御前城

御前城([真岡城  周辺城郭])

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御前城の口コミ情報

2025年10月18日 マグロ常陸介祐平


文治5年(1189年)に、源頼朝に従い奥州合戦で活躍した波賀(芳賀)次郎大夫高親が帰国後に京泉館から移ったとされています。芳賀家譜によると芳賀伊勢守高貞の代に真岡城へ引越したとあることから、南北朝期(Wikipediaでは1362年)に廃城になったと思われます。高貞は、宇都宮貞綱の子で、芳賀高名(禅可、宇都宮景綱の子)の養子になったとされます。足利尊氏のもとで活躍した甥の宇都宮氏綱に従い、氏綱が守護を務めた下野・上野・越後の守護代となっています。

遺構はほとんど残っていませんが、真岡東中学校の校庭沿いと、西側の道路沿いが堀跡で、道路沿いには僅かに痕跡が確認出来ます。

2021年06月06日 国府左京大夫城介


奥州合戦で活躍した芳賀高親が築いた城

【歴史】
鎌倉時代初期に、波賀(芳賀)高親が源頼朝に従って奥州合戦に功を挙げた際に、この地に城を築いたと伝わる。
その後、芳賀高名の子・高貞の頃に、真岡城に移ったと言われている。(説明板等を参照)


【遺構】
真岡城の西南西1.4kmに位置し、現在の真岡東中学校の西側に存在していた。遺構は残っておらず、説明版のある位置から西側に走る道の北側が掘の跡があったようだが、現在ではその面影はほとんどない。

【感想】
芳賀氏・初期の居城ですが、残念なことに一切の遺構は残っていません。中学校の西側に石碑や説明版があり、中学校内にも掘があったらしいですが、グラウンドになっているので全く残っていない。南側の道路脇が掘の跡らしいが、若干低くなっている程度で、明確な遺構は確認できない。館があった場所は完全に畑となっています。
あくまでも、この辺りに紀清両党の芳賀氏の初期の居城があったんだなと知りたい人向けのお城です。

【アクセス】
真岡城から自転車で10分程。

【写真】
1:石碑
2:説明版
3:堀の跡(右側の土の部分)
4:この辺りが館の跡

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