堀が残っていて、曲輪の様子もよくわかると思います。

2019年07月05日 愛甲太閤【相模の狂人】
曲輪[久下田城  遺構・復元物]

主郭は東側を崖と二重の水路、ほか三方を空堀によって厳重に守られています。また曲輪外周の土塁も北側でハッキリ残っています。★曲輪には鳥居、祠などの放棄された跡が残り、かつて公園に整備されるも放棄されたようで、兵どもが夢の跡といった雰囲気です。

2019年06月03日 感謝修理大夫はる ◢͟│⁴⁶
七羽黒神社の一つ 口戸羽黒神社[久下田城  寺社・史跡]



【病門】 口戸羽黒神社
七羽黒で一番小さな規模で、周辺を田んぼや畑に囲まれており、見つけるのが難しいかも?

2019年06月03日 感謝修理大夫はる ◢͟│⁴⁶
羽黒神社の一つ 大根田羽黒神社[久下田城  寺社・史跡]



【鬼門】 大根田羽黒神社
昭和33年に台風で倒壊。水谷氏の家臣である上野氏と子孫が代々守り続けていた。平成7年に再建。

2019年06月01日 感謝修理大夫はる ◢͟│⁴⁶
空堀[久下田城  遺構・復元物]



非常に良い状態で残されています。調査をするにはまだまだと市の担当者が言っていました。草木を刈ってるのは地域の方々というので感謝です。

2017年05月21日 鬼義重常陸介いわちん
久下田城

久下田城跡までのアクセスは、真岡鉄道久下田駅からだと、回り込むかんじで15分弱くらいで、やはり車がいいですね。特に軽自動車が○

わかりやすいアクセスは、国道294から県道216に入り真岡鉄道線路をまたぎ、100mくらい東に進むと左側に久下田城入口の小さい看板がありますが、道が狭くおすすめしません!

おすすめは看板から200mくらい先の左側に、福聚寺石碑がある(ちょっと見ずらい)
福聚寺入口の道を入り寺沿いを通り、久下田城東側に出る感じで、小さい川沿いがあるのでそこに車が1、2台スペースあり。
できれば軽自動車がいい。

籔が多く、トイレなしですが土塁、空堀、本丸跡、石碑など遺構あり楽しめると思います。

結城四天王、水谷正村が宇都宮勢に備えた城です


2016年11月26日 まー刑部卿
久下田城

2回目の登城で以前よりもかなり荒廃してた。駐車は先人の書かれている通り。周りの道は道幅狭い。台地下にある橋の手前に一台分のスペースがあったので駐車。公園の中は藪が酷く社も崩れたままの状態でした。

2016年09月27日 
久下田城

真岡鉄道真岡線久下田駅のすぐ東側にありますが、駅から歩くと、回り込まないと行けないので、少し歩くようです。

城跡東側の道路脇に、駐車スペースが、何カ所かあります。城跡周囲の水路は水堀です。

主郭周囲は、深い空堀がめぐり、畑になった郭脇にも、やぶが酷いですが、堀や土塁が残ります。



2015年02月09日 武蔵守道灌?!
久下田城

リア攻め移動中にカーナビ画面に久下田城跡の表示があらわれ、もしや…と思い慌てて調べると城めぐり登録城!?これはリア攻めするしかない♪と立ち寄りました。
二の丸まで車で行くこともできるのですが、あまり大きい車だと細めの道路なので脱輪するかも!!空堀は結構な量のゴミの不法投棄が…よくありがちですが、やめてほしいですね!!(>_<)

久下田城の周辺スポット情報

 土塁(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 横堀(遺構・復元物)

 水堀、崖(遺構・復元物)

 空堀(遺構・復元物)

 空堀(遺構・復元物)

 曲輪(遺構・復元物)

 空堀(遺構・復元物)

 絵図(碑・説明板)

 石碑(碑・説明板)

 石碑(碑・説明板)

 小栗城(周辺城郭)

 長沼古館(周辺城郭)

 羽黒神社の一つ 大根田羽黒神社(寺社・史跡)

 七羽黒神社の一つ 口戸羽黒神社(寺社・史跡)

 桜門(寺社・史跡)

 新治郡衙跡(寺社・史跡)

 トイレ、水道(トイレ)

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