堀之内大台城
堀之内大台城([島崎城 周辺城郭])
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堀之内大台城の口コミ情報
2025年07月11日 マグロ常陸介祐平
佐竹氏が、南方三十三館の仕置において鹿島-行方地区の領主を謀殺し、新たな拠点として島崎城近くに築いたお城です。佐竹氏の重臣の小貫頼久が城代を務めています。お城は、文禄3~4年頃(1594~95年)から築城を始め、慶長元年(1596年)に完成、慶長7年に佐竹氏が秋田に移ると廃城となっています。城跡には、昭和後期に中学校が建設され、遺構は残っていません。
中学校建設前に発掘調査が行われ、「歴史と旅 1984年11月号」によると、「東国では初めてとなる石塔・墓石転用の主殿(三間四方の対面所、三間四方の土間)跡が出土、主殿の正面には砂盛と壮大な枯山山水庭が築かれていたことも確認されています。また、虎口からは城門跡礎石群と柱跡、一の曲輪土塁コーナーからは天守建築相当の櫓跡、堀切からは廊下橋門と渡り櫓跡の礎石群、長屋二棟分の柱穴群などが次々と見つかり、城郭史を書き換えるような発見が相次いでいる。」と在りし日の航空写真と共に紹介されています。城跡から出土した墓石(供養塔)は、二本松寺に並んでいます。(島崎城跡を守る会のサイト参照)
戦国期と近世を繋ぐ貴重な遺構ということで、保存会まで結成されたようですが、公共事業の為に消滅したのは残念なことです。遺構がよく残る島崎城と対称的に破壊されたのは、島崎氏の遺臣の子孫による、佐竹氏への恨みとの説もあるようですが(朝鮮総督府みたいですね)、本当でしょうか。
幸いなことに、登録城である茨城県内の逆井城に、発掘調査を元にした主殿が復元されています。