阿波崎城(あばざきじょう)

阿波崎城の基本情報

通称・別名

所在地

茨城県稲敷市阿波崎2316他

旧国名

常陸国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

北畠親房

築城年

延元3年〔南朝〕/暦応元年〔北朝〕(1338)

主な改修者

主な城主

北畠親房

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)

指定文化財

県史跡(阿波崎城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

神宮寺城(茨城県稲敷市)[4.3km]
江戸崎城(茨城県稲敷市)[8.8km]
島崎城(茨城県潮来市)[10.8km]
大崎城(千葉県香取市)[11.0km]
小高城(茨城県行方市)[11.0km]
木原城(茨城県稲敷郡)[13.8km]
塙城(茨城県稲敷郡)[15.3km]
長沼城(千葉県成田市)[16.1km]
前林城(千葉県成田市)[16.4km]
津賀城(茨城県鹿嶋市)[17.6km]

阿波崎城の口コミ情報

2023年12月03日 国府左京大夫城介
神崎城(東の城)[阿波崎城  周辺城郭]



利根川沿いに築かれた千葉では珍しい一城別郭の城

【歴史】
鎌倉時代の中頃に、神崎師時(千葉常胤の曾孫)が築いたと伝わる。

神崎(こうざき)氏は千葉胤正の七男の家系で、宝治合戦(1247年)の後に、神崎師時が香取郡神崎庄を賜ったことから、神崎氏と名乗るようになった。室町時代になると、千葉氏の直臣となっており、上杉禅秀の乱や永享の乱などに参戦している。小田原征伐の時には、千葉氏に従い、湯本口を守っている。
小田原落城後の神崎氏の動向は不明だが、江戸時代中期に千葉氏の再興活動をしていた千葉祥胤が、下総大須賀郷を訪れた際に、神崎胤資と面会しており、その際に神崎氏の家系図を与えたという。

【遺構】
神崎城は「東の城」、「中の城」、「西の城」で構成された一城別郭の城で、南側の田向城、西側の小松城が出城としての役割を担っており、その範囲は東西1.5km、南北1.5kmにも及ぶ。

「東の城」は下総神崎駅から北西約650mにある台地(標高30m/比高25m)に築かれており、一番最初に築いたと推定されている。
遺構は曲輪、腰曲輪、土塁、空堀があり、3城の中で最もよく残っている。空堀は堀底道として用いられており、現在も遊歩道として用いられている。また、空堀の東には土塁と竪堀を置くことで、空堀に入る口を狭めている。主郭の北側から西側にかけて土塁があり、中の城方面から攻めてこられた場合に備えている。

「中の城」は下総神崎駅から西に約850mにある台地(標高30m/比高25m)に築かれている。
遺構は曲輪、腰曲輪、空堀、櫓台が残っている。櫓台は古墳を利用したものではあるが、北側にある空堀からはやや死角となっている。中の城の南側麓には神宮寺があり、その付近の鞍部には土橋を有する空堀があったようだが消滅している。

「西の城」は下総神崎駅から西に約1kmにある台地(標高36m/比高30m)に築かれている。
城域は3つの中で最も広いが、現在は「わくわく西の城」という公共施設により遺構の多くは消滅しており、土塁が僅かに残る程度である。また、西之城貝塚という縄文時代の遺跡も残っている。

【感想】
千葉県内ではかなり珍しい一城別郭の城で、出城を含むとかなり広大な城郭です。城内を横断するように空堀を使った遊歩道があるため、比較的見学しやすいです。一方で、遊歩道から外れた所は藪が茂っている箇所もあったり、中の城のように畑になっている箇所もあるので、見学する際は気を付けてください。

東の城は遺構がかなり良く残っており、特に空堀は深さと幅もかなり大きく立派なものです。折れや虎口、馬出っぽい曲輪、竪堀などがあり、戦国時代に改修されていることが分かります。ただし、稲荷神社がある主郭部分や腰曲輪部分は藪があり、遺構が分かりにくいです。
中の城は北側の空堀と腰曲輪、古墳を利用した櫓台があり、北側の防御が重きを置いてます。また、麓にある神宮寺には「神宮寺文書」というものが残っており、千葉県では貴重な中世の史料だそうです。現在は県立中央博物館大利根分館に保管されているとのことです。
西の城は公共施設があるため、往時の姿が全く分からなくなっているのが残念です。

【アクセス】
下総神崎駅から徒歩10分で、東の城に着く。
車の場合は「わくわく西の城」の駐車場を利用するとよい。

【写真】
①遠景(左から東の城・中の城・西の城)
②空堀(東の城)
③土塁(東の城)
④空堀(中の城)
⑤櫓台(中の城)
⑥西の城入口
⑦神宮寺

2023年08月27日 RED副将軍
阿波崎城



後醍醐天皇の側近であった北畠親房の転戦の拠点🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

1338年に北畠親房により築城。
北畠親房は、南朝を樹立した後醍醐天皇の側近。
1338年に鎮守府大将軍として活躍した嫡男の北畠顕家や官軍総大将の新田貞義が相次いで討死。南朝方の勢力挽回のために次男の北畠顕信を鎮守府将軍に任じ、義良親王・宗良親王を奉じて伊勢国から奥州に海路で向かいました。しかし、遠州灘にて暴風に遭い、北畠顕信と義良親王の舟は伊勢に引き戻され、北畠親房は常陸国東条浦に漂着。
北畠親房は南朝方の東条氏に迎えられ小田氏の神宮寺城に籠もり、南朝勢力の地盤を築こうとしましたが、北朝方の佐竹氏や大掾氏に攻められ神宮寺城は落城。
その後、北畠親房が新たに築いて拠点としたのが阿波崎城です。しかし、ほどなくして阿波崎城も落城し小田城に移ったとされます。
その後、北畠親房は小田氏に見限られると、関宗祐の関城、伊佐氏の伊佐城、下妻氏の大宝城といった南朝勢力の城に入り転戦し、1343年には吉野へ帰還しました。

見所
低湿地帯に囲まれた比高20m程度の台地上に築かれています。
本来、主郭であった部分はゴルフ場となり消失。台地先端部の二郭に相当する「外丸」と呼ばれる部分が城跡公園として残っています。
南北朝時代の城郭とされますが、鋭い切岸に段郭が連なり、切り通し状の虎口地形が明瞭に確認できることから戦国時代にも改修され利用されていたと思われます。

行き方は、霞南ゴルフ倶楽部を目標に向かいます。北東の道沿いに案内板が立ち、そこから車で入ると城跡直下に駐車スペースがあり、気軽に行くことができます。

2022年05月05日 ぷっぷ
阿波崎城

小さな山城で、軽自動車の轍の跡を少し登ると、まもなく頂上部の広場があり、天神様が祀られていました。北畠親房公を助けて、城で戦った祖霊の遺徳を記録する、案内板がありました。

2022年03月27日 マグロ常陸介祐平
阿波崎城



南北朝時代の城址ですが曲輪がわかりやすく残っています。近くの満願寺は元禄年間建立の山門が残る行基開山の古刹ですが、城との関連はわかりませんでした。

2022年01月18日 弾正少弼しろし
阿波崎城



こじんまりとした城です。往時は、もっと大きかったんだろうけど攻めやすそうな感じで北畠さんも守りきれなかったみたいです。

2021年06月20日 千葉相模守早雲
阿波崎城



曲輪、土塁、空堀など南北朝時代の遺構が残っています。北畠親房が近隣の神宮寺城から逃れて一時立て籠もったそうです。北畠親房卿城跡と阿波崎城址の碑が並んで立っています。

2021年03月30日 しげる安房守
阿波崎城

入口に看板が有り、分かりやすいです。雨の翌日に行ったので足元が非常に悪かったです。雨の後に行く場合にひ、長靴等が必須と感じます。綺麗に整備されていて散策しやすいです。見晴らしも良く、桜も綺麗でした。また、来春訪れようと思います。

2020年09月20日 kazuyou大蔵大輔
阿波崎城



南北朝時代の貴重な遺構です。大部分がゴルフ場となりましたが、往時を偲ぶ土塁が残っています☝️南北朝争乱の時代を偲ぶ事ができる城跡です☝️車は2台くらい停められる場所があります

2020年01月20日 独眼竜常陸介
阿波崎城



割りと小高い場所にあった城のようです。近くの神宮寺城もそうですが、こちらの城も北畠親房公が立て籠った城のようです。
平時ならば見渡しの良い場所のようで、霞ヶ浦の対岸まで見えて絶景でした。

2015年09月19日 道灌武蔵守道灌?!
阿波崎城

日が暮れ始め、慌てて最後に訪れた阿波崎城址♪

山の地形を利用した曲輪の配置で、もう少し良く見学したかったのですが…(^^;

やはり十分に見学の時間が取れず、後ろ髪を引かれる思いでリア攻めから退陣しました。

また後日再リア攻めに訪れたいです♪(^^)

阿波崎城の周辺スポット情報

 説明板(碑・説明板)

 浮島城(周辺城郭)

 神崎城(東の城)(周辺城郭)

 神崎城(中の城)(周辺城郭)

 神崎城(西の城)(周辺城郭)

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