笠間城(かさまじょう)

笠間城の基本情報

通称・別名

桂城

所在地

茨城県笠間市笠間

旧国名

常陸国

分類・構造

山城

天守構造

型式不明[2重/築年不明/解体(廃城)]

築城主

笠間時朝

築城年

承久元年(1219)

主な改修者

蒲生郷成

主な城主

笠間氏、宇都宮氏、蒲生氏、牧野氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、井戸、移築櫓、門

指定文化財

県文化財(笠間城櫓)、市文化財(笠間城門、移築)、市史跡(笠間城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

宍戸城(茨城県笠間市)[4.9km]
難台山城(茨城県笠間市)[9.6km]
加倉井館(茨城県水戸市)[9.9km]
湯崎住吉城(茨城県笠間市)[10.0km]
河和田城(茨城県水戸市)[13.2km]
飯沼城(茨城県東茨城郡)[14.7km]
富谷城(茨城県桜川市)[14.7km]
那珂西城(茨城県東茨城郡)[15.2km]
長者山城(茨城県水戸市)[15.2km]
西明寺城(栃木県芳賀郡)[15.4km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)112 笠間城

設置場所

かさま歴史交流館 井筒屋[地図

笠間城の解説文



笠間城(かさまじょう)は、茨城県笠間市の佐白山にあった日本の城。江戸時代には、笠間藩の藩庁が置かれた。

歴史 

鎌倉時代、この地域は真言宗の正福寺と徳蔵寺の勢力争いが盛んであり、両寺院の僧兵たちが争っていた。劣勢であった正福寺勢が下野守護宇都宮頼綱に援軍を求めたところ、頼綱は甥の笠間時朝(塩谷時朝)を派兵した。時朝は元久2年(1205年)、徳蔵寺の僧兵と戦うための拠点として佐白山山麓に麓城を築城し、徳蔵寺を討った。ところが麓城の規模があまりにも大きかったため、味方のはずの正福寺の僧兵までも時朝に敵対した。時朝は結局正福寺と徳蔵寺を滅ぼした後、承久元年(1219年、堅固な城を佐白頂上に築城した。これが笠間城の起こりである。その後笠間氏は18代にわたって笠間を治め、南北朝時代の5代笠間泰朝の時には、南朝に属して勤王の兵を挙げ、北朝の佐竹義春の攻撃を受けたが、籠城戦の末これを撃退している[1][2]

天正18年(1590年)の小田原征伐の際、18代笠間綱家が宗家の宇都宮氏に逆らい、同戦役後宇都宮氏に攻められ滅亡した(通説では笠間氏が後北条氏に組したために宇都宮氏に攻められたとされているが、笠間綱家が宇都宮氏に従って小田原征伐に参加した記録が存在するため、別の理由であると考えられている[3])。その後、一時宇都宮氏が支配した後蒲生郷成が入城し、この郷成の手により織豊系城郭に改修されたと考えられている。

慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い後には松井松平家が入り、その後小笠原氏が入ったが改易されて、ついで戸田松平家が入り、そして永井氏が入った。その後、外様大名の浅野氏が2代、井上氏が2代、本庄氏が2代、再び井上氏が3代入った後、牧野貞通入城以後廃藩まで牧野氏8代が居城した。

沿革 

  • 元久2年(1205年)、宇都宮頼綱が一族の塩谷朝業を派遣し、笠間の地を占拠し進出した。
  • 承久元年(1219年)、朝業の子の時朝が笠間の地に移り、佐白山に築城を開始した。
  • 嘉禎元年(1235年)、笠間城完成。
  • 天正18年(1590年)、当主綱家が宗家宇都宮氏の命に逆らい、小田原征伐の後に宇都宮氏勢に攻められ落城、替わって宇都宮氏の支配するところとなった。
  • 文禄元年(1592年)2月、宇都宮国綱の家臣玉生勝昌が笠間城主として入城する。
  • 文禄2年(1593年)11月8日、玉生勝昌が没し、その子範昌が城代となる。
  • 文禄4年(1595年)3月15日、玉生範昌が笠間城から岡本城に遷る。
  • 慶長3年(1598年)、蒲生郷成が3万石で封じられ笠間城に入城、現在の形に城域を整備した。
  • 慶長6年(1601年)、郷成が除封され、松平康重が替わって入城した。
  • その後諸氏が封じられ城主は目まぐるしく入れ替わったが(詳細は笠間藩を参照)、永享4年(1747年)、牧野貞通が8万石で封じられ、以後牧野氏が明治の廃藩まで笠間の地を治めた。
  • 明治3年(1871年)の廃藩置県、明治6年(1873年)の廃城令により廃城処分とされ、建物は取り壊された。
  • 平成29年(2017年)4月6日、続日本100名城(112番)に選定された。

構造 

佐白山山頂の天守曲輪を中心に、東から北に掛けての山腹に郭を重ねる。天守曲輪および大手道には、関東の城郭には珍しく、石垣が多用されている。天守曲輪には天守台が設けられ、2重の天守が建てられた。

主郭部は、天守曲輪から本丸、二の丸、大手門に掛けての郭群により構成されるが、北方の谷に面した尾根上にも、横堀を伴う複数の郭が存在する。また、本丸南方にも横堀が存在し、東端は竪堀となって山麓に向けて下る。居館は、佐白山の北東山麓に置かれた。

天守

天守は2重で、「常盤国笠間之城絵図」(正保城絵図)では天守曲輪にその姿が描かれているが、具体的な外観や構造はわかっていない。笠間城の明治廃城後、解体を受けた天守の用材は佐志能神社(笠間城天守台に所在)の拝殿に使用されている。中井均は、転用材を使用したという拝殿の状態から、天守をそのまま改築して造ったものと推測している[4]。また、田中嘉彦(笠間史談会会長)は調査によって、天守は移築現存する八幡台櫓とほぼ同一の構造であったと推測している。

遺構 

山上の遺構は良く旧態を留めており、一部に後世の手が加えられているものの、石垣、堀などが残る。山麓居館部の保存状態は必ずしも良くないが、現在佐白山麓公園として整備され公開されている。

建造物の遺構としては、本丸八幡台上にあった八幡台櫓が真浄寺に移築され現存し、「笠間城櫓」として茨城県の文化財に指定されている。また、薬医門形式の城門2棟が、市内の民家に移築され現存する。

笠間城の口コミ情報

2024年08月26日 黒はんぺん播磨守
笠間城



車道がせまくなってきたとき、いつもの不安感が襲ってきましたが、すぐに駐車場に着き一安心。そこからは徒歩となります。ちょっと険しい感じです。

2024年08月18日 HAL2000壱岐守
かさま歴史交流館 井筒屋[笠間城  スタンプ]



笠間城への詳細な道のりを確認できます。南側に進むと無料の駐車場があります。

2024年08月18日 HAL2000壱岐守
笠間城



水戸市から下道で1時間弱車を走らせて訪問。笠間は陶芸の街。続百名城のスタンプは、かつての旅館で、震災後に歴史交流館に姿を変えた井筒屋にあります。お茶をいただいたり、民芸品を販売しています。笠間城への道のりを詳細に上げてくれているので、こちらで確認しておくと良いでしょう。

笠間城はその脇の道を登っていくと千人溜駐車場があり、そこに車を止めて登城します。生憎の天候だったので、今回はここで諦めました。本丸への道は、かなり藪になっていて、虫除けなどの対策をした方が良さそうです。

2024年05月03日 マグロ常陸介祐平
笠間城



千人溜に車を停め、車両通行止めの入り口を進むと直ぐに大手門跡石碑があり、ガートレール下の石垣と雰囲気はありませんが、土橋の上に立っていることに気づきます。

道路を通したことにより、かなり改変されていますが、本丸や天守曲輪は旧態をよく残しているように思われます。

現在は鬱蒼としており、城下町からは山にしか見えませんが、近世城郭として天守閣をもつ城ですから、当時は権力の象徴として天守や隅櫓がよく見えたものと思われます。

笠間市では「笠間城跡保存整備調査事業」として、令和9年に上位史跡の指定を受けられるよう調査を実施しています(現在は市の文化財)。
それまでには、天守曲輪の立ち入り禁止を解除してほしいですね。

城下には月崇寺に松平康重の父康親(三枚橋城主)の墓(写真8枚目)、盛岸院に牧野家の墓(写真7枚目,合祀されている)が見られます。松平(桜井)、小笠原、松平(戸田)、永井、浅野、井上、本庄、井上、牧野と藩主が目まぐるしく変わった為、城下町としては藩に関係する寺院が少なく感じました。

また、城の隣にあるつつじ公園は、料金所に見頃と書かれていたものの少々時期を過ぎていました。

2023年11月12日 kazmame
笠間城



山城です。ちょっとしたハイキングです。少し廃墟の感じもありました。

2023年10月07日 まさき
笠間城

雑草も定期的に処理されていて、登城しやすい所でした。虫除けスプレーは忘れずに。

2023年09月28日 みー十勝守すけ
笠間城

口コミにありましたが、こんなに藪蚊が多いとはっ‼︎
刺されたくなくて、走ってリア攻めしたら汗がすごかったです。ハチ対策くらいの装備が必要かと思ってしまいました。午後16時くらいに1人で行ったので、道がかげっている場所は薄気味悪い感じでした。訪れる方は、明るい天気の良い時に誰かと一緒に行くと安心だと思います。

2023年06月06日 高堀相模守尚政
大黒石[笠間城  その他]



笠間城の起源を遡ると、初代笠間氏によって鎌倉時代前期には既に館が築かれていたとされる。さらに城が築かれる以前には、この山頂一帯には正福寺という広大な寺院があった。

正福寺は、七会にあった徳蔵寺とたびたび勢力争いをしていた。ある時、徳蔵寺の僧兵達は不意をついて正福寺を攻め立て、佐白山の中腹あたりまで兵を押し進めていた。あと少しで正福寺を落とせるという時、いきなり山頂付近にあった巨石が揺れ出すと、徳蔵寺の僧兵に向かって転がり落ちた(一説によると、正福寺側の僧兵が落としたともされる)。この石に押し潰される者、はね飛ばされる者が多数出て、徳蔵寺側は這々の体で逃げて行き、正福寺は難を逃れたという。

この時に転がった巨石がこの大黒石と呼ばれる岩である。名前の由来は、この岩は元々2つの巨石が並んでおり、1つは大黒様の姿に良く似ており、もう1つは大黒様がかつぐ大きな袋に似ていたため、そう呼ばれていたと言われる。転がり落ちたのはその“袋”の方であり、そして不思議なことに、もう一方の巨石はこの騒動の最中どこかに消えてしまったという。

この巨石は大きさが縦横が約5メートルほど、高さが約3メートルという大きさである。現在では“大黒”の名前が付いているためか、御利益をもたらすものとしての伝承されており、“へそ”と呼ばれるくぼみに続けて3回石を投げ入れて一度でも成功すると願いが叶うと言われている。

日本伝承大艦より引用

2023年05月01日 まりん兵部少輔
笠間城



友部駅から、かさま周遊バスに乗って日動美術館で降りると・かさま歴史交流館「井筒屋」名城スタンプと御城印が入手出来ます。そこで地図とルートを教えて貰ったので良かったです。天守曲輪の所は神社の手前で、まだ通行止めになっていました。

2023年04月16日 カズ
笠間城

電車で訪れる方には、レンタサイクルをおすすめします。電動アシスト自転車なので、千人溜まり駐車場までも、まぁまぁ楽に行けると思います。天守台にはまだ立ち入り禁止でした。

2022年11月17日 三上駿河守
笠間城



笠間駅を北に1.6km行くとかさま歴史交流館井筒屋さんに着きますが、そこは続百名城スタンプ設置場所であり、ご城印も販売しています。小さいですがカフェも併設されておりますので、坂を登るので、城跡に行く前に休憩するのも良いかもしれません。
また、そこから西へ220m歩くと笠間稲荷神社が参拝でき、逆に東に徒歩20分くらいで城跡に至ります。
城跡は、堀や石垣が残っておりますが、震災の影響も残っていて、天守曲輪跡に佐志能神社が鎮座していますが、立入禁止継続中なので、参拝は自己責任になります。

2022年09月18日 まー刑部卿
笠間城移築城門[笠間城  遺構・復元物]



2018.10.1に訪れていました。GoogleMapにも掲載されていない移築城門。笠間市指定文化財。門の前の道幅は狭く路駐は控えました。

2022年09月18日 まー刑部卿
移築城門[笠間城  遺構・復元物]



2018.10.1に訪れていました。県道61号線脇にある細い道幅のため門の近くに路駐は不可でした。葬儀屋さんの駐車場端に停めさせて頂き徒歩で撮影。すぐそばにあるもう一棟の移築城門も併せて訪れました。石碑があるのでわかりやすいと思います。

2022年08月12日 ほいほいふ右京大夫
笠間城



天守閣の場所は、相変わらず立入禁止の看板が立ってます。

2022年07月01日 壱岐守kangcheng
笠間城



草刈りをした当日だったので見学しやすかったです。この時期藪蚊が多いので、刺されやすい方は虫除けスプレー必須です。

2022年06月03日 昌幸近江守更に吉
荻原長者屋敷[笠間城  周辺城郭]



城里(しろさと)町にある荻原長者屋敷。比高40mの台地上に築かれ、三方を沼湿地(現在は水田)に囲まれています。尾根続きの東側は堀で切っています。単郭構造で、砦と考える方が合っているかも知れません。東・北・西の3ヶ所に虎口が設けられ、その周辺は横矢が掛けられるようになっていて、防御面もしっかり考えられていることが分かります。なお西側の虎口が大手口とされます。

城の歴史は先人の口コミをご覧になってください。

城郭は徳蔵緑地広場となり、駐車場もあります。堀好きなめぐらー必見、折まくる常陸の城を是非周回してみてください。

【写真の説明】
①北西側の堀。
②南西側の堀。
③南側の堀。
④北東側の堀。
⑤大手口の横矢。
⑥大手口の横矢もう一枚。
⑦大手の横矢には明瞭な土塁が残る。
⑧尾根を遮断する堀切。

2022年04月04日 もっちん上総介
笠間城

現在笠間城では、北西の遺構周辺の薮が刈り取られ、中世笠間城の立派な遺構が確認出来易くなっています。興味のある方お薦めです。5月初旬位までは、草に覆われないと思われます。

あと、一周40分ほどの周回道路、観光化時代の負の遺産に見えるかもですが、色々発見があると思います。時間に余裕のある方お薦めです。天守曲輪の佐志能神社周辺は、まだ立入禁止です。

2022年02月07日 中務大輔たろさ
笠間城



初めて訪れた時には林道を車で上がり、天守の北側にある千人溜近くにある駐車場に車を停め、笠間城跡を見て回りました。今回は、笠間の街並みを探索してから佐白山麓公園に車を停めて山道を20分ほど歩いて天守に辿り着きました。スタート地点を変えて城を見て回ると新たな発見があり、さらに笠間城が好きになりました。

2022年01月09日 拓之助中務少輔
佐志能神社[笠間城  寺社・史跡]



笠間城天守曲輪に位置する佐志能神社は笠間城天守を解体・再利用されたといわれている。社殿の側面には窓が作られており、その窓枠に格子の跡を見ることができる。
また、社殿裏側の瓦塀の瓦には天守当時の瓦が使われていると言われる。しかし、丸軒瓦が見つからず平瓦ばかりであり当時のものかは素人目ではわからなかった。
瓦の裏側には布目があったり、漆喰?もしくはコンクリがついていたりとしている。
石垣は東日本大震災で崩れ、そのまま直されないまま現在にいたる。花崗岩と思われ、
岩と石垣が一体になっている。その岩には謎の四角い穴があいていた。
天守台は社殿のある場所とその下に郭がある。
ただ、社殿は天守を利用したものと認定してよいだろう。


・フォトギャラリー・
社殿裏側の瓦塀
謎の穴があく岩
佐志能神社
格子がある窓枠
天守台

2021年11月24日 でぶと上総介
笠間城

旧井筒屋さんのパンフレットは神です。非常にわかりやすい。是非寄りましょう。

2021年05月05日 織田上総介晃司
笠間城

城跡に一番近い千人溜駐車場に停めました。

登城口に縄張図があり現存石垣に赤印をしてあるので見落としなくすべての石垣を見ることができました。

笠間市は笠間焼(お好み焼きじゃない)の陶器の町でGWには陶器市祭が行われてました。

同じくGWに笠間城そばの笠間つつじ公園で笠間つつじまつりが行われていて期間中は一方通行でした。

そのため誘導されるまま進み、大黒石前の誘導員に聞くと「このまま進むと笠間城に行けます。」との事で千人溜駐車場前の誘導員に聞くと「えっお城?何処にあるの?」みたいな態度でした…
あまり城に興味のない方には城=天守であって笠間城のような石垣だけの山城だと城としての認識がないんだなぁ…って感じました

2021年03月28日 Taka弾正尹Ponchi
笠間城



桜が満開でした。天守台の石垣はかなり傷んでいました。

2021年03月21日 武蔵守与作兵衛
笠間城



車で城攻めする方は、続日本100名城のスタンプのある「かさま歴史交流館 井筒屋」に先に立ち寄ることをお勧めします。分かりやすい 井筒屋〜千人溜駐車場〜本丸 への案内パネル(写真)があります。この案内パネルにも近道として紹介されていますが、整備された歩道の右側に往時の登城ルートの石階段があるので、ここから本丸に行くと更に気分が盛り上がります。

2021年02月15日 ターちゃん山木登サル
笠間城

山の上にでっけー岩がゴロゴロあり何処からどうやって持って来たのか想像すると昔の人の努力に感激しました

2021年01月11日 国府左京大夫城介
笠間城



的場丸(駐車場)にある笠間城の縄張り図(令和2年11月設置)です。

現存石垣を赤で記しているので、これを見ながらならば見落としはない筈です。従って、笠間城のリア攻めは、的場丸からスタートすることを推奨します。

なお、この図の9番(正福寺跡東側の遺構)は、私有地のため、立入禁止となっています。

2020年08月16日 篠沼大膳大夫義久
笠間城



井筒屋さんで縄張り図と登城路を聞いて攻城。車道の方からが本来の登城路らしくそちらから。帰りはハイキングコースで最短コース。まだまだ未調査な箇所があると感じます。天守台にある神社は、元あった櫓を利用したものだとか。
城下の真浄寺さんには、八幡曲輪にあった櫓が移築されてます。住職ご夫婦はご親切。
是非訪れたいのは坂尾の土塁。食い違い虎口。北東口からの虎口遺構。実際見ると、枡形だった気もします。
ちょい離れてますが、りょうごん寺手前に、笠間城築城?の笠間時朝以外一族墓が。

2020年08月15日 大宰大弐ちぃスケ
笠間城

駐車場からの案内板がもう少し充実していれば登りやすいかも。

2020年05月17日 幡随院武蔵守短兵衛
笠間城

石倉側から天守曲輪に。
鎖を伝って岩登り。攻城気分を味わえます。
下るのは至難の技なので、登ってください。

2019年05月25日 慈路安房守
移築城門[笠間城  遺構・復元物]



移築されて、住居の門となってます。

2019年05月25日 慈路安房守
移築八幡台櫓[笠間城  遺構・復元物]



移築されて、真浄寺にあります。

2019年05月12日 Midori琉球守
笠間城

東日本大震災まで旅館として営業していたという井筒屋さん。その後、市?が管理し歴史交流館となったそうですが、旅館当時の神棚・金庫・井形の囲炉裏等も展示されていました。1・2階が展示室で3階が会議室。2階には笠間城の縄張り図・ジオラマ・歴代城主一覧などもありました。

城めぐ基本情報にはスタンプ押印可能時間が「9時〜18時」と記載されていますが、実際は交流館が閉館する22時まで押すことができるそうです。

建物に向かって右30mほどの場所に、十数台停められる交流館の駐車場がありました。休館日(月曜)のスタンプ設置場所・時間は先人様の口コミのとおりですので、ご注意を。

2019年04月23日 右京大夫touch!
かさま歴史交流館 井筒屋[笠間城  スタンプ]



100名城スタンプはここです

2018年12月31日 ねこいんこ侍従
笠間城

大石さん家跡隣の駐車場にトイレがあります。駐車場の階段登り、時楼側から登りました。
途中の分かれ道を左へ、道なりで千人溜まり跡に到着。
千人溜まり跡から本丸までは階段でショートカットできます。本丸からの眺望は木が生い茂っているので期待できません。
天主跡の石垣は見事ですが、神社への階段は幅が狭くて急で落ち葉も積もっているで、カッコ悪くても手をつきながら登り降りした方がいいです。濡れていたらとても危険。
近くに日本三大稲荷の笠間稲荷神社があります。御本殿裏の彫刻が見事でした。御朱印帳を持ってないので、作りおきを頂きましたが、全て印刷ではなく手書きとのことでした。

2018年10月30日 わらさ大宰大弐
笠間城

10/29(月)登城。千人溜まり跡の駐車場は現在も使用不可のようで通行止めに。続100名城のスタンプは井筒屋が休館の月曜日のみ笠間支所の地域課にて17:15まで押せるとのことで無事ゲット。

2018年10月02日 まー刑部卿
笠間城

10/1(月)に登城。かさま歴史交流館 井筒屋駐車場(井筒屋のあるT字路左手30m先)に停めましたが休館日でしたが工事のため職員の方いらっしゃってスタンプ押印。試し押しせずにし上下逆に。そこから徒歩で城跡へ。大石内蔵助像が下屋敷側から大石邸前に移動。千人溜まり跡の駐車場、倒木のため立入禁止(手前に3台ほど駐車可)でしたが既に伐採片付済。本丸跡、除草されておらず荒れ放題。天主石垣にブルーシート覆われていました。佐志能神社まで立入可。周りは一部不可。交流館職員は真浄寺の移築櫓は知ってましたが移築門二棟、坂尾の土塁は知らず。

2018年08月07日 鷹樹副将軍慶隆
笠間城

2018/08/05 千人溜まり駐車場が倒木の為立入禁止に成ってました。車で登城される方はご注意を!

2018年05月28日 あざらし肥前守
笠間城

クルマがオススメ
公共交通:一例
笠間駅からかさま周遊バスで「日動美術館」下車徒歩20分。
自分は駅横の観光案内所で自転車をレンタル(普通300円・電動500円身分証提示不要)しましたが、中腹のパーキングまでの途中約12~14分登り坂があるので、押すのがイヤであればオススメしません。
バス停からスグに史跡「大石邸址」があり、大石内蔵助の像があります。内蔵助の曾祖父が住まれていたとのこと、笠間藩五代藩主浅野長重は浅野内匠頭の曾祖父。
途中、大黒石というとても大きな石があり、近くでヘビに足元を横切られたが、通過だけで危害は加えてこず。
パーキングからは山道で2つはルートがありますが、案内標示が無くわかりにくい、右側の階段が早く着くのでは、途中トンネルのあるルートを行ってしまえば本丸まで遠回り。
石垣の一部右上が備中松山城で見るような自然と人工の調和のように見え、個人的にはそこが気に入っています。
すぐ近くの笠間稲荷神社は日本三大稲荷で格式高くたいへん立派な建物、参道には名物のいなり寿司や饅頭が販売されていますので、ぜひ合わせてご参拝しておきたいところです!(料金は投稿時)

2017年05月13日 鬼義重常陸介いわちん
笠間城

山城で続100名城に選ばれる(笠間藩)

車かバイクでの攻めが正攻法で駐車場も広い。他の手段は笠間駅、電車攻めは時間が必要ですよ。

登場口は何ヵ所かありますが、基本駐車場からちょっと登ると、大手門跡石碑があるのでそこから順番に攻め登ってもらえればいいと思います。(トイレは済ませてから)

登る途中に空堀、石垣、階段、八幡櫓跡など見ながら、天守跡まで登り天守台付近は立ち入り禁止になっています。じっくりと見て90分くらいですかね。

GW時期に攻めましたが、すぐ隣で笠間つつじ祭、芸術森公園で陶器市笠間焼(陶火祭)もやっていて混雑していました。

城跡、花、陶器を楽しみたい方は5月、秋の紅葉は10月後半くらいか?混雑が嫌な方は冬ごろがよいかと!

2017年05月06日 まさ宮内卿猛虎
笠間城

続100名城に選定されたのですね。

GWの花祭り《笠間城隣の山でつつじ祭り》と共に笠間城リア攻め、千人溜まり《戦前に武将が時の声を挙げたのかも?》に車を駐車。二の丸迄舗装路で整備。トイレは躑躅公園と共用の仮説トイレのみ。

天守跡を目指すには、石の階段を登る。関東には珍しく石垣の上に天守。此処で月を眺めたら、本当の荒城の月が見られます。照明が無いから、補助電源が必要かな?空積みの目地には、古木の切り株・根が残存。荒れた城跡を見て、鎌倉~江戸期の栄枯盛衰が偲ばれます。

2016年06月19日 カーネル
笠間城

水戸線笠間駅から佐白山公園を経て山を登る。山を登るといくつか林道を横切ります。駅から、40分で二ノ丸到着。

『司馬遼太郎と城を歩く』のオープニング時に映る階段は、ここの天守台への階段です。共感する人もたくさんいると思います、あのナレーションを反芻しながら登ると最高です。

関東では珍しく石垣が見事です。二ノ丸で地元のおじさんと話しこんだこともあり、駅には2時間後に戻りました。歩き計画されている方の時間目安になれば幸いです。

2015年04月14日 征夷大将軍ひとりもん
笠間城

天守曲輪に入れるようになったようで、佐志能神社の下まで行けました。岩倉側からは上がれましたが、自己責任でしょうかね⁈

2015年02月24日 コロ助
笠間城

笠間駅から徒歩40分で到着。(山城なので、自転車で坂を登る自信がなく利用しませんでしたが、駅前の観光案内所にレンタサイクルもあります。)

震災で天守台石垣が崩落した事は知っていましたが、天守台近くまで行けるのかと勝手に勘違いをしていました。天守曲輪が完全に立入禁止になっています。修復完了は、まだいつになるか分からないとのこと。

大手門跡と本丸下にも少し石垣があります。土塁や空堀もあるので、天守曲輪に入れなくても楽しめました。

2013年04月29日 ばしこん
笠間城

城跡迄は車で余裕で行けます。駐車場もトイレも完備しています。自販機もあるので渇いた喉を潤すにはちょうど良いですね。

桜や紅葉がありますがこちらを訪れるベストシーズンはやはりGW時期は相応しいでしょう!時間多めに取ってランチでも用意して隣のつつじの山も目指しましょう!天気良ければ清々しさ倍増です。

2011年09月25日 サムライ陸中守はる
笠間城

約1年振りに訪れてみました。先週の台風15号の被害が心配されましたが、本丸周辺の樹木の倒木が若干見受けられる位でした。今年3月の震災又はその後の余震の影響かと思われますが天守台下の石垣が崩れていて天守台には上っていけない状況です。

2010年10月25日 サムライ陸中守はる
笠間城

城跡は山城なので本丸から天主台跡にかけて少々、足場が悪いです。落葉が歩道に積もりかけの時期で、雨上がりの夕方だったのでちょっと不気味な感じがしました

笠間城の周辺スポット情報

 移築八幡台櫓(遺構・復元物)

 移築城門(遺構・復元物)

 石垣(遺構・復元物)

 大手門跡(遺構・復元物)

 天守曲輪入口の石段(遺構・復元物)

 笠間城移築城門(遺構・復元物)

 坂尾の土塁(遺構・復元物)

 大石内蔵助 像(碑・説明板)

 笠間城天主跡(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 八幡台櫓跡(碑・説明板)

 荻原長者屋敷(周辺城郭)

 岡の宿館(周辺城郭)

 佐志能神社(寺社・史跡)

 かさま歴史交流館 井筒屋(御城印)

 かさま歴史交流館 井筒屋(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 千人溜駐車場(駐車場)

 大黒石(その他)

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