烏山城(からすやまじょう)
烏山城の基本情報
通称・別名
- 臥牛城
所在地
- 栃木県那須烏山市城山
旧国名
- 下野国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 那須資重
築城年
- 応永25年(1418)
主な改修者
- 堀親昌
主な城主
- 那須氏、成田氏、板倉氏、堀氏、大久保氏
廃城年
- 明治2年(1869)
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 国史跡(烏山城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
森田城(栃木県那須烏山市)[4.0km]
武茂城(栃木県那須郡)[8.8km]
千本城(栃木県芳賀郡)[9.6km]
桑久保城(栃木県塩谷郡)[9.9km]
神田城(栃木県那須郡)[10.0km]
村上城(栃木県芳賀郡)[12.1km]
倉ヶ崎城(栃木県さくら市)[12.6km]
茂木城(栃木県芳賀郡)[14.5km]
勝山城(栃木県さくら市)[17.2km]
岡本城(栃木県宇都宮市)[18.4km]
烏山城の解説文
[引用元:Wikipedia「烏山城」の項目]
烏山城(からすやまじょう)は、栃木県那須烏山市(下野国那須郡)[1]にあった日本の城(山城)。国の史跡に指定されている[2][3]。
概要
標高202mの八高山に築かれた山城で、山上部に本丸、二の丸を中心に五城三廓と呼ばれる廓を配し、城山の東麓に万治2年(1659年)に堀親昌によって三の丸が増築され、御殿と多門櫓が築かれた。
歴史・沿革
応永25年(1418年)、下那須家初代の那須資重によって築かれ、永正11年(1514年)の下那須家滅亡まで下那須家の居城、那須氏統一後は那須氏の居城として使われた。
戦国時代には、常陸国の佐竹氏によりたびたび攻撃対象とされ、永禄6年(1563年)の大海の戦い、永禄9年(1566年)の治部内山の戦い、永禄10年(1567年)の大崖山の戦い、霧ヶ沢の戦いなど、何度か城下まで攻め込まれているがいずれも退けている。天正18年(1590年)の那須資晴の代に、豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏側に立った那須氏は一旦改易された。後に同じく小田原征伐後に100万石を没収され改易された織田信雄が入城し(配流・蟄居処分とも)、2カ月間城主を務めた。その後は文禄4年(1591年)に成田氏長が2万石で封じられるが、1596年に死去し、跡を弟の成田長忠(泰親)が継いだ。成田家の下で江戸時代の開始を迎え、当城が烏山藩の政庁となるが、元和2年(1617年)に長忠が死んだのち、数年ほどの間に後継を巡る御家騒動が2度起こり、数代続いた成田家は改易された。
次に松下重綱が入るが、4年後に転封。堀親良が入り、45年後の次代堀親昌の時に転封。代わって寛文12年(1672年)に幕閣の重鎮であった板倉重矩が入封し、城下町の改良を始めるが翌年に死去。次代の板倉重種が事業を継続するが、計9年後の延宝9年(1681年)に転封。
代わって下野国那須藩から入ったのが那須資弥。90年ぶりに那須氏が城主に復帰した。ただし出自はかつての那須氏の末裔ではなく、徳川4代将軍徳川家綱の生母宝樹院の弟、すなわち将軍の叔父にあたることから取り立てられ、名族の那須家に養子に入れられた。6年後の貞享4年(1687年)、養子の那須資徳の時、お家騒動(「烏山騒動」)で改易された。あとに永井直敬が入るが15年後に転封、稲垣重富が入り、15年後の次代の稲垣昭賢の時に転封、と藩主家の交代が繰り返された。
享保10年(1725年)、大久保常春の入封後はもう転封は起こらず、大久保氏が代々城主を務めた。
明治2年(1869年)、版籍奉還と共に廃城となった。明治5年(1872年)には、積雪によって三ノ丸御殿が倒壊、明治6年(1873年)には、失火によって、古本丸、二ノ丸、中城、北城の建物を焼失した[4]。
考古資料
遺構
現在は、県立自然公園として、石垣・土塁など、各遺構が良好な形で現存している。また、搦手門である神長門が移築され現存している。
交通
- JR東日本・烏山線・烏山駅から約15分
- 東北自動車道・矢板ICから約50分
登場作品
- 『蛇姫様』(川口松太郎著1946年)- これを原作とする映画「蛇姫様」およびテレビ時代劇「新蛇姫様」の舞台となった。登場人物「蛇姫」は、大久保忠胤の四女「於志賀の方」がモデルである。
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烏山城の口コミ情報
2024年09月15日 埼玉大宰少弐三成
烏山城
城攻め時に写真を撮って、山あげ会館で提示すれば「登城証明」がもらえます。山あげ会館は祭り会館ですが烏山の歴史も勉強になります、時間があったら寄ってみると良いと思います。
2024年07月15日 尻啖え孫市権中納言
烏山城
車でGoogleマップの案内通りに行くと裏手の方に案内されるので注意。舗装されているが道幅が狭く対向車が来るとすれ違いが難しい。マップでは烏山城七曲口といれると良い。駐車場そのものの場所はないものの数台停められなくはない。七曲口登り口のパンフレットを取り、そのQRコードを読んで動画を見てからの登城がお勧め。
道は整備されているが雨上がりは滑るのでマウンテンブーツなど山登り用の靴が良い。規模は大きい。堀切も大きい。石垣は珍しい。土塁はそれほど高くない。新旧入り混じった縄張りがユニーク。一見の価値あり。
2024年07月13日 那須岩代守資将
烏山城
常時販売で、新しい烏山城の御城印の販売を始めました。烏山和紙1枚300円那須烏山市観光協会・山あげ会館にて販売しています。 メルカリなどでの転売を禁止します。
2024年07月08日 ドラねこ大蔵大輔少納言
烏山城
市役所に車をとめ、そこ道路を少し歩くと、七曲口が見えてくるので、そこから20から30分程度登ると本丸です。
2023年12月15日 RED副将軍
烏山城
那須氏の本拠地である五城三郭で構成された巨大山城🏯
オススメ度 ★★★★★
1418年に那須資重が築いたとも、明応年間(1492年〜1501年)に那須資実が築いたとも伝わり定かではありません。
那須資重は那須資氏の次男であり、沢村城の沢村氏の家督を承継し沢村資重と称しました。しかし、本家の家督を継いだ兄の那須資之と対立し、1414年には沢村城を攻められ落城。沢村資重は烏山に逃れて興野氏に匿われました。その後に稲積城を修築して居城としていましたが、1418年に新たに築いて居城としたのが烏山城とされます。しかし、烏山城を築城したのはその孫である那須資実とも云われます。
その後、那須に復姓して下那須氏となり、本家は上那須氏と呼ばれて両氏は対立が続きました。
1514年には、上那須氏は内紛により滅亡し、下那須氏の那須資房が那須氏を統一し本流となっています。
その後、佐竹氏や宇都宮氏が幾度と烏山城に攻め寄せていますが、那須氏はそれを撃退。烏山城が落ちることはありませんでした。
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐において那須資晴は遅参したことにより所領を没収。しかし、子の那須資景には五千石を与えられ福原要害城を居城として那須氏は再興しました。
那須氏の改易後には尾張国清洲から織田信雄が入封するも直ぐに転封となり、成田氏長が忍城より入封。
1622年、成田氏は家督争いにより改易となり、その後に松下重綱が入封し、1627年には堀親良が入封。堀氏の時代に烏山城は大規模な改修がされ、三の丸と呼ばれる居館が麓に築かれました。
その後は、板倉氏、那須氏、永井氏、比企氏、稲垣氏と続き、1728年に大久保常春が入封すると大久保氏が8代続いて明治を迎え、1869年の版籍奉還に伴い廃城となりました。
見所
那珂川西岸の標高206mの八高山に築かれています。
東西約370m、南北約510mに及ぶ広大な城域で、五城三郭とよばれる主要部分(本丸、古本丸、中城、北城、西城、常盤曲輪、若狭曲輪、大野曲輪)で構成されています。
主郭部は山頂の南北二郭とされ、北が古本丸で南が本丸(古二の丸)であり周囲は空堀が巡り区画され土橋が架かります。本丸の南側に虎口である正門と吹貫門が開口し周辺に石垣があり、南東の常盤曲輪を経て大手である七曲口に続きます。
古本丸の北側には中城、北城と続き堀切で区切られており、搦手である十二曲口へと続きます。
本丸の西側には西城、若狭曲輪と続き、北東部に大野曲輪が配され、西側は緩斜面であるため横堀と土塁により防御線が張られています。
行き方は、東側麓の三の丸跡とされる亀寿山神社を目標に設定。駐車場もあり、七曲口から登りました。比高は100m程度です。
2023年05月22日 パジェロ
烏山城
山あげ会館に御城印を買いに行きました。受付に御城印が売ってます。そして、せっかくなので初リア攻めをしました。本丸の写真を撮って会館の受付に見せると登城証明が貰えます❗
2023年04月24日 陸奥守新九郎
烏山城
山上も三の丸域もよく形状を残しています。本丸でも門跡を境に石垣の積み方(石材)が違い、面白いです。高さのある切り岸も見応えあり!
2023年04月06日 蘭丸クン
太平寺[烏山城 寺社・史跡]
本堂から右側に進むとあります。案内板があるのですぐわかります。
2023年02月19日 武蔵守与作兵衛
烏山城
車で行く場合、七曲り口にも車を停められますが路駐のようになるので、市役所烏山庁舎の駐車場をお勧めします。600m位しか離れていないし、1階一番奥の⑤窓口脇に置いてある縄張り図などの資料が無料で頂けます。城址はほどよく整備されており遺構も良い状態で残っているので「山城」を堪能できます。杉の木が多いのでこれからの季節、花粉症の方は対策を万全に!
2022年08月02日 織田上総介晃司
烏山城
車は那須烏山市烏山庁舎の駐車場に停めて七曲口より登城。
七曲口に縦列駐車で停めるのも可能ですが前日の大雨で地盤が緩み車の重みでもしもの事があってはいけないので安全策をとりました。
七曲口にパンフレットがあります。
素晴らしい山城で百名城・続百名城になぜ選ばれなかったのかと思うほどです。リア攻めすべき城です。
那須烏山市の烏は「八咫烏」を指します。
サッカー日本代表のエンブレムでおなじみの三本足の烏です。
2022年07月26日 maki156
烏山城
林道にあり雨が上がり後には危険な場所にある。行った達成感はあるも無理は禁物です。
2022年04月11日 衛英下総守
烏山城
全く手を加えていないて言うことで、4年前位に話題になった山城、10年以上の前に一回行ったがその頃と比べても案内が少し増えた感じがしたものも、肝心な部分は変わっていなかったので安心しました。
2021年12月06日 みその対馬守
烏山城
かなり急な坂道を登ると、大きな郭がいくつもありました。一つ一つが切岸・堀切できれいに仕切られていて、中世の山城の遺構が良く残っています。堀切の規模は最大級です。是非皆さんにおすすめです!
2021年05月12日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
神長北要害[烏山城 周辺城郭]
栃木県のさくら市にある神長北要害城♪
神長南要害城の北側に鳥山城の北西側の山続きに烏山城を守る様に城郭は位置します☆
先程の神長南要害城同様に烏山城を守っていた城郭だと思われます☆
この神長北要害城は南要害城より更に鋭さがあります☆単郭の城郭ではあるものの、堀切、横堀、竪堀と全て鋭いです♪
竪堀を直登する形で城内に入っていく訳なんですが、竪堀を登り切るとそこは横堀☆その上が主郭になるんですが主郭を中心にして横堀が一周廻らされています☆主郭、横堀、土塁と配置して堀を形成してる訳なのですが、この横堀の土塁は要衝に主郭に向かって土塁を置いて区画を造り行き止まりにしています☆攻め込んで横堀まで侵入したとして横堀内を移動し攻めようにも土塁が阻み行き止まり♪それを上部から狙い撃ち☆
中々、巧妙な技を使っています☆
更には主郭の北側には櫓台の様な分厚い土塁もあって城内には礫石が転がっていました☆
戦国時代の死因の第①位は投石によるものなので、鋭さ+投石☆攻め手は嫌だった事でしょうね〜☆
2021年05月12日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
神長南要害[烏山城 周辺城郭]
栃木県のさくら市にある神長南要害城☆鳥山城の南西側の山続きに烏山城を守る様に城郭は位置します☆
烏山城を守る城砦と言ってはいますが、実態は分かっていません。。が烏山城の南西側にはこの神長南要害城と北西には神長北要害城と2つの砦があります☆
眼下には街道が走り北西に抜ければ大田原氏が守る大田原城が☆南東へ下れば佐竹氏が守る常陸国の領域へ☆更には宇都宮氏とも割りかし近い位置関係に☆
烏山城も縄張り素晴らしい物ですが、この砦群、支城群を含めた烏山城の縄張りと考えると堅固さは間違い無く栃木県の中でもトップクラスの城郭です☆
あっ…神長南要害城でしたw
築城、城主等、歴史は不明です☆
山続きにある神長南要害城なので特定の城主と言うよりは烏山城から随時、在番という形で家臣が入っていたんじゃないかなぁ〜?と思われます☆
そして何故?烏山城を守る支城砦群だと思ったかという事ですが神長南要害城も神長北要害城も素晴らしい砦には間違いないんです☆ただ城郭の規模が小さいです☆烏山城を本気で落とすのであればもう少し間合いを図り、別場所に規模感を持って、それなりの兵力を抱えて戦わなくては烏山城は落とせない☆それ位に烏山城は凄い城郭なんです♪
2021年05月02日 つか征夷大将軍ぽ
移築神長門(烏山城裏門)[烏山城 遺構・復元物]
民家の門として使われています。ホームセンター(コメリ)も直ぐ横です。
2021年04月30日 つか征夷大将軍ぽ
那須烏山市烏山庁舎駐車場[烏山城 駐車場]
正式な駐車場です。こちらには小さなパンフレットも設置してあります。縄張り図は大金駅前にある那須烏山市南那須庁舎の担当部署で貰えます。
2021年04月30日 つか征夷大将軍ぽ
駐車場スペース(縦列駐車方式)[烏山城 駐車場]
鳥居の左にあるお城の案内板の前に駐車可能です。奥は七曲口になっているので奥まで進まず少しだけ広いところ(切り返しは必要ですが)でUターンして片側に寄せて停めましょう。那須烏山市の担当に確認した正式な場所です。しかし台数があまり停められなので那須烏山市烏山庁舎の駐車場もあわせて利用しましょう。
2021年02月03日
稲積城[烏山城 周辺城郭]
稲積城は那須氏の中でも最も古い城の一つであり、実際に行ってみるとそーとう広い平城であるなあと思った。稲積城は、外城平・下館・中城・御城の4つに区分されるらしい。
外城平の一角にある稲積神社には城の名残の土塁や虎口など確認出来た。
時間をかけてくまなく回らないと城全体を把握するのは難しそう。
2021年01月15日 国府左京大夫城介
神長北要害[烏山城 周辺城郭]
烏山城の西側を守る支城の一つ
【歴史】
築城年、築城者不明。
那須氏が築城したと考えるのが妥当か。
【遺構】
烏山城の西に1kmに位置し、烏山城と山続きになっている。
単郭の砦ではありますが、南北にそれぞれ鋭い堀切で侵入を阻むようになっています。
南要害と同じく、主郭の周囲を空堀で囲んでおり、この空堀はかなり深く5,6mほどはあります。また、空堀内を容易に移動できないように一部を土塁で区切る工夫がなされている。
主郭の北側は、櫓台として利用されていたと思われる分厚めな土塁があります。
【感想】
絶対に冬場に訪れるべきお城です。直登した斜面には藪と低木の枝が、尾根は藪と倒木だらけでした。
しかし、そんな藪を乗り越えた先には、素晴らしい堀切が唐突に現れ、その先の素晴らしい遺構が待ち構えており、これまでの労苦を吹き飛ばしてくれることが間違いなしです。
主郭の周囲にある横堀は普通に一周することができず、東西でそれぞれ一か所ずつ土塁で仕切るなど、かなり技巧的なお城です。南要害と比べると、格段に防御性が高く、実際に戦が起きた場合は、西側の防御拠点となると思われます。
【アクセス】
JR烏山線 滝駅から徒歩で約30分。
登城口はないので、周辺の麓から直登する必要がある。
周辺は個人宅等が多かったので、自分の場合は神長神社のあたりから直登し、5分もしないで、尾根に着くので、そこから南に向かっていくと城内に到達します。
【写真】
1:北側の堀切
2:北側の堀切(左側が櫓台)
3:主郭東側の虎口
4:南側の堀切(左側が主郭、右側が馬出?)
5:南側の堀切内
6:東側空堀にかかる土橋
7:西側の空堀1
8:西側の空堀2
2021年01月15日 国府左京大夫城介
神長南要害[烏山城 周辺城郭]
烏山城の西側・神長(かなが)を守る支城の一つ
【歴史】
築城年、築城者不明。
那須氏が築城したと考えるのが妥当か。
【遺構】
烏山城の南西0.9kmに位置し、烏山城とは山続きの場所にあります。
1郭と2郭で構成され、神長北要害と似た縄張りとなっています。
1郭はそれなりに広く、土塁と空堀できっちりと守られている。北側には竪堀、東側には帯曲輪があります。
2郭は南北をそれぞれ横堀で分断するだけの簡素な造りとなっている。その横堀は西へ竪堀として落ちている。
【感想】
神長北要害と比べると、空堀も浅く、造りがシンプルなイメージを受けます。
この南要害は、烏山城西側の街道(旧県道10号)を監視するのが主任務だったのではないかと推測します。
烏山天体観測所の背後の藪は僅か(1~2m)しかなく、郭内・空堀もあまり藪がないので、藪漕ぎ初心者の人にお薦めのお城です。あくまでも、冬場ならばという前提条件はありますが…
【アクセス】
JR烏山線 滝駅から徒歩20分。
どうくつ酒蔵のある林道をしばらく進むと、左手に鎖止めされた道があり、その道を登って烏山天体観測所(廃屋?)の背後の藪を越えると城域となる。
【写真】
1:神長南要害への入口
2:烏山天体観測所(背後の藪を越えると城内)
3:2郭南側の横堀
4:2郭内部
5:1郭と2郭の間の横堀
6:1郭内部
7:1郭から周囲の空堀を視認
8:1郭周囲の空堀
2020年09月28日 下総守アラタさん
烏山城
9月下旬の登城(七曲り口)でしたが、地元の方が整備してくださっているのか登城路は問題なく突破。 本丸・古本丸などは下草が生い茂り、辛うじて道?が見える程度でした。
それでも郭と堀切、石垣は圧倒的存在感です。
2020年08月20日 カネゴン大膳大夫
烏山城
登城は七曲りからが良いかも知れません。
【寿亀山神社】
近くの烏山図書館で烏山城の資料頂けます。毘沙門山ルートはハイキングがてらなら良いですが若干遠回りです。夏場は虫が凄いので水分補給と虫除けスプレー必須です。
2020年07月30日 藤原頼絋
本丸御殿跡[烏山城 遺構・復元物]
現在は礎石しかありません。
2020年04月20日 【籠城中】下野守智ぞう
烏山城
亀寿神社の三の丸から登っていくのが良いかと思います!登城口にいきなり、石垣あります。神社周りの曲輪や掘、土塁も要チェック!
登城口の七曲もカーブが土塁になって横矢かかってたり、なかなか技巧的。
車橋跡から常磐門にいくと石切場みたいな矢穴ある石垣に興奮!
本丸付近の現存石垣も素晴らしいが、本丸・古本丸を取り巻く堀切も素晴らしい‼️
中城・北城・常磐曲輪・大野曲輪・若狭曲輪・西城とパンフレットにある遺構を一通り回ると二時間弱かかります!
那須烏山市もけっこう力を入れてる感ありますが、何故に、100名城、続100名城に入ってないのか不思議なくらい素晴らしい城です!
2019年04月08日 Marky武蔵守
烏山城
毘沙門山の登山口脇の市役所の駐車場に案内図がありますが、その脇にオレンジ色のケースがあり中にパンフレットが入っています。
パンフレットにA3サイズの縄張図がありますので、活用すればかなり細かく見学出来ます。
2018年02月26日 昌幸近江守晩秋リア旅
烏山城
麓の寿亀山神社(居館三の丸跡)から七曲道(大手)を登ると15分位で石垣がお出迎えしてくれます。
礎石や石段のほか、塀には石塁を使用していたのではないか?と思われる箇所もあります。それを探しながら七曲道を登るのも楽しみですね。
石垣は本丸付近のみで、それぞれの郭が深い空堀で囲まれており、これぞ中世城郭という感じです。土塁もはっきり残っている郭ばかりです。
現在は西城といわれる郭の発掘が行われているようです。
2017年05月12日 土塁ルイ
烏山城
三河・遠江への転封を拒んで織田信雄が飛ばされたり、甲斐姫を側室に差し出した成田氏長が大名復帰したりの城です。
駐車場は、七曲り口・寿亀山神社の鳥居前に「←駐車場」の看板がありますが、奥に進んでも駐車場と呼べる程のスペースは無く、結局道の脇に止めました。
むしろ十二曲り口の方が駐車スペースがあるように思います。
先人も書かれている通り、西城周辺の堀底に入り込むと、案内板がなくなり、多くの踏み跡で居場所が分からなくなります。
正門跡にある案内図はアバウト過ぎます。細かく歩きたい方は、少なくとも縄張図は持参して下さい。
那須烏山市野上の民家に、搦手門の移築があります。
2016年12月04日 三沢出羽守伊兵衛
烏山城
烏山高校近くの反対側に寿亀山神社への入り口があります。神社を含めた一帯が三の丸だったようです。神社付近に駐車場の看板があり、駐車スペースがあります。ここから七曲りの登城口になります。
連郭式の本丸・古本丸・中城とその帯曲輪?が城内歩道になってます。立派な堀切や空堀が残っており、ちょっとした石垣も楽しめます。西城側の大きな堀を歩いてみたいと思ったのですが、この季節でも藪がひどく断念。城内歩道コース以外はあまり整備されておらず、大きく外れる勇気は出ませんでした。
2016年05月14日 カーネル
烏山城
烏山線烏山駅から 駅を背に歩き国道294に出たら右折して北上
右左折を繰り返して烏山高校の南西にある寿亀山神社への入口に烏山城の案内図があります
夏だったので三の丸は草でぼーぼー。その脇を通り、寿亀山神社鳥居前の「城山七曲り」の標識に従い左折すると山道になります
道は緩やかです。登り続け太鼓丸・車橋址・常盤門跡を過ぎると見事な石垣があります
ここにも城の案内図があり、城内を1周して戻ってこれます。ここは看板が充実してるので、ありがたいです
先にある二ノ丸を囲う堀が大きく圧倒されたした
余裕があったので寿亀山神社にお参りしてから駅に戻りました。全部で2時間ちょいでした
歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです
2015年06月16日 まさ宮内卿猛虎
烏山城
烏山城築城迄
那須氏の祖と言われる首藤貞信の子 資道が1109年神田城から移る。
6代宗資の時、 《平治の乱》にて源義朝に与して敗れ、甲斐国稲積に逃れていたが、帰国して1165年稲積城に移る。
1414年福原城主の那須資之と沢村五郎資重が不和となり、資之に攻められ稲村城に逃れた。結果、上那須・下那須の分裂となる。資重は、稲積城が平城であり、東側の高い山から城内丸見えとなるのを嫌い、1418年八高山に烏山城を築き居住した。
稲積城は、家臣の本庄氏が在城した。
2015年06月15日 まさ宮内卿猛虎
烏山城
294号線挟んで、烏山高校の反対側です。入口看板は小さいです。
城には、無関係と思うが間知石の石垣の端に、入口看板が有ります。
40M位奥には、3の丸の石垣、その奥には、烏山城説明板有ります。駐車場・トイレは無い、説明板近くの広まった所に車を2〜3台なら置けます。
看板を右側に奥に進むと登城口が見付かります。
2015年04月21日 斉藤権大納言にょふん
烏山城
登り口が2つあったが、駅方面からは八雲神社からより郷土資料館を超えて少し行くと、三の丸あ跡の看板が見えてくる。こちらから登った方が城には早く着く。
2014年11月16日 武蔵守道灌?!
烏山城
十二曲口から登城し、しばらくするとオオスズメバチの大群が……三の丸脇の七曲口からの登城がオススメです(⌒‐⌒)
2012年07月28日 傾奇揚げ仙兵衛
烏山城
烏山城CCの看板ばかり目立ってしまいがち
烏山城趾は烏山高校の前方500m
烏山城の周辺スポット情報
石垣(遺構・復元物)
桜門跡(遺構・復元物)
曲輪(遺構・復元物)
堀切(遺構・復元物)
本丸(遺構・復元物)
石段(遺構・復元物)
石垣(遺構・復元物)
三の丸(遺構・復元物)
本丸御殿跡(遺構・復元物)
十二曲がり口(遺構・復元物)
移築神長門(烏山城裏門)(遺構・復元物)
三の丸石垣(遺構・復元物)
七曲(遺構・復元物)
三の丸土塁(遺構・復元物)
車橋跡(遺構・復元物)
西城(遺構・復元物)
大野曲輪(遺構・復元物)
北城(遺構・復元物)
十二曲り(遺構・復元物)
厩跡(遺構・復元物)
塩倉跡(遺構・復元物)
吹貫門跡(遺構・復元物)
古本丸(遺構・復元物)
烏山城跡 案内板(碑・説明板)
烏山城説明板(碑・説明板)
小志鳥城(砦)(周辺城郭)
根小屋城(周辺城郭)
神長南要害(周辺城郭)
神長北要害(周辺城郭)
稲積城(周辺城郭)
新地館(周辺城郭)
寿亀山神社(寺社・史跡)
太平寺(寺社・史跡)
那須烏山市烏山庁舎駐車場(駐車場)
駐車場スペース(縦列駐車方式)(駐車場)
龍門ふるさと民芸館(関連施設)
七曲り登城口(その他)
龍門の滝(その他)