木原城(きはらじょう)
木原城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 茨城県稲敷郡美浦村大字木原
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 近藤氏
築城年
- 15世紀前期?
主な改修者
- -
主な城主
- 近藤氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 模擬櫓、説明板
周辺の城
-
塙城(茨城県稲敷郡)[3.0km]
江戸崎城(茨城県稲敷市)[7.9km]
神宮寺城(茨城県稲敷市)[10.2km]
小坂城(茨城県牛久市)[10.2km]
木田余城(茨城県土浦市)[10.5km]
土浦城(茨城県土浦市)[10.9km]
宍倉城(茨城県かすみがうら市)[11.2km]
阿波崎城(茨城県稲敷市)[13.8km]
龍ケ崎城(茨城県龍ケ崎市)[15.2km]
馴馬城(茨城県龍ケ崎市)[15.5km]
木原城の解説文
[引用元:Wikipedia「木原城」の項目]
木原城(きはらじょう)または神越城(かみこしじょう)は、茨城県稲敷郡美浦村にあった日本の城(平山城)。
概要
霞ヶ浦南岸に位置し、三の丸、二の丸、本丸(詰曲輪)に向かうに従い標高が低くなるという特徴がある[1]。現在、本丸跡地は「木原城址城山公園」として整備され、春には城山まつりが行われている。二の丸、三の丸跡地は畑になっている。
土岐氏の家臣である近藤氏の居城として知られるが、城や城主近藤氏に関する直接的な史料は極めて少なく、不明な点が多いという[2]。
歴史
近藤氏菩提寺の永厳寺寺伝によると、永正元年(1504年)に居城を失った近藤利勝が「神越之城」に移り住み、永正3年(1506年)には「神越村を木原と改む」とあり、木原城の事とされる。ただしこの「神越之城」と現在の木原城跡が同じ城かは不明とされる。同年、近藤義勝が城主になった。
永禄5年(1562年)、土岐治美が改修をし、近藤義勝が城の守備を任された。
天正2年(1574年)に小田氏の家臣で上条城主の江戸崎監物が寝返り落城した。さらに天正11年(1583年)に常陸国の大半を支配していた、佐竹義重、佐竹義宣、蘆名盛重らの軍に攻められ、また落城した。
天正18年(1590年)に豊臣秀吉の攻撃を受けて後北条氏が滅亡すると、勢力を失った土岐氏の城は、秀吉の家臣となった佐竹義宣に降伏し、天正19年(1591年)蘆名盛重が支配するようになった。関ヶ原の戦いの後、慶長8年(1603年)に徳川家の譜代大名だった内藤清成、青山忠成の所領になったがこの頃に廃城になった。
関連文化財
参考文献
- 美浦村教育委員会 2005年『木原二本松遺跡・木原城址(https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/11587)』美浦村
- 美浦村文化財センター 2019年5月1日 『陸平通信(https://www.vill.miho.lg.jp/data/doc/1556022896_doc_1_0.pdf)』第99号
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木原城の口コミ情報
2026年05月03日 マグロ常陸介祐平
大谷城[木原城 周辺城郭]
独立した台地上に鎮座する、鹿島神社が城址となります。遺跡のしての名称は「木曾ノ内遺跡」となります。800m程南西にある大谷根古屋城(登城口が分からず断念)と同じく波多野形部少輔治宗のお城と伝わり、楯縫神社の天文25年(1556)経巻には大旦那として治宗の名が見られ、根古屋城と隣接する来迎寺には天正14年の秦野形部少輔義兼の位牌が存在するようです。
鹿島神社の石段を登ると中段左手に腰郭状の削平地があり、上段には社殿の建つ主郭となります。本殿の背後には土塁状の土盛りが見られますが(写真8枚目)、堀も付随せず、神社の構造物に見えます。神社の正面の台地の先端には櫓台のようにも感じられる塚があり(写真5枚目)、主郭北西側の降ったところは、端部に土塁状の土盛りが見られる広めの削平地となっています。一見、郭のように見えますが、近年の土取りによるものかもしれません(写真7枚目)。お城の東側は切岸加工されている感じではなく、簡易的な砦のような印象です。
2026年05月02日 マグロ常陸介祐平
廣徳寺館[木原城 周辺城郭]
広徳寺が城址となります。来歴や城主など不明なお城です。広徳寺は、天正11年(1583年)に木原城主近藤氏の菩提寺永厳寺の15代棟庵全梁の開山で、300m程南西にある木原館は近藤氏の2代目あたりの殿様が入居していたと語り継がれていたようで、近藤氏関連のものと思われます。
近年まで、本堂裏に道を挟んで左右3本づつの土塁と2本づつの空堀が見られたようですが、埋まってしまったのかよく分かりませんでした。左側の薮にやや深さのある堀と墓地南側の土壇状の土盛りが該当するのでしょうか。台地の縁に位置しており、山門の手前左側には竪堀のように感じられる通路となっています
2026年05月01日 マグロ常陸介祐平
如来寺[木原城 寺社・史跡]
如来寺は、鎌倉時代初期に親鸞が構えた草庵を起源とする古刹です。健保3年(1215年)上野国片岡郡(高崎観音の麓)の武士片岡源九郎親綱が草庵に滞在する親鸞を訪ねて弟子となり、二十四輩のひとりとなる乗念房領海授(兄の片岡信親も鹿島神宮の大宮司から親鸞の弟子)となっています。不思議なことに如来寺は浄土真宗ではなく、天台宗の寺院となっています。その理由は珍しいもので、石岡市柿岡の如来寺と場所を交換したというものです。真宗のガイドでは、理由は定かではないが、両地とも古くは「片岡」という地名が近隣にあったことから、片岡一族の所領との関係も推測できるとしています。
如来寺は、Googleマップに「如来寺館跡」として位置登録されており、城郭的な構造が見られます。山門から西には土壇状の高まりが50m程伸びており、先端には古墳かもしれませんが櫓台のような雰囲気があります。本堂の西側には塚の上に稲荷社が鎮座し、塚からは土塁状の構造が北に伸びています。
北西に900m程には木原城、西に500m程には木原旧館、南に500m程には木原館、南東に200m程には広徳寺館、北東に200m程には御茶園城と城館に囲まれた立地で、如来寺館のみ遺跡として城館とはなっていませんが、可能性はあるように思われます。
2026年03月01日 ユゥ
木原城
矢倉風展望台から霞ヶ浦を見ることができる
2025年08月11日 多羅尾弾正少弼伴内
木原城
城跡は公園となっており、展望台やトイレも完備しています。土塁や土地の外周の形で、古の城の雰囲気がよくわかると思います。
2025年04月27日 マグロ常陸介祐平
大須賀館[木原城 周辺城郭]
大須賀内記国友の館とされているようです。地元青野家の記録を元にしたとされる民話には、国友の娘の苅萱(さくら)姫は平国香に請われ養女に差し出すも息子の将門が一目惚れして妻とし、将門が秀郷に討たれると、この館に戻り将門の子を出産、小太郎文国と名ずけられ成長すると国友の孫娘と結婚し、青野主殿守守胤と名乗ったとしています。
館跡は、来迎院という元亀2年(1571年)建立のお寺となっています。平安時代の館ということもあり、遺構らしきは見当たりません。お寺の背後が田んぼなので、微高地のようにも思えますが、こじつけこじつけ感は拭えません。
2025年04月26日 マグロ常陸介祐平
船子城[木原城 周辺城郭]
地元福田家の文書によると、観応2年(1351年)に小田孝朝の庶子佐野次郎義英(母親の姓を名乗る)を館主としたとしているようですが、小田孝朝は建武4年(1337年)の生まれなので辻褄が会いません。近くにある海源寺の薬師如来像の明応10年(1502年)の墨書に大旦那土岐原源治郎 旦那佐野吉秀とあることから、この頃には舟子城佐野氏は、小田氏の支配から土岐原氏の支配下に移ったようです。
縄張り図を事前確認せずに訪問してしまい、Googleマップの位置登録地付近を探索しました。北側からは入れず、集合住宅の脇抜け、北側から入城しました(写真3,4枚目)。堀状の溝(写真1枚目)と薮の中に塚状の土盛り(写真2枚目,古墳?)が見られましたが、遺構かどうかは微妙なものでした。帰宅して茨城県の中世城館の縄張り図を見たところ、探索した場所には遺構は示されておらず、ソーラー発電の北側に僅かに土塁が残る様でした。機会があれば再訪したいと思います。
2025年03月01日 千葉下総守修太郎
木原城
土塁から見ると、空堀が深くて驚きました。霞ヶ浦も見えました。
2024年08月17日 武蔵守のむげん
木原城
入口が少しわかりにくいですが、北側からアプローチすると駐車場が分かります。木原城址公園として整備されており、広い駐車場、トイレ、自販機あり。中心部は公園の広場となっており、巨大な遊具や矢倉風の塔がそびえ立ち、登れば
眺望がききます。周囲には土塁と堀が巡っているのが確認できる。ただ真夏は雑草の類が多く、涼しい時期にまた確認に来たいと思う。
2024年04月15日 マグロ常陸介祐平
木原城
木原城址公園として整備されており、案内板も充実しています。主郭である詰曲輪は、北の霞ヶ浦側を除き深い堀が囲み、搦手付近の土塁は霞ヶ浦から城内が見えないよう高い土塁に守られています。また、二の曲輪も空堀が見られ、南側には高さのある土塁が残っています。自然地形を利用した城というよりは、大変な土木量で作り込んだお城という感じを受けます。
土岐原氏の家臣近藤氏が長く城主をつとめたようですが、小田原の役後は佐竹氏の支配となり、関ヶ原の戦いによる佐竹氏の秋田移封頃まで存続したようで、詰曲輪や二の曲輪の土橋付近は近世城郭の雰囲気を感じます。
近藤氏の菩提寺の永厳寺も寺郭(こちらは自然地形を活用)とされており、城域は広大です。
詰曲輪は、チューリップの名所で、ちょうど見頃でした。
2023年07月17日 ᴿᴱᴰ副将軍
木原城
大規模な空堀、高土塁が残存する北条氏改修と考えられる公園城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。1504年に江戸崎城の土岐氏の家臣である近藤利勝は、伊佐部村にあった居城が焼失したために神越之城に移ったと伝わります。1506年に「神越村を木原と改む」との記録あることから神越之城が木原城であると云われています。土岐氏は小田氏との争いが続いており、1523年には小田城の小田政治が木原城を攻撃したと伝わります。1574年には、小田氏家臣で上条城の江戸崎監物が佐竹氏に寝返り、木原城に攻め寄せて落城。1583年には、佐竹義重、芦名盛重らの佐竹軍が侵攻し落城。芦名盛重が入城するも、後に土岐治綱により奪還。1590年、豊臣秀吉による小田原征伐において土岐氏は佐竹義宣に降伏し、芦名盛重が再度入城したとも云われます。土岐氏と小田原北条氏が同盟関係であった様で、小規模な在地土豪の城とは思えない大規模な土塁や空堀は北条氏による改修と考えるのが一般的です。
見所
現在は、木原城址城山公園として整備されています。公園化や小学校敷地となり大きく改変を受けていますが、主郭や二郭を巡る高土塁、空堀が残っています。特に二郭と稲荷曲輪を隔てる空堀(写真①②)が良好であり、空堀のヤブに入って行くと、公園利用者からの奇異なものを見る視線が突き刺さりましたが慣れっ子です💦(泣いてませんよ)北条テイストの見事な空堀でしたが冬期に訪城すべきでした。
2023年05月29日 黒はんぺん加賀守
木原城
スマホナビで行きました。こんな狭い道を案内してあってんのかよと思ったら、あってました。駐車場はあります。
2022年11月06日 PP上野介james
木原城
土塁や堀がよく分かります*\(^o^)/*矢倉風展望台かなり高いので、霞ヶ浦が見えました。キレイに整備されて、駐車場やトイレもあります
2021年04月17日 皆川志摩守
木原城
城跡は公園になっています。本曲輪跡からは霞ヶ浦や筑波山が望めます。
2020年09月06日 kazuyou大蔵大輔
木原城
本丸、ニの丸の空堀や、土塁は見事なまでに良く保存されています。本丸には、矢倉風展望台があり、周りの景色や、本丸を一望できます☝️トイレ🚻もあります。また、木原小学校付近にも、土塁等の遺構が残っていますので散策が楽しいです。
2019年06月20日 ⛫武蔵の加賀守の謙
木原城
永厳寺本堂裏の土塁。前方に進むと出丸へと続く。寺伝によれば、応永元年に開基した近藤利貞公の頃には木原の地を居所としたようだ。
2019年06月14日 ⛫武蔵の加賀守の謙
木原城
二郭、三郭間の堀。永禄年間の小田氏の衰退を期に、江戸崎土岐氏が東条庄、信太庄を支配。家臣の近藤氏が木原の地に入部する。
2019年06月13日 ⛫武蔵の加賀守の謙
木原城
二郭北側の水濠。北条氏の佐竹氏に対する最前線基地と位置付けられる。広大な城域を有し、大部隊が駐屯したと考えられる。12/31撮影。
2019年06月12日 ⛫武蔵の加賀守の謙
木原城
本郭南側の堀。天正元年に佐竹勢が対岸の霞ヶ浦北岸まで侵攻。それに備えて北条氏の支援を受け、境目の城として土岐氏が整備したと考えられる。
2017年11月12日 なぞの旅人フー甲斐守
木原城
車で行かれる方へ
小学校の横の道を入って行くと公園入口になりますが、門の中に駐車場がありますので、車で入っていって下さい。奥の駐車場が本丸側ですが、土塁から見るなら、手間の駐車場に停める方が良いと思います。
又、霞ヶ浦をしっかり見たいなら、ここから10分の所に大須賀津湖畔農村公園があり、そこの展望台が良いと思います。駐車場は3台程度ありますが、現在途中の道路が工事中でカーナビが迷うと思います。カーナビが迷った辺りには高い建物のなく、展望台ぽいのが見えますので、そちらの方向に車を走らせれば大丈夫です。ご参考迄に。
2016年02月22日 藤井伊賀守
木原城
城址公園の主郭、二郭も、素晴らしいが、国道山林内に残る、外郭の二重空堀が、素晴らしい!あれは、見ないと損です。
2015年01月04日 弟謙
木原城
土塁を超えた場所に広い公園があり、家族で隠れん坊したり、とても楽しめる城址でした‼️
2011年08月06日 さくら主膳佑にゃ〜
木原城
2011年8月20日(土)14時〜現地説明会が開催されますよ〜。これを機会に十数年振りに訪問したいモノですが、8月は休みのほとんどを野球観戦に費やしてしまう(^-^;
木原城の周辺スポット情報
空堀(遺構・復元物)
二の丸跡(遺構・復元物)
土塁(遺構・復元物)
案内板(碑・説明板)
説明板(碑・説明板)
説明板(碑・説明板)
大谷根古屋城(周辺城郭)
船子城(周辺城郭)
花見塚狼煙台(周辺城郭)
大谷城(周辺城郭)
茂呂狼煙台(周辺城郭)
馬掛城(周辺城郭)
端山東狼煙台(周辺城郭)
余郷狼煙台(周辺城郭)
大須賀館(周辺城郭)
木原旧館(周辺城郭)
廣徳寺館(周辺城郭)
御茶園城(周辺城郭)
木原館(周辺城郭)
信太城(周辺城郭)
永巖寺(寺社・史跡)
興津貝塚(寺社・史跡)
陸平貝塚(寺社・史跡)
如来寺(寺社・史跡)
公衆トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
駐車場(駐車場)
矢倉風展望台(その他)
休憩小屋(その他)
公園遊具(その他)









