木田余城(きだまりじょう)

木田余城の基本情報

通称・別名

所在地

茨城県土浦市木田余

旧国名

常陸国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

信太範宗

主な城主

信太氏、菅谷氏、小田氏治

廃城年

天正6年(1578)

遺構

消滅

指定文化財

市史跡(木田余城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

土浦城(茨城県土浦市)[1.6km]
戸崎城(茨城県かすみがうら市)[5.5km]
塙城(茨城県稲敷郡)[10.3km]
木原城(茨城県稲敷郡)[10.5km]
宍倉城(茨城県かすみがうら市)[10.8km]

木田余城の口コミ情報

殺三千世界鴉⚡️晋作様[2017年02月23日]
土浦城の口コミにもあるように、信太氏の滅亡により土浦城の属城となった木田余城は、一時期、小田城を逐われた小田氏治が入城したこともある。
天正6年、佐竹義重により落城の上、廃城となる。

江戸時代の土浦城主朽木氏は木田余城址の遺構を残すべく本丸跡に宝積寺を移築するが、明治36年、汽車の飛び火で焼失したため、移転してしまう。

湿地帯を利用した水城だったというだけあって、現在周囲にはレンコン畑が多いが、本丸を分断するJR常磐線の線路沿いに案内板・地下道の行き止まりに城址碑(写真①)・宝積寺跡地と思われる墓地には遺構と考えられる堀や土塁らしき遺構が認められる。(写真②・③・④)
また、線路の反対側の住宅地には信太範宗・正室・嫡男紀八の墓(市指定史跡 写真⑤)があるが、この周辺も投稿写真の通り、高低差が感じられる。(写真⑥)

上野介一休.道灌!?様[2015年09月17日]
案内看板の所の線路下アンダーをくぐれば、石碑が有ります。

業者用の通用口らしいので、邪魔にならないよう注意すれば見学出来そうです。

ただ、遺構は残っていないようです!?(^^;

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