小幡城(おばたじょう)
小幡城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 茨城県東茨城郡茨城町小幡
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 小幡氏
築城年
- 応永24年(1417)
主な改修者
- -
主な城主
- 小幡氏、大掾義幹
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)、櫓台、腰曲輪、井戸
指定文化財
- 町史跡
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
飯沼城(茨城県東茨城郡)[3.4km]
湯崎住吉城(茨城県笠間市)[8.6km]
河和田城(茨城県水戸市)[11.5km]
松川陣屋(茨城県東茨城郡)[11.8km]
見川城(茨城県水戸市)[11.9km]
吉田城(茨城県水戸市)[12.7km]
宍戸城(茨城県笠間市)[13.5km]
武熊城(茨城県水戸市)[13.7km]
徳宿城(茨城県鉾田市)[13.7km]
水戸城(茨城県水戸市)[13.8km]
小幡城の解説文
小幡城の口コミ情報
2024年10月01日 シゲコバ弾正少弼
小幡城
この季節はまだ虫が元気なので長袖・長ズボンは必須です。
2024年08月24日 長森原
小幡城外郭南堀[小幡城 遺構・復元物]
写真1は小幡城山崎外郭の空堀内部。
水戸駅行きの秋葉バス停への通り道にあったので、山崎外郭の空堀にも寄ってみました。
山崎外郭のこの空堀は、地形アプリのカシミール3Dのデータだと台地の東縁に沿って南方向に掘られた後、200mくらいの所で西に転じて堀切となり台地の切り離しをしているように見えます。
(堀切の真ん中辺りに道路や耕作地の造成による改変有り)
写真2は山崎外郭のある台地(写真左)を東から撮ったもの。
右奥の小幡城からここ山崎外郭まで道が続いていますが、この道は小幡から古宿、山崎を経由して那珂湊に至る街道でした。
永禄年間には、江戸氏の役所を通さず山崎を抜けて宍戸(笠間市)へ運ばれようとした塩荷物を小幡城番衆が差押えたところ、それに反発した宍戸氏家臣中田清右衛門が小幡まで塩荷物を奪い返しに来たという事件が起きています。(永禄四年三月二日江戸忠通書状写)
2024年08月24日 長森原
旧水戸街道・分岐点道標[小幡城 寺社・史跡]
旧水戸街道と小幡城大手門へ向かう道の分岐点には、石碑や二十三夜塔などが立ち並んでいますが、1番左にある聖徳大神碑は道標も兼ねていて、「右 磯濱五里 湊六里」「左 下市三里 勿来二十二里 長岡一里二十一丁」と刻まれています。
右「磯濱」は現・大洗町の事で、「湊」は現・ひたちなか市にあった那珂湊。
左「下市」は水戸下町エリア、「勿来」は陸前濱街道の勿来関を示します。
写真3の左側の道が水戸と江戸を結んだ旧水戸街道、右へ分岐するのが小幡城とその先の那珂湊へ通じた古道。江戸時代に整備される以前にも、水戸街道の原型となった街道(鎌倉街道下ノ道)が小幡の地を南北に通過しており、北は水戸を経由して奥州に向かっていました。
2024年04月21日 ハニワ右大臣
小幡城
空堀等の遺構がしっかり残り、その高低差は圧巻です。雑木林の中にありますが、内部は綺麗に整備されています。
2024年04月09日 マグロ常陸介祐平
石崎城[小幡城 周辺城郭]
宮ヶ崎城の涸沼を挟んだ対岸の景勝地である、親沢鼻の台地の先端に位置したお城です。茨城百景涸沼の石碑(写真1枚目)の真上が城址となります。常陸平氏の一族の石崎禅師聖道の城と伝わり、戦国期に宮ヶ崎城と共に涸沼の水運を監視するために、江戸氏により改修されたと考えられているようです。
県道長岡大洗から虎口に向かう階段があったようですが、見つからず、車道を上り廃墟の旅館手前の空き地から攻略しました。
深さのある堀切がすぐに現れ、3m程の深さの堀底に滑りおり、薮と倒木をかき分けながら、4~5m程のほぼ垂直な壁を枝を掴みながらよじ登ると土塁の上に出られます。土塁の中央部はやや幅があり左右に折れが見られます。そこには城の標柱と思いきや三角点(写真3枚目)が立っていました。
土塁は幅はないものの高さがあります。郭内はこの時期でも薮が酷く(写真7枚目)降りるのは断念しました。
小さなお城ではありますが、周囲は断崖で、甲冑を付けてこの堀切を超えて攻め入るのは至難の技だと思います。
地権者との関係もあるとは思いますが、町営駐車場の目の前にあり、遺構の状態も良好なのに、案内板もないのはもったいなく感じます。
2023年11月19日 すけ
小幡城
関東屈指の縄張りの良さ!迷路のような堀底道がすごいです。見学ルート以外は未整備で立ち入りは困難。大手があったと言われる七曲輪方面まで行きましたが、特に何もありませんでした。
2023年03月12日 副将軍ナンバー【7】雁瓶割
小幡城
聞きしに勝る素晴らしい土の城…花粉症での甚大な被害も受け入れて後悔なし!
2023年02月01日 RED副将軍
小幡城
全国屈指の大規模な空堀が巡る名城🏯凄まじい土木量に圧倒されます。
オススメ度 ★★★★★
1417年に大掾義幹により築城された説と、鎌倉時代に小田光重により築城されたとする二説がありますが、いずれも確証はありません。室町時代には大橡氏の支配となり、従属していた小幡義清が城主でしたが、対立していた大掾氏と江戸氏の境目に位置していたことにより、1532年に常陸南部へと勢力拡大を目指す江戸通泰が侵攻。大掾春信も暗殺され、小幡城も落城し江戸氏の所領となりました。江戸氏の所領最南端の前線基地となり大規模な改修がなされた様です。
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐において江戸氏は参陣せず、いち早く豊臣秀吉に通じて所領を安堵された佐竹氏により江戸氏は滅ぼされました。その後、小幡城は佐竹氏の管理となりましたが、秋田に転封となった際に廃城となった様です。
見所
涸沼から伸びる低湿地に面した舌状台地先端部に築かれた平山城。主要な郭が7つあり、主郭の周囲を郭群が囲む輪郭式です。各郭は深い空堀で隔てられ迷路の様な堀底道で繋がりますが、至るところに横矢がかけられキルゾーンが配されています。
主郭の北西にある変形武者走りといった仕掛けもあり、山が無い常陸特有の掘って掘りまくっただけでなく、考え尽くされた技巧的な縄張りでもあります。
2022年11月05日 長けた 右兵衛督 進言
小幡城
既に攻略済みでしたがリア攻めしてきました。登城開始直後、あまりの土木規模に圧倒されまくりです。この規模なら石垣は不要と思えるほどです。重機も無い当時に、これほどの事業を手道具だけでやりきっていると思うと感動すらおぼえます。
看板等が設置され、手入れされており藪こぎの必要もなく見学しやすい城跡です。歩き回り過ぎて迷子にならないようご注意を。
2022年05月02日 理系大学允
小幡城
我は円卓の小幡の城主なり「この城見ずに他の城語らざる」と言われるほどです。小幡城は茨城県いや関東いや東日本でも有数な土造りの中世の城です。実際に行くと分かりますが高い土塁が圧巻です。
歴史が謎なのでロマンスがあります。東関東道のせいで城内をぶっ通した悔しかったです。笠間城も攻略してますがこちらは草が少なく歩きやすいです。
2022年04月03日 戸沢夜叉九郎正樹
小幡城
JR石岡駅より関東バス水戸駅行きに乗り約30分バス停新小幡で下車ですが、土日は1日に2便しかないのでご注意下さい。(朝8時40分と夕方のみ!)バス停から徒歩約20分で城跡に到着します。噂では聞いておりましたが、あまりにも見事な空堀と土塁に圧倒されます。堀底道に沿って進むのですが、どこを歩いているのか分からず、只只感動しっぱなしです!
帰りはバスが無いのでタクシーを使い、JR岩間駅まで約20分ぐらいで、料金は約4500円かかりました。
2021年10月11日 千葉相模守早雲【権六】
小幡城
二郭と七郭の間が登城口。ここから土の迷宮が始まります。
六郭周りの堀底道は整備されておらず、通行止め。二郭側の堀底道へと進みます。行き止まりに見えますが、クランクになっています。
本丸切岸にぶつかると左右に道が分かれます。右は五郭、左は三郭へ続く。ここまでは郭や土塁に上がれる所は有りませんが、五郭手前で土塁上に上がれます。ここの土塁は幅広で弓なり状に変形武者走りが設けられ堀底道へ降りて、敵方を直接攻撃出来る様になっています。
堀底道を先に進むと五郭から四郭へ延びる土橋にぶつかります。土橋に沿って左へ折れると本丸入口。本丸を囲む土塁は十分に高く、堀底道の深さが一層感じられます。この堀底道は自然に城外へと向かうように設計されているのだとか。是非土の迷路を味わってください😁
2021年07月19日 十時下総守半睡
小幡城
評判通りの城址!良く整備された堀底を迷路の様に巡回。楽しめました。ただ、梅雨明けの真夏日に行ったので周りが土塀で囲まれて無風、暑さ対策必要です。あと防虫スプレーも。
2020年10月19日 兵部卿藤重真
小幡城
土の迷路です。今度は晴れた日に行きたいです。
2020年08月23日 さあさ上総介甲相駿三国同盟
小幡城
絶句です。こんなすごい城があるとは。
2020年05月30日 みかも内匠助48世
小幡城
本日初めて伺いました。皆さまの言う通り素晴らしい城跡です。私はこの5月から城跡巡りを始めたばかりで全くの初心者素人なのですが遺構がしっかり残っていて立札もあちこちにありとても勉強になりました。茨城県限定で済みませんが潮来の島崎城跡で馬出しや枡形を見て小坂城跡と小幡城跡で山城の構造など勉強材料にすると後の古城訪問が楽しくなると思いました。因みにこの時期は虫いっぱい(笑)。
2019年08月28日 源山城守@ポンコ2…
小幡城
小幡城は、以前から口コミやネットなどで絶賛されてましたが、評判に違わず素晴らしかったです。
入口の案内看板は比較的新しく、草など刈られており革靴でも苦になりませんでした。
倒木で入れないとこはロープがはられており、また棒状の道先案内があるので、入ったら出れなくなることはありません。
地元の方が丁寧に整備され、保全に努められているのを感じられました。
堀底道を歩くのが中心になりますが、左に行ったり右に行ったりと、自分が今どこにいるかわからなくなる迷宮のようです。
また高さ10㍍近くの土塁が、堀底にいる者を威圧するように双璧となり、横矢掛りが要所要所で入り込み、幅も広いところが狭くなったりと、構造だけでなく心理的にも圧迫感がありました。
郭は一部土橋でつながるとこを除き独立していますが、上がれるのは本郭など一部でした。本郭は土塁で囲まれ、郭と郭の間にある変形武者走りなどあります。土橋があったのは、四ノ郭と五ノ郭の間くらいでした。
国史跡や続100名城などになってないですが、遺構が荒れない程度の人入りくらいで、このまま残って欲しいお城でした。
2019年05月31日 くらやみ志摩守☘️
小幡城
本郭北東の角。上部は土塁で積み上がっていて、この鋭角さと相まって完全に見下げてる感がハンパない。
噂に違わぬ迫力の‘土’の平城。
2019年05月28日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
小幡城
変形武者走り側より(左)主郭(右)五の郭☆決して真っ直ぐには進ませない堀底道は深い空堀☆敵兵の視界を遮り上部より集中攻撃☆
2019年05月28日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
小幡城
(右)主郭(左)五の郭☆2つの郭を隔てる巨大な空堀☆大掾氏が築く☆(諸説あり)豊臣秀吉の権力を背景に佐竹義宣が攻め入る☆この時小幡城も落城する☆その後は佐竹義宣の直轄地となる☆
2019年05月28日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
小幡城
主郭部より(中央)土橋により五の郭と接続☆土橋の両翼は深い空堀に守られる☆高い土塁に深い空堀☆人って凄いと思わせられた土木量はピカイチ☆
2019年05月13日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
小幡城
主郭下・(左)空堀(右)五郭へ向かう土橋☆戦を想定した縄張りに感動☆整備もバッチリオススメです♪
2019年05月11日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
小幡城
土塁に囲まれた空堀その2☆折れた先のクランクする空堀☆クランクさせる事で視界を遮り上部から攻撃☆戦国時代の小幡氏の居城☆
2019年05月11日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
小幡城
土塁に囲まれた空堀☆奥の土塁で行き止まり…と思いきや実は折れながら通路となっている☆まるで迷路の様な縄張り☆
2019年04月24日 岩魚守
井戸[小幡城 遺構・復元物]
本丸北隅には井戸跡があります
2019年04月23日 岩魚守
北側駐車場[小幡城 駐車場]
舗装はされていませんが、綺麗に整備され、10台分くらいは駐車出来そうです
2019年04月11日 【籠城中】下野守智ぞう
小幡城
駐車場完備されました!
看板も新しくなり、滑り安い所にウッドチップ撒いたりされており、
前に来た時より整備された感じあります。
近くまで来てきての前にはなかった、小幡城はこちらの立て札もありわかりやすくなりました~。
素晴らしい小幡城に沢山の人が着てほしいです
2019年02月03日 Marky武蔵守
小幡城
深い迷路のような堀切に圧倒され素晴らしいのですが、主郭と見学順路の堀切以外の部分の整備が今一つ。主郭以外の曲輪も見学し易いように整備して欲しいところ。
ちなみに、新小幡バス亭近くのガソリンスタンドにトイレがあり一声掛けて使用させて頂きました。
2018年12月17日 マンボウ
小幡城
霜柱の残る朝に初登城
フカフカの土を踏みしめながら堀底道の迷路を堪能しました
城や新小幡バス停付近にはトイレがないので、ピンチの際は石岡側1つ手前のバス停へまで歩くとファミマや山田うどんなどがあります
2018年09月23日 三男坊.k大学頭
小幡城
922に一年半ぶり2回目登城です
新しか整備された駐車場に気付かず、いつもの入口前の広場に駐車
新しい標柱が2本増えてます
城内の案内板も更新されてます
見学コースは薮なしですが常に湿っていて滑り易いのでそれなりの靴を履きましょう
まだまだ薮蚊が多いので蚊取り線香+携行ケースで凌ぎましょう
クモの巣ヨケの団扇もお忘れなく!
2018年04月30日 Terry左衛門尉
小幡城
樹木に囲まれた丘陵〔郭や本丸跡〕の中を歩きながら動く〔堀底道〕。案内看板は簡素且つ丁寧。中世の城郭の様子をイメージしやすい名所である。ごくごく気軽な散策コースとしても大いに推奨できる。自動車での来訪をお勧めする。整備された駐車場〔ゴツゴツとしていない砂利道〕が10台分ほど用意されている。
2017年04月16日 鬼義重常陸介いわちん
小幡城
土の城跡でここまで凄いとは!
土の城好きには、本当にたまらないですね♪
前々からの、ベテランメグラ~さん達の一筆やクチコミを拝見してまさにその通りでした。
少し離れたところから見ると、ただの森にしか見えませんが、入口付近から何となく迷いそうな雰囲気がありました。
圧倒的な6~10メートルクラスの土塁群からの深い空堀、攻め落とせる気がしません。案内板を見ないと、迷いそうです。
自分の見た、その辺のだいたいの土塁の高さはせいぜい、5~6メートルでしたので。
皆さんの凄いと言うことが、良くわかりました。
国指定にしてもらいたいくらいです。
やはり、車やバイクじゃないと不便だと思います。
2017年03月13日
小幡城
すでに、4回訪れていますが、何回来ても、この城跡には、感動すら覚えます。
2017年02月17日 雑賀
小幡城
必見です!
土塁と空堀の中世城郭がお好きな方には、
一見の価値どころではありません。
関東でもトップクラスではないでしょうか。
堀底道を進みますが各所の分岐、複雑な掘割の歪み、横矢が掛かっているため
先が見通せず迷路のよう。
両脇から迫り来る驚くべき高さの土塁の武者走り 、
迷っていると頭上から瞬殺です、たぶん…いやきっと。
ここで戦うなら、城方が絶対良い。
遠景は変哲のない森にしか見えないけれど、
素晴らしい遺構が眠っている小幡城.足を踏み入れた途端タイムスリップ…
時折の百里基地からの爆音により、現実に引き戻されます。
2016年10月08日 高田山吹守道灌
小幡城
堀底道がスゴイ以前、巨大なことは群馬県の箕輪城とにている。今までみてきた中世城郭としてはスゴイし広大だと思います。このような城跡が、なんと町指定の史跡だなんて。本当に穴場だなぁ。国指定でもおかしくない。是非、是非、行かれたし。箕輪城のように華々しい攻城戦がなかったからなのかな?☺早起きして来た甲斐があった。石岡、水戸間で新小幡というバス停で下車。ホテルの看板を目印にはいって行く道をあせらず気長に行けば到達します。
2016年05月15日 田上太閤久兵衛
小幡城
土塁が圧巻の迫力です。
入り口は畑の横に、車2、3台停められる茂みがコッソリあり、よく見ていないと通り過ぎてしまいます。
城跡にはトイレどころか建物も何も無いので事前に済ませておきましょう。
基本的には堀底を歩いて行く形になりますが、意図してか似たような分岐が多いせいか案内板通りに進まないと迷いそうになりますw
その辺りを考慮してか
よく見ると攻め難く守り易くするための工夫が随所に見受けられます。
土塁の縄張りを色々と考えさせられる、素晴らしい城跡だと思います。
2016年04月24日 あき式部卿
小幡城
大きく育った木や竹が邪魔ではありますが、足を踏み入れ堀を歩いていると、タイムスリップしたかのような不思議な感覚に包まれました。
曲輪を仕切る堀や土橋、武者走りなどしっかりと残っており、茨城一素晴らしい城と言われているのもよくわかります。
行ったのは四月中旬ですが、薮蚊(?)の大群に囲まれました。刺されはしませんでしたが、これこら夏に向けて対策は必須だと思います。
2016年04月04日 尻啖え孫市権中納言
小幡城
城は人殺しの道具である。そのことを改めて思い起こさせる城である。深い堀底道を通って奥に入り込むとあたかも迷路に迷い混んだようだ。城内に誘い込んだ敵を土塁から正確に射抜く。雑木がなければ今でもそのまま籠城の役割を全うするだろう。風で竹の擦れる音が不気味に響く。城の外に出ると竹やぶのざわめきがはたと止まった。
2016年03月16日 昌幸近江守耳川の戦い
小幡城
こんもりとした森に見えますが、
それぞれの郭が深い空堀に囲まれ、
攻め込まれても守りきれそうな感じがします。
一番外の郭は畑と高速道路になっていて当時の様子が残っていないのが残念。
空堀もさる事ながら、本丸の高い土塁にもびっくりしました。
廃城後400年経っているのに、ほぼ完全な状態で残っています。
2015年12月07日 村人 兼 越後守の無隠
小幡城
北にある香取神社から南に向かって進んでいくと入り口があります。
他の方も書いてあるように、夏は虫が居そうな感じです。
今時期ぐらいの方が丁度いいかも…
外から見るとただの森に見えますが、中に入ると迫力のある遺構が楽しめます。
土の遺構が好きな人は一見の価値があると思いました。
2015年11月22日 山縣中務卿昌景
小幡城
東京方面から来る場合、公共機関で来る場合、最寄りバス停の新小幡まで来る石岡駅からのバスの本数がかなり少ないので、
石岡駅 8:40 → 新小幡 9:06
新小幡 11:20→ 石岡駅 11:50
のバスで折り返しました。
新小幡から小幡城までは片道徒歩で15分なので、90分程度の見学時間になりますが、充分満喫できると思います。
2015年08月15日 まー刑部卿
小幡城
前日の雨でぐちゃぐちゃと思いきやそうでもなかったですが蚊はだいぶ居ました。また蒸し蒸ししてました。
2014年09月14日 大蔵大輔おかよの方@松戸城
小幡城
蚊の襲来激しすぎ。夏以外がおすすめ!腐葉土で登りにくいですが変形武者走りに登ると、この城郭の希少価値がさらにわかります。
2014年07月10日 征夷大将軍ひとりもん
小幡城
北東の空堀入口に2〜3台の駐車スペースがあります。ぬかるんだ空堀を案内に従って進むと本丸です。
2012年06月26日 尻啖え孫市権中納言
小幡城
空堀から城内へ入りますが、入った瞬間から中世から手付かずのままのかなりの高さの土塁に圧倒され、奥へ進み、本丸を目指しましたが、雨の後のぬかるみと藪蚊の真珠湾並みの奇襲にあえなく退散。次は、冬に来ようと決心して帰路につきました。夏のシーズンは、必ず藪蚊対策を。
遺構
寛政川右岸の舌状台地の突端にあり、常陸国府から水戸方面に通じる陸前浜街道の途上に位置する。茨城県屈指の保存状態のよさで、土塁が複雑に入り組んだ技巧的な縄張が堪能でき、中世城郭の雰囲気を存分に味わえる。
巨大な空堀と土塁を駆使しながら、至るところに横矢を掛けた技巧性の高さが光る。どこにいるのか方向感覚を失う、迷路のような城だ。主郭の北西側には「変形武者走り」という一風変わった遺構が残る。
歴史
壮大な遺構に反して謎が多く、築城者や築城年は不明。応永24年(1417)に大掾義幹により築城され、後に小幡氏が城主となったといわれるが、定かではない。近世の地誌『新編常陸国誌』では応永33年(1426)の江戸通房による水戸城攻略の際、小幡長門守が参陣した記録がある。発掘調査からも15世紀代の遺物が確認されていることから、築城時期は15世紀代とみられる。小幡氏が従属していた水戸城の江戸氏から離反したのを機に、小幡城は天文元年(1532)に江戸氏に奪われたとされる。江戸氏が常陸南方に進出した16世紀後半頃、敵対する小田城の小田氏及び府中城の大掾氏との境目の城として重要視され、現在の姿に改修されたようだ。
江戸氏は天正18年(1590)の小田原攻めに参陣しなかったため、常陸の大半を安堵された佐竹氏により滅ぼされた。小幡城はこのときか、もしくは関ヶ原の戦い後の佐竹氏の転封に伴い廃城になったとされる。
交通
・常磐自動車道岩間インターから車で約25分・北関東自動車道茨城町西インターから車で約20分
参考文献
・『関東の名城を歩く北関東編』吉川弘文館、2011年・『図説 茨城の城郭』茨城城郭研究会、2006