大宮城(おおみやじょう)

大宮城の基本情報

通称・別名

所在地

栃木県塩谷郡塩谷町大宮

旧国名

下野国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

君島胤景

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

君島氏

廃城年

慶長2年(1597)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

玉生城(栃木県塩谷郡)[4.4km]
川崎城(栃木県矢板市)[6.8km]
中里城(栃木県宇都宮市)[7.4km]
乙畑城(栃木県矢板市)[7.9km]
御前原城(栃木県矢板市)[8.5km]
矢板城(栃木県矢板市)[8.9km]
徳次郎城(栃木県宇都宮市)[10.6km]
轟城(栃木県日光市)[10.8km]
勝山城(栃木県さくら市)[11.2km]
倉ヶ崎城(栃木県さくら市)[14.0km]

大宮城の解説文



大宮城(おおみやじょう)は、栃木県塩谷郡塩谷町大字大宮にあった日本の城。14世紀前期頃築城、慶長2年10月13日(1597年11月22日)廃城。

沿革 

大宮城は、君島胤時の三男大宮胤景によって、大宮氏の創始とともに14世紀前期頃に築かれる。当初は、本家君島氏の居城である船生城の東南の守りを成す城として位置づけられていた。大宮の地は、城の南側にあった大宮城南遺跡を始めとして古くから開けた場所で、城は、西の山古墳群によって形成された既に人工的に整地されていた丘陵地帯の東側を巧みに利用して築かれ、一城別郭の構造を成している[1]

その後、大宮氏代々の居城になったと考えられているが、その事跡はほとんど伝わっていない。ただ、大宮城主については、亀田大蔵助、赤埴周防守などの名前も見られるので、ある時期より何らかの事由で大宮氏の居城ではなくなり、城主が変遷していったと考えられている。また、今宮祭祀録によれば、天正15年(1587年)2月に『大宮の地再興、これにつき、上の郷の衆在城』とあり、金枝土佐守、上平弥七郎、飯岡新左衛門などが城主に据えられたと記されている[2]事から、大宮城は、途中で廃城となり、天正15年まで廃れていたと考えられている。現在に残る大宮城の遺構は、この頃に改修された時のものである。

その後、主君である宇都宮氏の改易とともに、大宮城も廃城となった。

大宮城の口コミ情報

2024年04月13日 里のシロクマ外記
大宮城



2024.3.31 大宮城 再度アタック 日々輝学園・古墳跡まで。縄張りを確認、大手方面は藪のため断念。説明板に本郭とありますが段差の作り方、背後の浅い堀跡を見ると、これが本郭ナノ?三の丸ではないの!と思いました。三の丸の北側の郭から見た高低差と三の丸北側の土塁の大きさを見ると、本郭の構えに思えてしまいます。

訪城時には、生き物の雄叫び(白鷺でした)、足元は腐葉土の軟弱な土、倒木があり、思ったより時間がかかり大手には辿り着けずに終了。

2023年05月05日 里のシロクマ外記
大宮城



駐車場は大宮保育園前の宝福寺駐車場を利用、駐車場から見える石段を登る。愛宕神社に行き着く、短い堀を挟み忠霊碑が見える、反対側に深い堀を挟み主郭、主郭の中央にお堂がある。お堂を囲むようにしっかりとした土塁がある。主郭の西側土塁の切れ目から深い堀の中を見て歩く。堀をよじ登り郭内へ。膝まである草にこれ以上は断念、まだ半分くらいしか見る事が出来ませんでした。冬場に再チャレンジしたいと思います。

2022年05月09日 マグロ常陸介祐平
大宮城



宝福寺の左右に入口がありますがどちらも雑草が生い茂っています。二の丸と三の丸の曲輪、空堀、土塁は観察できますが、案内板があるらしい本丸には薮に阻まれ辿りつけませんでした。

2020年03月09日 【籠城中】下野守智ぞう
大宮城

車で来城する場合、おおみや保育園横の宝福寺の駐車場に車を止めさせてもらいます。

お墓奥の階段を登り愛宕神社・忠霊碑付近に曲輪や堀などが確認出来ます。

宝福寺後ろの階段を登った先の曲輪にお堂があり、土塁で囲まれており、ここが本丸感が満載です。

土塁の上を歩いていると、堀切を挟んで

土塁の広くなってる部分あり、たぶんこれは、木などを渡して橋にしていたのだろうと想像が膨らみます。

藪がありましたが、堀切ぞいに進み、日々輝学園のグランド近くに。段々になってる曲輪を登ると「本丸跡」の立て看板

しかし、どうもこちらが三の丸としかおもえないなあって。

是非✨皆様も訪れて意見聞かせてください。

その三の丸の後ろにも堀切あります。

知名度低いですが、なかなか見応えある城郭です。

しかし、周りに保育園、高校、小学校に囲まれてますんで、くれぐれも不審者と思われないように気をつけて散策してください

2018年03月31日 【籠城中】下野守智ぞう
大宮城

宝福寺~日々輝学園校庭裏手まである、けっこう巨大な城郭だったよう。校庭脇の林あたりには曲輪や堀が良く残り、校庭裏手には古墳跡と共に藪におおわれてますが、堀、曲輪、などが見受けられます。

日々輝学園横の林を上がってくれば、本丸跡まで校庭を通らず登ってこれますが、

校庭に出てしまう時は学校関係者に、城郭見学者であることを一声かけましょう

2017年07月25日 カーネル
大宮城

JR宇都宮駅から玉生行きバスに乗る・・・はずが、バスの時間があわなかったので、玉生行きではなく、手前までしか行かない今里行きに乗り終点の今里へ

バス停から直線で5.7kmをひたすら北上し、東北自動車道と鬼怒川を越えます
歩道があるので安心して歩けます。55分ほど歩き、西諸杉信号で左折
その先の大宮信号のところに氏家街道口バス停があり、帰りはここからバスに乗り宇都宮駅へ戻りました

バス停の少し北で左折しておおみや保育園を目指し、その先の宝福寺の東側に鳥居があるのでそこから山に入りました
社の西にある大きな空堀を越え藪を進むと、本丸で小さな社があります
さらにに西へ藪を進むとまた大きな空堀で、掘を下って宝明寺にでました

今里バス停からお城見学して、氏家街道口バス停にたどり着くのに、だいたい2時間でした

2014年11月28日 道灌武蔵守?!
大宮城

日々輝学園高校脇を、お墓の方目指して坂を上がるとグラウンドの手前に『西の山古墳群』の案内板が。
それによると、高校と隣のお寺と墓地を含めた、この山全体が『大宮城址』であるとのことで、かなり大規模な城址であったようです。
グラウンドの隣が『大宮城址本丸』の説明板がありますが、自分はお寺の駐車場に車を置かせて頂き、徒歩で民家脇のあぜ道をグラウンド方面へ登ってリア攻めしました♪
ただ、おそらく、高校の敷地の可能性があるので、心配でしたら一応許可をとられた方が良いかも知れませんです(⌒‐⌒)

2014年08月18日 sugar3776根室守
大宮城

確かに何も無いです。

大宮城の周辺スポット情報

 登城口(その他)

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