北大堀御殿山館(大堀陣屋)

北大堀御殿山館(大堀陣屋)([本佐倉城  周辺城郭])

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北大堀御殿山館(大堀陣屋)の口コミ情報

2021年11月07日 国府左京大夫城介


佐倉藩主となった松平信吉の居館

【歴史】
元々は、本佐倉城の居館であったと言われている。
文禄2年(1593)に、徳川家康の五男松平(武田)信吉が佐倉に4万石(10万石という)を与えられ、この地に居館を建てた。慶長7年(1602)に信吉は水戸25万石に封ぜられ、代わりに松平忠輝が5万石で移封されてきた。しかし、忠輝も翌年に川中島に移封されている。忠輝が移封された後、この館は廃棄された。
なお、当時の佐倉とは本佐倉城周辺のことを指し、現在の佐倉は鹿島と呼ばれていた。

【遺構】
本佐倉城から南南西800mに位置していたが、現在はディスカウントストアとなっており、遺構は完全に消滅している。
東西約80m、南北60mの方形居館であり、周囲を幅4~5m、深さ2~3mの空堀があった。虎口は南と東中央の二か所に存在した。

【感想】
遺構は完全に消滅しているため、余湖くんのホームページ等からかつての姿を知るしかありません。しかし、周囲には堀切や曲輪の跡っぽい地形が残っていますが、関連性は不明です。

さて、佐倉藩は、松平信吉が佐倉に封じられてから土井利勝が佐倉城を築城するまでの約20年間、何処に政庁があったのか分かっていません。現在では、「本佐倉城」「大堀陣屋」「鹿島城(現在の佐倉城に位置する)」の三つの説があるとのことです。また、地元では、清光寺の西側に「万千代殿屋敷」があったという伝承があり、この万千代とは松平信吉の幼名になります。一方で、発掘調査によると、出土した遺物は松平信吉がいた頃の年代に合わないこともあるなど、まだまだ謎が多い状態だそうです。

【アクセス】
本佐倉城から徒歩で15分。

【写真】
1:この辺りに南側の土塁や空堀があった
2:南東にある堀切状の地形?
3:南西にある曲輪上の地形?

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