千田城(ちだじょう)

千田城の基本情報

通称・別名

千田の台

所在地

千葉県香取郡多古町千田字木城他

旧国名

上総国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

千田氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

千田氏

廃城年

遺構

(発掘調査:溝、土坑、掘立柱建物跡)

指定文化財

再建造物

周辺の城

坂田城(千葉県山武郡)[6.0km]
前林城(千葉県成田市)[10.3km]
中沢城(千葉県富里市)[11.2km]
成東城(千葉県山武市)[12.6km]
野手城(千葉県匝瑳市)[12.9km]

千田城の解説文

千田城(ちだじょう)は、千葉県香取郡多古町千田に築かれていた日本の城。

歴史
古くからこの地に栄えていた千田荘の押さえとして、千葉一族の千田氏が築いた城であるとされる。

千田は現在では芝山町との境界の小さな集落になっているが、かつては広大な領域を有していた。

現在
千田台遺跡とも呼ばれ、県の発掘調査では中近世遺構として、溝や土坑、掘立柱建物跡などが確認された。

現在はフェンスで囲まれた立入禁止の平地となっている。

千田城の口コミ情報

佐野式部少輔藤原朝臣氏胤様[2018年02月22日]
天真正伝香取神道流
 多古の中心街の北西に飯笹という地がある。この地を所領としていたのが、原常宗の一族といわれる飯篠氏である。元中4年(1387年)、この飯篠の地に生を受けたのが飯篠家直である。家直は武芸に優れ、一時は足利義政に仕えた程であった。しかし、1455年、千葉宗家に仕えていた家直は、馬加康胤によって宗家が滅ぼされる様を目の当たりにする。乱世の世を武士として生きる事に虚しさを覚えた家直は仕官の道を捨て、香取神宮奥宮近くの梅木山に篭もり、修行に打ち込むようになった。千日に及ぶ修行の末、「兵法は平和の法なり」との悟りを得た家直は、山を降り、天真正伝香取神道流を開いた。晩年は入道し長威斎を名乗り、飯篠の生家近くに如意山地福寺を創建し、長享2年(1488年)に齢102という大往生を遂げ、この世を去る。
 家直の氏は藤原ともあり、家直が実際に原氏の一族であったのかどうかは不明であるが、家直が千葉氏に属し、宗家の滅亡を目にしたのは事実である。千葉氏が香取神道流の創始に繋がったということは中々に興味深い。

佐野式部少輔藤原朝臣氏胤様[2018年02月14日]
千田氏
解説では城主を千田氏としている。千葉氏以前に千田荘を領していた藤原親政も千田を称したとされるが、居館は匝瑳北条荘の内山館と千田荘の次浦館であったとされることから、千田の台に館を築いたのは千葉一族の千田氏であろう。千田氏は常胤より続く千葉氏の嫡流であるが、千葉介は庶流が継いでいる。元寇の折、所領の肥前国小城郡に下向した千葉介宗胤が、同地で没した為、弟の胤宗が千葉介を継いだ。宗胤の子胤貞はこれに反発し、南北朝の戦いの折には、南朝方の胤宗嫡子貞胤と争っている。貞胤は降伏したものの、胤貞が下総へ向かう途中に病没したため、貞胤子孫がそのまま宗家を継承した。立場をなくした胤貞の子胤継は、嫡流の領地千田荘・八幡荘を領して千田氏を称した。宗家の座を奪われた千田氏はそのまま衰退していった。享徳の乱の折、千田氏がどちらについたかは記録が無いが、子孫が八幡荘曾谷郷に住んでいたことから、宗家側につき、胤直の甥千葉実胤・自胤(武蔵千葉氏祖)に従って八幡荘に逃れたものと見られる。小田原の役の後、十四代千田胤保は成瀬氏に仕え、犬山藩家老となった。江戸中期に千葉に復姓、幕末まで家老として仕えた。

佐野式部少輔藤原朝臣氏胤様[2018年02月14日]
千葉氏因縁の土地
千田荘は千葉氏にとって因縁の土地であった。常胤の父常重から、相馬御厨を強奪した藤原親通は、千田荘を拠点としていた。1180年、親通の孫藤原(千田)親政は、源頼朝に呼応した千葉常胤の本拠、千葉荘を攻めたが、急遽引き返した常胤の孫、千葉成胤によって捕縛されている。以降、千田荘は千葉氏の所領となる。元寇の折、千葉宗胤は討死した父賴胤に代わり肥前国小城郡に下向、戦後も大隅守に任じられるなど政務に悩殺され、遂に肥前国で没す。千葉介は弟胤宗が継承したため、宗胤の嫡流子孫は千田荘・八幡荘を継承し、千田氏を名乗る。1455年、享徳の乱で宗家と袂を分かった馬加康胤、原胤房によって千葉を逐われた千葉胤直・胤宣は千田荘の多古城・志摩城に逃れたが、この地で自害、千葉宗家は千田荘で滅亡する。以降千田荘は坂田城主井田氏の領域に入ったという。千葉氏の宿敵が本拠とし、嫡流が地位を奪われて拠点とし、宗家が滅亡した。正に千田荘は千葉氏因縁の土地である。

佐野式部少輔藤原朝臣氏胤様[2018年02月14日]
千田の台遺跡は千田と境の境目、ゴルフ場傍にある。複雑な台地地形の中心部にあるが、特別城郭に適した土地には見えない。館跡と見たほうが適当だろう。平成29年4月~12月まで発掘調査が行われており、発掘現場東地区では奈良~平安時代を中心に住居跡、西地区では中世の遺構が発掘された。特に西地区では永楽通宝が発掘されていることから室町期以降も何かしらがあったことが分かる。ただ、明治末期の地図には千田の集落は遺跡北側の低地、今も住居がある場所に存在している。このことから推察すると、千田の台には奈良期に入植者が入り、鎌倉期に千葉氏が千田荘を領した後、千葉氏の一族・家臣が館を築いた。しかし、後の戦乱で破棄されるに至り、麓の低地に新たに集落が造られたのではないか?
遺跡の東に諏訪神社がある。また北に広宣寺という寺があったそうだが、行ってみると物置のような小屋しかなく、寺は廃寺となっていたようだ。伝承も特に見つからなかった。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore