笠間城(かさまじょう)

笠間城の基本情報

通称・別名

桂城

所在地

茨城県笠間市笠間

旧国名

常陸国

分類・構造

山城

天守構造

型式不明[2重/築年不明/解体(廃城)]

築城主

笠間時朝

築城年

承久元年(1219)

主な改修者

蒲生郷成

主な城主

笠間氏、宇都宮氏、蒲生氏、牧野氏

廃城年

遺構

空堀、石垣、土塁、井戸、移築櫓、門

指定文化財

県指定文化財(笠間城櫓)、市指定文化財(笠間城門、移築)、市史跡(笠間城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

宍戸城(茨城県笠間市)[4.9km]
難台山城(茨城県笠間市)[9.6km]
加倉井館(茨城県水戸市)[9.9km]
湯崎住吉城(茨城県笠間市)[10.0km]
河和田城(茨城県水戸市)[13.2km]

笠間城の解説文

笠間城(かさまじょう)は、茨城県笠間市の佐白山にあった日本の城である。江戸時代には、笠間藩の藩庁が置かれた。

歴史
鎌倉時代、この地域は真言宗の正福寺と徳蔵寺の勢力争いが盛んであり、両寺院の僧兵たちが争っていた。劣勢であった正福寺勢が下野守護宇都宮頼綱に援軍を求めたところ、頼綱は甥の笠間時朝(塩谷時朝)を派兵した。時朝は元久2年(1205年)、徳蔵寺の僧兵と戦うための拠点として佐白山山麓に麓城を築城し、徳蔵寺を討った。ところが麓城の規模があまりにも大きかったため、味方のはずの正福寺の僧兵までも時朝に敵対した。時朝は結局正福寺と徳蔵寺を滅ぼした後、承久元年(1219年、堅固な城を佐白頂上に築城した。これが笠間城の起こりである。その後笠間氏は18代にわたって笠間を治め、南北朝時代の5代笠間泰朝の時には、南朝に属して勤王の兵を挙げ、北朝の佐竹義春の攻撃を受けたが、籠城戦の末これを撃退している。

天正18年(1590年)の小田原征伐の際、18代笠間綱家が宗家の宇都宮氏に逆らい、同戦役後宇都宮氏に攻められ滅亡した(通説では笠間氏が後北条氏に組したために宇都宮氏に攻められたとされているが、笠間綱家が宇都宮氏に従って小田原征伐に参加した記録が存在するため、別の理由であると考えられている)。その後、一時宇都宮氏が支配した後蒲生郷成が入城し、この郷成の手により織豊系城郭に改修されたと考えられている。

慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い後には松井松平家が入り、その後小笠原氏が入ったが改易されて、ついで戸田松平家が入り、そして永井氏が入った。その後、外様大名の浅野氏が2代、井上氏が2代、本庄氏が2代、再び井上氏が3代入った後、牧野貞通入城以後廃藩まで牧野氏8代が居城した。

沿革
元久2年(1205年)、宇都宮頼綱が一族の塩谷朝業を派遣し、笠間の地を占拠し進出した。
承久元年(1219年)、朝業の子の時朝が笠間の地に移り、佐白山に築城を開始した。
嘉禎元年(1235年)、笠間城完成。
天正18年(1590年)、当主綱家が宗家宇都宮氏の命に逆らい、小田原征伐の後に宇都宮氏勢に攻められ落城、替わって宇都宮氏の支配するところとなった。
文禄元年(1592年)2月、宇都宮国綱の家臣玉生勝昌が笠間城主として入城する。
文禄2年(1593年)11月8日、玉生勝昌が没し、その子範昌が城代となる。
文禄4年(1595年)3月15日、玉生範昌が笠間城から岡本城に遷る。
慶長3年(1598年)、蒲生郷成が3万石で封じられ笠間城に入城、現在の形に城域を整備した。
慶長6年(1601年)、郷成が除封され、松平康重が替わって入城した。
その後諸氏が封じられ城主は目まぐるしく入れ替わったが(詳細は笠間藩を参照)、永享4年(1747年)、牧野貞通が8万石で封じられ、以後牧野氏が明治の廃藩まで笠間の地を治めた。
明治3年(1871年)の廃藩置県、明治6年(1873年)の廃城令により廃城処分とされ、建物は取り壊された。...

笠間城の口コミ情報

佐竹常陸介いわちん様[2017年05月13日]
まず目指すは、佐白山(笠間県立自然公園)
笠間城跡

山城で続100名城に選ばれる(笠間藩)

車かバイクでの攻めが正攻法で駐車場も広い。他の手段は笠間駅、電車攻めは時間が必要ですよ。

登場口は何ヵ所かありますが、基本駐車場からちょっと登ると、大手門跡石碑があるのでそこから順番に攻め登ってもらえればいいと思います。(トイレは済ませてから)

登る途中に空堀、石垣、階段、八幡櫓跡など見ながら、天守跡まで登り天守台付近は立ち入り禁止になっています。じっくりと見て90分くらいですかね。

GW時期に攻めましたが、すぐ隣で笠間つつじ祭、芸術森公園で陶器市笠間焼(陶火祭)もやっていて混雑していました。

城跡、花、陶器を楽しみたい方は5月、秋の紅葉は10月後半くらいか?混雑が嫌な方は冬ごろがよいかと!


まさ大膳大夫猛虎 様[2017年05月06日]
続100名城に選定されたのですね。

GWの花祭り《笠間城隣の山でつつじ祭り》と共に笠間城リア攻め、千人溜まり《戦前に武将が時の声を挙げたのかも?》に車を駐車。二の丸迄舗装路で整備。トイレは躑躅公園と共用の仮説トイレのみ。

天守跡を目指すには、石の階段を登る。関東には珍しく石垣の上に天守。此処で月を眺めたら、本当の荒城の月が見られます。照明が無いから、補助電源が必要かな?空積みの目地には、古木の切り株・根が残存。
荒れた城跡を見て、鎌倉~江戸期の栄枯盛衰が偲ばれます。

カーネル様[2016年06月19日]
水戸線笠間駅から佐白山公園を経て山を登る
山を登るといくつか林道を横切ります。駅から、40分で二ノ丸到着

『司馬遼太郎と城を歩く』のオープニング時に映る階段は、ここの天守台への階段です
共感する人もたくさんいると思います、あのナレーションを反芻しながら登ると最高です

関東では珍しく石垣が見事です

二ノ丸で地元のおじさんと話しこんだこともあり、駅には2時間後に戻りました

歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです

ひとりもんの副将軍様[2015年04月14日]
天守曲輪に入れるようになったようで、佐志能神社の下まで行けました。岩倉側からは上がれましたが、自己責任でしょうかね⁈

コロ助様[2015年02月24日]
笠間駅から徒歩40分で到着。(山城なので、自転車で坂を登る自信がなく利用しませんでしたが、駅前の観光案内所にレンタサイクルもあります。)

震災で天守台石垣が崩落した事は知っていましたが、天守台近くまで行けるのかと勝手に勘違いをしていました。天守曲輪が完全に立入禁止になっています。修復完了は、まだいつになるか分からないとのこと。

大手門跡と本丸下にも少し石垣があります。土塁や空堀もあるので、天守曲輪に入れなくても楽しめました。

ばしこん様[2013年04月29日]
城跡迄は車で余裕で行けます。駐車場もトイレも完備しています。
自販機もあるので渇いた喉を潤すにはちょうど良いですね。
桜や紅葉がありますがこちらを訪れるベストシーズンはやはりGW時期は相応しいでしょう!時間多めに取ってランチでも用意して隣のつつじの山も目指しましょう!天気良ければ清々しさ倍増です。

サムライ大膳大夫はる様[2011年09月25日]
約1年振りに訪れてみました。先週の台風15号の被害が心配されましたが、本丸周辺の樹木の倒木が若干見受けられる位でした。
今年3月の震災又はその後の余震の影響かと思われますが天守台下の石垣が崩れていて天守台には上っていけない状況です。

サムライ大膳大夫はる様[2010年10月25日]
城跡は山城なので本丸から天主台跡にかけて少々、足場が悪いです。落葉が歩道に積もりかけの時期で、雨上がりの夕方だったのでちょっと不気味な感じがしました

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