小高城(おだかじょう)
小高城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 茨城県行方市小高御城
旧国名
- 常陸国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 小高為幹
築城年
- 建久3年(1192)
主な改修者
- -
主な城主
- 小高氏、北義憲、大山義則
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
津賀城(茨城県鹿嶋市)[9.5km]
中居城(茨城県鉾田市)[9.7km]
島崎城(茨城県潮来市)[10.0km]
阿波崎城(茨城県稲敷市)[11.0km]
芹沢城(茨城県行方市)[12.3km]
神宮寺城(茨城県稲敷市)[13.2km]
鹿島城(茨城県鹿嶋市)[15.3km]
宍倉城(茨城県かすみがうら市)[15.7km]
木原城(茨城県稲敷郡)[16.8km]
徳宿城(茨城県鉾田市)[16.8km]
小高城の口コミ情報
2023年10月18日 大膳大夫しろし
小高城
近くの常光院には秋田に着いて行かなかった佐竹家家臣のお墓と桃山様式の山門があります。たまたま声を掛けてくれたお寺のお姉さんにお寺から城跡までの案内図と自作のマグネットシールを貰っちゃいました。
2023年05月15日 RED副将軍
手賀城[小高城 周辺城郭]
南方三十三館の仕置きで佐竹氏により謀殺され滅亡した手賀氏の居城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。在地土豪の手賀氏によって築かれたその居城と云われます。
手賀氏は、大掾氏の一族で玉造幹政の次男である玉造政家が手賀郷を領して手賀氏を称したのが始まりとされます。
1425年に手賀出羽守は鹿島社造営奉行を勤めるほどの勢力がありました。
1559年、手賀景幹は玉造宗幹とともに小田氏治を柄崎で撃退。
1591年、手賀高幹の兄弟は佐竹義宣の「南方三十三館の仕置」によって常陸太田城にて謀殺されてしまい手賀氏は滅亡しました。
見所
主郭、副郭を土塁と長大な二重横堀(一部は三重横堀となっている)が巡る圧巻の縄張りです。
主郭北側の馬出より大空堀を見下ろせば10m近いかなりの深さです。
凄まじい竹藪と倒木で覆われていますが、小幡城と同等の深さが体験できます。
私は城友さんのアテンドで登城しましたが、地元の方でも入らない様な激ヤブ城ですので登城の際はご注意下さいませ。
※素晴らしい遺構が残っていますが竹藪に覆われ、写真では伝わり難いです。手練れの山城ハンターの皆様は心眼を用いてご覧下さい🙇♀️
2021年04月11日 龍馬備中守【】
手賀城[小高城 周辺城郭]
茨城県の行方市にある手賀城☆この城郭もまた南方三十三館の仕置きで滅亡に追い込まれる城郭の1城です。。
築城年代は不明です☆手賀氏によって築かれたと伝わります☆手賀氏は常陸大掾氏一族で玉造幹政の次男政家が手賀郷に住んで手賀氏を称した事に始まりました☆
手賀出羽守は鹿島社造営奉行を勤めました☆手賀太郎景幹は玉造宗幹と共に小田氏治軍を柄崎で撃退します☆時は流れ城主・手賀高幹兄弟の時代に佐竹義宣の【南方三十三館の仕置】の際に常陸太田城に呼び出しを喰らい謀殺され手賀氏は滅亡しちゃいました☆
手賀氏の菩提寺である養徳寺の東方にあり、南西に伸びた台地の南端に築かれています☆
主郭、副郭から北東に伸びる郭先端に土塁を構え下に巨大な二重横堀を持ちます♪場所によっては三重堀を造ります☆大手道は西側に堀底道を伴う動線があってそこだと思われます☆ゲキ藪の為、登城の際はそこからをオススメします☆遺構としては抜群で人が立ち入りをしていないので明瞭に残っています☆
2019年06月23日 愛甲太閤【相模の狂人】
小高城
内御城の北西側には空堀を挟んで小さな帯曲輪らしきがあり、ここも堀切等で防御されています。浄光院のある方向からの攻撃に備えていたのでしょう。★道には虎口らしきがあリますが、しばらく下ってゆくと森の中に消えていて、今は浄光院方面からは登れないようです。
2019年06月11日 愛甲太閤【相模の狂人】
小高城
内御城の東側にも深い空堀が走っていて、その南端近くには横矢がかりらしい張り出しも出ていて、戦国時代らしい軍事要塞の顔を垣間見せています。★この空堀からは東隣の万台と呼ばれる郭に登る虎口があります。万台は完全な森で下草に埋め尽くされた強烈なヤブですが、周囲の土塁はガッチリ残っています。
2019年06月09日 愛甲太閤【相模の狂人】
小高城
めくるめく遺構の世界は内御城、万台という2つの郭とその周りですが、完全な森で、落ち葉が積もる上に草も深く、足場は悪いです。内御城を取り巻く空堀ははっきりした薬研堀で深さも幅もあり、忘れられた土木遺構の雰囲気たっぷりです。★内御城、万台といった郭の名前は現地には全く表示がありません。現在地の把握は怠りなく…
2019年06月09日 愛甲太閤【相模の狂人】
中城[小高城 遺構・復元物]
小高城に入るには、先人の情報どおり城址の説明板のところから畑の中の道を入っていきます。300mほどでこの中城と呼ばれる郭に着きますが、完全な畑です。手前には空堀が走っているようですが、酷いヤブで内部を覗うのは無理でしょう。★道はさらに東に伸びて森の中に入っていき、間もなく内御城の空堀に入ります。
2016年10月19日 まー刑部卿
小高城
県道50号沿いにある『かすみ薬局』向かい側の道に入ると小高城跡の案内板まで道なりに進むことができる。
2016年10月19日 まー刑部卿
小高城
地図に位置されてるとおりに行き舗装された道路をひたすら進むと案内板がある。(それを知らずに城跡の周りを一周し時間をロスしていた。)その前に一台分駐車出来る。そこから畑に行く道をひたすら進む。軽自動車なら行けるが農作業の方の車の邪魔にならないよう歩くのが良いです。畑の間を進むと空堀と上(二の郭)に行く分岐点がある。空堀を進むと本郭に着く。二の郭の周りに空堀が良好な状態で残っている。本郭は四方を土塁に囲まれているが本郭中心部は藪で覆われている。本郭の土塁を辿ってみたら倒木や蜘蛛の巣に憚れてはいたが何とか一周出来た。