田野城
田野城([西明寺城 周辺城郭])
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田野城の口コミ情報
2025年12月27日 マグロ常陸介祐平
長堤八幡宮の社記に、永禄3年(1560年)に笠間時朝15代の孫、羽石内蔵介時政が始めて田野城を築くとあるようですが、近くにある長谷寺は文永11年(1274年)に羽石氏初代宗時により建立されており、鎌倉~室町時代時代の五輪塔が存在することから(写真4,5枚目)、田野城も古い時期から存在したものと思われます。永禄2年に小田氏治が結城城を攻めた時に、結城方として田野城主羽石内蔵介盛長の活躍が関八州古戦録に書かれているようです。天正13年(1585年)、羽石盛長は結城晴朝に対して逆心ありとされ、久下田城主水谷蟠龍斎に攻められ田野城は落城、盛長(=時政)は討死しています。
盛長の娘の桜姫は2人の子供と逃げ出し葦原に隠れますが、見つかってしまい落命します。地元住民は桜姫の墓(塚)を作り、後に塚には桜の木が生えたそうです。「道の駅ましこ」の裏には、塚はありませんが桜の木と葦原が復元され、説明板が設置されています(写真3枚目,桜本・桜姫の伝説)。
田野城はその後、蟠龍斎により山本古屋城攻めで高塩氏を追討したとされる添谷俊永(近江介?)が城主となり、現在も添谷氏がお住まいのようです。城域は広大で、結構距離の離れた田野小学校も含まれるようです。
お城の位置はGoogleマップに登録されていますが、登城口が見つからず近所の方に尋ねたところ、添谷さんのお宅にお城を見たいと話をすると見せてもらえるかもしれないとのことでした。一見、虎口のような雰囲気のあるお宅の入口(写真1枚目は右側の土盛り、2枚目は入口脇の神社)からは人気を感じられず断念しました。堀と土塁が囲む構造が残っているようです。また、城域とされる普門寺には、大郷戸廃寺跡付近から出土した大量の五輪塔のうち1基が移されています(写真6,7枚目)。五輪塔は、益子氏のものかもしれないようです。









