芹沢城(せりざわじょう)
芹沢城の基本情報
通称・別名
- 芹澤城
所在地
- 茨城県行方市芹沢
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 芹沢秀幹
築城年
- 天文年間(1532〜1555)
主な改修者
- -
主な城主
- 芹沢氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
宍倉城(茨城県かすみがうら市)[8.8km]
徳宿城(茨城県鉾田市)[9.9km]
小高城(茨城県行方市)[12.3km]
石岡城(茨城県石岡市)[13.9km]
小幡城(茨城県東茨城郡)[14.0km]
中居城(茨城県鉾田市)[14.2km]
府中城(茨城県石岡市)[15.3km]
飯沼城(茨城県東茨城郡)[17.0km]
木原城(茨城県稲敷郡)[17.9km]
志筑城(茨城県かすみがうら市)[18.1km]
芹沢城の口コミ情報
2023年09月18日 兵部少輔のむげん
芹沢城
車は近くの酒屋の澤屋商店さんへ止めさせていただいた。店内で新選組にまつわる資料と日本酒を購入後、案内の通り徒歩で向かう途中、丁字路を右に曲がると芹沢鴨の生家跡、それから芹澤城址碑にたどり着く。周囲は畑になっており、遺構らしき物はない。来た道をそのまま引き返し、先ほどの丁字路を反対方向に曲がって同じ程度歩くと、法眼寺というお寺があり、そちらには新選組の顕彰碑が立てられていた。また城の裏手に当たるため、先程は藪で見えなかった部分が少しだが、土塁的な遺構が垣間見れた。また9/18は芹沢鴨の命日(斬殺された日)のため、供養に訪れる方がいました。
2022年05月18日 水天一碧東方之衆
蕨砦[芹沢城 周辺城郭]
蕨砦がある地域は、木崎城の常陸武田氏が烟田氏の領地に侵攻して築いたものとされています。近くには、堀ノ内砦があり、南には一部三重堀の野友城があります。
写真2枚しか出してないのに、口コミ書くのもアレなんですが、良くなかったわけじゃなくて、全然写真にならず…。つくりは、不思議で面白いです。もう写真にならなさすぎて、縄張図を見てもらうしかないんですけど、出入口のない土塁に囲まれた不思議な三郭は、なんだろうこれ…と行くたびに見入ってしまいます。
常陸武田氏の城はすごくいいです。木崎城(2022年春からは神社周辺しか見学できなくなっています)に野友城、この砦から近くの堀ノ内砦もぜひ訪ねてみてください😊
2022年05月02日 水天一碧東方之衆
堀ノ内砦[芹沢城 周辺城郭]
見に行った城が良すぎて、この城に住みたい!住まわせてくれ!ダメならせめて一泊だけでも…と思うことはよくあると思います、多分…
こちらは、もしも1人で住むならちょうどいいサイズ…ちょっと広めの堅い土塁付きワンルーム、これは本当に今日から住めるなと真剣に思った砦です。
砦の来歴なんですが、常陸武田氏によるものとされています。今は北浦から距離がありますが、昔は北浦がすぐ近くに迫り、付近を流れる巴川は北浦の入り江だったそうです。北浦の水運管理などを見張る、担っていたのでは…とされています。
単郭を意外と高くてでかい土塁と堀がしっかり囲み、一部は横矢がかっているし、写真にならないんですが、竪堀付きと優良物件の条件がしっかり揃っています。
単郭の砦…と聞いて思うような土塁と堀のサイズじゃないんです。
あの木崎城や野友城を作る武田氏らしいがっちりしたいい砦でした。
ただ、郭内がなぜか虎口方面、東にユルく傾いています。
入居にあたっての告知事項です🤣
常陸武田氏っていうのは…
源義光(新羅三郎義光)の次男とされる源義清が武田郷(ひたちなか市武田の辺り。城めぐに武田氏館の登録があります)に所領をもらい武田冠者と名乗り、武田氏発祥→この頃水戸にいた大掾氏とモメる、朝廷に訴えられる→甲斐に流されるも一族繁栄(甲斐武田氏のおこり)→上杉禅秀の乱で天目山で自刃した武田信満の弟、武田信久が上総や下総を経て行方郡に土着…
めちゃくちゃ雑ですがだいたいこんな流れです😂
自分の出自を知っていて常陸に戻ったのかはわかりませんが、常陸武田氏は周辺の烟田氏や鹿島氏、時を経てもやっぱり仲良くなれなかった大掾氏とぶつかります(笑)
その後、最後の当主だった武田信房は、佐竹義宣による南方三十三館仕置により、太田城にて誅殺されます。その子である輔信は、浪人の末に徳川光圀に仕えたそうです。
※文章を直してたら消しちゃったので…何回もすみません💦
2020年12月20日 【不楽是如何】まつ2右近衛大将
芹沢城
Google情報だと遺構は林の中、ということでしたが、どうやら何かを作ろうとしてるみたいで、竹藪は開けつつあります。どうなることやら。
2018年08月12日 さと右近衛少将けんさん
芹沢城
新撰組とも繋がっているとは!
2018年04月30日 Terry左衛門尉
芹沢城
引き続いて芹沢に来ました。酒屋さんにあらかじめお声がけしておけば、気軽に駐車場所を貸してくださいます。芹沢鴨についての資料も豊富にお持ちなので、新撰組や幕末に興味のある方はお話を伺うと良いでしょう。
2018年02月25日 Terry左衛門尉
芹沢城
芹沢城跡付近は里山や畑が広がるばかりですが、酒屋さんが一件あるので、そこを目印とし、芹沢城跡の石碑〔他の方々が仰るように竹藪に覆われていて城跡には入れません〕に向かわれるといいでしょう。中途、芹沢鴨の生家が左手に見えます。その先の坂を登ると左手に石碑と芹沢家の歴史的系譜を簡略に記した案内板があります。
3ナンバーのクルマでも行けますが、多少道が狭いので、慣れていない方は、前述の酒屋さんに頼んで、向かいの駐車場に停めさせて頂くのも一案やもしれません。
酒屋さんのご尽力で芹沢鴨生家への行き先の案内板も充実しています。ただ、芹沢城跡自体となると、先述した通り、竹藪に覆われていて入ることができません。石碑と案内板があるばかりです。
芹沢鴨についてのことであれば、前述した酒屋さんが彼やその周辺についての資料をたくさんお持ちで、私はペラ紙に印刷したものを数枚頂きました。また、まさに地元芹沢の方だけあり、幕末の歴史についても豊富な話柄をお持ちの方でした。
なお、土日はかなり来訪があるようですが、日曜ながら日没直前に来訪したこともあり、閑散としておりました。
2016年10月19日 まー刑部卿
芹沢城
芹沢鴨生家跡の敷地内は解体工事の真っ最中だった。生家跡の矢印が途中でなくなっていたため芹沢城跡石碑・案内板と澤屋商店(酒屋、この日は定休日のため駐車場を借用し駐車)を行ったり来たりしていた。先人の口コミにもあったように城跡は竹藪に覆われて入ることさえ出来なかった。
2014年07月14日 北左衛門佐信愛
芹沢城
県道116号を北上すると、芹澤鴨生家の案内があるので、場所は分かりやすい。案内に従って細い道を進むと生家跡があり、さらに坂道を上りきった先に説明板と石碑がある。城跡はほぼ竹藪に覆われている模様。