大崎城(おおさきじょう)

大崎城の基本情報

通称・別名

矢作城、城山

所在地

千葉県香取市大崎字城の内他

旧国名

下総国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

国分胤通

築城年

鎌倉時代前期

主な改修者

主な城主

国分氏、鳥居氏

廃城年

慶長5年(1600)頃

遺構

土塁、横堀(空堀)、掘立柱建物跡、住居跡

指定文化財

市史跡(大崎城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

本矢作城(千葉県香取市)[2.8km]
前林城(千葉県成田市)[9.1km]
小見川城(千葉県香取市)[9.6km]
島崎城(茨城県潮来市)[10.9km]
阿波崎城(茨城県稲敷市)[11.0km]
森山城(千葉県香取市)[14.0km]
神宮寺城(茨城県稲敷市)[14.3km]
鹿島城(茨城県鹿嶋市)[16.2km]
長沼城(千葉県成田市)[16.8km]
飯櫃城(千葉県山武郡)[16.9km]

大崎城の口コミ情報

2020年09月07日 水天一碧
香取要害城[大崎城  周辺城郭]

香取神宮へお参りした時に、表参道から護国神社へ上がる辺りがなんだか郭が重なってるように見える、城塁に見えると思いました。お城が好きすぎて何でも城に見えるだけかなと思いきや、試しに検索してみると、余湖さんのHPに香取要害城として記載があり、まさに我が意を得たり!ってことで、リアマップに早速追加させていただきました。

お城の遺構としては、後世の改変を多分に受けている可能性もありますが、香取神宮をお参りの際には、ぜひ隈なく歩いてみてください。

藪すぎて自分ではうまく撮れなかった一郭にしっかり残る土塁や、やはり全く自分の写真じゃわからないけれどどう見ても堅堀…と、後世の改変があるかもと思いながらも、なかなかどうして、往時の妄想かきたてる今も沢山の見所があるお城です。

2020年08月13日 甲府左京亮城介
岩ヶ崎城[大崎城  周辺城郭]



鳥居元忠が改築するも未完成のまま廃城となった城

【歴史】
元々はこの辺りを治めていた国分氏が大崎城に替わる本城として築城したという。
その後、徳川家康の関東への国替えに伴い、その重臣である鳥居元忠が下総矢作4万石を与えられた。おそらく北の佐竹氏に対する抑えとして、鳥居元忠が配置されたものと思われる。
当初、鳥居元忠は大崎城に入城したが、手狭なため、岩ヶ崎城の改築を行ったが、関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いで戦死した。戦後鳥居氏は陸奥磐城平へ転封されたことにより、岩ヶ崎城は未完成のまま廃城となった。

【遺構】
高さ20m程の台地上の築城されており、周囲は切り立った崖となっている。本丸があったと思われる西側部分は宅地化されているが、稲荷神社や愛宕神社かある東側は土塁等の遺構は残っている。稲荷神社の北側の高台にも遺構があるようだが、倒木と凄まじい薮で行けなかったので詳細は不明。
残存している土塁や堀からは、あまり織豊系の城らしくないので、鳥居元忠による改築は進んでいなかったように思われる。

【アクセス】
佐原駅から徒歩で15分程。
路上になるが、車を停めるスペースはあるが、駐車していいかは不明。

【写真】
1:稲荷神社参道入口
2:稲荷神社西側にある枡形虎口
3:土塁と堀に挟まれた通路
4:西側の虎口(その先が本丸?)
5:愛宕神社から佐原の街を臨む
6:南曲輪の土塁
7:西側虎口の土塁

2018年02月28日 山内侍従伊右衛門俊胤
大崎城

伊能氏
大崎城の北、利根川沿いにある水郷の街佐原の名主伊能家は元々国分氏の家臣であった。
伊能氏の発祥は大和国高市郡西田郷とされ、大同2(807)年、藤原景能という人物が勅命を受けて下総国香取郡大須賀郷を領したという。
以後、代々この地を領していたが、千葉常胤四男大須賀胤信が大須賀郷を領した後は、大須賀氏と関係を深めていった。
伊能朝辰は松子城南に伊能城を築いて拠ったが、その3代目の景信は国分氏の家臣となった。当時の国分氏当主胤政が、大須賀氏より養子を貰っていた説があり、その関係で大須賀氏から送られてきたのではないかと考えられる。
正木氏による大崎城落城の折には、景信は主とともに子の景久と孫の景常を脱出させ、自らは討死した。景久はその後も国分氏を助け、佐原を賜った。
景常は主に請い、帰農して佐原の名主となったと言われる。
その後も商家として佐原の地に根付いたが、時代を経るにつれて家勢は衰えていった。その最中、武射郡小堤村の酒造家神保家より婿養子に迎えたのが神保三治郎であった。三治郎はその才覚を発揮し、商家、そして名主としての伊能家を再興させた。この神保三治郎が後の測量家、伊能忠敬である。
忠敬の直系は孫の代で途絶えるが、同族の清宮家は後に国学者の清宮秀堅を輩出している。

2018年02月28日 山内侍従伊右衛門俊胤
大崎城

その後の国分氏
小田原の役で徳川方に城を明け渡した後、国分氏の中には常陸鹿島神宮惣大行事の養子となって同職を継いだ流れ、水戸藩士となった流れ、土井氏(佐倉藩・唐津藩・古河藩)に仕えた子孫もあった。土井氏に仕えた国分氏は矢作氏を称し、本家の元を離れ北条氏に仕えていたが、北条氏が滅びた後は、三河へ流れ徳川に仕えた。矢作喜兵衛胤基は土井氏に仕え、佐倉城の縄張りを担当した。水戸藩士となった国分氏は大崎城主国分氏の最後の当主胤政の孫である国分胤次・国分胤久が水戸藩主・徳川頼房に仕えた事から始まる。胤久の嫡子胤良は旧領である矢作の地を訪ね、その際、観福寺を宿とした。観福寺は国分氏の老臣の家柄であった伊能家の菩提寺であり、伊能忠敬の義祖父、伊能三郎右衛門景利の元へも、胤良より土産物が届けられたという。水戸国分氏と旧領の人々の交流は江戸時代を通じて続いた。国分氏は途中、同じ千葉六党の武石氏の子孫と思われる武石胤将を婿養子に迎えながら、幕末まで続いたが、幕末の動乱、水戸藩内での諸生派と改革派の権力争いの中で、改革派として投獄された。その後の明治維新によって罪を許され、小姓頭取に就任した。

2018年02月28日 山内侍従伊右衛門俊胤
大崎城

国分氏
初代胤通は父常胤の代理として国衙に関わっていたと考えられ、頼朝の元に参上した時には既に国分を称していた。香取神宮領の地頭職を常胤から譲られ、嫡男時通を除いた国分氏は皆、大戸荘へ移った。時通には後継がなく、惣領家は初期に姿を消し、大戸荘に移った国分氏はそれぞれ独立した御家人となった。本矢作城、大崎城主であった矢作国分氏は時通の六男常義から始まる国分氏を代表する家であるが、常義の頃はただの一流に過ぎなかった。常義の嫡子胤実は千葉介頼胤の後見人となり、その孫泰胤は「国分矢作惣領」と記されていることから、この頃には国分氏の中でも大きな勢力を持っていたと考えられる。大崎城を築いたのもこの頃とされる。享徳の乱の際の動向は不明である。馬加康胤、原胤房と戦った東常縁に国分五郎が加担している一方で、矢作国分氏自体はその後も下総千葉氏に仕えている為、国分氏の中でも意見が分かれていた様だ。臼井合戦や武田氏の小弓城攻めの際には、千葉介の命令で援軍を送っている。永禄4(1561)年頃から度々正木氏の攻撃を受け、永禄8(1565)年、遂に落城する。しかし、胤政は天正9(1581)年、大戸川内の浄土寺を再建したとあり、天正年中には大崎城を取り戻していた様だ。その後本拠を岩ヶ崎城へ移したと言われるが、定かではない。

2018年02月28日 山内侍従伊右衛門俊胤
大崎城

本命寺の西にあるトンネルの上には両総用水が流れており、4郭と2郭を繋いでいる。脇に上に登る階段が作られていたが、関係者以外立入禁止となっており、登ることは叶わない。2郭、1郭に入る手段がないかと、周囲を回っていたら、東側に1郭、2郭の間の堀を利用した舗装されていない道があった。入っていいものかと躊躇して結局入らなかったが、調べてみると入った先に虎口があるそうだ。行けばよかった。舗装されていない道の北には1郭に登る舗装された道がある。登った先には畑と両総用水があり、用水には橋が架かっており、1郭内部へと行ける道があった。腰曲輪のような構造が1郭、4郭に見られ、二段構造となっており、この城の特徴と言える。全体的に遺構はよく残っているので、整備しないまでも、もう少し案内などをおいては貰えないだろか。

2018年02月28日 山内侍従伊右衛門俊胤
大崎城

大崎城は北に延びる半島台地上にあり、南に位置する白幡神社から北に向かい4郭、東寄りに3郭、2郭、1郭と縄張りが造られている。現在は両総用水が南北を貫いており、ある程度の改変が考えられるが、全体的に堀や土塁はよく残っている。大手門と考えられる白幡神社奥の社の裏手から4郭前の堀に行ける。堀を越えると4郭の土塁の上に上がり、その先には広い4郭がある。4郭を進んで行くと、下へと降りて行く道があり、降りた先にまた堀がある。堀の横には両総用水があり、そのまま2郭へと繋がっている様であったが、柵が張られており、先には進めなかった。取り敢えず、堀を越えて東寄りの3郭方面へ向かう。堀の先は小さい郭になっており、すぐ先にまた堀がある。堀の先は3郭となっているが、非常に高く、登るのは困難と思われたので、一度白幡神社に戻った。3郭には本命寺横の小道から登ることが出来、古い墓地として利用されていた様である。五輪塔の裏手に先ほどの堀が見える。

2016年01月08日 藤井伊賀守
大崎城

城跡南端の白幡神社の裏からよじ登ると、四郭の空堀と、土塁がみごと。

用水道が、城内を貫通してますが、主郭、二郭間の堀切など見応えある城跡です。

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