舟戸城(ふなとじょう)
舟戸城の基本情報
通称・別名
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所在地
- 栃木県芳賀郡芳賀町西水沼
旧国名
- 下野国
分類・構造
- 平山城
天守構造
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築城主
- 水沼勝侶?、水沼五郎?
築城年
- 応永年間(1394〜1428)?、天文年間(1532〜1555)?
主な改修者
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主な城主
- 水沼氏、風見氏(宇都宮氏家臣)
廃城年
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遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
指定文化財
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再建造物
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周辺の城
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飛山城(栃木県宇都宮市)[5.8km]
刑部城(栃木県宇都宮市)[7.4km]
真岡城(栃木県真岡市)[8.8km]
村上城(栃木県芳賀郡)[9.9km]
桑久保城(栃木県塩谷郡)[10.4km]
岡本城(栃木県宇都宮市)[11.7km]
宇都宮城(栃木県宇都宮市)[12.1km]
西明寺城(栃木県芳賀郡)[12.1km]
桜町陣屋(栃木県真岡市)[12.9km]
戸祭城(栃木県宇都宮市)[13.1km]
舟戸城の口コミ情報
2024年07月31日 マグロ常陸介祐平
入野家住宅[舟戸城 寺社・史跡]
赤羽城から南に1kmに位置する古民家で、江戸時代後期の天保年間に建てられており、主屋と長屋門が国の重要文化財に指定されています(写真3,6枚目)。
入野家は、宇都宮氏の旧臣の家系で、宇都宮国綱旧臣姓名書には「下赤羽村入野三郎右衛門、入野丹波、入野長左衛門」と記載されているようです。江戸時代になると、入野家は名主を務めています。
宇都宮氏の家臣時代からこの地を居館としていたのかは、わかりませんでしたが、周囲は土塁と空堀が残っており、中世の単郭方形の館のような構造が見られます(写真1,2,4,8枚目)。
2024年07月30日 マグロ常陸介祐平
赤羽城[舟戸城 周辺城郭]
文亀元年(1501年)に益子氏の一族の赤羽右京之進が築城したと伝わっています。慶長二年の宇都宮国綱家臣録には、赤羽村二千石赤羽左京介、赤羽右京とあり、宇都宮氏の家臣だったことがわかります。
本丸は、立ち入り禁止の耕作放棄地となっていますが、二の丸と接する3~4m程の高さのある土塁と空堀が残っており、二の丸も東側から西側にかけて土塁と空堀が見られます(写真1,2,3,4,7枚目)。東側には虎口(写真5枚目)と土橋(写真8枚目)も確認できます。西側の道路の先にも土塁の残欠があり(写真6枚目)、そこそこの規模のお城であることが推測できます。
やや薮となっていますが、思っていた以上に遺構は残っていました。
2024年07月29日 マグロ常陸介祐平
高橋城[舟戸城 周辺城郭]
高橋神社周辺が城址となります。城域の大部分が田んぼ(写真6枚目)になっていますが、高橋神社自体も土塁に囲まれており(写真1,2,5枚目)、曲輪の一つと思われます。
神社の説明板には、奥州伊達氏ので旗下に属し、慶長二年の奥州征伐の時に豊臣方の浅野長政に攻められ、城は落城し高橋一族は戦死したとありますが、実際は宇都宮氏の家臣のようです。
高橋氏は、清和源氏佐竹氏流で(紀姓益子氏流の可能性も)、先祖は木曽義仲に仕え、義仲滅亡後に常陸に入り、宇都宮氏の家臣となり、義道の代の1356年に高橋城を築いたようです。秀吉による宇都宮氏改易により、高橋城も廃城になったようです。
城の西側には、12代城主義途の墓石と伝わる五輪塔(写真7,8枚目)があります。
2023年11月04日 マグロ常陸介祐平
舟戸城
宇都宮霊園から芳賀天満宮にかけてが城址となります。
神社と墓地となっており改変されてはいますが、天満宮から北側の墓地・南側の墓地から南に伸びる竹林・その間の比較的狭い曲輪と南北に並ぶ3つの曲輪が堀切で遮断されている縄張りはなんとなく分かります。
断片的ですが周囲には土塁がみられ、南の竹薮には曲輪内部に堀状のくぼみ(写真1,2枚目)が見られます。
くぼみは他で見た事のない構造でした。
2021年05月05日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
高橋城[舟戸城 周辺城郭]
栃木県の芳賀郡にある高橋城☆現在は高橋神社の周辺が城郭でした☆現在は農地開発により明瞭な遺構は残ってません…☆
平安時代から、この地に生きた高橋氏ですがこの城郭は南北朝時代に高橋義通が築いたと伝わります♪戦国時代には奥州伊達家の旗下にも属していた様です♪奥州征伐の際に浅野長政を主将とした豊臣軍に攻められ落城☆高橋一族は戦死したと伝わります☆
因みに高橋氏は佐竹昌義の後裔とも伝わってます☆
2021年05月04日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
赤羽城[舟戸城 周辺城郭]
栃木県の芳賀郡にある赤羽城☆🏯別名を赤埴城と呼びます☆築城主は赤羽宗勝と伝わります♪
赤羽氏は益子氏の一族となります☆
赤羽氏は宇都宮興綱と芳賀高経との間に亀裂が走った際に和解に尽力したと残ります☆
そんな書状が残ってます☆
赤羽宗勝が築城した赤羽城ですが、その後は子の赤羽宗重が跡を継いで居城したと伝わります☆
鹿島神社の南側の林の中に城郭はヒッソリと残ります☆城郭の南側には慈眼寺と言う神社も残ります☆城郭の大部分は消失されてしまいましたが城の南側の遺構は良く残っています☆
2020年12月13日 国府左京大夫城介
舟戸城
飛山城をリア攻めした後、地図を見たら近いから行ってみようといったノリでリア攻めをしてしまいました。
交通手段は、宇都宮市のレンタサイクル(100円/日、安い!!)を利用しました。
宇都宮駅から約1時間、飛山城からだと約30分ほどで着く距離となっています。
基本的に国道123号線をひたすら直進するだけでなので、あまり迷いはしませんが、鬼怒川を超えたあたりからアップダウンがそれなりにあるので、ただのママチャリだとちょっときついかも(-_-;)
家に帰って調べたら、東部宇都宮から益子駅または真岡営業所行きのバスで東舟戸で下車する方法もありました。ただし、1時間に1本程度ですが…
舟戸城は比高15m程の細長い台地上にあり、登城口は西側にあります。
登り口には、写真のような看板があります。これ以外、舟戸城を指し示すものはありません。
現在、城内の大半が宇都宮霊園となっており、造成した関係でかなり改変されているかと思われます。
しかし、霊園の周囲(2郭・3郭)は竹林となっており、竹林内の遺構は堀切、横堀、竪堀、土塁などが明瞭に残っています。
個人的には、3郭の南西にある竪堀と、2郭の南にある堀切と虎口は必見かと!
また、霊園ということで、竹林内も適度に管理されているのか、蜘蛛の巣だらけということはなく、かなり歩きやすかったです。
ただし、自分が訪れたのは、日没30分前くらいのため、竹林内はかなり暗くなり、見落とした遺構もあったかもしれません。