長者山城(ちょうじゃやまじょう)
長者山城の基本情報
通称・別名
- 長者屋敷
所在地
- 茨城県水戸市渡里町
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 常葉義政
築城年
- 承暦4年(1080)
主な改修者
- -
主な城主
- 常葉義政(一盛〈一守〉長者)、春秋氏(江戸氏家臣)
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑(一盛長者伝説地)
周辺の城
-
見川城(茨城県水戸市)[5.0km]
河和田城(茨城県水戸市)[5.2km]
那珂西城(茨城県東茨城郡)[5.6km]
加倉井館(茨城県水戸市)[5.6km]
水戸城(茨城県水戸市)[6.2km]
武熊城(茨城県水戸市)[7.1km]
吉田城(茨城県水戸市)[7.9km]
武田氏館(茨城県ひたちなか市)[8.2km]
南酒出城(茨城県那珂市)[9.3km]
瓜連城(茨城県那珂市)[10.4km]
長者山城の口コミ情報
2024年08月25日 長森原
長者山城
◯一盛長者伝説
一盛長者伝説の碑(写真1)が立つ長者山城の地は、かつて古代東海道が那珂川を渡河していた地であり、中世以前からの交通の要衝でした。
一盛長者伝説の概要とは「後三年の役の際、軍勢を率いて奥州に向かった義家は一盛長者の家に泊まり豪勢なもてなしを受けた。奥州平定の帰路、再び長者から前に劣らぬ接待を受けた義家はこのような富豪は後日の災いになると考え長者を襲って焼討ちし滅ぼした」というものです。
実は「源義家が接待してくれた長者を焼討ちして皆殺しにした」という同内容の伝説は、つくば市金田(金田長者)、笠間市安居(持丸長者)、水戸市鯉淵町(蔵田長者)、ひたちなか市勝倉(勝倉大平長者)、常陸太田市(万石長者)など各地に残されています。
いくらなんでも源義家、行く先々で長者を焼討ちし過ぎだろうと思うのですが、これらの伝説地の多くには実は共通点があり、それはかつての古代官道沿いの駅や役所、米倉が存在した場所である事、そしてその遺跡から炭化米が出土する事です。
長者山城のある渡里町には古東海道の河内駅が置かれており(写真2)(写真3)、常陸国那珂郡の台渡里官衙という郡役所や寺院、米倉(正倉)なども立ち並んでいた場所でもありました。
長者山城の城域は古代に米倉(正倉)が立ち並んでいた場所と重複しており、やはり大量の炭化米が出土しています。焼き米が土中から出てくる→かつてここに住んでた長者が焼討ちされたのか?という連想と、後三年の役の際の義家軍の各地での物資調達(要するに掠奪)の記憶が合わさって生まれた伝説かも知れません。
写真4、5は台渡里廃寺跡に散乱していた古代の布目瓦の破片。
遺跡からは様々な遺物が出土しています。(写真6)
2024年08月25日 長森原
長者山城
◯長者山城と田谷白石台城
長者山城が築かれたここ渡里の地では、那珂川を境として江戸氏と佐竹氏が対峙しており、かつて長者山城(写真1)の在った台地からは、那珂川対岸の台地上にあった佐竹氏家臣白石氏の居城・田谷白石台城(写真2・中央鉄塔奥の台地上)が視認可能でした。
中世期には江戸氏と佐竹氏は抗争が多く、両城は那珂川渡河点を挟んで境目の城として緊張状態にあったと思われます。
長者山城と田谷白石台城の縄張図と解説は以下のサイトで見る事ができます。
◯「広報みと」水戸の城散歩・長者山城〜境目の城
https://www.city.mito.lg.jp/uploaded/attachment/39619.pdf
◯「広報みと」水戸の城散歩・田谷白石台城〜成長する城
https://www.city.mito.lg.jp/page/68195.html
2021年11月21日 大膳大夫しろし
長者山城
本丸にはお館様がお住まいです。鳥居は、間違いです。『車城の鳥居』
2016年03月29日 蓬左の武将尾張守⚡️晋作
長者山城
石碑側面に刻まれている説明や伝説を調べる限り、後三年の役に向かう源義家がこの地に立ち寄り、一盛長者なる主人より歓待を受けた。
後三年の役終結後、帰洛途上の義家が再び立ち寄ったところ、前にも増した饗応を受けた。
これによって、義家は長者の財力を危険視して滅亡させた、とのことです。
ただ、こんにちのイメージにある財力のある人という単純なものではなく、おそらく平安時代の長者というのは財力・土地一円の支配力・軍事力を兼ね備えた存在ではないか?と考えます。
奇しくも、源氏には長者伝説が付きまといます。平治の乱で美濃大垣まで落ち延びた源義朝・朝長父子を匿った青墓長者、義朝の子で奥州を目指す若き義経が三河矢作の兼高長者に世話になり、浄瑠璃姫と恋仲になる、などの話です。
後三年の役で藤原清衡に味方したものの得る物がなく、おそらく京に戻っても朝廷からは褒められないだろう、という鬱屈した義家の気持ちも働き、目の前の有力者が目障りだったのかもしれません。
2011年12月11日 傾奇揚げ仙兵衛
長者山城
近くの茨城大学から国道に出た所に「ことぶきや」がある
2010年06月08日 半日皇帝下野守
長者山城
城跡入口にある石碑の
一盛長者伝説
は必読です(`・ω・´)o
ちなみに、駐車場は無いので、付近に路駐、になります(;^_^A
長者山城の周辺スポット情報
土塁と堀(遺構・復元物)
台渡里官衙遺跡群(碑・説明板)
国田の渡し・石碑(碑・説明板)
石碑(碑・説明板)
田谷白石台城・説明板(碑・説明板)