西明寺城(さいみょうじじょう)

西明寺城の基本情報

通称・別名

高館城

所在地

栃木県芳賀郡益子町益子字高館

旧国名

下野国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

益子(紀)氏

築城年

鎌倉時代前期

主な改修者

主な城主

益子氏

廃城年

慶長2年(1597)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

富谷城(茨城県桜川市)[8.7km]
真岡城(栃木県真岡市)[10.2km]
茂木城(栃木県芳賀郡)[10.8km]
桜町陣屋(栃木県真岡市)[10.8km]
村上城(栃木県芳賀郡)[11.4km]
舟戸城(栃木県芳賀郡)[12.1km]
千本城(栃木県芳賀郡)[13.9km]
笠間城(茨城県笠間市)[15.4km]
中村城(栃木県真岡市)[15.5km]
久下田城(茨城県筑西市)[15.9km]

西明寺城の解説文



西明寺城(さいみょうじじょう)は、栃木県芳賀郡益子町にあった中世の日本の城。宇都宮氏の家臣益子氏の居城だった。別名高館城

歴史・沿革 

西明寺城の起源は、西明寺のある高館山に京都から移住してきた紀氏(後の益子氏)が本拠を構えた事から始まった[1]

南北朝時代には、『結城文書』に「伊佐中郡御城、西明寺城、当城候」と記されており、関城大宝城伊佐城、伊佐中郡御城などと並んで、関東六城の一つに数えられ[2]南朝方の最北端の拠点であった。その後、北朝方の攻撃を何度か耐えたが、1352年(正平7年)に関東六城の中で最後に落城した。

戦国時代に入ると、益子氏は一族内で内紛が続発し、衰退への道を歩むことになる。また、主家の宇都宮氏から離反と帰順を繰り返すようになった。

1590年(天正18年)[3]、業を煮やした主君宇都宮国綱は大規模な討伐を実行し、益子家宗を誅殺して益子氏の領地を没収した。この際に廃城となる。

構造 

西明寺城跡は現在、西明寺の寺域となっている。本堂脇の遊歩道を登っていくと本丸跡に展望台が設置されている。また、空堀なども散見される。

西明寺城の口コミ情報

2024年04月01日 Sデストロイヤー安房守
西明寺城



坂東三十三箇所の30番目。笑う閻魔大王の御朱印が魅力的です

2023年07月16日 見城
益子古城[西明寺城  周辺城郭]



益子焼に誘われて訪れた街道を歩くと、街道の地名は『城内坂』。気がつけば益子古城と呼ばれる小高い丘『御城山遺跡』の本丸に向かっていました。本郭は遺跡広場、東郭は工房広場、南郭は陶芸美術館、西郭は芝生広場となるようです。城郭が街に溶け込んでおり、得した気分になりました。

2023年01月14日 高尾山団子下野守智ぞう
山本古屋城[西明寺城  周辺城郭]



大永年間(1521~28年)、高塩半入道の子で笠間氏の家臣高塩伊勢守政平が築いたと伝えられている。

天正十一年(1583年)高塩伊勢守正平は久下田城の水野谷幡龍斎に攻められ落城したと云われる。

里山カフェひだまりさんでランチに舌鼓を打ちながら店の人と城のお話していたら近所に城跡あるよ。と言われひだまりさんに車をおきつつ見に行ってきました。

廃屋跡近辺に食い違い虎口らしいものあり。

良くわからず近所の人に聞くと光明寺裏手あたりがそうらしく、

ご自由に散策してください。と言われて探すと牧場らしきものの入り口近辺に城の案内看板をみつけ、その看板あった牧草地帯のようなものを横切ると、土塁と堀切発見

後で縄張り図確認すると、縄張りはけっこう広く兵士溜まりのよーな城だったのかな?と勝手に連想してました

2022年10月17日 里のシロクマ外記
西明寺城



峠北駐車場より高館山城
峠駐車からは右手の尾根を登るといくつかの郭を通って主郭へ、左側の坂道を進むとキャンプ場へ進む道になります。今回は右手の尾根を登って行きます。その前に一段上の池を見て行きます(この城の水場だったのでしょうか)尾根を登ると虎口の様な土塁があります、なにしろ登山道以外はすべてヤブです。

いくつかの土塁を過ぎ、いままでより大きめ土塁、虎口を抜けると主郭に到着です。右手に櫓台跡、広い空間があり2から3m位の岩がかたまっています。主郭の南側土塁を下の郭に降りて行くと谷底に、登る時にみた池が見えました。主郭北西の尾根の虎口を抜けて降りて行くと土橋状の道になる(両側に堀があります、ヤブで最初気付かず)左手はキャンプ場へ行く道、右手は大堀切のある尾根。右手を進み、この城のメイン大堀切を見る(この堀に沿って進むと、先程の土橋に行きつきます。)

キャンプ場分岐に戻り峠駐車場へ、そして西明寺へ下山。とにかく城域は広く登山道を歩くのみでした、笹薮と蜘蛛の巣との闘いでした。山城めぐり、山と城が同時に楽しめる事はサイコーです。

2022年10月17日 里のシロクマ外記
西明寺城



西明寺門前より見晴らし台まで駐車場は門前の駐車場が空いていたので利用しました。主郭の本郭までハイキングコースを歩いてイザ!登城(登山靴、ストック使用)まずは、西明寺、趣きのある堂塔伽藍、そして閻魔さまへご挨拶(躍動感ある御顔)。境内を抜け登山口へ。古西明寺城内を登って行きます。

山城独特のジグザグ道、侵入を阻止する土塁と曲輪(ほとんどヤブの中)道を進むと「権現平」古西明寺城の主郭だったそうです。(段郭になってます.まわりはヤブ)そして、堀切りを過ぎ堀底道を登ると見晴台に着きます、櫓台(四阿)を中心にぐるりと回りながら上がっていくようになってます。(ヤブと蜘蛛の巣との闘い)

2022年09月14日 三男坊.k大学頭
駐車場[西明寺城  駐車場]



高館山展望台の近くに益子の森に向かう山道の入口があり、そこに10台ほど車を停められる広場があり、そこに城の説明板もある。

2022年01月10日 弾正少弼しろし
西明寺城



あるあるお寺編かと思いきやキッチリ山城でした。ちょっと時間が無かったのであんまり見られなかったけどあっちこっち遺構がありそうでした。

2022年01月06日 リュウト安房守
西明寺城



林道を登って行くと頂上付近にキャンプ場の駐車場に止めれます。止めてから林道を少し歩くと西明寺へ行くハイキングコースで駐車場から上に行く道を行くと天守跡に行けます。

2021年05月07日 龍馬備中守【】
木幡城[西明寺城  周辺城郭]



栃木県の芳賀郡にある木幡城♪木幡城は木幡集落の背後・丘陵先端に築かれています☆

築城年代不明の城となります☆
益子氏の家臣と推測されている飯村内記の築城と伝えられています☆戦国期には益子氏の支城だと考えられていて北東側の近距離に敵対していた茂木氏の高岡城があって境目の城として互いに対峙していたと推測出来ます☆

卵型に近い主郭の周囲に副郭を環郭式に廻らしていて、その外周に空堀を巡らして守りを固めています☆縄張りは面白いモノ何ですが藪が凄く分かりにくくなってしまっています。。縄張り図だと副郭の外周の空堀が大きそうです☆何処かのタイミングで藪狩りが行われる事を望みます☆

2021年05月05日 石田式部卿いしのすけ
西明寺城



内陣に入るには受付で300円お支払いする必要があります。一度、階段登ってからだと面倒になると思うので、要注意。本堂裏手から、山道を登っていく。案内板らしきものは見当たらず、不安になりつつも登る。途中、三又に分かれる所で、ここかなと左の道を進むと本丸に出られました。本丸には展望台があり、益子の街並みが見下ろせます。これは土塁かな、堅堀かなと思うけれど、案内はないです。もう少し整備していただけるといいなと思いました。益子では、歩いてまわる散策をおすすめしてるようで、ゴールデンウィークということもあり、結構、歩いている人とは行き合いました。西明寺には、四角い竹の林もあります。

2021年05月04日 龍馬備中守【】
益子古城[西明寺城  周辺城郭]



栃木県の芳賀郡にある益子古城☆益子氏の最初の居城と伝わってます☆その後益子氏は益子城を築城し、そちらに移ったと言われています☆
が、益子古城の堀切の切り口を見ると戦国時代にも使われていたんじゃ無いか?という様な立派な堀切を持っています☆近隣に益子城☆更には西明寺城もあります☆西明寺城は詰城という事で間違いないと思われますが、益子古城に益子城☆近い場所に2つの城郭が…謎です☆

益子古城は大きく分けて本郭、北郭、南郭、東郭、西郭5つの郭から分かれていて低丘陵地に城郭を構えます☆本郭を中心にして各主要郭は堀切で区画しています☆各主主要郭には腰郭が数段付属しています☆城下には城内坂と呼ばれる、街道になるのかな〜?動線も残っていて、更に益子城は近所です☆歩いてみた感想ですが益子古城は益子氏の初期の城でその後に益子城を造る☆ただ同時期に益子古城も改修したんじゃ無いかな〜?2つの城郭は別の城として紹介されていますが距離を見るとほぼ一つの城として機能したんじゃ無いか?と思いました☆
現在、益子古城は公園になっていて陶芸メッセ・益子もあるし楽しめる城郭になっています☆現存する堀切の規模は予想以上に大きくて感激しました♪


2021年05月04日 龍馬備中守【】
益子城[西明寺城  周辺城郭]



栃木県の芳賀郡にある益子城♪

宇都宮氏の家臣・益子氏の城郭となります☆益子古城とは直線500mも無い位置に存在している為に一帯を城下として形成していたんじゃ無いかな〜?と思われます☆そして、西明寺城が詰の城として機能した☆

宇都宮氏の有力な家臣だった益子氏ですが15代・益子家宗は宇都宮氏からの自立を企てていき北条氏と内通☆西明寺城で反旗を翻しましたが宇都宮国綱の軍勢に攻められ落城☆益子氏は滅亡しちゃいました☆

城郭は私有地になっています☆
あらかじめ、許可を得てお入り下さい♪


2021年05月04日 龍馬備中守【】
益子陣屋[西明寺城  周辺城郭]



栃木県の芳賀郡にある益子陣屋☆現在益子城の麓にあり個人宅になっています☆この辺り一帯が陣屋だった様です☆

江戸時代に造られた、この陣屋は益子村、生田目村、上大羽村、深沢村、七井村、清水村の6ヶ村を支配する為の出張陣屋でした☆

陣屋門みたいのもありましたが、これは後世建て直しの様です☆
黒羽藩主・大関氏の所領となって小関氏がこの地に陣屋を置いたのが始まりとなります☆

2021年05月04日 龍馬備中守【】
館坂城[西明寺城  周辺城郭]



栃木県の芳賀郡にある館坂城☆この城についての歴史は詳細は不明となります☆別名を館宮坂城、石岡城とも呼びます☆

益子町にある名刹【円通寺】の南側の森が城郭になります☆印象としては陣城の様な顔をしていて攻める為の砦の様な特徴を持っていて郭は土塁囲みがされています☆
この円通寺ですが、室町時代に良栄の開山で創建されたと伝えられていて当初は学問寺でした☆戦国時代に大伽藍の一部が焼失してしまい、その後には時の天皇・上皇の勅命から勅願所となりました☆江戸時代には江戸幕府から朱印状も貰っているなど古くから栄えた寺となっています☆

近隣の城郭には益子古城☆反旗を翻した益子氏を攻める為の城郭か?となれば宇都宮氏?いずれも城郭としては戦国期のものと思われます♪

2021年05月01日 龍馬備中守【】
七井城[西明寺城  周辺城郭]



栃木県の芳賀郡にある七井城☆築城主は益子勝忠になります♪宅地の中に土塁と空堀が残ってます☆

益子勝宗の子の益子勝忠が七井に住み七井氏を称していきます☆
ただ…益子勝忠は宇都宮氏に叛いて戦い尾羽寺で毒殺されてしまいました☆
益子勝忠の子の益子忠兼は茂木氏と新福寺で戦って戦死…。。同時期に七井城は落城してしまいました☆その後、廃城になったと伝わっています☆

小貝川の支流の大羽川と小宅川に挟まれた、低台地上に築かれています☆城域は市街化が進んでいますが宅地の合間を縫う様に北・南・西の3ヶ所、土塁と空堀が残存しています☆北遺構は駐車場裏に立派な土塁が20m以上、姿を残してます☆南遺構はクランクした空堀と土塁が綺麗に整備されていて地元愛を感じます♪周囲を歩くと遺構は残ってます☆


2021年05月01日 龍馬備中守【】
矢嶋城[西明寺城  周辺城郭]



栃木県の芳賀郡にある矢嶋城☆

矢嶋城は七井頼治が築いたと伝わります☆
七井氏は矢嶋城を居城として代々この地に生きました☆

戦国期には益子勝宗の攻撃で矢嶋城は落城。。落城後は七井氏は多田羅に移りました☆
益子氏の所領となって行くのですが益子勝宗は子の益子勝忠を入れ益子勝忠は七井城を居城として七井氏を称しました☆

日枝神社の北側一帯が城郭ですが現在畑になっていて土塁が残るのみとなっています☆
方形型の城郭の形は面影を残してます☆

2021年04月30日 龍馬備中守【】
小宅城[西明寺城  周辺城郭]



栃木県の芳賀郡にある小宅城☆益子氏と並んで宇都宮氏の有力な家臣だった芳賀氏の一族・小宅氏が築城したと伝わります☆

鎌倉時代に芳賀氏の11代目の芳賀高俊の三男・芳賀高真が小宅城を築いてから戦国時代の芳賀高良の代に廃城になるまで代々城主をつとめた旧家となります☆
【小宅家文書】という手紙が9通ほどあります☆この9通の中には感状や書状などが入っている訳ですが、全て主君の宇都宮氏や一族の芳賀氏に宛てた文書が残ってます☆
中には那須氏と戦った喜連川合戦での功を労う感状や(宇都宮俊綱→小宅氏に宛てた)領主間の争いを示すものなどが残っています☆
現在も子孫の方が持たれているのですが凄いですね♪

城郭としては小宅川に向けて北から伸びた低丘陵の先端に築かれています☆
見所としては主要部を取り巻く空堀で横矢が掛かる様に屈折させています☆深さも5mくらいあって見応え抜群です☆
早朝に行ったので朝陽がキラキラしてました♪

2021年04月12日 疲れた人
小宅城[西明寺城  周辺城郭]

地主さんのご厚意なんでしょうか。
城内はかなり整備されており、非常に見やすくなっていました。

主郭内堀なる、土塁で囲まれた主郭の中に堀がしっかりとめぐらされている箇所があります。何に使っていたのか…堀底から上がって土塁上から見下ろすと、やたらと見応えはありますが、謎の遺構です。

2021年03月13日 【籠城中】下野守智ぞう
益子城[西明寺城  周辺城郭]

城周辺をくまなく回りましたが、どうやら私有地に囲まれているみたいで、あらかじめ入る許可とか得ないと入れない様子。

残念ですが、登城断念しました💦

2021年02月11日 
小宅城[西明寺城  周辺城郭]

宇都宮重臣芳賀氏家臣の小宅氏の城。小宅交差点よりちょっと手前のリカーショップ向かいの消防団詰所に車を止めさせて頂き、隣の坂道を登った先に見える森が小宅城

メチャ良好に遺構が残っています。ビックリです。土木量も半端ない。

何故こんな素晴らしい城を保存に乗り出さないのか理解に苦しみます

2021年02月11日 
益子古城[西明寺城  周辺城郭]

陶芸メッセ益子の建物の周りが益子古城跡になります。案内看板や大堀切、切岸、土塁などが確認出来ます。かつて益子氏は本拠地をここに構え、臨戦時には西明寺城を使っていたようです。

目印は益子窯元共販センター。奥の坂道を上に上がっていきます。陶芸メッセ前まで車で行く事も出来ます。

2020年02月12日 恭任非参議侍従
西明寺[西明寺城  寺社・史跡]

独鈷山西明寺。真言宗豊山派。
元は「益子寺」という名であったが、北条時頼(=西明寺殿)が本堂を修繕したのを期に、西明寺と名を改める。
宇都宮軍の中心武士団である紀清両党の益子氏(紀氏)の崇敬厚く、現在、楼門、三重塔、本堂厨子が国重要文化財に指定されているが、これら文化財は益子氏滅亡の際に焼失をまぬがれた物であり、焼き討ちをしなかった宇都宮軍の意外な信仰心ぶりが窺えるかも知れない。
御朱印は4種(坂東観音)(下野観音)(下野七福神)(閻魔大王)。閻魔大王の御朱印は有名になりすぎて、書き手の方が体調を崩してしまったので、参拝時間には注意して下さい。

2018年04月09日 【籠城中】下野守智ぞう
西明寺城

西明寺の事務所でオリジナルの笑う閻魔様ご朱印が頂けます。(一面書き600円、二面書き1000円)


受付時間が10:00~14:00(12:00~13:00昼休憩)の三時間ほど。

人気ご朱印と思われますので受付済ませてから境内見学や境内の蕎麦屋で食事されたりして時間つぶすと良いかと

2016年10月25日 まー刑部卿
西明寺城

益子町森林公園内の高館山に城跡有り。ナビ通りに進んでいくとやがて林道に入る。しばらく狭い道幅の道をひたすら進むと右手に入る道ありその先に駐車場が有ります。西明寺側からくるともっと近い。駐車場に案内板(縄張り図なし)と益子城懐古の石碑がある。すぐそばの階段を上っていく。郭跡に休憩スペースのイスがあった。土塁跡は見受けられたがいかんせん藪ではっきりとわからなかった。更に進むと三角点のところに『高館山 301.8m』と掲げられた板があった。ここから更に進んでいくと先程の駐車場へ戻ることが出来る。また近くにある西明寺の楼門・三重塔は国重文ほか閻魔堂の中も観れるので訪城後訪れるのもいいかと。ただし閻魔堂は16時前までに見ないと閉められてしまいます。

西明寺城の周辺スポット情報

 益子古城(周辺城郭)

 小宅城(周辺城郭)

 矢嶋城(周辺城郭)

 七井城(周辺城郭)

 館坂城(周辺城郭)

 益子城(周辺城郭)

 益子陣屋(周辺城郭)

 木幡城(周辺城郭)

 山本古屋城(周辺城郭)

 西明寺(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

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