山本古屋城
山本古屋城([西明寺城 周辺城郭])
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山本古屋城の口コミ情報
2025年12月28日 マグロ常陸介祐平
16世紀半ばに高塩半入道の子の高塩伊勢守政平が築城したと伝わるようです。天正11年(1583年)益子家宗が宇都宮氏に背くと水谷蟠龍斎の援軍を得て山本古屋城を攻め、城は落城しています。那須家家臣の塩谷氏の家臣の高塩氏は、益子氏流七井氏の後裔と称しており、地理的に七井に近い山本古屋城の高塩氏も同族と思われます。
説明板(写真1枚目)によるとお城の規模は東西に約250m、南北に約200mで、説明板の向かいには立派な東西に土塁(写真2枚目)と北に折れた部分には、横矢掛りがはっきりとした深い空堀(写真3~6枚目)が見られます。堀底は落葉で隠れていますが、東側にある牛舎からの汚水が流れており、靴の中に汚水が入るという失敗をしてしまいました。横矢掛りを確認したい方は、気をつけてください。
近くにある光明寺の高塩氏の墓域には古い五輪塔(写真7枚目)が見られます。戦国期のものでしょうか。また、500m程北には益子町の文化財に指定されている光明寺薬師堂(写真8枚目)があり、本尊の薬師如来像は高塩伊勢守の本尊と伝わるようです。
2023年01月14日 豚野郎常陸介智ぞう
大永年間(1521~28年)、高塩半入道の子で笠間氏の家臣高塩伊勢守政平が築いたと伝えられている。
天正十一年(1583年)高塩伊勢守正平は久下田城の水野谷幡龍斎に攻められ落城したと云われる。
里山カフェひだまりさんでランチに舌鼓を打ちながら店の人と城のお話していたら近所に城跡あるよ。と言われひだまりさんに車をおきつつ見に行ってきました。
廃屋跡近辺に食い違い虎口らしいものあり。
良くわからず近所の人に聞くと光明寺裏手あたりがそうらしく、
ご自由に散策してください。と言われて探すと牧場らしきものの入り口近辺に城の案内看板をみつけ、その看板あった牧草地帯のようなものを横切ると、土塁と堀切発見
後で縄張り図確認すると、縄張りはけっこう広く兵士溜まりのよーな城だったのかな?と勝手に連想してました









