徳宿城(とくしゅくじょう)
徳宿城の基本情報
通称・別名
- 龍替城
所在地
- 茨城県鉾田市徳宿本郷
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 徳宿親幹
築城年
- 平安時代後期
主な改修者
- -
主な城主
- 徳宿氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、腰曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(徳宿城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
芹沢城(茨城県行方市)[9.9km]
松川陣屋(茨城県東茨城郡)[11.0km]
中居城(茨城県鉾田市)[11.9km]
小幡城(茨城県東茨城郡)[13.7km]
小高城(茨城県行方市)[16.8km]
飯沼城(茨城県東茨城郡)[17.0km]
津賀城(茨城県鹿嶋市)[17.2km]
祝町向洲台場(茨城県東茨城郡)[17.8km]
宍倉城(茨城県かすみがうら市)[18.6km]
吉田城(茨城県水戸市)[19.5km]
徳宿城の解説文
[引用元:Wikipedia「徳宿城」の項目]
徳宿城(とくしゅくじょう)は、茨城県鉾田市にあった日本の城。
歴史
平安時代末期頃、徳宿氏の初代親幹によって築城されたとされている。
桓武天皇の流を汲む常陸大掾氏一族の鹿島成幹は長男[1]の親幹を「北部の守り」として徳宿に配し、親幹は徳宿氏を称す。徳宿氏は子孫を安房、烟田、菅野谷等に配し、文明18年(1486年)まで9代で約300年間続く。
落城・徳宿氏の終焉
文明18年(1486年)5月、水戸城主の江戸適雅(江戸氏)に攻められる(徳宿合戦)。江戸氏が約2000名[2]に対し、徳宿氏は約300名の劣勢のなか、同族の大掾氏一族の援軍(約1500名)が到着する前に攻め込まれ、江戸氏に敗れ落城。城主は戦死し、徳宿氏は9代目の道幹をもって終焉となった。
その後
現在は徳宿城址として、本丸跡は山林と神社になっており、木造の祠と石祠が建てられている。南の崖上には徳宿氏事蹟考碑が建てられている。
城址の西側の「塔の峰」と呼ばれる地には徳宿城主代々の墓があり、北東約3.3kmの常磐原から西勝下(かつおり)にかけての一帯には「合戦場」や「合戦塚」、「血流れ窪」といった戦いの惨状に由来する地名が残されている。また、那珂西城のIII郭南東角の杉林の中にこの戦での134の首級を葬ったという「首塚」がある。
[3] 主郭は南端最高所で神社境内となっており、その周囲に土塁が残っている。北の二条の空掘は、二郭の西側に位置し、低い 土塁が残され三郭がある。
アクセス
鹿島臨海鉄道 徳宿駅から約1km(徒歩15分)。
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徳宿城の口コミ情報
2021年11月25日 大膳大夫しろし
徳宿城
本丸と二の丸の間に二重の横堀の痕跡がありました。
2021年10月24日 昌幸近江守晩秋リア旅
三階城[徳宿城 周辺城郭]
安房(あんぼう)氏の居城、三階城。名前の通り、三層の絶崖をなすことから三階城と言われています。城郭は県内でも珍しい輪郭・階郭式です。城の生い立ちや成り行きは、先達の方の通りです。
私が伺った時、動植物の写真を撮られている地元の方と出会いました。「この辺は建設業者に土地を売ってしまう人が多いが、三階城の土地の地権者は、文化財に関心のある方で、市の教育委員会の呼びかけに応じ売却した。」
「コロナ禍の影響もあって、ここ2年位整備できていない。教育委員会に言わなくては。」とおっしゃってました。
確かに薮が酷くて、しかも笹なので冬枯れする見込みもなく…整備をしていただけないかなと思いました(笑)あと普段なら進んでしまう所も「マムシが出る」を連呼されていたので、よほど出るのだろうと解釈し、今回は深入りは止めました。茨城では珍しい三層輪郭式の城を、また冬に訪れたいなと思います。
【写真の説明】
①三階城遠景。中央の凸が城跡。
②田んぼに面した削平地。当時はここまで水がきていたか、船着場だったか。
③二郭-三郭間の堀。ここは堀底を歩かされる構造のようだ。
④三郭から堀と二郭を見る。
⑤櫓が建っていたと連想させる二郭隅部。
⑥主郭。弧を描くように土塁があった。
⑦二郭から三郭へ落ちる竪堀。
2020年10月18日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
三階城[徳宿城 周辺城郭]
茨城県の鉾田市にある三階城♪
三階城は鉾田川東岸の北西に突き出した段丘端に築かれてます♪現在回りは田園風景ですが往時は低湿地帯になっていたと思われます☆
この城は安房氏によって築かれたと伝わります♪安房氏は徳宿城主の徳宿秀幹の嫡男である徳宿俊幹が安房に配されて名前を変えて安房氏の祖となります☆
安房氏は上杉禅秀の乱に参加して討死し滅亡してしまいました☆その後、三階城には鹿島氏の老臣・額賀大炊助が居城しました☆
城としては山頂の主郭を同心円状に取り巻く様に副郭、横堀、三郭と円を描く様に守りを固めます☆主郭、副郭の下にはそれぞれ横堀がグルリと回り主郭に対して高低差をつけます☆
2018年01月06日 田部朝臣土持安房守
徳宿城
車は路駐しか方法なし。現入口として切り開かれた説明の書かれた案内板より少々坂を下った所が、多少道が広いので、そこに置くのが良いと思う。
案内板の所からクランクで、本丸にのぼれる。本来は徳宿本郷側から入るのが正しいルートだろうが、車で行こうとすると、かなり狭く、行き違うのが無理な幅なので、残念ながらそうするしかないので。
本丸廓の半分は藪に覆われていて、元の形状は殆ど見通せない。
社殿の近辺は簡単に下の廓が見おろせる。逆を言うなら、土塁が殆ど削れて消えている。
ニの廓との間の堀切は良く残っていて、堀底が同時に本丸廓を囲む廓になっている構成が見れるが、やっぱり藪が凄く、ぐるっと廻るのはかなりの困難。
二の廓の北の堀切も良く残っている。
2016年10月19日 まー刑部卿
徳宿城
徳宿城石碑及び案内板を通り過ぎると少し道路が広くなるところがあったためそこに駐車。石碑のあるところまで戻る途中に空堀が見えた。石碑及び案内板から入り上って行くと神社がある。神社の脇に『徳宿氏事跡考碑』がある。ここが本郭だったが奥は藪で立ち入ることが出来ず先ほど見た空堀を観に行くと何故かメロンが大量に捨てられていた。鉾田市はメロンの産地。