津賀城(つがじょう)

津賀城の基本情報

通称・別名

所在地

茨城県鹿嶋市津賀(津賀城址公園)

旧国名

常陸国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

津賀氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(津賀城跡)

再建造物

説明板

周辺の城

中居城(茨城県鉾田市)[5.3km]
鹿島城(茨城県鹿嶋市)[8.5km]
島崎城(茨城県潮来市)[9.4km]
小高城(茨城県行方市)[9.5km]
徳宿城(茨城県鉾田市)[17.2km]
阿波崎城(茨城県稲敷市)[17.6km]
芹沢城(茨城県行方市)[18.1km]
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大崎城(千葉県香取市)[20.3km]
神宮寺城(茨城県稲敷市)[21.2km]

津賀城の口コミ情報

2025年11月13日 河堤北星
文太長者屋敷[津賀城  周辺城郭]

御伽草子『文正草子』の主人公である文太長者の居館があったとされています。現在は大野潮騒はまなす公園として整備されています。

※注意※以下において、出典とする『文正草子』はおとぎ話とされていますが、(他にそれらしい文献がないので)内容は真実であると仮定して解説します。また、読み物として『文正草子』のネタバレも含まれますのでご注意ください。

屋敷主とされる文太長者は元々鹿島神宮に仕える下男でした。とある日に文太は自分の力で他のことも試してみたいと言い、鹿島神宮宮司に惜しまれながらも神社を離れ、角折の浜という場所に移り住んだとされています。「角折の浜」は現在の鹿嶋市(旧・大野村)であるとされ、この時点で後の文太長者屋敷とされる場所に住んだとされています。
角折の浜に移り住んだ文太は、塩焼きをはじめ、その塩は上等で評判となったそうです。わざわざ遠国から買いに来る人もいたそうで、文太はお金持ちになり、「塩焼きの文太長者」と呼ばれたそうです。城という面で見ると、文太長者屋敷はこの頃に元々の家屋を増築する形で築城されたと考えられます。
その後、文太は「文正」と改名し、近くの村の豪族の娘と結婚したそうです。不自由なく生活していたものの子宝に恵まれず、鹿島神宮に願掛けすると、2年連続して女児が生まれ、それぞれ蓮華御前(姉)と蓮御前(妹)と名付けられました。とても美しいと評判になり、蓮華御前は中将の嫁に、蓮御前は帝の后になったそうです。文正(文太)は二人がいる都へと行き、大納言にまで出世したそうです。おそらく、屋敷はこの際に廃城になったと考察できます。

以上が民話『文正草子』を交えた屋敷の来歴についてです。冒頭の通り、現在跡地は大野潮騒はまなす公園として整備されており、付近には土塁や空堀と推定される地形が残っています。しかし、公園内に公民館を建てる際に発掘調査も行われましたがこれ以上のものは特に何も発見されなかったそうです。そもそもとして、これらが実話の場合、『文正草子』に登場する「豪族」や「帝(=天皇)」とは誰を指しているのでしょうかね?特に蓮御前は天皇に嫁いでいるので他の文献にも少しくらい登場しそうなものですが、それらしい人物は見つかりませんでした。もちろん民話としての脚色の可能性も大きいですが、やはり気になるところではあります。脚色だとすると、この話はどこまでが実話なのでしょうかね?文太本人自体も民話上の人物でその存在が不明確なため、この遺跡が本当に文太の屋敷跡なのかも怪しいところです。
文太が実在したとしても、少し気になるのは、『文正草子』を見る限り文太は中世の人物と言えど、どちらかといえば庶民(もしくは官民)であり、戦などとは無縁そうな気がすることです。堀や土塁があったとしても、強盗対策として造られたものの可能性もあります。その場合この遺跡は城館なのかも微妙になります。ただ『全国文化財総覧』には住居跡ではなく城跡として記載されています。

大野潮騒はまなす公園には「文太長者屋敷跡」の石碑も建っています。文太が実在したにしろ架空にしろ、土塁がある以上は何かしらあったのは確実でしょう。民話でのみ伝えられる謎の城主・文太と大野の土塁。ぜひ見に行ってみてください。城跡としてではなくても、公園自体自然豊かで景色もいいですので行く価値はあると思います。
ちなみに、最寄り駅は「長者ヶ浜しおさいはまなす公園前」です。元・日本一ながい駅名です。「長者」はやはり文太のことなのでしょうかね?

城郭基本情報
名称(よみ)  文太長者屋敷(ぶんたちょうじゃ)
通称・別名   文正屋敷、大野の遺跡
所在地     茨城県鹿嶋市角折忠2096
問い合わせ   鹿嶋市
分類・構造   平山城?
天守構造    なし
築城主     文太
築城年     中世
主な城主    文太長者(文正)
廃城年     不明(築城して20年程後?)
遺構      土塁、堀
指定文化財   なし
再建建造物   なし
跡地      大野潮騒はまなす公園
アクセス    最寄り駅より徒歩15分
おすすめ度   ★★★☆☆
見学所要時間  20分
服装目安    普通

2025年06月25日 クーの隠れ家s#s
登城口[津賀城  碑・説明板]

登城口は小学校を背にして湖に向かっています。

2024年02月02日 ᴿᴱᴰ副将軍
津賀城



詳細不明の津賀氏の居城🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代、築城主等の詳細不詳。
鹿島治乱記に出てくる津賀大吹介の居城と伝わります。
津賀氏の出自も不明で鎌倉中期から戦国時代にかけて支配していたとされるもその他の詳細は不明です。

見所
南西に北浦を望む標高約40mの丘陵上に築かれています。
主郭は土塁が巡り、南東の尾根を二重の空堀で分断し土橋が架かります。
現在は#津賀城址公園 として整備されていますが、公園化に伴い主郭周辺以外の遺構は消失し改変を受けています。
見事な横堀、土塁が残るが故に残念です。

2022年07月19日 ako大宰少弐
津賀城



城址公園のとなりは、小学校でした。公園に駐車場があります。

2022年01月27日 大膳大夫しろし
津賀城



眺めの良い本丸。こじんまりとした城跡、本丸の領域は結構でこぼこしてていろいろな工夫があったようです。

2019年08月25日 源山城守ポンコ2…
津賀城



北浦海岸通を北浦大橋に向かって南下してると、「津賀城址公営」の看板が見え東に入ります。
行った日は10数台駐車してましたが、まだまだ余裕の駐車場、トイレが完備してます。駐車場は休憩で停められてるようでした。バス停もあり、公共交通機関でも訪問可能です(バス待ちの方もおられました)。

トイレ前を通り、右折して山際を数分歩いていくと「津賀城」に関する案内板と整備された階段があります。行った日は雨天で傘さし革靴でしたが、余裕で上がれました。
平日の昼のせいか、たくさん駐車してるわりに、城内は人おらずでした。

上がると空堀や最初の虎口が見え、その先進むと左に一ノ郭、右に二ノ郭への分岐となってます。一ノ郭は土橋と虎口が、二ノ郭は虎口が見えます。
また、振り返ると北浦を望む見晴らしがよかったです。
一ノ郭は空堀と土塁で囲まれ、小規模ながら城址を感じることできます。
二ノ郭も遠目に見たところ同じような感じでした。

単純な縄張りですが、こじんまりしてホッとできるとこでした。
木の下を通ったせいか、虫を連れ車に戻り、車内で虫退治に手こずりました。。

2019年06月10日 愛甲左京大夫【相模の狂人】
津賀城



霞ヶ浦東岸から少し入った比高40mばかりの小さな山がそのまま主郭になっています。麓は公園化されており、主郭の周囲に残る遺構も多くはありませんが、主郭を守るかなり高い土塁が見ものです。★西の端には霞ヶ浦を一望する展望台が建てられていますが、かつて物見台などがあったのでしょうか…

2019年05月14日 龍馬備中守【】
津賀城



主郭・虎口側の長く伸びる土橋と(奥)土塁部は馬出し☆土橋の両側は空堀が完備☆対立した鹿島城側を集中的に防御☆

2019年05月11日 龍馬備中守【】
津賀城



主郭・土塁☆同エリアは鹿島城の松本備前守尚勝と戦いこれを破る☆主郭の南側に鹿島城があり主郭土塁も南側だけ高くなる☆

2015年11月29日 雑賀
津賀城

目の前に北浦、その向こうに筑波山!景色最高… 
津賀城址公園として整備されており、広い無料駐車場、トイレが併設されています。付近には小ぶりの城址がいくつかあるので、綺麗な景色や水面に架かる長い橋を堪能しつつ一日楽しめそうです。 
以下案内板より『北浦に面する台地に築かれた中世の平山城。城山は平坦で土塁や空堀がよく残り、二段に廻っている』 

津賀城の周辺スポット情報

 登城口(碑・説明板)

 文太長者屋敷(周辺城郭)

 津賀城址公園駐車場(駐車場)

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