飯櫃城(いびつじょう)

飯櫃城の基本情報

通称・別名

所在地

千葉県山武郡芝山町飯櫃字城ノ内

旧国名

上総国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

山室常隆

築城年

天文元年(1532)

主な改修者

主な城主

山室氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

多古城(千葉県香取郡)[3.9km]
前林城(千葉県成田市)[8.4km]
坂田城(千葉県山武郡)[8.6km]
中沢城(千葉県富里市)[9.2km]
寺台城(千葉県成田市)[10.7km]
成東城(千葉県山武市)[14.0km]
本佐倉城(千葉県印旛郡)[14.5km]
野手城(千葉県匝瑳市)[15.5km]
長沼城(千葉県成田市)[15.8km]
大崎城(千葉県香取市)[16.9km]

飯櫃城の解説文

飯櫃城(いびつじょう)は千葉県山武郡芝山町飯櫃にあった城である。

遺構 

高谷川の西岸、東西に伸びる標高約40mの台地東端に位置する。

南東にある主郭と、それを北と西方面から取り囲むように二郭、さらにその西側に三郭と、3つの曲輪から成る。

曲輪はいずれも広く、主郭の北西隅には櫓台がある。また、主郭、二郭にはそれぞれ規模の大きい空堀が残り、三郭の西側、台地基部には谷を利用した堀切が存在する。

歴史 

『山室譜伝記』によると、天文元年(1532)、山室常隆が築城したという。

常隆の後、氏勝、光勝と3代続き、芝山周辺に一定の勢力を築いた山室氏は、上杉謙信が関東へ出兵した際にはその幕下に馳せ参じることもあったが(『関東幕注文』)、天正の初め頃には北条氏に属すようになった。

そのため、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原平定の後、信濃高遠城主・保科氏の攻撃を受けることとなり、飯櫃城に籠城した山室一族は壮絶な戦いの末に滅亡したという。

交通 

・芝山鉄道芝山鉄道線芝山千代田駅から車で約10分

参考文献 

・『日本城郭大系 第6巻』新人物往来社、1980年。
・『週刊日本の城』デアゴスティーニ・ジャパン、2013年。
・芝山町公式サイト(http://www.town.shibayama.lg.jp/)。

飯櫃城の口コミ情報

2024年05月24日 マグロ常陸介祐平
山中南城[飯櫃城  周辺城郭]



山中北城の入口の鳥居の向かいの白いフェンスのある畑の脇の坂道を登ると、切り通し(写真2枚目、後世のものかもしれない)が現れすぐ上の本丸に着きます。手前の放棄された畑から薮に入るとすぐに土塁が見られます。土塁の外側には堀(写真1枚目)があり、2つの曲輪を仕切っています。土塁の東側奥の虎口(写真3枚目)を抜けると一段下に八幡神社のある狭い曲輪にでます。神社の南側には古い墓石が並びますが、江戸~明治のものでお城との関係はなさそうです。

神社を一段下った南側には虎口状の入口があり、その先は三方を土塁、一方が切岸に囲まれた完全な平坦とはいえないところに、それぞれの方向に虎口のようなものが見られる空間があり、切岸の途中から接続する土塁の西側には二段の広い曲輪、その南側には堀に向けて虎口が開口?という不思議な縄張りとなっています(写真4,5,7,8枚目)。私には見当もつきませんが、どのような意図を持った縄張りなのか考えるのも楽しいですね。

写真を投稿された先人様も「あまりに複雑で上手く説明できない」と書き込まれていますが、山中北城以上に癖のある面白いお城に感じました。

城主の和田氏は、北条氏の支配下では同等の領地を持つ井田氏の配下となり、北条氏の着到状によると和田氏117貫(実高の推計は11村4453石、寄親の井田氏の推計は6村3349石)に対しての負担は大きく、井田氏全体の軍役300人中、約半分の145人(馬上27騎、歩者17人、旗11本、弓20張、鉄砲20挺、鎗40本、持鎗10本)を和田氏が担っていたようです(貫高による負担率は他の寄子の3.5倍)。お城の規模と軍役数は何となく整合しているように思われます。

坂田城主の井田氏に関する文書が残り、旧横芝町が「上総井田文書」として報告書を発刊しています。井田氏だけでなく、周辺の国人、城、軍役、山室譜伝記などを私にもわかりやすい新書レベルで解説されており、周辺のお城を巡られる方にはオススメです(ネットで閲覧出来ます)。

2024年05月22日 マグロ常陸介祐平
山中北城[飯櫃城  周辺城郭]



徳蔵寺脇の稲荷神社の鳥居が入口となります。参道の突き当たり(写真3枚目)を左に曲がると正面に綺麗なV字型の虎口(写真を投稿された先人様は切り通しと認識されています)とその一直線上に稲荷神社の社殿が見えます。幻想的な光景です。虎口の先はすぐに土橋となり、階段の先が稲荷神社の郭となります(写真7枚目は虎口の手前から、写真2枚目は土橋側から)。虎口の手前右側(写真6枚目)は平地となっており広めの郭となっています。大手道はこの郭内の隅を通っていることになります。

神社のある郭は、神社の背後に土塁があり(写真1枚目,神社特有の構造に見える)、その背後は二重の堀が見られます(写真3,5枚目)。雰囲気的にはこの郭が本丸のように思えますが、虎口のある郭の西側には、この郭よりも高台(本丸からよく見えるが薮に心が折れ入っていない)が見られ、どちらが本丸なのかよくわかりません。いくつかのお城サイトを見てみましたが、神社の郭を馬出と見ている方もいました。郭内を突っきる大手道を後世に付けた神社の参道とすると二重の堀の位置も自然な感じでそのようにも思いますが、神社の裏側方向が大手というのも何となく違和感を感じます。
色々と想像できる楽しいお城ですね。

山中南城と隣接しており、和田氏の城だと思いますが、山中城というと南城を指すようで、体系の記述も南城のものです。

2024年05月21日 マグロ常陸介祐平
飯櫃城



飯櫃城は江戸時代中期(宝暦6年)に書かれた山室譜伝記により興亡の記録が数多く残っており、芝山町のホームページで詳しく解説されています。保科正直による飯櫃城の戦いは、家康の正直への統治の命令から飯櫃城落城、山室氏の帰農までを漫画化して紹介しています。
このように町による推しの強いお城ですが、訪問して見ると石碑のあるお城の入口には「立入禁止」の立て札が4つも設置され(写真4枚目)、来るものを拒む強い意志が伝わってきます。

幸い城域の一部である高野神社は立ち入り禁止とはなっていなかったので、参拝させていただきました。

神社は、社殿の手前に二段の郭(写真7枚目)、西側には虎口が開口する土塁(写真2,5枚目)、南西には見張り台のような高台(写真1枚目)が見られます。虎口の先は立ち入り禁止の道路となり、探索はここで終了でしたが、お城を感じることは出来ました。
なお、神社の本殿の彫刻は美しいものです(写真6枚目)。

2024年05月21日 マグロ常陸介祐平
大台城[飯櫃城  周辺城郭]



飯櫃城から3km程南に位置するお城です。田向城を拠点としていた井田氏が天文17年(1548年)に築城し、弘治元年(1555年)に三谷氏を破り坂田城に移るまでの短期間居城したようです。

栄町の大台城同様、上部が平坦な独立した台地に築かれています。方形に整えられた主郭の入口には堀切(写真4,5,7枚目)に土橋(写真6枚目)がかかり、東手前には広大な2郭、畑の先で近づけませんが西の縁には土塁状の土盛りが見られます。その東の大手道には麓から段々の畑が見られますが、郭なのか後世のものかよくわかりません。

主郭東側の堀切には、後世のものかもしれませんが武者走りのような堀切に降りる歩道があり、堀切はそのまま東に下る搦手道(写真1枚目)となり、途中には主郭下の腰郭(写真2,3枚目)が見られます。
また、主郭の西側にも二段の郭を確認できます。

守るのに人数が必要なお城のように思われます。

2021年10月15日 昌幸近江守更に吉
中城[飯櫃城  周辺城郭]



千葉氏宗家・千葉胤貞が築いたとされる中(なか)城。それ以上の詳細は不明です。

現在の見学用登城口は、当時もメインの登城路のようで主郭に繋がります。
主郭は内桝形虎口が2箇所あり、一方はかなり大きく、大手・搦手と分けていいのではないでしょうか。
そして、主郭の大きさに不釣り合いな腰郭が南北2箇所も普請されています。特に北側は畝があったことも確認されているようです。これは、中城が北条氏の影響を受けながら、戦国時代まで使用されていたことの証明になるのではないでしょうか。

駐車場なし、道の駅多古のレンタサイクルで訪城しましょう。少し離れていますが、電動アシスト付きなので、さほど苦労しないと思います。

【写真の説明】
①腰郭と繋がる虎口。目の前が主郭。
②振り返り登城口を見る。ここも郭。
③主郭。
④主郭の大きな虎口(大手)。内桝形になっていて写真右上から折れて左上へ入る。
⑤主郭の小さな桝形虎口(搦手)。
⑥北側の腰郭。畝があったという。
⑦南側の腰郭にある虎口のような凹み。
⑧南側の腰郭。虎口と合わせて考えると馬出しとして使っていたのでは?

2021年05月19日 国府左京大夫城介
中城[飯櫃城  周辺城郭]



千田荘の中心に位置する千葉胤貞の居城

【歴史】
鎌倉末期から南北朝時代に、千田荘(現在の多古町)を領していた千葉宗家の千葉胤貞が築城したと伝わる。
遺構の状態から、戦国時代にも改修が施されている。

【遺構】
道の駅多古から北東に約1.9kmに位置し、比高20mほどの台地に築かれています。
主郭を中心に、周囲を腰曲輪を配置している。主郭に入る虎口は3ヶ所あるが、どうやら一つは後世に造られたものらしい。特に、南東側の虎口は、内枡形の形状をしており、戦国期の築城技術が取り入れられている。また、主郭は切岸加工を施しており、腰曲輪から直接登れないようにしている。
また、この近くには紫陽花で有名な日本寺(にちほんじ)や妙興寺などの千葉胤貞が帰依していた日蓮宗の寺院があります。

【感想】
他の多古にあるお城(多古城や並木城)と比べると、シンプルな造りに小ぶりではあるが、虎口や切岸などで容易に敵を侵入を防ぐなどの要害性の高い城です。また、登城口側の台地とは元々地続きではあったようですが、切通により、台地を切断しています。この切通もかなりのもので中城の一部と言ってもいいかもしれません。
多古城郭保存活用会によって城内は綺麗に整備されており、遺構は極めて見やすい状態になっています。

【アクセス】
道の駅多古から自転車で約10分ほど。
登城口近くに駐車するスペース有。

【写真】
1:登城口
2:切通
3:腰曲輪の虎口
4:腰曲輪(北側)
5:腰曲輪(南側)
6:標柱
7:枡形虎口(南東)
8:主郭内の土塁

2021年02月04日 国府左京大夫城介
土橋城[飯櫃城  周辺城郭]



南北朝時代に土橋合戦の舞台となった城

【歴史】
築城年代、築城者は不明。
金沢文庫文書によると、建武2年(1335)12月、嫡流の千葉(千田)胤貞が足利尊氏の檄文に応じ上洛した隙をついて、千葉貞胤(千葉氏第11代)の軍が土橋城を急襲し、早朝から日没まで激戦を繰り広げたが落城したとのこと。

【遺構】
道の駅多古から北2.8kmに位置し、栗山川の西側に広がる比高30mの台地の先端に築かれている。
遺構の多くは農地となっており、南端の単郭上の物見台(天御中主命神社)周辺に土塁や空堀が残っている。

【感想】
登城口は天御中主命神社の階段(高さ約30m)を上っていく必要があります。でも、地元のお婆ちゃんが上れるので、健康なメグラーさんなら問題ないかと。この階段を上っている途中に、空堀を確認することができます。
物見台自体は単郭になっており、北から西にかけて土塁があるが、他のこのあたりの城郭と比べても高くはない。
土橋城の北側はほぼ農地になっているが、堀合という地名付近には、他の場所より農地が低い場所にあり、堀の跡を確認することができます。

【アクセス】
道の駅多古から自転車で約15分。
登城口付近に駐車スペースあり。

【写真】
1:登城口(天御中主命神社の参道)
2:物見台の南側にある空堀
3:標柱と土塁
4:天御中主命神社
5:物見台の土塁
6:物見台の虎口
7:堀合にある空堀の跡

2019年04月26日 下沼下総守雄信
第二郭[飯櫃城  遺構・復元物]



第二郭。近くに成田国際空港があるので、頻繁に離着陸する飛行機を見ることができる。

2019年04月26日 下沼下総守雄信
高野神社[飯櫃城  寺社・史跡]

保護建屋に覆われた本殿にも注目。見事な彫刻がされており、びっくりする。

2019年04月26日 下沼下総守雄信
本丸[飯櫃城  遺構・復元物]



本丸(お城マーク表示場所)はこの藪のところ。手前の一段低いところにある畑は堀を埋めた跡。

2019年04月26日 下沼下総守雄信
飯櫃城碑[飯櫃城  碑・説明板]



碑の向かって右側に城の歴史が刻まれている。

2019年04月14日 下沼下総守雄信
飯櫃城

公共交通でのアクセスは芝山千代田駅か松尾駅から芝山ふれあいバスで飯櫃か浅川下車。マイカーならば県道290号線を。蓮福寺、竣工記念碑、消防団の倉庫を目印に。

高野神社の鳥居と階段があるので、この階段か右側にある鋪装路を登る。途中左右に分かれる交差点があるが、主郭は左へ、第3郭は右へ。第2郭はこの道と道の間がこれに当たる。
各郭とも案外広いことに驚く。主郭は畑と藪となっている。主郭と第2郭との間にある堀は一部が埋められて畑となっているが、堀だったことは容易に見てとれる。第2郭、第3郭はやはりその殆どが畑か藪となっている。
城入口の高野神社に注目。保護建屋に覆われた本殿に見事な彫刻が施されている。みのがさぬように!

飯櫃城の周辺スポット情報

 本丸(遺構・復元物)

 第二郭(遺構・復元物)

 第三郭(遺構・復元物)

 土橋、本丸虎口(遺構・復元物)

 飯櫃城碑(碑・説明板)

 土橋城(周辺城郭)

 高田城(周辺城郭)

 中城(周辺城郭)

 宮崎城(周辺城郭)

 山中南城(周辺城郭)

 山中北城(周辺城郭)

 飯高砦(周辺城郭)

 天神砦(周辺城郭)

 大台城(周辺城郭)

 高野神社(寺社・史跡)

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