見川城(みかわじょう)
見川城の基本情報
通称・別名
- 箕川城
所在地
- 茨城県水戸市見川3
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 見川長幹
築城年
- 11世紀
主な改修者
- 春秋幹光
主な城主
- 見川氏、春秋氏、佐竹氏
廃城年
- 慶長7年(1602)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、虎口
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑
周辺の城
-
河和田城(茨城県水戸市)[2.7km]
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見川城の解説文
[引用元:Wikipedia「見川城」の項目]
見川城(みがわじょう)は、茨城県水戸市見川にあった日本の城。
概要
鎌倉時代初期、水戸城を築城した馬場資朝の四男長幹により築かれた。後に河和田城城主春秋氏の一族が拠り、水戸城の支城として維持された。
小田原征伐後、江戸氏が佐竹氏に滅ぼされた後も、水戸城の支城として引き続き使用されたものと考えられている。
構造
桜川低地に面する台地端に占地し、東南端に一郭、一郭の西に二郭三郭が南北に配されている。現在この三郭のみが残るが、周囲には外城、深柵、表坪等の、城郭由来と考えられる地名が残っており、城域は更に外側に拡がっていたものと考えられている。
一郭には東を除く三方に折れを伴う土塁が巡り、特に西端の土塁は高く築かれている。また、四方を深い空堀が囲み、西北に枡形を伴う虎口が開く。二郭および三郭には低い土塁が巡り、三郭西方に開く虎口前面には空堀が、虎口南方の土塁は櫓台状になっている。台地端には一郭と二郭を取り囲む横堀が設けられ、一郭周辺では前述の空堀と合わせて二重堀となっている。
遺構
遊歩道により空堀の一部が破壊されているが、一郭から三郭までの土塁および空堀が良く残る。
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見川城の口コミ情報
2024年08月25日 長森原
見川城
中世の関東には交通の大動脈となる3本の主幹道路がありました。
鎌倉街道上ノ道、中ノ道、下ノ道がそれです(写真1)。常陸国を通過していたのは鎌倉街道下ノ道で、鎌倉から松戸→土浦→石岡(府中)→小幡→水戸を通って勿来の関を抜けて陸奥に通じていました。
以前から水戸市内では鎌倉街道下ノ道本道がどの辺を通過していたのかを知りたかったのですが、今年の水戸市立博物館の「江戸氏展」で鎌倉街道下ノ道が見川城本郭の西約30mの地点を南北に通過していた事を知る事ができました。
見川城は本郭西面の屈曲した巨大な土塁と深い空堀&南面の二重空堀が印象的な城ですが、たしかに城のすぐ西を関東の代表的な主幹道路の1つ、鎌倉街道下ノ道が通っていたなら、あの強固な防衛意識を示す縄張も納得です。
見川城は15世紀後半には江戸氏の家臣・春秋氏の居城だったと伝わりますが、眼下を流れる桜川の水運と共に、石岡(府中)から小幡を経由して水戸に通じる鎌倉街道下ノ道を扼する大変重要な役割を持っていた城と思います。
見川城の縄張図や解説は以下のサイトで閲覧可能です
◯「広報みと」見川城〜防御特化型の城
https://www.city.mito.lg.jp/page/68195.html
2023年07月10日 マグロ常陸介祐平
見川城
先人様の口コミに従い、桜川駐車場に車を停め、城址橋を渡り、遊歩道を登り、土塁と空堀が確認出来る地点から切岸をよじ登ると深さのある空堀に囲まれた広さのある曲輪が現れます。植林された杉林となっていて雑草は少ないですが、空堀内は倒木が多く深い堀と解る写真は撮ることが出来ません(腕のせい)。
思った以上に遺構が残っていて、手軽に探検感覚も味わえるお城でした。
2022年03月19日 大膳大夫しろし
見川城
碑が立っている所から階段を降りて少し行ったところの右側の斜面をじっくり見ていると城好きなら見えるかすかな道が見えて来ます。そこから直登すると本丸エリアに登れます。
2017年07月25日
見川城
檄ヤブの一言。
整備されれば、素晴らしい城跡なのに。
2016年12月24日 征夷大将軍ひとりもん
見川城
桜川駐車場(トイレ有)に車を置き、好文橋を登り渡った所に城趾碑がありました。
そこにある小さな舗装路に入り、少し行くと道路脇に浅い空堀が見え始めテンションが上がり始めます。
荒人神社の脇から森に突入すると、程よい深さの空堀が現れます!
あとは愉しい堀底と土塁歩き。奥入るほど藪ってますが、いまの季節なら何とかなりました。ただし郭内はどうにもならなそうです。
東側の二重となっている堀は北へ降っていきます。森から出た場所は城趾橋の少し南側でした。桜川駐車場はすぐそこです。
2015年05月31日 武蔵守道灌?!
見川城
偕楽園桜川駐車場に車を止めて、城跡橋の先が見川城跡のようですが…烏がかなり多く、やたらと追い回された為リア攻め断念!?(((^^;)石碑のみ♪(笑)