村上城(むらかみじょう)
村上城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 栃木県芳賀郡市貝町塙
旧国名
- 下野国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 村上良藤
築城年
- 天授4年〔南朝〕/永和4年〔北朝〕(1378)
主な改修者
- -
主な城主
- 村上氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁
指定文化財
- 県史跡(村上城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
千本城(栃木県芳賀郡)[3.5km]
茂木城(栃木県芳賀郡)[6.3km]
桑久保城(栃木県塩谷郡)[8.0km]
森田城(栃木県那須烏山市)[8.4km]
舟戸城(栃木県芳賀郡)[9.9km]
西明寺城(栃木県芳賀郡)[11.4km]
烏山城(栃木県那須烏山市)[12.1km]
飛山城(栃木県宇都宮市)[13.7km]
真岡城(栃木県真岡市)[16.0km]
岡本城(栃木県宇都宮市)[16.3km]
村上城の解説文
村上城の口コミ情報
2024年02月29日 RED副将軍
芦原城[村上城 周辺城郭]
山根城と隔てる多重横堀が見事なナゾの城跡🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代や築城主等の城史は詳細不詳。
山根城に隣接する城跡であり、余りにも至近距離であることから山根城に関連する城跡と考えられています。
山根城は益子氏または千本氏の続城との説があり芦原城も同じ勢力に属していたと思われます。
見所
記念樹の森公園として整備されている山根城の東側に四重の空堀で隔てた先が芦原城とされます。
空堀は深さ鋭さともに見事ですが、その先の城域とされる場所は雑木林であり冬期でもヤブです。
竪堀状の遺構らしきものが東へと続いてましたが縁石や側溝がその先にあったことから廃道であった様で改変を受けている様です。確かにGoogleマップでも延長上に道路があるので確信した次第です。
南側は切岸地形があり城跡を感じることができました。時間をある程度かけて探索しましたが、山根城とを隔てる多重横堀だけ見るのでも良いかもしれません。
2024年02月27日 RED副将軍
山根城[村上城 周辺城郭]
ミニ皆川城とも称される多重横堀と同心円状の腰郭が見事な謎の城跡
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代や築城主等の城史は詳細不詳。
戦国時代は宇都宮氏家臣の益子氏の勢力下にあった地域であり益子氏の属城であったとする説や、1551年に千本資俊が主家である那須高資を謀殺した際に宇都宮氏より恩賞としてこの地を領したとされることから千本氏により築かれた千本城の支城とも云われています。
見所
桜川東岸の丘陵西端に築かれており、現在は記念樹の森公園として整備されています。
山頂の主郭を中心として土塁と横堀が周囲を巡り、更に同心円状に腰郭が雛壇状に広がるという珍しい縄張りで、ミニ皆川城と呼ばれるのは納得です。公園化により改変を受けていますが、主郭周辺の空堀はなかなかの残存度で見応えがあります。
更に東側には芦原城が隣接していますが、両城の間には四条の横堀で遮断されており最大の見所です。
公園城とて侮ってはなりません。なかなか面白い城郭でした。
行き方は、城域東側に広い公園駐車場とトイレが完備されており比高は約30mです。
写真
①②③④主郭を巡る横堀と土塁
⑤主郭に建つ展望台
⑥⑦芦原城との間の四重横堀
⑧同心円状の帯郭
2022年09月11日 三男坊.k大学頭
村上城
本丸を囲む横堀 下草が刈られたばかりで散策しやすいですよ
2022年04月16日 河東釆女佑清將
村上城
本丸は梅の木で,いっぱいでした。千手観音側から上がって行くと分かりやすいです。
2022年03月06日 大膳大夫しろし
村上城
本丸は、すっかり梅園になってました。3月初旬は、数本咲き始めたぐらい。少しだけいい香りがしていました。
2021年06月14日 【籠城中】下野守智ぞう
村上城
村上城の外堀は一周出来ます🎵藪がヒドイとこも、何とか歩けました。
2021年05月06日 龍馬備中守【】
山根城[村上城 周辺城郭]
栃木県の芳賀郡の山根城☆
詳細は不明な城郭となります☆千本城の千本氏あるいはその家臣が築いたとも伝わりますが定かではありません☆
ただ千本城の落城の際に姫が身を投げたという伝説を持つ井戸がある事からやっぱり千本城の支城かもしれません♪
単郭の城郭は土塁と横堀が主郭を巡っていてミニ皆川城の様な城郭になっています☆西側には帯郭状の平坦地が雛壇状に並んでいて西側を警戒☆東側には隣接して芦原城があった様で2つの城郭は最早、1つであっただろうし、同城主が守っていた事でしょう♪山根城と芦原城との間に横堀も含めると四条の横堀で遮断しています♪ここら辺の遺構を見る限り戦国時代のバチバチの時代にも機能していた事が見て取れます♪
2021年05月06日 龍馬備中守【】
芦原城[村上城 周辺城郭]
栃木県の芳賀郡にある芦原城♪歴史詳細は多く不明です☆
山根城と一体化した城跡と考えられ千本城の支城の一つでだと思われます☆那須氏により攻められ落城、廃城となったと考えられています☆
城郭は藪が凄いです☆山根城と同城主だと思われますが、誰が何のために?こんな至近距離に?山根城の詰城か?はたまた一体となった一つの城郭として機能していたのか?
謎の城郭です☆
2021年05月05日 龍馬備中守【】
御城[村上城 周辺城郭]
栃木県に芳賀郡にある、下野・御城☆
詳細は全く不明です☆芳賀郡の城郭の位置関係などから益子氏の城郭と思われます♪
城郭は市塙駅の西側・東円寺の西背後にある南へ伸びた舌状の台地に築かれています☆
南から北に、本丸、二ノ丸、三ノ丸と続く連郭式の城郭です☆空堀で区画され一部に土塁を残し、本丸には井戸跡も残ります☆
金毘羅神社の南西側一帯が本丸、北西側一帯が二ノ丸、東円寺の西側辺りが三ノ丸なんですが、現在、竹林や畑となっているんです☆藪や農地開発の為に中々難易度が高い城郭で明確な遺構は確認出来ませんでした☆
2021年05月05日 石田大宰帥いしのすけ
村上城
近くに住んでいながら、初のリアル攻略。バイクで行きましたが、車だと、途中の道は細いし、たまにハイキングとおぼしき人達も歩いていたので、慎重に走った方がいいです。観音山の麓に駐車場があります。本丸には梅の木が植えてあったので、梅の花が咲く季節は、多くの人が来るのか、それなりに広い駐車場でした。永徳寺というお寺の階段を登ると本堂があり、左手に進むと主郭への道があります。案内板もあるのでわかりやすいと思います。途中は森の中を進む やや暗い道ですが、主郭は上記通り 梅の木も多く植えてあり、広々と明るいです。土塁や空堀の遺構がよく残っています。
2021年02月05日
山根城[村上城 周辺城郭]
詳細は不明だが、ミニ皆川城。と思うような感じ。公園として整備されているが、掘りなど良く残ってて見ごたえあります。
場所は真岡鉄道市塙駅の裏手の公園です。駐車場・トイレもあります
整備されてる展望台奥に二重掘とかあったりして侮れませぬ。
村上城だけでなくこちらも要チェックです
2016年10月24日 まー刑部卿
村上城
【観音山梅の里梅園】の看板下に【村上城跡】の看板があった。駐車場は二つあり第二駐車場へ駐車。トイレ有り。先人も書かれているが空堀がはっきりわかる。それも本郭、二の郭、三の郭の空堀も。
2016年04月11日 すずママ玄蕃頭箕輪金山PR
村上城
リア攻めはまだですが、道の駅サシバの里いちかいで【観音山梅の里梅園】のパンフレットをいただいてきたら村上城の写真とアクセス方法がでていました。
以下転載
観音山の所在地・市貝町大字市塙3501
電車・バスの利用
JR宇都宮駅西口よりJRバス茂木行き「芳賀地蔵橋」下車徒歩約10分
真岡鉄道市塙駅下車徒歩約15分
2014年12月06日 志能便右京大夫
村上城
本郭を囲む堀切は見応えがあります。
2010年06月19日 半日皇帝下野守
村上城
梅の花が咲く季節に行くととても綺麗です。(城の地元の友達談)
村上城は、観音山に築かれた山城で、東西約200m、南北250mの規模である。築城の時期については、文治3年(1187)平宗清の守る村上城が落ちたという「村上城落城記」の記述から平安時代末頃と思われる。
その後、永和4年(1378)、益子氏の一族村上新助藤良によって現在の遺構のような城が築かれた。これによって、村上城は宇都宮氏の勢力下に入り、那須氏に対する盾の役割を果たした。村上氏は、50年にわたって居住したと伝えられている。修理工事を行い、現在に至っている。