真岡城(もおかじょう)
真岡城の基本情報
通称・別名
- 芳賀城、舞か丘城、(真岡陣屋)
所在地
- 栃木県真岡市台町字城内(真岡小学校)
旧国名
- 下野国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 芳賀高貞
築城年
- 貞治元年(1362)
主な改修者
- -
主な城主
- 芳賀氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
桜町陣屋(栃木県真岡市)[4.2km]
中村城(栃木県真岡市)[6.0km]
刑部城(栃木県宇都宮市)[7.4km]
上三川城(栃木県河内郡)[8.3km]
久下田城(茨城県筑西市)[8.5km]
舟戸城(栃木県芳賀郡)[8.8km]
西明寺城(栃木県芳賀郡)[10.2km]
富谷城(茨城県桜川市)[11.4km]
伊佐城(茨城県筑西市)[12.8km]
飛山城(栃木県宇都宮市)[13.0km]
真岡城の解説文
[引用元:Wikipedia「真岡城」の項目]
真岡城(もおかじょう)は、栃木県真岡市台町にあった中世の日本の城。宇都宮氏の家臣であった芳賀氏の居城であった。別称芳賀城ともいう。
歴史・沿革
真岡城の起源には諸説あるが、鎌倉時代末期の貞治元年(1362年)に芳賀高貞が築城して御前城から移転し、戦国時代の天正5年(1577年)になって、芳賀高継が北条氏の侵攻に備えて堅固な城郭としたとの説が有力とされる。
1597年(慶長2年)に宇都宮氏が豊臣秀吉によって改易されると同時に廃城となった。江戸時代には遺構の一部が徳川幕府の代官所として利用された。
現在の状況
真岡城跡は現在、真岡市立真岡小学校ならびに城山公園となっている。城山公園には土塁や堀の痕跡が見られる。また、郭の周囲を囲んでいた腰曲輪は比較的良好な形状で保たれている。城山公園付近に四の郭が、小学校付近に三の郭、二の郭、本郭が所在していた。三の郭、二の郭、本郭の各郭間は空堀で仕切られていたが、現在、空堀はなく土塁のみが残る。
構造
真岡城は連郭式平山城(平城に近い)であった。城の周囲には五行川や行屋川が流れ、またこれら河川から水を引いた水濠があったという。郭は南北に並ぶように4つ設けられ、最南端に大手門があり南から順番に四の郭、三の郭、二の郭、本郭と連なり各郭間には空堀があった。各郭の周囲には腰曲輪があり、本郭と二の郭の間に搦手門があったといわれる。
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真岡城の口コミ情報
2024年10月06日 マグロ常陸介祐平
東郷陣屋[真岡城 周辺城郭]
二宮尊徳関連の史跡です。
東郷陣屋は寛政11年(1799年)幕府により建設され、翌年代官の岸本武太夫が着任して改革を実施しています。
嘉永元年(1848年)になると東郷支配の山内総左衛門が真岡支配を兼務することになり、二宮尊徳が役人として陣屋に入り用水整備などに尽力しています。相馬藩士に嫁いでいた娘の文子は、親元で出産のためこの地を訪れますが、残念ながら母子ともに亡くなっています。
慶応4年(1868年)に真岡陣屋同様にこの陣屋も焼き討ちにあい、陣屋は廃されています。陣屋跡は石碑と説明板のみで、遺構は見られません。
尊徳だけでなく、岸本武太夫や山内総左衛門も優秀な官吏だったようで、岸本武太夫を祀る岸本神社が西郷地区に、山内総左衛門功徳之碑は、すぐそばの大前神社の参道に建っています。
大前神社は国の重要文化財の本殿・拝殿や日本一の恵比寿さんなど大変見どころの多い神社です。
2024年08月21日 マグロ常陸介祐平
京泉館[真岡城 周辺城郭]
天武天皇の子孫の清原高重(芳賀氏の先祖)が寛和元年(985年)に花山天皇の勅勘を蒙り、下野に流され築いた館と伝わります。文治五年(1189年)に芳賀高親が御前城に移るまでの芳賀氏の本拠とされています。半径500m圏内に郡衙(堂法田遺跡)、鶏塚古墳、大内廃寺などがあり、古くから栄えていた事がわかります。
明確な遺構は見当たらず、Googleマップに位置登録されたお宅の庭の薄い土盛りと田んぼの段差がそれらしく感じる程度です。すぐそばに、庭園風の「京の泉公園」がありますが、近年造られたものです。昭和初期まで二重の堀が残っていたとされることから、平安時代の館と言うよりは、それ以降まで使用されていたとするのが自然だと思います。
1.5km程南には、初めて芳賀氏を名乗った高澄以下のものと伝わる墓石があります(写真6,7枚目,栃木県指定文化財)。
2023年05月05日 ひろひろまる
真岡城
御城印あります。販売場所は久保記念観光文化交流館にあります。
2023年04月16日 マグロ常陸介祐平
真岡城
本丸から三ノ丸までは小学校になっていて、残念ながら入ることが出来ません。本丸北側の搦手の虎口は、見ることが出来ました。
近くの海潮寺には、代官竹垣直温の徳政碑があります。
2023年03月18日 芦屋能登守虎吉
真岡城
北真岡駅から徒歩十分程度の真岡小学校が跡地です。小学校敷地内なので一般人は入れません。
堀切の跡や堀跡など、それらしき遺構は周りにも結構ありますし、行屋川を天然の堀にして作られていたと思われます。
2022年10月15日 里のシロクマ侍従
真岡城
宇都宮氏と縁戚関係にある芳賀氏の居城で、後北条氏の侵攻に備え堅固な城郭に改修したとされています。
構造は、本丸、二の郭、三の郭、四の郭、そして腰曲輪。行屋川、五行川で
防御。各郭は空堀で仕切られていたようですが今は三の郭と四の郭の間が道路のようですが他は確認できません。
本丸はグラウンド、二の郭-三の郭は小学校、四の郭は陣屋跡、公園となっています。公園から下をのぞむと南堀跡が県道47号線として面影を残しています。訪城した際(平日)も散歩する人、学校からチャイムと子供達の元気な声が聞こえてきました。小学校の校庭には土塁か遊歩道として残っています、北側には土塁と堀跡が確認できます。台地の上に圧倒する真岡城があるのが良く分かります。
2022年08月02日 織田上総介晃司
真岡城
車は城山公園の駐車場に停車。
他に行屋川水辺公園にも駐車場があります。
城跡は真岡小学校となってます。校門に真岡城の説明板があります。
真岡は「マオカ」でも「シンオカ」でもなく「モオカ」と読みます。
ましてや「モニカ」でもありません(笑)
2021年10月25日 国府左京大夫城介
久保記念観光文化交流館[真岡城 その他]
真岡城周辺のレンタサイクル情報
【場所】
久保記念観光文化交流館
真岡駅より徒歩15分。
【貸出時間】
9:00~17:00(最終受付は16時)
【時間及び料金】
2時間/400円 1日/800円
【種類】
電動付きシティサイクル
【Web情報】
とちぎ旅ネットで、「真岡市観光協会 レンタサイクル」で検索
【利用日】
令和3年6月5日
【アクセスできる城】
・アプリ登録
真岡城、桜町陣屋、中村城、上三川城、刑部城
・口コミ登録
御前城、八木岡城
【参考事項】
・真岡駅前のSLキューロク館に返却可能(その場合は、1日分の料金となる)
2021年09月07日 しゅう関白
真岡城
R3.9.5に真岡城来城しました。真岡市立真岡小学校が城跡に建っていました。正直真岡小学校の子供達が羨ましい。通えば歴史を感じることができるから。西側には川が流れていて、公園を挟んで石積みが見られる。強固な城壁であったことがわかる。
2021年07月11日 十時下総守半睡
真岡城
公園になっていてとても良し👍川辺を散策できウォーキングには最適。駐車場も完備。
2021年06月06日 国府左京大夫城介
御前城[真岡城 周辺城郭]
奥州合戦で活躍した芳賀高親が築いた城
【歴史】
鎌倉時代初期に、波賀(芳賀)高親が源頼朝に従って奥州合戦に功を挙げた際に、この地に城を築いたと伝わる。
その後、芳賀高名の子・高貞の頃に、真岡城に移ったと言われている。(説明板等を参照)
【遺構】
真岡城の西南西1.4kmに位置し、現在の真岡東中学校の西側に存在していた。遺構は残っておらず、説明版のある位置から西側に走る道の北側が掘の跡があったようだが、現在ではその面影はほとんどない。
【感想】
芳賀氏・初期の居城ですが、残念なことに一切の遺構は残っていません。中学校の西側に石碑や説明版があり、中学校内にも掘があったらしいですが、グラウンドになっているので全く残っていない。南側の道路脇が掘の跡らしいが、若干低くなっている程度で、明確な遺構は確認できない。館があった場所は完全に畑となっています。
あくまでも、この辺りに紀清両党の芳賀氏の初期の居城があったんだなと知りたい人向けのお城です。
【アクセス】
真岡城から自転車で10分程。
【写真】
1:石碑
2:説明版
3:堀の跡(右側の土の部分)
4:この辺りが館の跡
2020年03月18日 源山城守@ポンコ2…
真岡城
真岡鉄道真岡駅から線路と並行した道を北に進み、真岡駅入口の十字路交差点を右(東)へ行き、T路路交差点を左(北)に行くと城跡に建つ真岡小学校正門前に着きます。ここまで駅から徒歩12~3分でした。
正門前には案内板があります。
また正門の向い側には駐車場付きの城山公園があり、丘陵のため見晴らし良好です。
城山公園は四ノ丸があった場所で廃城後しばらくしてから陣屋が置かれたと公園内の案内板にありました。
案内板によれば校舎があるのが三ノ丸、二ノ丸跡、敷地北側のグランドは本丸跡のようです。
小学校のため立入を遠慮し、正門前から東回りに小学校敷地を一周しましたが、郭毎の高低差は不明ですが、東隣の行屋川公園から数㍍の高さの切岸を見上げたり、横の行屋川が堀の役目も果たしてたんかななどと、城跡を感じさせてくれました。公園北側から空堀跡に入れますが、ここが虎口に感じられ、ネットで見ると搦手門跡と腰曲輪というのもあります(正門の案内板では堀跡となってます)。
グランド(本丸)北側には空堀跡があり、城塁を上がると土塁も確認できました。
ちなみに、行屋川公園や川沿いの木々に提灯がかけられ、桜の時期は華やかなのかなと推測できました。
虎口っぽいところを出て、北側⇒西側と周囲を歩きましたが、丘陵の敷地は民家が隣接しており配慮は必要かと思います。
北西側に小さな児童公園がありますが、その名も外堀公園、また西側⇒南側へ進むと小学校敷地(二ノ丸・三ノ丸付近)の城塁が横矢掛(折れ)になったような箇所もあったりと、城跡を思わせるものが確認できます。
空堀などに寄り道しながら敷地を一周するのに30分程度かかり、駅までの往復含めると1時間弱を要しました。
今回利用した真岡鉄道は本数が少ないため、公共交通機関でお越しの際は計画的に登城されたほうがいいです。
2017年09月25日 小山 美濃守 政光
真岡城
駅前の観光情報センターのようなところに行くと地元の詳しい方が、行き方と周囲の詳細を教えてくださいます。
いつもいるかどうかは分かりませんが。
2010年06月12日 半日皇帝下野守
真岡城
大河ドラマ「春日局」が放送された年、一年間だけ
巨大な天守閣の絵
がありました(‾▽‾〃)