刑部城(おさかべじょう)

刑部城の基本情報

通称・別名

所在地

栃木県宇都宮市東刑部町528

旧国名

下野国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

刑部(横田)良業

築城年

応永年間(1394〜1428)

主な改修者

主な城主

刑部氏

廃城年

慶長2年(1597)

遺構

土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(刑部城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

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刑部城の口コミ情報

2025年02月03日 ʀᴇᴅ副将軍
刑部城



宇都宮氏家臣である刑部氏の居城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。応永年間(1394年~1428年)に刑部良業により築かれたと伝わります。
刑部良業は宇都宮氏の庶流である上三川城の横田師綱の次男であり、応永年間に刑部郷を領有すると刑部氏を称して築いた居館が刑部城です。
刑部氏は宇都宮氏家臣として代々続きましたが、1597年に宇都宮氏が改易となると帰農したとされ、刑部城は廃城となりました。

見所
現在も子孫の方のお住まいとなっています。
南側の道路沿いに土塁と堀跡が認められ、案内板が立てられています。

2024年07月14日 ぶらなおき
刑部城



この辺りから入ると近い。裏の住宅横です。祠が目印。

2024年06月09日 マグロ常陸介祐平
中館[刑部城  周辺城郭]



宇都宮氏の家臣、黒須氏の館です。萬福寺の東隣にあり、北側の県道沿いや萬福寺の東側に土塁が見られます。北側の土塁は堀を挟んで二重になっているようですが、民家の為近づいて見ることが出来ません。南側の旧道からは奥まったところに立派な門があり、大きな蔵の上部には屋号と思われる丸に城の文字が見られます。

お隣の萬福寺(写真6,7,8枚目)は、戊辰戦争における宇都宮城の戦いの前夜に新撰組の土方歳三が陣を置いた場所で、現存する本堂で軍議を行ったとされています。翌朝、土方隊は宇都宮城に進軍したようです。

登録されている刑部城の他、周辺は宇都宮氏家臣の居館が多く分布しており、上館と高島館も廻りましたが、上館は乗馬クラブ、高島館は民家と畑で遺構を確認することは出来ませんでした。上館そばの満願寺は、寺院として見ごたえがあります。

2022年11月06日 マグロ常陸介祐平
刑部城



宇都宮氏庶流の刑部氏の居城で、子孫のお宅の東と北側に土塁が見られます(写真1,2,3枚目)。

2km程北西にある成願寺は、安達盛長が出家後に隠棲し、この地で亡くなったとの伝承があり、墓域には供養塔や盛長が植えたとされるイチョウがあります(写真4,5,6枚目)。

2022年01月05日 すなちゃん武蔵守
刑部城



民家の一角にあり、遺跡を田んぼが囲ってる感じです。見た目は盛土が続いていて何となく堀があるような感じもしますが、何せ雑草が生えまくって枯れた状態なのでハッキリしません。

2017年02月11日 まー刑部卿
刑部城

目印は瑞穂野南小学校のそばにあるNTTの鉄塔で雑木林のところに空堀跡があるが竹藪でわかりづらい。説明板は刑部氏末裔宅入口にあるため小学校側から行くと鉄塔を正面に見て右折。駐車出来るところはゴミ集積場、墓地のところに駐車可。入口に説明板と土塁がある。空堀は畑と化してある。枯草に覆われている土塁を見渡すと除草すれば堀跡が末裔宅を囲んでいるのがわかるかと。

刑部城の周辺スポット情報

 刑部城説明板(碑・説明板)

 上館(周辺城郭)

 高島館(周辺城郭)

 中館(周辺城郭)

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