本佐倉城(もとさくらじょう)

本佐倉城の基本情報

通称・別名

将門山城

所在地

千葉県印旛郡酒々井町本佐倉字根古谷他/佐倉市

旧国名

下総国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

築城主

千葉輔胤

築城年

文明年間(1469〜1487)?

主な改修者

千葉氏

主な城主

千葉氏、小笠原氏、土井氏

廃城年

元和元年(1615)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

国史跡(本佐倉城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

城城(千葉県佐倉市)[3.7km]
佐倉城(千葉県佐倉市)[4.1km]
中沢城(千葉県富里市)[5.5km]
古屋城(千葉県四街道市)[7.0km]
謙信一夜城(千葉県佐倉市)[7.2km]
臼井城(千葉県佐倉市)[7.4km]
師戸城(千葉県印西市)[7.4km]
松虫城(千葉県印西市)[7.7km]
寺台城(千葉県成田市)[8.9km]
根古屋城(千葉県八街市)[10.0km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)121 本佐倉城

設置場所

酒々井中央公民館[地図
京成本線大佐倉駅[地図

本佐倉城の解説文



本佐倉城(もとさくらじょう)は、千葉県印旛郡酒々井町本佐倉と佐倉市大佐倉にまたがる将門山に築かれた千葉氏後期の本拠地となった日本の城。文明年間(1469年-1486年)の築城で、国の史跡に指定されている[1]。2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(121番)に選定された。

歴史 

室町時代後期に千葉宗家を倒して家督を奪った馬加氏(まくわりし)は、将軍足利義政の命により千葉実胤と自胤を支援した東常縁に討たれ滅亡した。また太田道灌も実胤・自胤を支援し江戸城を築城するなどした。だが、馬加康胤の子(異説あり)・千葉輔胤は、古河公方足利成氏と結んで下総国を平定したことで宗家の地位を確保し、文明年間に従来の亥鼻城よりも内陸のこの地に城を築いて本拠地を移した。

黒田基樹は佐倉の地がこれまで軍事的拠点として登場したことがないこと、輔胤を馬加康胤の子では無く庶流の岩橋氏出身とする立場からすると佐倉が元々岩橋氏の勢力圏に属していたことに注目している(それまで輔胤は平山城などを本拠としていたが、足利成氏が上杉氏と和睦をするのに反対して両勢力の侵攻を受けて勢力を一時的に縮小させていた時期に築城されたと考えられるため)[2]

具体的な時期については、文明11年(1479年)に太田道灌が千葉輔胤を攻めたときに追い詰められた輔胤の籠城先が臼井城であったことから、この時点ではまだ本佐倉城は完成していなかったと推定されている。『千学集』には文明16年6月3日(1484年6月25日)に千葉孝胤(輔胤の嫡男)が佐倉に城を移したと記され、続いて延徳2年6月8日(1490年6月25日)に佐倉の市立が、同年8月12日(同8月27日)に町立が実施されているため、延徳2年に本佐倉城の本拠地としての整備が本格化したと考えられている。

その後、9代にわたって戦国大名千葉氏宗家の本拠地となったが、天正18年(1590年)、千葉氏が小田原征伐後に改易されると、徳川氏に接収されて一旦は破却され、代わりに城下に陣屋が設置された。 慶長7年(1602年)12月に5万石で松平忠輝が封じられるが、ひと月余後の慶長8年(1603年)2月、信濃国川中島に移封された。 慶長15年(1610年)、軍事上の必要から同地に封じられた小笠原吉次、土井利勝が再び本佐倉城に入って佐倉藩の藩庁が置かれた。

元和元年(1615年)、藩庁の佐倉城への移転と一国一城制により廃城となった。なお、本佐倉の城下町は酒々井宿に移設されて成田街道の宿場町になったと考えられている。

城の構造 

城域は内郭と外郭に分かれており、内郭は南方に谷が刻まれた半島状の丘陵上に占地し、往時は三方を湿地帯で囲まれた要害であった。一方の外郭は内郭から繋がる丘陵上を自然地形と空堀で分断した広大な地積を持ち、千葉氏の勢力が伸張したのち、家臣団の屋敷地として整備されたと考えられる。

史跡指定 

現在でも城の土塁や空堀などの遺構がほぼ完全な姿で遺存しており、1998年(平成10年)9月11日に「本佐倉城跡」の名称で、千葉県内の城郭としては初めて国の史跡に指定された。なお2019年(令和元年)9月現在、本城以外に県内の城郭で国の史跡に指定されているのは、館山市の稲村城と南房総市の岡本城がある(「里見氏城跡・稲村城跡・岡本城跡」)。

関連図書 

  • 『歴史群像No64下総・本佐倉城』学習研究社、2004年

本佐倉城の口コミ情報

2022年06月06日 マグロ右近衛少将祐平
本佐倉城



国の史跡に指定されており、いつ来ても綺麗に整備されています。ポストには解説付きのコースガイドが常備されていて大変親切です。近くの勝胤寺には千葉氏歴代の墓があります。

2022年05月05日 千葉相模守早雲
本佐倉城



上総・下総一体に勢力を誇っていた千葉氏ですが、室町時代になると享徳の乱により、千葉氏にも内紛が起こります。庶家の馬加康胤が勝利し、その子輔胤が千葉氏の名跡を継ぎ、本拠を佐倉に移したのが、本佐倉城の始まりだそうです。

台地を削り谷を埋めて、空堀や土塁を築いた土の城です。内郭(Ⅰ郭〜Ⅶ郭)と外郭(Ⅷ郭〜Ⅹ郭)の10の郭から構成される巨大な城郭です。内郭だけでも歩き疲れます😅

東山馬場(Ⅴ郭)に駐車場があります。案内所も設置されており、ボランティアのガイドさんもいます。

ここからなら城山(Ⅰ郭)や東山虎口までは近いです。しかし時間が有れば、セッテイと呼ばれるⅦ郭を囲む空堀まで足を運ぶことをオススメします。写真投稿枚数上限一杯のため、ここでは掲載しません😅気になる方は、多くの方が本佐倉城の写真投稿されているのでそちらをご覧くださいね。

1.大堀切。
2.左は城山通路。右は奥ノ山(Ⅱ郭)へ。
3.城山通路。折れを伴い、先には虎口が見える。
4.城山虎口。
5.城山全景。

2022年04月27日 尼崎城淡路守一口城主
本佐倉城



4月24日休日おでかけパスで朝早くの電車🚃で熊谷→東京→酒々井と移動。酒々井駅前のマップを眺めて歴史散策コースを選択して歩いて登城。道中「下り松」印旛沼眺望名勝地や酒々井古松碑や酒の井の碑を見学。

現地に到着後ガイダンス施設で映像を見て予習。大河に登城の千葉氏(岡本信人さん演)ゆかりのお城ということだった。時は下って戦国時代千葉氏は北条氏と親戚というよりもはや家族と言ってもいいくらいの姻戚関係にあり北条氏を支えていたとのことです。

本佐倉城見学後、京成大佐倉駅まで行き京成佐倉駅まで一駅乗り佐倉城を目指しました。

2022年01月10日 のぶ図書頭
本佐倉城



積雪2日後に訪れましたが雪が結構残っていて楽しめました。駅から10分ぐらい。駐車場にインフォメーションが出来ていたのに寄らなかったのが悔やまれます。トイレもありました。

2021年11月29日 ほよよ常陸介
本佐倉城



元々こちらが佐倉城だったみたいで、新たに佐倉城が出来引っ越ししたから本佐倉城になったらしいと、説明されました。この後佐倉城にも行きましたが、訪れてる人の数が段違いでした。やはり交通の便とかの違いなのかなと。

2021年11月07日 国府左京亮城介
北大堀御殿山館(大堀陣屋)[本佐倉城  周辺城郭]



佐倉藩主となった松平信吉の居館

【歴史】
元々は、本佐倉城の居館であったと言われている。
文禄2年(1593)に、徳川家康の五男松平(武田)信吉が佐倉に4万石(10万石という)を与えられ、この地に居館を建てた。慶長7年(1602)に信吉は水戸25万石に封ぜられ、代わりに松平忠輝が5万石で移封されてきた。しかし、忠輝も翌年に川中島に移封されている。忠輝が移封された後、この館は廃棄された。
なお、当時の佐倉とは本佐倉城周辺のことを指し、現在の佐倉は鹿島と呼ばれていた。

【遺構】
本佐倉城から南南西800mに位置していたが、現在はディスカウントストアとなっており、遺構は完全に消滅している。
東西約80m、南北60mの方形居館であり、周囲を幅4~5m、深さ2~3mの空堀があった。虎口は南と東中央の二か所に存在した。

【感想】
遺構は完全に消滅しているため、余湖くんのホームページ等からかつての姿を知るしかありません。しかし、周囲には堀切や曲輪の跡っぽい地形が残っていますが、関連性は不明です。

さて、佐倉藩は、松平信吉が佐倉に封じられてから土井利勝が佐倉城を築城するまでの約20年間、何処に政庁があったのか分かっていません。現在では、「本佐倉城」「大堀陣屋」「鹿島城(現在の佐倉城に位置する)」の三つの説があるとのことです。また、地元では、清光寺の西側に「万千代殿屋敷」があったという伝承があり、この万千代とは松平信吉の幼名になります。一方で、発掘調査によると、出土した遺物は松平信吉がいた頃の年代に合わないこともあるなど、まだまだ謎が多い状態だそうです。

【アクセス】
本佐倉城から徒歩で15分。

【写真】
1:この辺りに南側の土塁や空堀があった
2:南東にある堀切状の地形?
3:南西にある曲輪上の地形?

2021年08月26日 乱会
本佐倉城

埼玉県民的には「千葉県の城って平たいな〜〜」という感想です。高低差がそんなにないので、あまり気構えなくても散歩の一環で巡れます。土塁などもきちんと残っているので難易度に比して満足感があって良いですね。
周辺に石碑や庚申塔が多いので、石碑マニアの方は見所が多くて楽しいのではないでしょうか。

2021年06月24日 国府左京亮城介
下岩橋城[本佐倉城  周辺城郭]



後に千葉家当主になった岩橋輔胤の居城

【歴史】
岩橋殿と呼ばれた岩橋輔胤(後の千葉氏21代当主)が築城したと伝わる。ただ、この岩橋輔胤の出自は色々あり、第19代当主の千葉(馬加)康胤の庶子若しくは千葉氏の庶流である馬場氏(千葉氏胤(13代)の子・重胤の子孫)の出身とも言われている。
千葉氏当主になってから本佐倉城を築いていることから、それより前に築城されたと思われる。その後は、本佐倉城の支城として用いられたと考えられる。

【遺構】
本佐倉城から北東3.1kmに位置し、比高20mほどの台地に築かれている。
城の形態は、方形居館をベースに南側には腰曲輪が、北側には深さ5mほどの堀切があり、その先に2郭がある。1郭の東と南にそれぞれ虎口がある。

【感想】
シンプルな方形居館で、中世の典型的な地方豪族の居城といった感じです。また、遺構の状態もかなり良く残っています。この城を紹介していたサイトだと、藪が少ないと書かれていることが多いですが、自分が訪れた時はそうでもなかったです。とは言っても、遺構が埋もれるレベルではないので定期的に整備はされているのかと思われます。写真は基本的に分かりにくいものばかりですが(汗)。ただし、北側の堀切は完全に藪で埋まっており、2郭に行くことができませんでした。
特に説明版といったものはなく、明確な登城口というのはありません。一応、3つの尾根からそれぞれ登れるようですが、自分の場合は東側にある墓地の裏側あたりから登っていきました。

さて、この岩橋輔胤という人物の出自を考えると中々面白いです。歴史の項でも書きましたが、出自がはっきりと分かっていません。岩橋輔胤が千葉宗家を継ぐ頃は、千葉宗家嫡流が一族の馬加氏に滅ぼされ、その翌年には馬加氏が滅ぼされるという位に千葉氏はボロボロの状態になります。そのため、この頃の千葉氏の詳細な資料が存在していないようです。そういう状況で、宗家を継ぐことから、ひとかどの人物だったのだと思います。

【アクセス】
宗吾参道駅から徒歩で5分。
特に駐車場はないので、駅前のコインパーキングを利用するのがいいかと思います。

【写真】
1:1郭東側の虎口(藪で分かりにくいですが…)
2:1郭西側の土塁
3:1郭北側の堀切
4:1郭南側の虎口
5:1郭南の腰曲輪
6:腰曲輪から見た1郭南側の土塁

2021年06月21日 国府左京亮城介
鷺山城[本佐倉城  周辺城郭]



千葉宗家の隠居城という伝承を持つ城

【歴史】
千葉宗胤の子・馬場五郎胤重が築城したと伝わる。伝承通りであれば、鎌倉時代後期に築城されたと思われる。
戦国時代にも運用され、千葉輔胤(21代)、孝胤(22代)、昌胤(23代)、良胤(24代)の隠居城であったと伝わっている。
別名:公津城、根古屋城

【遺構】
本佐倉城から北北東4.3kmに位置し、比高20mほどの台地に築城されている。
本来は東西300m以上の台地が城域だったようですが、採土により二つに分断されてしまっている。現在、鷺山城としての遺構が残っているのは西側の台地で、郭、横堀、竪堀、腰曲輪が残っている。
1郭には五社神社、2郭には千葉氏のお城ではお馴染みの妙見社がある。1郭と2郭の間の横堀は、広く深く、この城で最も見応えがある遺構です。また、1郭と2郭の北側には腰曲輪があり、1郭の下あたりには、横移動を阻害するように竪堀が掘られています。

【感想】
千葉宗家の隠居城であったと伝わる鷺山城ですが、本佐倉城の巨大さに比べると、かなり小規模なお城です。しかし、遺構の所でも書きましたが、採土によって二つに分断されたため、実際にはどのような規模だったのかが分かりにくくなってしまったのが残念です。
しかし、残存している遺構はかなり良く残っており、1郭と2郭の間の空堀や、腰曲輪にある竪堀はかなりの土木量もあり見応えがあります。また、地元の方が定期的に整備しているのか、主要な部分は藪がなく、遺構も見やすくなっています。
唯一の難点は、若干登城口が分かりにくく、人の家の裏庭みたいな所を通っていくことになります。登城口はスポットを追加しておきますので、それを参考にしてください。

【アクセス】
成田市コミュニティバスで、京成成田駅、公津の杜駅、宗吾参道駅から「甚兵衛渡し」行きに乗り、「下方根古屋」バス停で下車し、から徒歩1分。
宗吾参道駅から徒歩で約25分。
特に駐車するスペースはありません。

【写真】
1:登城口
2:登城口の物見台(左)
3:1郭と2郭にある横堀
4:2郭にある標柱
5:2郭(妙見社)
6:3郭
7:1郭(五社神社の祠)
8:腰曲輪

2021年06月02日 七代目尾張守宗春
本佐倉城

新型コロナ感染防止対策のため、公共交通機関を使わず自家用車で訪問しました。カーナビを利用したのですが、現地近くの主要道路から駐車場辿り着くまで細くて悪路を通りました。前の口コミでは国道からの道路を整備中との事でしたが、ナビが古いのかよくわかりませんでした。
駐車場で車から降りたら、傍には何十メートルもある崖(切岸?)。曲輪(Ⅳ郭)では多数の模擬盾が出迎えてくれました。確かに、あそこに模擬盾が並んでいなければとても殺風景なので、あれはあれでアリですね。
見応えのあるお城という事に異論はありませんが、もう少し整備して欲しいです。「その場その場」での案内はされているのですが、「ここからあそこに行くにはどう行けば良いか」が分からず、迷いっぱなしでした。案内図を見て、行けると思ったら行き止まりだったりして、かなり迷いました。結局テッセイ山には行けませんでしたし。

2021年05月06日 織田上総介晃司
本佐倉城

東山馬場に駐車場ができ、さらに立派な建物の国指定本佐倉城跡案内所もあります。が、先人の方もおっしゃるとおり駐車場までのアクセスは非常に細い道で対向車が来ると離合するのも困難です。今のままでは離合渋滞が起きます。

広い道を新しく作るか、一方通行にして安全にリア攻めできるようになれば…と思います。

セッテイ付近は一昨年の台風や大雨で倒木があり危険です。危ないと思ったら無理せず引き返しましょう。

2021年04月27日 マサムネダダ上総介
本佐倉城

2021年4月1日から東山馬場に国指跡本佐倉城跡案内所が開設されました。
「国史跡本佐倉城跡」(無料)小冊子も頒布されています。

2021年04月25日 vol012右近衛少将
国史跡本佐倉城跡案内所[本佐倉城  スタンプ]

国史跡本佐倉城跡案内所がオープンしていました。

ここでスタンプが押せます。

パンフレットも配布しています。酒々井町中央公民館で入手できるほとんどのパンフレット類を、ここでも入手できると思います。

2020年11月17日 下沼下総守雄信
本佐倉城

駐車場までの道路について。令和2年11月現在、国道296号側から駐車場まで広い道を造成中ですが、これが開通するまではすれ違い不可能の幅員狭小の道を通らなければ行けません。大型車は非常に通行困難。

2020年11月17日 下沼下総守雄信
本佐倉城

セッテイ付近について。令和2年11月現在、昨年の令和元年房総半島台風の原因による倒竹木が撤去しきれておらず、かつ道に迷いやすくなっており訪問はやや危険です。

2020年11月17日 下沼下総守雄信
浜宿湊跡[本佐倉城  関連施設]

本佐倉城を構成する「総構(そうがまえ)」の最も外側にある宿場町のひとつ。

2020年11月17日 下沼下総守雄信
本佐倉宿跡[本佐倉城  関連施設]

本佐倉城を構成する「総構(そうがまえ)」の最も外側にある宿場町のひとつ。

2020年11月17日 下沼下総守雄信
酒々井宿跡[本佐倉城  関連施設]

本佐倉城を構成する「総構(そうがまえ)」の最も外側にある宿場町のひとつ。

2020年11月17日 下沼下総守雄信
佐倉根小屋[本佐倉城  遺構・復元物]

内郭を守る外郭のひとつ(X郭)。侍屋敷として利用されていた。

2020年11月17日 下沼下総守雄信
向根小谷[本佐倉城  遺構・復元物]

内郭を守る外郭のひとつ(IX郭)。侍屋敷として利用されていた。

2020年11月17日 下沼下総守雄信
荒上[本佐倉城  遺構・復元物]

内郭を守る外郭のひとつ(Ⅷ郭)。侍屋敷として利用されていた。

2020年11月17日 下沼下総守雄信
駐車場[本佐倉城  駐車場]

この駐車場はかつては東山馬場(Ⅴ郭)だったところ。右の高みは城山(Ⅰ郭・本郭)。

2020年11月17日 下沼下総守雄信
東山(土塁・展望台)[本佐倉城  遺構・復元物]

天然の土塁の役目を果たしていた東山の展望台より。京成成田線の向こうに広がる田んぼは印旛沼を埋めた干拓地。京成成田線の手前はかつては湿地帯で、本佐倉城には容易に近づけないようになっていた。

2020年11月17日 下沼下総守雄信
セッテイ(Ⅶ郭)[本佐倉城  遺構・復元物]

鬱蒼とした茂みになっているので立ち入りできない。本佐倉城の接待か人質の館があったとされている。

2020年11月17日 下沼下総守雄信
水の手[本佐倉城  遺構・復元物]

この辺りは窪地になっており、中池と同様、城の水源として利用されていた。(私有地につき立入禁止)

2020年11月17日 下沼下総守雄信
中池跡[本佐倉城  遺構・復元物]

この辺りに池があった。本佐倉城は周囲を印旛沼や池、湿地に囲まれ、天然の水堀に守られていた。

2020年11月17日 下沼下総守雄信
妙見神社[本佐倉城  寺社・史跡]

妙見宮に祀られている妙見様(妙見菩薩)は本佐倉城の城主、千葉氏の守護神である。
千葉氏ゆかりの城の近くには妙見宮(神社)があることに注目したい。(例、千葉城・千葉神社)

2020年11月17日 下沼下総守雄信
奥ノ山(Ⅱ郭、妙見郭)[本佐倉城  遺構・復元物]

妙見郭の名の通りかつて妙見宮があった郭。儀式、儀礼の場として使われていた。

2020年11月17日 下沼下総守雄信
城山(I郭・本郭)[本佐倉城  遺構・復元物]

主殿や会所、台所、倉庫等があり、城主の執務と来客の接待に使われた本郭。池のある庭もしつらえていたそう。

2020年11月17日 下沼下総守雄信
トイレ[本佐倉城  トイレ]

バリアフリー対応トイレあり。ウォシュレット付きトイレ。

2020年11月17日 清水伊豆守興聖
本佐倉城



続100名城スタンプのある公民館と城跡は少し離れている。城跡には広い駐車場と案内所(開館準備中)があるが、そこに行くまでの道は狭いため、大型車は注意。高台からは条件が良ければ筑波山まで見えるとのこと。平山城なので、散歩くらいのノリで見て回れる。

2020年11月08日 特にありません
本佐倉城



道中の矢盾は戦国感が出ているかも。
ただ、結構自然感が強く、この季節でも蛇がいたので攻城道中は御注意ください。

2020年08月18日 ☾︎左馬允結衣
本佐倉城



ここの御城印は、佐倉城、臼井城の御城印と共に、各300円で「佐倉市観光協会観光案内所」にて手に入ります。

2019年06月22日 友弥
本佐倉城



大堀切。
近くに解説板もあり。
酒々井役場にいろんな種類のパンフレットがおいているので、それを手に入れてから登城するとよいですよ。

2019年05月04日 まさある甲斐守
本佐倉城

車で訪城される場合は、国道296号線側からか、県道137号線側から行かれる事をお勧めします。電柱などに案内もあり、駐車場も無料です。ちなみに京成大佐倉駅でスタンプを押してから行こうとすると、田んぼの中のあぜ道みたいなところを走る事になります。

2019年03月26日 鬼自摸安房守雀聖
本佐倉城

京成酒々井駅から徒歩で向かい、東山馬場駐車場の方から登城しました。

京成酒々井駅やJR酒々井駅からのアクセスは、所々にある看板に従っていけば迷うことはないと思いますが、最短経路で行きたいときは水色の看板をたどるといいでしょう。

東山馬場の駐車場では、案内看板のところに置いてある「本佐倉城跡散策マップ」というパンフレットを入手できます。
また自販機やトイレは、駐車場のところにしかありませんのでご注意を。

城内は、「散策マップ」の順路に沿っていけば、主要な遺構は漏れなく見ることができると思います。
この順路どおりに進むと、東光寺ビョウという郭に出て散策終了となります。
ここからだと最寄駅は京成大佐倉駅になりますのて、帰り道はそちらへ。

大佐倉駅に到着したら、改札外に置かれている続100名城スタンプをゲットしましょう。

これで本佐倉城はほぼ攻略できます。



2018年11月02日 相模守愛洲久忠
本佐倉城

大佐倉駅から徒歩で登城しました。妙見宮を目標にして歩くと良いでしょう。
妙見宮の石段の手前左手に細い道があります。工事現場で使われるような鉄パイプ製の手すりにつかまりながら祠の外側を反時計回りに進むと先に階段が現れます。階段を上ると三段の段郭に分かれる倉跡の最上部に出ました。進行方向右手には妙見宮跡の標柱と椅子が設置された広場です。祠の真上の曲輪が妙見宮と呼ばれていたのかも知れません。
倉跡のスペースを西へ進むとセッテイ山へ向かいます。最大級の空堀はここにあります。進入路を探してみましたが、関係者以外立ち入り禁止の看板と階段の入り口にロープが張られていましたので断念。
段郭沿いに下った先に主郭部に通じる道とⅣ郭虎口方面への分岐があります。右へ折れるとすぐ目の前に木戸跡の堀切です。更に進むと主郭部の城山。曲がりくねった道が続いています。
来た道を戻って矢立てが並ぶ馬場跡を左手に見ながら山を下りると、かなり広めの駐車場に出ました。10台前後駐車可能でしょう。ここにトイレとジュースの自販機がありました。

2018年09月02日 京急渡島守ドレミファ♫
本佐倉城

青春18きっぷ+グリーン車の日帰り鉄道旅。
横浜から酒々井まで、成田空港行で乗換えなしの2時間弱でした。

【アクセス】
JR酒々井駅→公民館、公民館→城とも各徒歩15分。
岐路には案内があるのでまず迷うことはありませんが、公民館にある「本佐倉城跡アクセスガイド」という地図があれば尚安心です。

【スタンプ】
中央公民館にて。
パンフレット類、ウォシュレット付きトイレ、自販機もあるので、準備を整えるのにも最適です。

【見どころ】
空堀…と言いたいところですが、藪になっていてイマイチです。
虎口は痕跡がハッキリ分かる所が多く、それが一番の見どころでしょうか。
漠然と登城するより、「本佐倉城跡散策マップ」の順路通りにめぐる方が、見どころを効率よく回れてオススメです!
ちなみに、駐車場から登城の場合、ポイント4から順に回って最後にポイント1→2→3と行くと無駄がないです。

【その他】
整備はされていますが、所々藪やクモの巣等があるので、長ズボンと帽子で行くことをお勧めします。
駐車場には激安自販機、簡易トイレがあります。

2018年05月27日 Nero武蔵守
本佐倉城

城下(東山馬場)に駐車場がありますが、田んぼのあいだの細い道を通っていかないので断念。スタンプのある中央公民館で、数種類のパンフとアクセスマップを入手し徒歩で登城。案内表示が至るところにあり、迷うことはありません。約20分。

2017年07月26日 昌幸常陸介ytn
本佐倉城

酒々井町中央公民館でパンフレットは一式揃います。
さらに発掘調査に関わった部署が建物内にあるとのことで、詳しい話を聞きたければ教えてくれるそうです。

城は結構広く、内郭だけでも1時間以上はかかるのではないでしょうか?
丁寧な説明版があるので安心して回れます。
個人的にはセッテイ山の周りの空堀を歩いた時、一番迫力を感じました。
まだ発掘調査継続中の箇所も半分くらいあるので、これからに期待します。

最後にカミツキガメを見たという貼り紙がありました。城攻めを予定されている方はマムシとともにご注意願います。

2017年05月05日 カーネル
本佐倉城

京成本線 大佐倉駅から

駅改札を出たら、すぐ線路を渡り東へ
少し線路沿いの道を歩いてから南下すると、ちょいちょい小さい看板で、本佐倉城の看板がでてます
ほんとか?というような狭い道を進むとセッティ空堀にでて、ここは最大級の堀だそうです

竹林の中の虎口を通過すると広い倉跡にでます。妙見宮跡がある奥山方向へ進み、さらに東へ行くと本丸
ここまでの道中にて、左右に大規模な堀が多数ありました

本丸から北上してⅣ郭へ抜けて進むと東口虎口です
とにかく広い。全部網羅しようとすると、行ったり来たりすることになります
帰りは北側から帰りましたが、こちらの道は広いです

駅から近いですが、見どころが多すぎて1時間ちょいかかって、駅に戻りました

2017年04月06日 立花飛騨守
本佐倉城

続日本100名城に選ばれました!

向根小屋、荒上含めた広大な城域に、空堀や土塁の遺構が、良好に残ります。

駐車場も整備され、電車も、3つの駅が利用できます。

2015年03月08日 藤井伊賀守
本佐倉城

深い空堀や郭など、見事な遺稿がみられます。季節に寄っては草ぼうぼうですが。国指定史跡だけに、主要部はせいびがいきとどいてます。


2013年12月03日 野舘宮内少輔サラマンダー
本佐倉城

2013年11月26日13時55分(40分)

小さいですが、城址を案内している看板があります道が狭く、最初の看板から城址まで800m位距離があるので、不安になるかもしれません…城址入口に石碑があり、その奥が東山馬場で、駐車場とトイレがあります

城址の要所には、説明板が写真付であります郭の高さは20m位あり、建物跡の形にロープを引いてあり、草木の手入れもされていますただし、蛇には御注意(私は2回も出くわし、かなりビックリしました)

北側の郭からは、水田と筑波山が見えました国史跡なので色々とやってくれてはいるのですが、使っている土のうがビニール製で、土塁や階段の補修跡で雰囲気を壊してしまっていたり、手すりが工事現場にあるパイプでとても残念でした…これらが無ければ、見応えある城址だと思います

2013年10月06日 三日陸奥守落人
本佐倉城

この辺りは湿地に丘が切り立ったような地形が多く、城好きなら地形をみて回るだけでも面白いかもしれません。当城もかつては、干拓される前の印旛沼が城際まで迫っていたようで、かなりの要害だったことが窺えます。

各所に手作り案内板が散在しており、遺構もわかりやすくなっていますが、マムシ注意の案内もありますのでご注意を。

最寄り駅は京成大佐倉。少し入りくんではいますが、駐車スペースもあります。

2013年08月18日 しー武蔵守
本佐倉城

建物跡にロープを地面に張られているので当時の状況が掴みやすいです。

各場所に酒々井町観光案内のQRコードが貼ってありますので簡単な説明をチェックする事も出来ますし、パネルに写真付きで発掘当時の解説も載ってましたから、概要を掴むにはわかりやすいと思います。

2012年08月03日 ビバちゃん
本佐倉城

本佐倉城の方が佐倉城よりも城好きには満足の行く見学が出来ると思います!遺構もかなり良い状態で残っているので城の防衛線や規模も想像しやすくお薦めです。佐倉城に行かれる方はすぐ近くなので本佐倉城に是非行ってみて下さい。

本佐倉城の周辺スポット情報

 Ⅳ郭虎口(遺構・復元物)

 Ⅳ郭(よんかく)(遺構・復元物)

 大堀切(遺構・復元物)

 城山通路(遺構・復元物)

 城山虎口(遺構・復元物)

 城山門跡(遺構・復元物)

 城山(I郭・本郭)(遺構・復元物)

 奥ノ山(Ⅱ郭、妙見郭)(遺構・復元物)

 倉跡(Ⅲ郭)(遺構・復元物)

 中池跡(遺構・復元物)

 水の手(遺構・復元物)

 セッテイ(Ⅶ郭)(遺構・復元物)

 東光寺ビョウ(Ⅵ郭)(遺構・復元物)

 セッテイ空堀(遺構・復元物)

 セッテイ虎口(遺構・復元物)

 南奥虎口(遺構・復元物)

 東山虎口(遺構・復元物)

 東山(土塁・展望台)(遺構・復元物)

 荒上(遺構・復元物)

 向根小谷(遺構・復元物)

 佐倉根小屋(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 倉跡ーセッテイ空堀(遺構・復元物)

 二重土塁(遺構・復元物)

 向根古谷城の堀切と土塁(遺構・復元物)

 竹林の小径(遺構・復元物)

 城址石碑(碑・説明板)

 城址石碑(碑・説明板)

 城址石碑(碑・説明板)

 房総の魅力500選の案内板(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 ビューポイント(碑・説明板)

 建物跡(碑・説明板)

 妙見宮跡(碑・説明板)

 案内板(碑・説明板)

 鷺山城(周辺城郭)

 下岩橋城(周辺城郭)

 北大堀御殿山館(大堀陣屋)(周辺城郭)

 妙見神社(寺社・史跡)

 弁天社(寺社・史跡)

 宝珠院(寺社・史跡)

 麻賀多神社(寺社・史跡)

 八幡神社(寺社・史跡)

 将門口ノ宮神社(寺社・史跡)

 勝胤寺(寺社・史跡)

 海隣寺千葉家供養塔(寺社・史跡)

 佐倉市観光協会(御城印)

 JR佐倉駅前観光情報センター(御城印)

 大佐倉駅(スタンプ)

 酒々井中央公民館(スタンプ)

 国史跡本佐倉城跡案内所(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 酒々井宿跡(関連施設)

 本佐倉宿跡(関連施設)

 浜宿湊跡(関連施設)

 模造盾(その他)

 帯曲輪への入口(その他)

 鷺山城登城口(その他)

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