七井城
七井城([西明寺城 周辺城郭])
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七井城の口コミ情報
2024年10月07日 マグロ常陸介祐平
七井地区の中心地にありますが、断片的に遺構が残っています。七井中央通りの突き当たり、旧国道の裏側には、クランクした土塁と空堀(写真2,3,4枚目)、その北側の畑の奥にはしっかりした土塁が見られます(写真5枚目)。東に50mほど離れた民家の裏が本丸で、L字型に土塁が残っています(写真1,6枚目)。
本丸付近で地元の年配の方にお城について尋ねたところ、郷土史に大変詳しい方で、しっかりと説明して頂きました。
一般的には、永禄2年(1559年)に益子勝宗が矢島城主七井綱代を破り、七井の地に七井城を築城し、5男の勝忠(七井を名乗る、後に宇都宮国綱に背き毒殺される)を置いたとされます。
詳しい方の説明では、元々七井城は矢島城そばの日枝神社の神官岩松氏(吉国?)が城主を務めており、築城の5年後の永禄2年に益子氏に攻められ落城したとのことでした。(その方曰く、出丸を持つ大規模な城だったとする方もいるが、そこまで大きくはなかったのではないかと独自の考えをお持ちでした。ちなみに、その方の自宅は子供の頃に土塁と堀を慣らして建てたとの事です。)本丸の南には、神道の諡の入った岩松氏の墓地(古いものではありません)があります。日枝神社そばではなく、この地に墓所があることに真実味を感じます。
2021年05月01日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
栃木県の芳賀郡にある七井城☆築城主は益子勝忠になります♪宅地の中に土塁と空堀が残ってます☆
益子勝宗の子の益子勝忠が七井に住み七井氏を称していきます☆
ただ…益子勝忠は宇都宮氏に叛いて戦い尾羽寺で毒殺されてしまいました☆
益子勝忠の子の益子忠兼は茂木氏と新福寺で戦って戦死…。。同時期に七井城は落城してしまいました☆その後、廃城になったと伝わっています☆
小貝川の支流の大羽川と小宅川に挟まれた、低台地上に築かれています☆城域は市街化が進んでいますが宅地の合間を縫う様に北・南・西の3ヶ所、土塁と空堀が残存しています☆北遺構は駐車場裏に立派な土塁が20m以上、姿を残してます☆南遺構はクランクした空堀と土塁が綺麗に整備されていて地元愛を感じます♪周囲を歩くと遺構は残ってます☆