島崎城(しまざきじょう)

島崎城の基本情報

通称・別名

嶋崎城

所在地

茨城県潮来市島須530他

旧国名

常陸国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

島崎(行方)高幹

築城年

室町時代中期

主な改修者

主な城主

島崎氏

廃城年

天正19年(1591)

遺構

曲輪、腰曲輪、土塁、空堀、馬出、井戸

指定文化財

市史跡(島崎城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

鹿島城(茨城県鹿嶋市)[7.9km]
津賀城(茨城県鹿嶋市)[9.4km]
小高城(茨城県行方市)[10.0km]
阿波崎城(茨城県稲敷市)[10.8km]
大崎城(千葉県香取市)[10.9km]

島崎城の解説文

島崎城は常陸大掾氏の一族行方宗幹(景幹)の次子高幹が、鎌倉時代の始め島崎氏を名乗り、この地に住したことから始まった。

代々左衛門尉を称し小高、麻生、玉造など行方四頭と呼ばれ、それら諸氏の中で最大の武威を誇り、領内に数か所の支城を配していた。

戦国後期には麻生氏など同族を滅ぼし、鹿島氏も攻略し「南方三十三館」で筆頭の地位を得た。しかし、天正19年(1591)城主義幹は、佐竹義宣によって謀殺され落城した。

島崎城の縄張りは湿地帯の中へ北から南に突き出した台地の先端に主郭を置き、土塁と空堀で遮断しながら第五の曲輪まで順次下位の曲輪を配している。殊に第三の曲輪は広大でその北の空堀の深さは10mを越えている。

外構えは古宿、西側に表門搦手口に金井柵、麓部を根小屋、表門周辺は古屋、西出口を宿、南にかけて芝宿があり、集落の発達過程を示し、また水の手曲輪も井戸と共に現存する。

居住性と共に軍事性を重視した城造りは、他に類を見ることはできない。

情報提供:潮来市立中央公民館

島崎城の口コミ情報

立花飛騨守様[2017年05月08日]
この城主は、佐竹にだまし討ちにされたせいか、この城跡出るみたいです(笑)

堀底を歩いてたら、足を掴まれたとか?ただ倒木に足を取られただけだろう(笑)

遺構は素晴らしいですが、荒れ放題です。ヤブが苦手な方はお覚悟を。

集落内に入り口があるので、駐車場所にも苦労します。


藤井伊賀守様[2016年02月22日]
ヤブが、すごいですが、堀切のきぼも、ものすごい!かっこよすぎる!

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