轟城(とどろくじょう)
轟城の基本情報
通称・別名
- 畠山重慶城
所在地
- 栃木県日光市轟
旧国名
- 下野国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 畠山重慶
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 畠山重慶
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(轟城跡)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
玉生城(栃木県塩谷郡)[9.1km]
大宮城(栃木県塩谷郡)[10.8km]
日光奉行所(栃木県日光市)[13.6km]
中里城(栃木県宇都宮市)[14.6km]
徳次郎城(栃木県宇都宮市)[14.6km]
川崎城(栃木県矢板市)[15.7km]
矢板城(栃木県矢板市)[17.0km]
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御前原城(栃木県矢板市)[17.9km]
乙畑城(栃木県矢板市)[18.7km]
轟城の解説文
轟城の口コミ情報
2022年12月28日 鶏系男子下野守智ぞう
板橋陣屋[轟城 周辺城郭]
もともとは板橋城の居館があったところと云われている。
板橋陣屋は上野国三ノ倉城主であった大給松平近正が関ヶ原合戦のとき、伏見城で討死した功により、その子松平一生が一万石に加増され板橋藩となった。
元和3年(1617年)松平成重のとき、三河国西尾二万石に加増転封となり廃城となった
臨戦時には板橋城を使うが、普段は城主も板橋陣屋の居館にいる事が多かったらしい
板橋集落センターが立っており線路で分断されたり畑になったりでほとんどの遺構が破壊されたと思われる。線路に分断された激藪に何かあるかと思われるが、整備される様子もなさそうだし不明
写真は板橋城上から板橋陣屋全体を写してみました
2022年12月28日 鶏系男子下野守智ぞう
板橋城城主板橋将監親棟の供養塔[轟城 碑・説明板]
板橋城城主板橋将監は小田原北条滅亡後は力を失い、城を去りこの場所に常安寺をたて出家している。この地の地名も板橋と付けられたのは地元住民に慕われていて、供養塔も建てられたと
板橋将監供養塔は板橋城登山口より徒歩1~2分のところにあります
2022年12月28日 鶏系男子下野守智ぞう
板橋城[轟城 周辺城郭]
1504~1520に宇都宮一族の遊城坊によって築かれるが、小田原北条氏から壬生氏の援軍としてやってきた板橋将監親棟によって落とされ、ここを拠点に猛威を奮ったが、小田原合戦後は徳川一族が入るが、東照宮創建とともに廃城となる。
JR日光線下野大沢駅から徒歩15分ほどで登山口にいける。駐車場は近くの公民館における(トイレあり)
遺構はあまりない。本丸の竪堀と山中腹にある駒のり馬場、土塁、本丸下に石垣?(怪しいが)がある
ハイキングコースとして整備されており眺めは良い。日光連山が一望出来ます
条件が良ければ富士山やスカイツリーも確認出来ます。
ただし登り→尾根づたいの3セットくらいありますからなかなか息があがりますが、20分くらいで本丸にいけます
2021年02月22日 副将軍お城エリコ
轟城
国道461号線の「館坂上」バス停を左折して行くと民家の西に入り口の標識が有ります。ここから足元の草がぼうぼうに生えています。主郭の内も藪が凄く歩きずらいです。しかし、土塁は良く残っています。主郭入り口の虎口には土橋がかかって、水堀になっています。
2021年02月09日
古山城[轟城 周辺城郭]
2021/02/07、ニッポン城めぐり栃木オフ会スタッフとリア攻め!
塩野室児童館に車を止めさせて頂き、横の畦道より古山城へと入ります
メチャ藪!!祠に通じる登り道だけ見通しが良くなっていましたが、石段もつちに埋もれていてけっこう危ないです
祠から西方面に歩くとさらに上に石垣の門みたいなのが確認出来ます
そこにからす天狗像がありました!
からす天狗像を目印に主郭を目指しました。堀切や土塁など見つけられます。
落ちたら死ぬな!と急斜面の竪堀にビビりながら主郭につくと、奥が段郭になっており、下に浅いが堀切が確認できました❗
またからす天狗像まで戻り東側を散策するも堀切や郭など確認できました!
なかなか面白い城だと思いましたね!
2021年02月04日
古山城[轟城 周辺城郭]
鎌倉時代に和田義盛の三男朝比奈義秀が和田合戦での敗北し、轟城に立て籠る畠山重慶を頼り、この地に城を作ったと言う。
その後は宇都宮勢力領地となる。
縄張りが三日月型でメチャ技巧的だが、実際に行って見ると何処から城に張り付けば良いかわからなかったが、
塩野室児童館横の田んぼの畦道を歩き城内部に入る事が出来た。
からす天狗像が奉られており、階段やかろうじて人の通る道はかつて整備されていたよう。
近いうちに栃木オフ会スタッフでリベンジしたい。
2020年04月27日 高坂外記昌信
轟城
リア攻めする時は、長袖長ズボンが必要です。
あれば便利な物で、スコップ等も必要かと
木々、シダ植物、土塁を見つけても勢い余って登らず、じっくり登る事に気をつけましょう
勢い余って地面に落下したり土塁が崩れたりする可能性があります
びしょ濡れになったり最悪崖から落下する可能性がありますので
あと、民家に誤侵入し御用にならぬように
2014年03月28日 こにみん
轟城
城跡は20140328時点の掲載地図より少し轟交差点側です。国道461号道路脇の案内板のある細い道を300m程入った左側に民家があり、そのすぐ手前低位置に轟城跡入口の小さな手書の案内板があります。車は民家の前の道路脇に1台程のスペースあり。案内板の所を左に50m程進むと堀を渡る橋があり、すぐ先に低い土塁に囲まれた郭があります。郭内は、細い木の林になっていました。
城跡は標高310mの鬼怒川右岸に発達した河岸段丘上に位置し、土塁の東南面は梅ケ沢まで25mほどの急崖、北西面は下の段丘面まで20mほどの急斜面、平地と接続する北東面と南西面は、幅3~4m、深さ2~3mの水壕をめぐらし、土塁の高さ1.5m~2.5mほどである。
畠山重忠の末子重慶が拠ったと伝えられている。