勝山城(かつやまじょう)
勝山城の基本情報
通称・別名
- 氏家城
所在地
- 栃木県さくら市氏家
旧国名
- 下野国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 氏家公頼
築城年
- 建久年間(1190〜1199)
主な改修者
- -
主な城主
- 氏家氏、芳賀氏
廃城年
- 慶長2年(1597)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
岡本城(栃木県宇都宮市)[5.9km]
中里城(栃木県宇都宮市)[6.6km]
乙畑城(栃木県矢板市)[7.8km]
倉ヶ崎城(栃木県さくら市)[8.3km]
徳次郎城(栃木県宇都宮市)[9.7km]
大宮城(栃木県塩谷郡)[11.2km]
桑久保城(栃木県塩谷郡)[11.3km]
飛山城(栃木県宇都宮市)[12.4km]
戸祭城(栃木県宇都宮市)[12.9km]
御前原城(栃木県矢板市)[13.5km]
勝山城の解説文
[引用元:Wikipedia「勝山城」の項目]
勝山城(かつやまじょう)は、栃木県さくら市にあった中世の日本の城。宇都宮氏一族の氏家氏の居城、のちに芳賀氏の支城だった。別名を氏家城。
歴史・沿革
建久年間(1190年 - 1199年)に氏家公頼が築城し氏家氏の城となる[1]。
南北朝時代(1336年 – 1392年)、氏家綱元の時に氏家氏の家系が絶えてしまい、芳賀高家の子・芳賀高清が飛山城から移り住み、芳賀氏の城となった。
1597年(慶長2年)に主家の宇都宮国綱が豊臣秀吉によって改易されると勝山城も廃城となった。
現在は、勝山公園とさくら市ミュージアムとなっている。
構造
自然の地形を利用した平山城で、西側には鬼怒川が流れている。
本丸、二の丸、三の丸からなり、本丸をL字型に二の丸、三の丸が囲む連郭式の縄張りで、本丸は幅が約15mある空堀に守られていた。
本丸は、内径東西80m、南北70mの方形で、囲む土塁は高さ3-5m、堀底からは7-8mあり、東側の入口には堀に四脚の橋が架けられていた。入口の北側に櫓台が張り出しており、横矢掛けする構造だった。
城主
- 芳賀高清
- 芳賀綱高
- 芳賀高秀
- 芳賀高繁
- 芳賀高景
参考文献
- 江田郁夫 編著『下野の中世を旅する』(随想舎出版、2009年)ISBN 978-4-88748-207-4)
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勝山城の口コミ情報
2024年09月15日 たか下野守まる
本丸跡[勝山城 遺構・復元物]
隣に鬼怒川が流れ、整備された城址公園です。
2024年08月15日 マグロ常陸介祐平
勝山城
氏家氏が断絶して芳賀氏が城主となったお城です。同じく鬼怒川沿いの段丘上にある飛山城の15km程上流に位置しています。
飛山城とは、
・芳賀氏のお城
・鬼怒川東岸の段丘上
・資料館が隣接
・復元されたお城(手法が近い)
と共通点が多く縄張りは異なるものの、よく似た感じをうけました。
発掘調査を元に忠実に再現されている為、土塁、木橋、空堀など、痩せた現存の遺構を見るよりも戦国期のお城の実態が伝わります(写真1,2,3,4,5枚目)。
ミュージアム南側の(駐車場のさらに南)三の丸の土塁は、復元に比べるとかなり薄くなっていますが、現存のもののように思われます(写真6,7,8枚目)。
ミュージアムは、自然科学を含めた総合的な展示内容ですが、歴史ゾーンでは、氏家・塩谷・芳賀氏など地元の武将に重点を置いています。
2023年05月05日 里のシロクマ侍従
勝山城
駐車場はさくら市ミュージアム駐車場を利用。鬼怒川を望む崖端城。木々の緑と堀切と土塁が綺麗な土の城です。本丸には東の虎口には木橋が掛かり東の搦手には土橋、本丸を取り囲む高い土塁。二の丸北郭に段差のある郭が見られます。二の丸南と東の郭の間に土塁と堀切が見られます。
2023年05月04日 藤原頼絋
勝山公園[勝山城 関連施設]
勝山城の入り口で春はとてもさくらがきれいです。
2022年08月01日 織田上総介晃司
勝山城
勝山城そばに駐車場あり。
車をおりてすぐに空堀と土塁が見えるのでテンション上がります。
天然の堀として鬼怒川が流れてます。
鬼怒川といえば栃木県下有数の温泉地・鬼怒川温泉を思い出しますが、鬼怒川温泉は勝山城のあるさくら市ではなく、上流の日光市にあります。
2022年07月26日 maki156
勝山城
勝山公園となっており本丸へ向かう架け橋は風情あり。鬼怒川と隣接しており天守閣からの景色はさぞ良かっただろうと想像したくなる。
2022年06月22日 篠沼大膳大夫義久
勝山城
宇都宮の重臣級の城の威容を知り得ます。また、河川沿いの城郭は明治以降の大規模河川改修で摩滅している城が多いので大変面白く歩けます。土塁と堀の土木量に興奮しました。
2022年03月09日 国府左京大夫城介
御前城[勝山城 周辺城郭]
氏家氏の方形居館跡
【歴史】
築城年は不明だが、鎌倉時代初頭に宇都宮朝綱の子・氏家公頼(1160~1224)が築城したと推定されている。
氏家氏が断絶後も芳賀氏によって活用されていたが、慶長2年(1597)に宇都宮氏が改易されると、勝山城と同様に廃城となったと考えられる。
氏家氏の本家は南北朝時代に断絶しているが、傍流では美濃氏家氏(西美濃三人衆の氏家卜全)、奥州氏家氏(大崎氏の宿老)、出羽氏家氏(最上義光の重臣・氏家守棟)などがある。
【遺構】
勝山城の北東2.2kmに位置する南北180m、東西144mの方形居館で、南に高い張出部があり、周囲を水堀で囲まれていた。
大正12年に氏家小学校を造成する際に、遺構のほとんどは破壊されたため、現在は北東部に僅かに土塁が残っているのみ。
【感想】
小学校の敷地内にあるため、すごく入りにくいです。しかし、普通に案内板が校内を指しているので、入っても大丈夫です。とはいえ、小学校が休みである土日や祝日に行くのがいいかもしれません。
北東隅の土塁しか残っていませんが、土塁の幅や高さは勝山城に比肩するほどであり、本当に一部しか残っていないのは残念で仕方ないです。かつてあったという南側の張出部がどの位の大きさだったのか、気になります。この張出部が存在していることから、戦国期にも改修が行われ使われていた証拠となっているようです。
また、小学校の東側には水路があり、これはかつての水堀の名残だと思われます。
【アクセス】
JR東北本線・氏家駅から徒歩10分。氏家小学校の敷地内。
【写真】
1:案内板(氏家小学校正門前)
2:説明版
3:残存する土塁
4:東側にある水路
2021年04月29日 石田大宰帥いしのすけ
勝山城
中学生以来、うん十年ぶりに行きました。その頃とは、大分様子が変わってました。綺麗に整備されていて、土塁、空堀の様子がよくわかりました。本丸部分は、こんなに広かったんだなと。。またゆっくり訪れたいです。
2021年03月06日 萌魏太閤叡声
勝山城
さくら市ミュージアムの近く。ここには、歴史博物館的展示もある。勝山城遺構も広く、往時防壁でもあった鬼怒川の流れも雄大。近くに民家園やゆうゆう公園もある。田舎の観光スポットと舐めてかかると意外に時間を喰う。
2020年01月10日 【籠城中】下野守智ぞう
勝山城
勝山城近辺の元氏家町付近のB級グルメ、
氏家うどん。
勝山城から北へ車で5分程の場所にある
勝山食堂でも食べる事が出来ます。
勝山定食1000円頼むと、けっこう大鍋の鍋焼きに氏家うどんとライスがついてきます。
単品で氏家うどん注文も出来ます✨
ちょっと幅広できしめんに似てますが、麺の色がちょっと違ってたり、でも美味しいのでオススメです✨
他にも旧氏家町近辺には氏家うどん食べさせてくれる店あるようです。
勝山城見学ついでに是非✨
2018年03月30日 【籠城中】下野守智ぞう
勝山城
駐車場いっぱいの時は道路向かいのベイシアマートの駐車場にも止める事が出来ます。
2018年03月30日 【籠城中】下野守智ぞう
勝山城
土塁や堀切が良好にありますー。
春は桜のお花見楽しめます。そんなに混んでない穴場です。
日光連山や那須連峰などの山々を見渡す事も出来ます。おや?この風景どこかで?
と思いきや、川の下流にある飛山城と類似してる!
4号線バイパスより川岸南を脇道に入りすぐ右手にあります。
弁当持参とかで行くのも楽しいです