芹沢城(せりざわじょう)
芹沢城の基本情報
通称・別名
- 芹澤城
所在地
- 茨城県行方市芹沢
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 芹沢秀幹
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 芹沢氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
宍倉城(茨城県かすみがうら市)[8.8km]
徳宿城(茨城県鉾田市)[9.9km]
小高城(茨城県行方市)[12.3km]
石岡城(茨城県石岡市)[13.9km]
小幡城(茨城県東茨城郡)[14.0km]
中居城(茨城県鉾田市)[14.2km]
府中城(茨城県石岡市)[15.3km]
飯沼城(茨城県東茨城郡)[17.0km]
木原城(茨城県稲敷郡)[17.9km]
志筑城(茨城県かすみがうら市)[18.1km]
芹沢城の口コミ情報
2024年03月17日 RED副将軍
玉造城[芹沢城 周辺城郭]
南方三十三館の仕置きにおいて謀殺された玉造氏の居城🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。寛正年間(1460年〜1466年)に玉造氏により築かれたとされるその居城です。
玉造氏は常陸大掾氏の一族であり、治承年間(1177年〜1180年)に行方景幹の四男である行方幹政が玉造郷を領して玉造氏を称したのが始まりです。
鹿島社の総検校や大使役を務め、行方氏の四頭(小高・島崎・麻生・玉造)の一家として勢力を振るいました。
1591年、佐竹義宣が独立性の強かった鹿行の国人衆を粛正した「南方三十三館仕置き」が起こります。佐竹義宣は梅見の宴と称して常陸太田に呼び出し鹿島城の鹿島清秀など9氏16人が謀殺。 城主の玉造重幹もその一人であり、太田城での謀殺が報じられると、玉造氏家臣は玉造城に籠城し押し寄せてきた宇垣伊賀守らと抗戦するも落城。玉造氏は滅亡し、廃城となりました。
見所
三方を低地に囲まれた丘陵上に築かれており、「中館」「東館」「搦」の3つの郭で構成されていました。
中館が主郭とされ、東半分に土塁が巡っていますが内部はヤブ化。残り2つの郭は農作地となっています。
郭は堀切で区切られていた様で道路に堀底道の面影があります。堀底道を隔てて南側の帯郭は神社となっていました。
行き方は、大場家住宅を目標に設定。北側背後にある丘陵上が城域であり、北側に案内板が設置されています。
2024年03月04日 マグロ常陸介祐平
玉造城[芹沢城 周辺城郭]
常陸大掾氏の一族の行方宗幹の四男幹政が、平安時代末期に玉造に配され、子孫が室町時代中期に築城したようです。城は、中館(本丸)、東館、搦の三つの曲輪で構成されています。
最後の城主の玉造重幹のときに、佐竹氏による「南方三十三館謀殺事件」で廃城となっています。
今回、説明板のすぐ裏の搦に入って見ましたが、背の高い笹(細い竹?)の密生する激薮で、お堂が潰れていたりと大変なお城でした。土塁(写真5,6枚目)を確認したところで引き返そうとしましたが、激薮で周囲は高さのある垂直な切岸状となっており、出口が見つからず狭い曲輪内を10分近くさまよってしまいました。行かれる方は、入口をしっかり覚えておきましょう。
近くには、水戸藩が開校した玉造郷校跡(腰曲輪かも)、水戸藩の大山守を勤めた大塲家住宅(写真7枚目)、玉造氏の寄進した鐘を鋳直した県指定文化財の鐘(写真8枚目)がある宝幢寺があります。
2023年09月29日 大膳大夫しろし
芹沢城
お城マークの場所は、民家で入れませんが、今住んでる人は、芹澤さん?末裔?
2023年09月18日 弾正少弼のむげん
芹沢城
車は近くの酒屋の澤屋商店さんへ止めさせていただいた。店内で新選組にまつわる資料と日本酒を購入後、案内の通り徒歩で向かう途中、丁字路を右に曲がると芹沢鴨の生家跡、それから芹澤城址碑にたどり着く。周囲は畑になっており、遺構らしき物はない。来た道をそのまま引き返し、先ほどの丁字路を反対方向に曲がって同じ程度歩くと、法眼寺というお寺があり、そちらには新選組の顕彰碑が立てられていた。また城の裏手に当たるため、先程は藪で見えなかった部分が少しだが、土塁的な遺構が垣間見れた。また9/18は芹沢鴨の命日(斬殺された日)のため、供養に訪れる方がいました。
2020年12月20日 【不楽是如何】まつ2左近衛大将
芹沢城
Google情報だと遺構は林の中、ということでしたが、どうやら何かを作ろうとしてるみたいで、竹藪は開けつつあります。どうなることやら。
2018年08月12日 さと左近衛少将けんさん
芹沢城
新撰組とも繋がっているとは!
2018年04月30日 Terry左衛門尉
芹沢城
引き続いて芹沢に来ました。酒屋さんにあらかじめお声がけしておけば、気軽に駐車場所を貸してくださいます。芹沢鴨についての資料も豊富にお持ちなので、新撰組や幕末に興味のある方はお話を伺うと良いでしょう。
2018年02月25日 Terry左衛門尉
芹沢城
芹沢城跡付近は里山や畑が広がるばかりですが、酒屋さんが一件あるので、そこを目印とし、芹沢城跡の石碑〔他の方々が仰るように竹藪に覆われていて城跡には入れません〕に向かわれるといいでしょう。中途、芹沢鴨の生家が左手に見えます。その先の坂を登ると左手に石碑と芹沢家の歴史的系譜を簡略に記した案内板があります。
3ナンバーのクルマでも行けますが、多少道が狭いので、慣れていない方は、前述の酒屋さんに頼んで、向かいの駐車場に停めさせて頂くのも一案やもしれません。
酒屋さんのご尽力で芹沢鴨生家への行き先の案内板も充実しています。ただ、芹沢城跡自体となると、先述した通り、竹藪に覆われていて入ることができません。石碑と案内板があるばかりです。
芹沢鴨についてのことであれば、前述した酒屋さんが彼やその周辺についての資料をたくさんお持ちで、私はペラ紙に印刷したものを数枚頂きました。また、まさに地元芹沢の方だけあり、幕末の歴史についても豊富な話柄をお持ちの方でした。
なお、土日はかなり来訪があるようですが、日曜ながら日没直前に来訪したこともあり、閑散としておりました。
2016年10月19日 まー刑部卿
芹沢城
芹沢鴨生家跡の敷地内は解体工事の真っ最中だった。生家跡の矢印が途中でなくなっていたため芹沢城跡石碑・案内板と澤屋商店(酒屋、この日は定休日のため駐車場を借用し駐車)を行ったり来たりしていた。先人の口コミにもあったように城跡は竹藪に覆われて入ることさえ出来なかった。
2014年07月14日 北左衛門佐信愛
芹沢城
県道116号を北上すると、芹澤鴨生家の案内があるので、場所は分かりやすい。案内に従って細い道を進むと生家跡があり、さらに坂道を上りきった先に説明板と石碑がある。城跡はほぼ竹藪に覆われている模様。