小坂城(おさかじょう)

小坂城の基本情報

通称・別名

所在地

茨城県牛久市小坂町

旧国名

常陸国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

岡見治資

築城年

永禄年間(1558〜1570)?

主な改修者

主な城主

岡見氏

廃城年

天正18年(1590)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、櫓台

指定文化財

市史跡(小坂城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

馴馬城(茨城県龍ケ崎市)[6.0km]
牛久城(茨城県牛久市)[6.0km]
龍ケ崎城(茨城県龍ケ崎市)[6.4km]
東林寺城(茨城県牛久市)[7.0km]
塙城(茨城県稲敷郡)[7.3km]
木原城(茨城県稲敷郡)[10.2km]
江戸崎城(茨城県稲敷市)[11.0km]
土浦城(茨城県土浦市)[13.2km]
布川城(茨城県北相馬郡)[13.3km]
谷田部城(茨城県つくば市)[13.5km]

小坂城の解説文



小坂城(おさかじょう)は、茨城県牛久市小坂町にあった戦国時代の日本の城。牛久市指定史跡。

地理 

小坂団地と小坂の集落の間にある愛宕山に築城された。

歴史 

小田氏から分流した岡見弾正忠治資が牛久城を築城する少し前につくったとされる。

小田家風記には「小坂城主が岡見備中守であり、一万石の小田一族大名」として記録されている。

新編常陸国誌には、「天文17年(1548年)に小野川の対岸の泉城から攻撃を受け、小坂岡見勢が泉城主の東条重定を討って撃退した」とされている。

この小坂合戦には、東条氏に味方する江戸崎の土岐氏と岡見氏に味方する小田氏も参戦したとされている。

城の構造 

小規模ではあるが技巧的な城館として残されている。南端Iにある主郭は、県道の改修時に発掘調査が行われ、三分の一程度が削り取られている。主郭の周りは土塁と空堀がめぐっており、曲輪IIも土塁が全周し、その外側は大規模な空掘で囲まれている。北面中央の開口部は櫓門の虎口跡と思われる。曲輪IIIは大規模な土塁が全周し、東北部には破壊された土橋で城外と接続されていたことが考えられる。

主廓の発掘調査では堀の城内側が柵で囲まれ、南西の堀底には三ヶ所の障子堀の遺構が発掘されている。

岡見城との間にある深い谷津に阻まれている。この谷津を境に西側が河内郡で東側が信太荘に分断されていた。そして、小野川の南側の対岸は東条荘であり、小坂城は敵対する土岐氏との境目に築かれた城と位置づけられる。

城跡は2006年(平成18年)11月24日付で市の史跡に指定された[1]

小坂城と笄松物語 

牛久のむかしばなしに「小坂城と笄松物語」があり、小坂城の戦いのことが伝わっている。「女中奉公していたきくが早朝に井戸で水汲みしていた時に、西南の方向におびただしい煙があがっていた。そこで敵が兵糧を炊いているのではないかと思い宿直の武士に知らせた」と伝えている。この戦いが東条氏との合戦かどうかはわからないが、他に小坂城での合戦の記録が残されていないことから、この時の言伝えであろうと考えられる。

鎌倉街道 

北側には鎌倉街道が走っている。小坂の脇を通る鎌倉街道は、島田から小坂、阿見本郷を通って土浦、石岡(常陸国国府)へ向う鎌倉時代の街道になる。

参考資料 

  • 牛久市史 原始中世古代編
  • 国土地理院「航空写真」
  • 小坂城発掘調査報告書

小坂城の口コミ情報

2024年02月27日 陸奥大納言至宏
小坂城



綺麗に整備され、攻略しやすい城址です。空堀などから昔が偲ばれます。

2023年05月06日 上野介のむげん
小坂城

守谷城、牛久城の後に攻略してきました。とてもよく整備されているお城で、空堀と土塁のコンビネーションが見事に残されています。規模はそんなに多く大きくありませんが、簡単に見て回るにはこれぐらいがちょうどいいのかもしれません。私の経験になりますが、埼玉県所沢市にある滝の城と全体的な雰囲気が似ていると思いました。小さいながらもおすすめのお城です。

2023年04月23日 おかっぴき
小坂城



小規模ながら土塁、堀、曲輪など良く残っている。石碑、説明板あり。駐車場も完備されている。トイレは無しです。

2022年12月20日 昌幸隠岐守4/20宍戸吉川
宝泉寺城[小坂城  周辺城郭]



宝泉寺城は東条氏が泉城に移る前の城と言われています。

四方を土塁に囲まれた方形居館で、40年前の写真では竹林の中に埋もれた土塁が確認できたのですが、残念ながら墓地の造成で消滅してしまいました。
土塁の外側に堀があったとされ、寺の周りの道と土の高まりに名残を感じます。

宝泉寺は、東条重貞が小坂城の戦いで討死し滅亡した後、主君の土岐原(常陸土岐)氏の庇護の元建立されています。東条氏を弔うための寺と考えられます。

【写真の説明】
①南側堀跡と土の高まり
②西側堀跡と土の高まり
③宝泉寺山門
④宝泉寺本堂

2022年12月18日 昌幸隠岐守4/20宍戸吉川
泉城[小坂城  周辺城郭]



小坂城の南東にある龍ケ崎市の泉城。
小野川南岸の突き出た段丘を利用して作られました。

城主は土岐原(常陸土岐)氏の傘下に入っていた東条氏。16世紀中頃、土岐原氏は小田氏と刀を交えていました。小坂城付近でも戦が起き、当主東条重定は討死してしまいます。これにより泉城は廃城になったと言われてますが、土岐原氏の本拠地である江戸崎城と有力支城の龍ケ崎城とを繋ぐ街道沿いのこの城は、最後まで土岐原氏が管理していたのではないでしょうか。

現在は集落の一部と化していますが、それでも土塁と堀が確認できました。ここが城の中心部になります。消滅してしまいましたが中心部の外側に長い土塁があったそうです。総構えのような遺構だったのかも知れません。

【写真の説明】
①Ⅲ郭土塁1
②Ⅲ郭土塁2。笹藪に埋もれている?
③農道を歩いていたら凹みが。これは堀跡ですよね?
④西側の沢から城を見る。
⑤根小屋から見る泉城。

2022年11月07日 昌幸隠岐守4/20宍戸吉川
福田城[小坂城  周辺城郭]



阿見町の福田城。
福田城の城主は、室町時代には山内上杉家の家臣知久家が城主であったと考えられており、戦国期になると岡見氏の一族福田豊後守から(常陸)土岐氏の土岐左兵衛(土岐胤倫)と代わっていきました。また土岐氏の時代には乙戸川流域における諸勢力との境目を守る支城として機能したとされています。

郭は少なくとも主郭(民家)と副郭(高照寺)があったと思われます。そして主郭下の竹林には空堀・横矢・腰郭・虎口があり、集落の中にまだ残る遺構に感動しました。

車は高照寺に停めることができます。

【写真の説明】
①副郭(高照寺)に残る土塁。
②主郭(民家)と副郭(高照寺)の間の道路。当時は堀だったと思われる。
③薮で奥に進めないが稲荷社の鳥居。稲荷社は土岐氏が治めていた証。
④主郭空堀からの、
⑤横矢。現在も残っていることに感謝。
⑥主郭切岸。
⑦主郭虎口。なかなかダイナミックな坂虎口でした。
⑧乙戸川対岸からの福田城。建物左の林が主郭、建物上の林が副郭。牛久大仏が見守る。

2022年11月03日 昌幸隠岐守4/20宍戸吉川
下久野城[小坂城  周辺城郭]



牛久市にある下久野城。
乙戸川流域の比高10〜15mの台地に築かれました。築城年や城主など詳細は不明ですが、土岐原氏(常陸土岐氏)の支配を強く受けている観音寺館跡が近くにあり、下久野城もその影響下にあったと想像できます。

残念ながら下久野城は公民館建設のため半分が土取りされてしまいました。残っている部分には空堀に囲まれた郭があるとのことです。また土壇らしき高台には現在個人のお墓があります。

※車は公民館前が広くなっているので端に寄せて停められるかと思います。

【写真の説明】
①遠景1。写真右半分が土取りされてしまった。
②遠景2。手前に土壇がある。
③土取りされた所には公民館(中根賀田会館)が建つ。
④谷戸部。常陸の城らしく湿地となっていたように思う。

2022年11月03日 昌幸隠岐守4/20宍戸吉川
観音寺館[小坂城  周辺城郭]



牛久市にある観音寺館跡。隣に建つ観音寺の歴史と関係があるようです。

観音寺は、鎌倉時代の嘉禄2年(1226年)創建とされていますが、誰が創建したのかは不明です。大泳5年(1525年)に土岐原治頼(後の常陸土岐氏)が本尊の十一面観音の再興を行いました 。これは治頼の統治する場所と、その西方の勢力の小田氏との境界線を提示する意味を持たせるためでした。

さらに天正5年(1577年)に土岐治英は土岐越前守と共に観音寺の修復工事を行いました。戦国の世で緊張が続いたこの地の信仰的な安心感を持たせる意味もあったと思われます。土岐原氏(常陸土岐氏)が治めていた時代の石塔も多数発見されており、館跡は土岐原氏(常陸土岐氏)関連のものと考えたいです。

遺構は堀で囲まれた中に二段の郭があります。そして寺の端に土塁があるとのことです。土塁は見逃しましたが(笑)寺と仕切られているので、未整備の激ヤブとなっています。心の眼で見てください(笑笑)

【写真の説明】
①〜⑤は館跡の堀
⑥仁王門。江戸時代に本堂が修繕され、その時に出た古材で建てられた。後ろのイチョウの木が見事!
⑦本堂
⑧集められた石塔。1500年代のもので、土岐原氏(常陸土岐氏)が治めた時代と合致する。

2022年11月02日 昌幸隠岐守4/20宍戸吉川
上小池城[小坂城  周辺城郭]



阿見町にある上小池城。圏央道牛久阿見IC入口交差点近く、比高6mの台地が城址です。岡見氏の出城とされています。

腰郭と土塁、横堀が残るようですが、私有地で確認は難しいです。(整地もされている感じです)上小池公会堂に車を停めて、遠景を収めてきました。

【写真の説明】
①上小池城遠景
②沿道から。切岸になるのかな。
③乙戸川と上小池城

2022年10月04日 若狭守ダンゾウ
小坂城



駐車場が少し分かりづらかったです。史跡は手入れが行き届いていました。

2022年07月31日 三上駿河守
小坂城



駅から遠く有名な城跡ではありませんが、土塁や空堀が比較的残っている状態で案内板の通り四ノ曲輪まである城跡が公園となっております。木々が茂っていて木陰となっておりますが夏場は蚊が多いので虫対策をして散策することをオススメいたします。

2022年04月03日 戸沢夜叉九郎正樹
小坂城



JR牛久駅から牛久市コミュニティバスで約30分、バス停小坂城跡入口に到着します。城跡が公園として整備されておりますが、郭、土塁、空堀が良好な状態で残っていて、これぞ戦国の土の城という感じが楽しめます。

2022年03月16日 昌幸隠岐守4/20宍戸吉川
久野城[小坂城  周辺城郭]



牛久市を流れる乙戸(おっと)川北側の台地にに築かれた久野城。同じ流域の福田城・下小池城と連携をとりながら、常陸土岐氏の本拠である江戸崎城の西側の守備を担った城と思われます。

主郭は地域の墓地になっています。
その北東に二郭があり、城中で一番広く現在は畑となっています。
北西にある三郭は堀切と段郭があり、この城の防御が感じられる遺構が残ります。
とは言ってもふかふかの関東ローム層上に築かれた城、廃城後400年が経ち、凹凸がかな〜り弱めになっています。

車は牛久大仏の駐車場に停めました。城を回り込むように歩き10分で城跡に着きます。

【写真の説明】
①主郭土塁。二郭側のみにある。
②主郭-二郭間の空堀
③主郭-三郭間の空堀
④三郭端の二重堀切
⑤二重堀切のうち堀切一条。虎口(写真左下)も確認できる。
⑥三郭谷側につくられた段郭
⑦久野城遠景

2022年02月26日 千葉相模守早雲
小坂城



公園として綺麗に整備されている。駐車場も完備。城域は小規模だが、遺構がよく残っており、土塁、空堀、曲輪、土橋がハッキリと見え、横矢掛りなどの技巧もわかりやすい。住宅地にあり山に登る必要もなく、山城初心者向けの入門書のような城郭です😁

2021年12月20日 RED副将軍
小坂城



極めてテクニカルな縄張りの常陸の名城🏯
土塁と空堀が縦横無尽に巡り、整備状況も抜群です✨

オススメ度 ★★★★★

詳細不明です。
小田家風紀に岡見備中守の名が城主として記されており、小田氏から分流の牛久城主である岡見氏の城と考えられています。
敵対する土岐氏との境目であり、南側の抑えとして機能したと思われます。

見所
小規模ながら横矢掛かりの土塁に虎口や土橋、横堀のテクニカルな遺構が素晴らしい。
各曲輪は土塁と空堀が巡り、さらに外周を空堀が巡っています。
駐車場完備、美しく良く整備されています。
但し、城域南側は開発により消失、東側はヤブ化。それでも周囲の宅地化の中、よく残っていると思います。

2021年03月27日 大納言Z武蔵守369
二ノ曲輪[小坂城  遺構・復元物]



一ノ曲輪(本郭)をL字型に取り囲むように位置している。

2021年03月27日 大納言Z武蔵守369
三ノ曲輪[小坂城  遺構・復元物]



城郭の北側にあった曲輪で、江戸時代には愛宕神社があった。

2021年03月27日 大納言Z武蔵守369
小坂城

実は住宅街の入口に城跡があり、4,5台程駐車可能な駐車場もあります。
堀がしっかり残っている土塁の城跡で、公園として整備されているので、かなりお勧めの城です。

2021年03月26日 昌幸隠岐守4/20宍戸吉川
小坂城



☆デザイン一新・第2弾御城印★
ヤマイチ味噌さんで販売しています。
一緒に味噌ソフトも是非ご賞味を。美味ですぞ。
※定休日・営業時間はWEBで確認の上、ご訪問ください。


2021年01月08日 昌幸隠岐守4/20宍戸吉川
下小池城[小坂城  周辺城郭]



夏に断念し、冬なら!と思い再訪しました。
結果は…
冬でもヤバかった。

城郭については、先人の方が詳しくお書きになられてますので参考にされて下さい。
藪漕ぎ必至、その先の出会った遺構に妄想する昼下がり…
そんな時間を楽しみたい方にはおすすめです♪
是非ご攻城あれ。

【写真の説明】
①三郭は公園として整備されています。
②駐車場から続く堀跡。落ち葉で埋まりかけています。
③ニ郭の堀跡。
④二郭虎口。入り虎口という形式とのこと。食い違い虎口と同じことでしょうか?
⑤本郭北西部の櫓跡。
⑥土橋。写真右上から左下に堀があり、馬出し的な郭に架かる。左側は本郭。
⑦本郭北東部の櫓跡。横矢掛かりがはっきりと見てとれる。
⑧北東部櫓跡の堀底から。

2020年10月11日 国府左京大夫城介
岡見城[小坂城  周辺城郭]



牛久周辺を治めた豪族・岡見氏の発祥の地

【歴史】
南北朝時代に小田治久の次男・邦知が岡見の地に封ぜられた際に、築城されたと考えられる。その後、岡見氏は牛久城を居城としたが、この岡見城も何らかの形で拡張は行われていた模様である。北条氏の滅亡と共に岡見氏も滅亡し、同時に廃城となったと思われる。

【遺構】
小野川に接する台地上に造られており、本殿・西殿・南殿という形で構成されている。
本殿には岡見城の石碑と岡見氏の供養塔がある。南北朝期の典型的な方形居館でおり、土塁に囲まれた主郭と、北側に二重の空堀がある。
西殿は、本殿から池を挟んで東側にあるが、私有地のため、遺構の確認はしていない。
南殿は、県道48号線を挟んで東側の台地上にあるが、工事によって、山肌が見えており、ここも遺構の確認はしていない。

【感想】
ほとんど整備が行われていないため、蜘蛛の巣が多く、倒木・倒竹がそのままとなっている。主郭内は完全に藪化しており、中に入ることは無理であった。しかし、主郭を囲む空堀や土塁は綺麗に残っている。
南殿は工事が行われており、貴重な遺構が破壊されてしまうのは残念である。

【アクセス】
牛久駅から「小坂団地」または「牛久浄苑」行きに乗り、岡見会館入口で下車し、徒歩10分。
バス停から国道408号を西に300mほど歩くと、民家の片隅に「岡見城入口」の石碑があるので、そこを曲がり、しばらく歩くと、ビニールハウスがあるあたりに畦道があり、そこが入口となる。
道は細いので、車を停めるスペースはありません。

【写真】
1:岡見城入口の石碑
2:岡見城入口
3:岡見城跡の石碑
4:本殿の空堀
5:本殿東側の土塁
6:南殿の遠景

2020年10月10日 国府左京大夫城介
久野城[小坂城  周辺城郭]



江戸崎土岐氏の支城の一つ

【歴史】
築城年代は不明だが、永禄二年(1559年)には野口備前守の支配下にあり、天正五年(1577年)には土岐越前守の支配下にあった。野口氏は土岐氏の降ったと見られ、そのまま土着したとのこと。廃城したのは不明だが、おそらく土岐氏が没落したのと同時に廃城になったと思慮される。

【遺構】
牛久大仏がある牛久浄苑の南にある台地に築城されている。
乙戸川に面する南側が1郭にあたり、現在は大部分が墓地となっているが、土塁等が遺構も残っている。1郭と3郭の間には横堀があるが、かなり浅く埋められた可能性は高い。3郭には、北西側に折れ曲がった虎口も存在している。また、牛久浄苑と久野城の間は、谷戸となっており、段曲輪らしき遺構も確認できる。


【感想】
特に看板がある訳ではないので、入口が分かりにくかった。草刈りをしていた地元の方に登り口を聞いて、ようやく確信してから登城できました。
主郭部分と思われる部分は墓地となっており、その背後は完全に藪となっていた。一応、空堀や西側の虎口を確認することができた。写真だと、藪が激しくて全くわからない状態ではあるが…

【アクセス】
牛久駅から牛久浄苑行きのバスで、牛久浄苑で下車し、徒歩で10分程。乙戸川の面した南側にある墓地(牛久浄苑ではない地元の墓地)入口から登城できる。
車の場合は、牛久浄苑の駐車場を利用できる。

【写真】
1:久野城の入口
2:1郭の土塁
3:1郭と3郭の空堀
4:3郭の虎口
5:久野城と牛久浄苑の間の谷戸

2020年10月06日 国府左京大夫城介
下小池城[小坂城  周辺城郭]



佐竹・多賀谷の脅威を感じた江戸崎土岐氏が築城

【歴史】
築城年代は不明だが、多賀谷氏の圧力が強まった天正初期と推測される。江戸崎城直属の城番が詰めていたらしい。築城されたが、一度も戦闘することなく、小田原征伐により土岐氏が没落すると同時に廃城になったと推測される。

【遺構】
乙戸川北側の舌状台地に築城され、本郭・二の郭・三の郭の連郭式の城で、現在は小池城址公園となっている。
本郭や二の郭には、土塁や空堀が残っています。特に、二の郭の虎口部分には、内枡形や横矢が残っています。
一方で、かつて畝堀があったようだが、公園造成の際に埋められたようで、その名残らしき浅い堀が公園内に残っている。

【感想】
土塁や空堀、内枡形虎口が明瞭に残っている一方で、畝堀が埋められてしまったのはかなり残念です。三の郭である公園内は比較的綺麗に整備されていますが、本郭や二の郭は藪漕ぎする必要があり、遺構をあまり確認できなかった。また、二の郭に入るとフェンスが存在し、本郭の方に行けないのかと思ったら、別にそういう訳でもなく、普通に行くことができます。
とはいえ、戦国時代の築城技術が使われていることを感じることができるお城だと思います。

【アクセス】
土浦市からレンタサイクルを借りてリア攻めしたので、公共交通機関でのアクセスは不明。ただし、2kmほど東に牛久大仏があるので、バスが近くを通っている可能性はある。
小池城址公園には駐車場があるので、車でのアクセスは容易。

【写真】
1:看板
2:公園内に残る畝堀の跡か?
3:二の郭の虎口
4:二の郭の虎口部分の横矢
5:本郭(左側)と空堀(藪で分かりにくいですが)

2020年09月06日 宇都宮下野守健太郎
小坂城



牛久市ヤマイチ味噌にて岡見城と合わせて
御城印を手に入れました。

2020年08月23日 kazuyou大蔵大輔
小坂城



この城は、小田氏より出た岡見氏の居城です。小さい城ですが、横矢がかりを多用して敵の侵入を防いでいます☝️巧みに造られた城郭です。現在は、城址公園として整備されて、見学しやすくなり、駐車場🅿️4台、大型1台分あります。トイレ🚻はありません。

2020年06月17日 独眼竜常陸介
小坂城入り口ご案内①・②[小坂城  碑・説明板]

とりあえず城主就任を記念して新機能のリア攻め投稿してみましたが、使い方あってるかな?

四の曲輪なんて初めてみました。他の城では、三の曲輪までしか見たことがありませんね❗️

2020年05月24日 みかも内匠助48世
小坂城



潮来の島崎城跡と共に初心者に優しい城跡だと思います。あちこちに説明板もあってとても分かりやすいです。駐車場有。トイレなし。

2020年01月15日 独眼竜常陸介
小坂城



小坂城公園という事になっていますが、あまり整備されていない気がします。
ただ、このお城は小高い場所にあり、川も近くにあるので、石垣作りの天守閣のあるお城だったならば、結構いい城になったのかも⁉️

2019年06月11日 ⛫武蔵の謙
小坂城



四郭、二郭間の二重堀。新編常陸国誌によれば、天文17年に小野川対岸の泉城主、東条重定が小坂の地に攻め寄せ合戦となったという。

2019年06月10日 ⛫武蔵の謙
小坂城



二郭南側斜面の竪堀。本郭、二郭南端部分は国道の拡幅工事により削られてしまい消失する。12/31撮影。

2019年06月07日 ⛫武蔵の謙
小坂城



城の北東部に位置する四郭。天目茶碗や石臼が出土したことから文化的な空間との指摘がある。或いは鬼門除けの祠等が置かれた可能性もあろう。

2019年06月06日 ⛫武蔵の謙
小坂城



本郭への虎口が想定される土塁の切れ目。堀には木橋が架けられていたであろう。虎口の土塁も重厚である。

2019年06月05日 ⛫武蔵の謙
小坂城



二郭北側から見た本郭の堀(右)と二郭の堀。堀には屈曲が有り横矢掛りとなる。小規模ながら技巧的な縄張り。12/31撮影。

2019年06月04日 ⛫武蔵の謙
小坂城



四郭の空堀(手前)と二郭(奥)を区画する空堀。この部分は二重空堀になる。二郭側の空堀は幅、深さも規模が大きい。

2019年06月03日 ⛫武蔵の謙
小坂城



二郭から見た本郭北側の張り出し部分。(出枡形)櫓台があったと推定され、防御する上での司令塔として機能した。2018.12/31撮影。

2019年05月31日 ⛫武蔵の謙
小坂城



三郭、二郭間の虎口。城の北側を通る鎌倉街道を抑える要衝に位置する。一説では牛久城に本拠を移す前の岡見氏の居城ともいわれる。

2018年07月11日 愛甲太閤【相模の狂人】
小坂城

圏央道阿見東ICから南下して国道408号を東に進むと程なく到着しますが、道沿いには目立たない案内看板が出ているだけです。駐車場は4台分あります。
数百メートル四方の小さな城址ですが、外郭の土塁、内部を縦横に走る空堀が見事です。一〜四ノ曲輪まで残っており、土橋、櫓台もよく面影を残しています。整備もよく施されていて、地元の思いが伝わってきます。案内板も分かりやすく、初心者が城郭遺構を学ぶのに好都合ではないかと思います。

2017年12月12日 mas.k上野介60th
小坂城

下草刈もバッチリ、二重空堀がいっぱいで見所満載
小さいけれど見応えのある城跡でした
国道造成で削られた一郭の南西角は堀と土塁の輪郭が
よく分かりますよ

二郭のすぐ北側まで住宅地が迫っていてそのギャップも
いい感じです

これ以上開発が進まないで欲しい城でした

2016年07月30日 
小坂城

かっぱ号に、城址入口停留所ができました。

2015年09月28日 
小坂城

迷子になりそうになった


2015年08月23日 平 右近衛大将 泰次郎 將門
小坂城

国道408号沿い 坂から降りて来るような側道入口に、A2サイズ位の看板「小坂城趾 ←50m」あり

側道入り50mで左側に乗用車4台分と左側の城趾側にマイクロバス一台駐車出来る舗装の駐車場あります

トイレはありません

2015年06月16日 道灌武蔵守?!
小坂城

入り口が分りやすく、駐車場は四台分確保されています。城址公園として、よく整備されているようで、大変見やすかったです。主郭部分が道路拡張の為に削られてしまったようですが、その他の保存状態は素晴らしく、リア攻めする価値は有ると思います。(^^)

2012年01月05日 足軽越中守一歩
小坂城

2012/1/5 現在
駐車場に石碑、階段の工事中でした。

小坂城の周辺スポット情報

 三ノ曲輪(遺構・復元物)

 四ノ曲輪(遺構・復元物)

 二ノ曲輪(遺構・復元物)

 一ノ曲輪(遺構・復元物)

 小坂城入り口ご案内①・②(碑・説明板)

 小坂城と笄松物語(碑・説明板)

 小坂の戦い(碑・説明板)

 櫓台跡(碑・説明板)

 岡見城(周辺城郭)

 下小池城(周辺城郭)

 久野城(周辺城郭)

 泉城(周辺城郭)

 上小池城(周辺城郭)

 下久野城(周辺城郭)

 観音寺館(周辺城郭)

 宝泉寺城(周辺城郭)

 福田城(周辺城郭)

 正直城(周辺城郭)

 駐車場(駐車場)

 鎌倉街道(その他)

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