横田城(よこたじょう)
横田城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 栃木県宇都宮市兵庫塚3
旧国名
- 下野国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 横田頼業
築城年
- 嘉禎3年(1237)
主な改修者
- -
主な城主
- 横田氏
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
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横田城の口コミ情報
2025年02月06日 マグロ常陸介祐平
横田城
サイトの登録城ですが、解説が寂しいので、少々長くなりますが、城址に建つ立派な石碑裏面に記載された由来を紹介します。『横田城は嘉禎三年(1237年)十月に横田越中守頼業が築いた平城で、建長元年(1249年)に上三川に新城を構え、移住するまで横田氏の本城であった。「下野国誌」によれば、城域は東西約150間(約270メートル)、南北約120間(約216メートル)で、三町五反(10500坪)の面積をほこり、五稜形の城郭であったという。城跡付近には居館と思われる「長寸館」、横田氏が武具を埋蔵したという「兵庫塚」なる地名が残り、系図によれば横田氏は、藤原北家流の名門宇都宮氏の一族で、五代掃部助頼綱の次男越中守頼業を祖とし、母は源頼朝の重臣梶原平三景時の娘であった。頼業は横田に築城するにあたって、父頼綱から横田郷千余町歩(約14500石)を分封され、さらに鎌倉御家人に列し、父と同じ伊予(愛媛県)守護職に任じられた。この間横田氏は、戦国期上三川城主となる今泉氏をはじめ、松野氏、石井氏、落合氏、刑部氏、桑島氏、上三川氏、中三川氏等の多くの分流を輩出し、後に徳川譜代大名となる秋元氏も、横田氏四代の長門守泰業の流れをくんでいると「寛政重修諸家譜」はいう。』文中にある新城は上三川城、兵庫塚は地域の地名にもなっている古墳で、現在は「塚山古墳」と呼ばれています。
お城は、市街地化しており、痕跡を見ることもできません。兵庫塚3丁目中央公園に石碑が建つのみです。鎌倉時代に12年間存在したお城なので、市街地化以前も怪しいかもしれませんが、上三川城最後の城主今泉高光の子の宗高が横田城址の地に帰農し開拓を行っています。
石碑の正面には略地図があり、横田氏が武具を埋蔵したとされる塚山古墳がすぐ近くにあるように見えてしまいますが、車で5~6分程かかります(写真4,5枚目)。栃木県指定史跡で、キレイに整備された前方後円墳です。
2024年07月14日 ぶらなおき
横田城
公園の入口に石碑。宇都宮一門 横田越中守居城。
2024年07月06日 江津之伊予守山ちゃん
横田城
遺構らしきものはありません。小さな公園になっています。
2015年10月23日 まー刑部卿
横田城
駐車場はないので路駐。
石碑のみ。子供連れが結構遊んでます。
2013年02月17日 鳳雛SASlov優彩
横田城
入り組んだ住宅街の公園に城跡碑あり
正面から写真取ろうとすると自分が写ってしまいます