多気城(たげじょう)

多気城の基本情報

通称・別名

多気山城、御殿山城

所在地

栃木県宇都宮市田下町

旧国名

下野国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

宇都宮宗円

築城年

康平6年(1063)

主な改修者

主な城主

宇都宮氏

廃城年

慶長2年(1597)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

徳次郎城(栃木県宇都宮市)[6.3km]
鹿沼城(栃木県鹿沼市)[6.8km]
戸祭城(栃木県宇都宮市)[7.9km]
犬飼城(栃木県宇都宮市)[8.6km]
宇都宮城(栃木県宇都宮市)[9.2km]
江曽島城(栃木県宇都宮市)[10.1km]
中里城(栃木県宇都宮市)[10.5km]
加園城(栃木県鹿沼市)[10.6km]
横田城(栃木県宇都宮市)[13.1km]
岡本城(栃木県宇都宮市)[13.2km]

多気城の解説文



多気城(たげじょう)は、栃木県宇都宮市田下町にあった中世の日本の城(山城)。宇都宮氏の城だった。別名多気山城[1]

歴史・沿革 

康平6年(1063年)に藤原宗円が築いたという伝承があるが、確証はない。古くは文明4年(1472年)に多気兵庫守の居城だったという記録が「宇都宮家臣記」にある。一方、その築城に関しては、「多気山城構築出陣人名」に天正4年12月2日(ユリウス暦:1576年12月21日)に着手し、12月25日(1577年1月13日)に完成した旨の記載がある。尚、同年に上高根沢城主高根沢信濃守、下高根沢城主平八郎、弥八郎、栗賀島城主直井淡路守、小和久保城主矢口筑前守、石居城主野沢若狭守らが入城している[2]。いずれも明らかな記録ではなく、築城時期や築城者は不明とされている。

戦国時代末期、宇都宮氏は南に台頭する北条氏、北にこれに乗ずる日光山僧兵の侵略に晒されていた。本拠の宇都宮城は平城で防御に不向きだった為、宇都宮国綱は宇都宮城を玉生美濃守に託し多気城を改修して拠点とした。このほか、盟友・佐竹氏とともに下野国中央の覇権確立のために、壬生氏の鹿沼城の近くに拠点を持つ必要があったこと、多気山不動尊の加護を得て北条氏や壬生氏と対峙しようとしたことが、多気城を拠点とした理由と推定される。多気城下には上河原・下河原・粉川内(粉河寺)・清願寺(清巌寺)・裏町(池上裏町)・塙田・扇町・源石町(元石町)などの宇都宮城下と同じ地名が小字として残っており、宇都宮氏が一時的な拠点ではなく、恒久的な拠点にしようと整備していたことが分かる。城の建設資金は篠井金山の利益から捻出したという説がある。

本丸の規模は東西約140 m×南北約120 mで、その北・南・南西・南東に堀や土塁をめぐらした曲輪を配置するという堅牢な造りであった。

小田原征伐に続く宇都宮仕置で領土が安堵され、再び宇都宮城に本拠を戻している。宇都宮城が父祖伝来の地であること、交通の便が良いこと、領国経営に適していることがその理由である。慶長2年(1597年)に宇都宮氏が豊臣秀吉によって改易されると同時に廃城となった。

現在の状況

現在の多気城跡には不動寺(多気山不動尊)がある。また、曲輪・土塁・空堀が良好に現存するが、樹木が生い茂っており、簡単には確認できない。

参考文献 

  • 【書籍】「栃木県謎解き散歩」
  • 【書籍】「下野街道物語 大いなる栃木の街道をゆく」
  • 【書籍】「うつのみや歴史探訪 史跡案内九十九景」

多気城の口コミ情報

2022年01月29日 弾正少弼しろし
多気城



予習して縄張り図を見たらすごいお城だったので期待して行きましたが入り方が悪かったのかほとんどテッペンの本丸しか鑑賞できませんでした。でも本丸からの眺めは、絶品です。

2021年04月25日 【籠城中】下野守智ぞう
猪倉城[多気城  周辺城郭]

2021/04/25登城!

猪倉泉福寺の駐車場に車を止め、登城口から猪柵の開けられる部分から入って歩いてすぐに、段郭があり、

段郭をうまく使った武者隠し、虎口などが見られます。

本郭周りに三方向の尾根を守る感じで独立した郭が3つあります。途中堀切で遮断されてたりとなかなか見応えあります。

本郭周辺も枡形虎口や土塁、堀切などあり技巧的な感じです。

歴史的には簡単に落とされたみたいな感じになってますが、なかなか落ちそうにないような気がしました

日光市の城はこれ!と言えるくらい素晴らしい城だと思いましたよ‼️

2021年04月11日 あゆとも刑部卿
多気城

多気不動尊から登城すると道が整備されてて楽です。時期が悪かったのかもしれませんが、堀も土塁も良く分からず普通にハイキングでした。三角点が最高地点で377m、土塁を盛ってあるように思えました。御殿曲輪からの景色は180度開けて最高でした。

2021年02月04日 
猪倉城[多気城  周辺城郭]

泉福寺裏手にある山城。壬生氏の内乱で鹿沼城壬生綱雄は壬生周長と猪倉城城主鹿沼右衛門の共謀により暗殺され、そのまま二人は壬生嫡流を根絶やしにしようとするも、周長は壬生嫡子の義雄に打たれ、義雄に従った北条からの援軍で来ていた板橋将監親棟に猪倉城は攻められ落城💦

泉福寺駐車場から登城口があり進むと猪柵に囲まれ行けなくなるが、一ヶ所だけ開けられる所あるのでそこから城跡に入ります。

なかなか知られてませんが、猪倉城も縄張り面白いです!くまなく見て回ると意外とリア攻めには時間かかりますから!主郭には案内看板があります。

最寄り駅は下野大沢駅だが、車ないかたはけっこう距離あるのでデマンドバスをあらかじめ予約するか、タクシー利用が良いかと



2020年03月18日 【籠城中】下野守智ぞう
多気城

多気山城から車で5分のところにある、大谷資料館は必見です!!

大正時代から昭和35年まで採掘していた大谷石の地下採掘場を見学出来ます(有料800円)

ちょっと入場料お高めと思いますが、入ってビックリの巨大地下神殿!!写真ばえするようライトアップもなかなかです!

数々の映画やドラマ撮影にも使われております!

実は戦争遺跡でもあり第二次世界大戦の時は地下の飛行機工場として機能もしており、終戦まで見つからなかったと言う。

栃木県に来たら必見!!と俺がオススメするスポットです!

2018年03月31日 【籠城中】下野守智ぞう
多気城

全体的に藪がひどくて、登山コースは整備されているが、本丸までの道に曲輪などは確認出来る。山全体が要塞化されており、総がまえ的な物もあるよう。

それを丹念に探したいが、行くなら何人か集めて、1日がかりの仕事になりそう(笑)

2016年04月10日 まー刑部卿
多気城

多気不動尊を目印に行くと市営駐車場(無料)がある(トイレ・食事処・自動販売機有り)ためそこで駐車。そこから歩くと多気山と不動尊の分岐点がある。迷わず多気山の案内表示に従うと東多気道という林道(先人の不動尊脇道路か。)にでるがすぐ先に案内表示があるのでそのまま進むと七曲りに入る。しばらく上ると虎口や土塁が見えてくる。更に進むと景色が開けて郭跡があり本郭は更に上る。途中堀跡のようなところがある。多気山頂上が本郭跡。周りを散策すると土塁や虎口、堀があった。奥に物見台のようなところがあった。栃木百名山の看板があるところ。

多気城の周辺スポット情報

 多気城跡案内板(碑・説明板)

 多気城跡案内板(碑・説明板)

 石碑(碑・説明板)

 岩崎城(周辺城郭)

 猪倉城(周辺城郭)

 田中城(周辺城郭)

 宇都宮市営多気山駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

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