児山城(こやまじょう)

児山城の基本情報

通称・別名

所在地

栃木県下野市下古山

旧国名

下野国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

宇都宮(児山)朝定

築城年

建武年間(1334〜1338)

主な改修者

主な城主

宇都宮(児山)氏

廃城年

永禄元年(1558)

遺構

曲輪、土塁、横堀、櫓跡

指定文化財

県史跡(児山城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

横田城(栃木県宇都宮市)[5.4km]
壬生城(栃木県下都賀郡)[5.4km]
薬師寺城(栃木県下野市)[5.7km]
上三川城(栃木県河内郡)[5.8km]
江曽島城(栃木県宇都宮市)[9.2km]
犬飼城(栃木県宇都宮市)[9.5km]
刑部城(栃木県宇都宮市)[9.6km]
中村城(栃木県真岡市)[10.3km]
御城(栃木県小山市)[11.8km]
西方城(栃木県栃木市)[12.2km]

児山城の解説文



児山城(こやまじょう)は、栃木県下野市下古山(下野国都賀郡児山郷)にあった日本の城。本丸跡の堀と土塁が残り、栃木県の史跡に指定されている。児山氏がおよそ10代にわたって拠った城であるが、文献記録に乏しく、謎の城とされてきた。

構造・遺構 

姿川東岸の台地上に位置し、河岸段丘の丘と谷といった自然地形を利用して築かれた平城である。本丸跡の堀(一の堀)と土塁が残っており、その規模は東西約77 m×南北約87 mである。土塁の四隅に高まりがあり、櫓があった可能性がある。内堀の幅はおよそ20 mあることから、現存する城跡は戦国時代のものと考えられる。本丸跡は民有地であり、雑木林と化している。

往時の本丸は5重の堀と土塁に囲まれていたという説があり、東西400 m×南北700 mに及んだ。一の堀より外側の城跡はほとんどが宅地や耕地に変貌したが、空堀を道路に転用したとみられる箇所があったり、戦国時代の地割を基礎として発展した集落が残っていたりするなど、本丸以外の遺構も断片的に残されている。また、本丸跡の小字は本城(ほんじょう)といい、その北に西城・中城、更にその北に北城という小字がある。標高は本丸跡が最も低く、東に向かうにつれて高くなる。

児山城跡の南にある華蔵寺(下野大師)は、初代城主の児山朝定が建立した寺院であり、築城当時は城内にあったとされる。さらに南へ下った旧石橋中学校跡地(現・石橋総合病院敷地[1])の小字名は稲荷城であり、その北側に廃水路があることから、城の南端ではないかと推定されている。城の北端は、星宮神社境内北側に空堀らしき跡があることから、その付近とみられる。

歴史 

伝承では、鎌倉時代後期に多功宗朝の息子である多功朝定が、児山郷(下野市下古山・上古山一帯)を分封されて築城したとされる。多功城(所領1,500町歩)の西の守りを固めるための城であり、所領は300 - 400町歩ほどと推定される。朝定は児山に姓を改め、肥後守と称した。朝定には息子がおらず、娘を三浦義行に嫁がせることで、五男の朝行を養子に迎え、2代城主に据えた。

推定6代城主の児山宗晴は、康暦2年5月16日(ユリウス暦:1380年6月19日)の茂原合戦に一族を率いて出陣し、小山義政の軍勢と戦い、武功を挙げた(小山氏の乱)。

天文8年(1539年)の「小山高朝書状」に、「児山と号する地」で芳賀高経が籠城して防戦したという記述がある。この書状は、高朝が結城晴綱に宇都宮氏の家中で内紛があったことを伝えたものである。真岡城主である高経が児山城に籠ることを選んだ理由は不明であるが、吉田正幸は、高経が対立した壬生氏の壬生城と児山城が近接しており、壬生氏を打倒し宇都宮家中の主導権を握ろうとした、と解釈した。児山城主が高経を入城させた経緯や、籠城に備えて城を改修したのか、などの記録も残っていないが、児山城が宇都宮氏・壬生氏・小山氏の勢力圏の接点として重要だったことが窺える出来事である。籠城事件自体は、小田政治の仲介によって高経が城を出たことで終結した。

推定10代城主の児山兼朝は天文18年(1549年)の喜連川五月女坂の戦いに宇都宮尚綱方の先陣を切って出陣し、那須高資方に勝利を収めるかにみえたが、大将の尚綱を討ち取られたため撤収した。続く永禄元年(1558年)に上杉謙信が多功城へ攻め入った際に、兼朝が参戦して討死したため、そのまま廃城となったとされる。この戦いに備えて、児山城は本丸館や城郭の修復を進めていたが、完了前に攻め込まれ、落城した。この件は地元で、「築城中に上杉謙信に攻め落とされた」と誤って伝承された。

兼朝の戦死とともに児山氏は滅亡したとされるが、1590年代の多功氏の家臣帳には、児山三郎左衛門菊朝と児山太左衛門の名が記されている。慶長2年(1597年)、宇都宮氏は改易となり、宇都宮氏に仕えた各城主も下野国を追放された。下野市教育委員会は、宇都宮氏の改易に伴って廃城したと解説している[2]。児山氏の家臣は帰農して児山郷に残ったと考えられる。

栃木県では貴重な、本丸を中心とした堀や土塁が往時の姿をとどめている城跡であることから、1961年(昭和36年)5月6日に栃木県指定史跡となった。城跡の保全活動団体である児山城址守り隊は、2021年(令和3年)7月1日より城跡に自生するヤマユリをあしらった御城印をグリムの館で販売し、収益を活動資金にしている[3]

歴代城主と子孫 

城主は代々、児山三郎左衛門ノ尉を名乗った。文献等を突合すると、10代程度続いたと推測できる。城主の墓は華蔵寺にはなく、1980年代に古山小学校周辺で行われた土地区画整理事業の際に見つかった10基ほどの五輪塔が城主の墓ではないかと目されている。

  • 初代:児山朝定
  • 2代:児山朝行
  • 推定6代:児山宗晴
  • 推定10代:児山兼朝

郷土史家の小林昌三九は、児山氏の末裔が現代に残っているのではないかと考え、栃木県内に11軒ある児山姓の家に電話をし、つながった8軒すべてが福島県南会津郡の田島町(現・南会津町)か下郷町にルーツがあることを突き止めた。そして児山姓が両町に集中していることを電話帳で知り、1989年(平成元年)7月に両町の児山姓の家を訪ねて回った。その結果、先祖が児山城に連なる家系で当地へ逃げ延びてきたのではないかと考えている人に出会ったことや、児山姓の人々が家屋・人柄ともに立派であること、仏壇や墓を大切にしていること、各大字に児山姓が1戸か2戸しかなく同姓で婚姻すると災いが起こると伝承してきたことなどを総合し、彼らが児山城主の子孫であると小林は確信した。

参考文献 

  • 【書籍】「石橋町史 通史編」 全国書誌番号:21550303
  • 【書籍】「児山城の謎(1)」
  • 【書籍】「児山城の謎(2)」
  • 【書籍】「増補改訂版 史跡めぐり 栃木の城」
  • 【書籍】「栃木県の歴史散歩」
  • 【書籍】「とちぎの古城を歩く―兵どもの足跡を求めて―」

児山城の口コミ情報

2023年11月03日 マグロ常陸介祐平
大山館[児山城  周辺城郭]



城は戦国時代の造りのようですが、代々居住する渡辺氏は慶長年間から居住しているとのことなので、本当のところはよくわかっていないようです。

浄光寺の南の雑木林の西側から北側にかけて、城の一部ではありますが遺構が良く残っています。
西側は浅くなった空堀二筋とやや深さのある空堀の三重の堀で守られ、曲輪の内側は土塁が囲んでおり、単郭の城と思われますが堅固な造りとなっています。
曲輪内は民家となっており、立ち入ることは出来ません。

お隣りの浄光寺では、町指定文化財の鎌倉時代末期の薬師如来立像(汚れたガラス越しですが)と板碑を見ることができます。

2023年06月08日 悪源太玄蕃頭喜一郎
児山城



空堀もあり良く整備されてますが、如何せん時期が悪く藪蚊だらけです、十分対策を!

2023年04月13日 相模守愛洲久忠
児山城



関東バスが近くを走りますが、利便性は良好とは言えません。JR石橋駅から徒歩で30分ほど。駅から下野大師さんを目指し、大師さんを通り越した先の交差点のカドに児山城跡入口の標柱があります。ココを左折。100メートルほどで児山城跡入口の看板。クルマだと見落としてしまいそうです。

先人の口コミにあるように細い生活道路に入ります。進行方向右手に農家さんのビニールハウス。その先に主郭外郭を防御する空堀が見えます。駐車場もありますが軽でぎりぎり3台といったところ。駐車場を右側に見ながら時計回りで見学コースを歩くと主郭と二郭の間の横堀が目の前に現れて来ます。横堀は主郭の北側を除く三方をぐるりと囲む長大な堀切です。主郭南側の土橋を渡り二郭から本郭へアクセス出来ます。主郭の大きさは東西、南北それぞれ30メートル✕50メートルはあろうかと思われる削平地で周囲は高さ3メートル程の土塁で囲まれており、高所には縄張り図通りに櫓台が設置されていたことが窺えました。渡って来た場所の他、南西と北西にそれぞれ食い違い状の虎口が施されています。植栽を伐採して下さった後だったようで見どころを堪能することが出来ました。

写真①交差点の標柱
写真②児山城跡入口の看板
写真③外郭の堀切
写真④主郭南側、土橋と堀切
写真⑤主郭南西の虎口と先にも土橋
写真⑥主郭南東、櫓台跡の切岸
写真⑦駐車場は軽で3台ほど

2022年10月14日 里のシロクマ外記
児山城



ナビで華蔵寺を目指しましたが通り過ぎてしまい、児山城入り口の看板を見つけ路地へ車1台が通れる道で対向車が来ないか?とドキドキ、無事駐車場へ(2台位可能)説明板には、鎌倉後期に宇都宮頼綱の四男、多功宗朝が息子の朝定にこの地を分封し築城した、とあり構造は、本丸を囲むように堀や土塁が回字状に配置される輪郭式、とありました。方形の主郭、外堀の一部と内堀、そして土橋が確認できます。主郭の四隅には櫓台跡(崩れかけています)が現存、高さのある土塁と堀、北東の堀には水溜りがあり(この堀は水堀だったのか?と思ったみたり)
良く整備され案内板もあり見学しやすい、私の好きな土の城でした。

2022年09月12日 マグロ常陸介祐平
梁城[児山城  周辺城郭]



多功城から車で5分程度の位置にある一族の簗氏の館のようです。西側を除き土塁がよく残っています。民家の敷地内にあるため立ち入ることは出来ませんが、小規模な城の為、すぐ横を流れる田川の土手道から鳥瞰図のように縄張りを見ることができます。

2022年09月12日 マグロ常陸介祐平
多功城[児山城  周辺城郭]



Googleマップ通りに向かうと民家の庭に入ってしまいます。近くのゴルフ練習場の入口に石碑がありました。練習場のネットの脇に土塁が残っているようですが、不審者に思われそうで断念しました。近くの見性寺には多功氏歴代の墓があります。

2022年09月12日 マグロ常陸介祐平
児山城



本丸は周囲を囲む土塁と空堀がきれいに残っています。3台程停められる駐車場の脇には幅のある空堀があり、駐車場から華藏寺の裏口に入って少し行った所には低い土塁と空堀が見られます。華藏寺は児山氏の菩提寺のようですが古い墓はなく、平成17年に建てられた城主の供養塔がありました。

2022年08月02日 織田上総介晃司
児山城

児山城の前に2台ほど停めれる駐車場があります。
駐車場までの道は狭く対向車が来れば離合に一苦労です。

3名の方の個人所有で整備もされております。
本当に頭が下がります。

夏は蚊が多いと聞いて虫よけスプレーをガンガンに塗って登城。
ブーンという羽音に驚き振り向くとなにか巨大なものが飛んでくる…
よく見るとカブトムシのオスだった。
カブトムシの飛ぶ姿を見たのは何十年ぶりだろう…

2022年03月31日 三上駿河守
児山城



石橋駅からご城印が販売されているグリムの館まで徒歩で25分ほどかかり、グリムの館から児島城跡までは徒歩10分かかります。本丸跡付近の堀や土塁跡は確認できます。

2021年09月20日 【】浅井右近衛中将長政
児山城

他の方がおっしゃる通り夏場には蚊の餌食になり体を数か所刺されます…でも土塁や堀が現存していてとてもいい城でした!

2021年09月05日 える右近衛大将
グリムの館[児山城  御城印]

こちらにて御城印販売しております。
宿場印も販売してます。

2020年09月13日 拓之助中務少輔【若者組】
児山城

児山城は行くには分かりずらいからですが、まず、下野厄除け大師を目指して下さい。
駐車場はありますが場所が分かりずらく、リア攻めマップの案内板を参考に行ってください。厄除け大師をすぎ最初の信号を左にその後すぐ左に曲がれば駐車場です、
道は狭く駐車場は2台あります。
駐車場から直ぐに城跡に。夏場は蚊の餌食に、説明板や遺跡があり小規模ながら盛りだくさんの城でした?


2017年03月01日 日本史跡研究会
児山城

3月5日、10時より発掘調査現地説明会が開催されます。
今回初の調査なので貴重な発見あるかもしれません!

2015年04月01日 野呂利左衛門督休三
児山城

宇都宮頼綱の四男多功宗朝が次男の朝定が築城したのが始めで、戦国時代に改修されといいます。
多功氏は多功城が本拠でした。石橋駅の東側にありましたが、僅かな遺構しか残っていません。

さて児山城、元は館とされる主郭の周囲に土塁と空堀が巡らされています。土塁は堀底から5~6m、曲輪内から2~3mというところ。堀幅も広いです。主郭の南と東にも、主郭のより浅いですが、空堀の痕跡が残っています。

「とちぎの古城を歩く」 (塙静夫 下野新聞社) 所収の縄張図によれば、その外側にも痕跡が。
城跡の東南そばにある児栄山華蔵寺の東側を通る道を挟んだ民家の敷地の東辺、寺の南側の民家の敷地に、 50cm程度の土塁の一部と見られる痕跡があります。
城の西側は土塁と思えるものはありませんが、道の西側の田圃よりわずかばかり高くなっています。
城の西側と北側の道路が交差するところの民家にも、北に走る土塁と見れる物が。

最寄の駅は東北本線の石橋駅。北西方向に徒歩30分程度。
駐車場、トイレは華蔵寺で。
華蔵寺は児山城主の菩提寺だったそうで、旧石橋町指定文化財の大日如来坐像などがあります。

児山城の周辺スポット情報

 堀跡(遺構・復元物)

 本丸堀跡(遺構・復元物)

 土橋(遺構・復元物)

 児山城入口看板(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 多功城(周辺城郭)

 梁城(周辺城郭)

 大山館(周辺城郭)

 グリムの館(御城印)

 駐車場(駐車場)

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