府中城(ふちゅうじょう)

府中城の基本情報

通称・別名

(府中陣屋)

所在地

茨城県石岡市総社1

旧国名

常陸国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

大掾詮国

築城年

正平元年〔南朝〕/貞和2年〔北朝〕(1346)

主な改修者

主な城主

大掾(馬場)氏、佐竹義尚、六郷政乗、皆川氏、松平氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、移築門

指定文化財

市史跡(府中城の土塁)

再建造物

石碑(石岡の陣屋門跡)、説明板

周辺の城

石岡城(茨城県石岡市)[1.5km]
志筑城(茨城県かすみがうら市)[2.9km]
柿岡城(茨城県石岡市)[8.7km]
宍倉城(茨城県かすみがうら市)[10.1km]
木田余城(茨城県土浦市)[11.8km]
土浦城(茨城県土浦市)[13.1km]
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湯崎住吉城(茨城県笠間市)[13.9km]
小田城(茨城県つくば市)[14.5km]
小幡城(茨城県東茨城郡)[15.1km]

府中城の解説文

府中陣屋(ふちゅうじんや)は、常陸国府中(現在の茨城県石岡市石岡)にある府中藩の藩庁が置かれた場所にある。

概要
慶長7年(1602年)佐竹氏が常陸より出羽秋田の地に国替えになると、代わって外様大名の六郷政乗が1万石で入り、元和9年(1623年)出羽本荘に移り、替わって皆川氏が1万石で入るも3代で嗣子なく断絶し、一時は天領となる。

元禄13年(1700年)徳川頼房の5男の頼隆が入り、この地に陣屋を置き立藩したのが始まりである。以降水戸徳川家の蓮枝(支藩・分家)として明治維新を迎えている。

陣屋の規模は東西およそ500m、南北およそ400mで本丸、二の丸、三の丸、箱の内出丸、磯部出丸、宮部出丸からなり、南西を流れる川沿いに広がる低湿地に突き出た台地上にある堀、土塁を巡らせた陣屋であった。

遺構
陣屋跡は現在石岡小学校の敷地となっているが、周囲の堀もほとんど埋められてしまい、校内東側に土塁の一部が残されている。移築現存する陣屋門は文政11年(1828年)火災で焼失した江戸小石川藩邸再建の余材を使い建てられたものである。元来市民会館正面にあったが、道路拡幅の関係で現在地に移されたものである。

府中城の口コミ情報

2021年09月05日 水天一碧
府中城



府中城には、箱の内出丸、宮部出丸、磯部出丸と3つの出丸がありました。
それぞれの出丸の位置は資料でおおよその位置はわかるんですが、縄張り図などは見つからず…街中遺構ハントの経験だけで妄想しながら歩くしかありません。
今回は一番オススメの磯部出丸(の一部)をご紹介します。

①この地図はふるさと歴史館の二階に貼ってあります。撮影はOKとのことです。写真の左寄りにある残念坂と書かれているところと、その下の赤いUの形に囲まれた磯部出丸へ行きます。散策には「図説茨城の城郭」も参考にしています。
②磯部出丸はここから。
③坂道を上って府中城方面を見てみます。正面の林のそのさらに先にありますが見えない😂
④歪みながら曲がる道路。
⑤④を振り返ってみました。撮影者立ち位置が低く下がっています。クランクして下がる道路…このパターンって堀跡のように思えるんですよね。
⑥⑦残念坂に来ました。小田原の役のあと、秀吉により、常陸国を安堵された佐竹氏に攻められ府中城はたった1日で落城します。当主だった大掾清幹は先に見える坂から、燃えさかる城を見て、「嗚呼残念」と言ったことが残念坂の由来です。
看板や案内板などありません。散歩中の方や近所の方に場所の確認をしてしまいました😅
⑧坂道を上りまた府中城方面を見ます。府中城との間にある林が全部なくなれば確かにここから燃え上がる城が見えたかもしれません。

※大掾氏と佐竹氏と常陸のことざっくり
平安時代に平国香が常陸の大掾となって着任してそのまま土着したことにはじまります。その国香の子供は平貞盛で、平将門を討ちとります。その弟の繁盛を祖とします。
時が流れると、南の小田氏、北の江戸氏と対立抗争し、次第に泥沼の様相に。なんとかうまく付き合ってきた佐竹氏が江戸氏を支援しはじめると、所領をどんどん失い、衰退していきます。そして、小田原の役のあと、佐竹氏により滅ぼされました。江戸氏もまた同じ時期に滅ぼされています。
常陸では、大掾氏や江戸氏は独立した領主経営を認められながら、その所領のとりまとめ役が佐竹氏でした。佐竹氏は秀吉に従属したことで、政権が要求する責務に応えなければならなくなりましたが、領国内に自立した領主たちがいることで、速やかな対応が難しくなりました。そこで領国の統一をはかるべく、一気に攻められ滅ぼされていきました。

2021年07月26日 JUN
府中城



市街地に在るので、散策には最適です。
雰囲気の良い飲食店が沢山在りますよ!

2021年06月23日 水天一碧
根当要害[府中城  周辺城郭]



根当要害は、大掾氏の府中城から4キロほど北にある府中城を守る出城です。大掾氏の家臣の鶴町因幡守の居城とされています。小田原の役のあと、佐竹氏は秀吉により常陸一国を安堵されます。そこで、大掾氏を駆逐すべく府中城へと侵攻します。その時に根当要害も落城したようです。

大掾氏の土木を味わい、堀底周回を楽しむはずでした。いつものように土塁を愛でて、堀底に下りたら、これは怪しいだろと首を傾げる羽目になりました。
そもそも、府中城からの絶妙な距離でこの土木ぶり。何となく、掘りっぷりに佐竹氏らしさがあるような気も…何となくだけどしなくはない、かも。これは佐竹氏が府中城の攻撃用に用意した陣城の可能性もあるんじゃないかなあと思ってしまいました。
短期間でこんなに掘れるのか?でも佐竹氏ならやっちゃうかも…?お城と歴史と合わせて、色々な見方ができそうです。これが楽しいです。堀底でヤブ蚊に刺されまくりながら、妄想が止まりませんでした。

オススメです。

根当要害への行き方です。
Googleマップは、八幡神社(茨城県石岡市根当11979-5)に設定してください。八幡神社がある位置が要害になります。神社は土塁上にありますからその土塁を辿って堀が見えたら、堀底周回開始です。駐車場は、神社の階段下の雑草だらけのスペースに普通車でギリギリ2台置けるかと思います。
石岡小美玉ICからも近く、府中城に行きがてら、いかがでしょうか。

※さらに気軽に常陸の堀底にハマりたい場合は、近くにある高友古塁(柿岡城のリア攻めマップにあり)も駐車場完備で非常にオススメです。

2021年05月16日 つか征夷大将軍
土塁[府中城  遺構・復元物]

小学校の敷地内にあります。平日は生徒が居るので見学や撮影には注意しましょう。

2021年05月16日 つか征夷大将軍
堀跡[府中城  遺構・復元物]

特に案内が無いのでそのままの状態か分かりませんが本丸と二の丸間の堀が位置する場所です。住宅開発と学校建設でほぼ遺構は有りません。

2021年05月16日 つか征夷大将軍
石岡市立ふるさと歴史館[府中城  関連施設]

石岡小学校の敷地内にあります。
お城の情報は余り得られませんが石岡の歴史は気軽に学べます。しかし平日は生徒が居るので写真を撮りたい人は気を遣いましょう。入る場合は校門では無く東側の道路に入口が有るのでそこからです。

2016年10月26日 木工頭ヘリオス
府中城

陣屋門は石岡小学校の正門の近くにありましたが、現在は石岡市民会館前に移築しています。


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