古屋城(こやじょう)

古屋城の基本情報

通称・別名

所在地

千葉県四街道市物井字北ノ作他

旧国名

下総国

分類・構造

丘城

天守構造

築城主

不明

築城年

不明

主な改修者

主な城主

臼井氏、物井氏

廃城年

遺構

曲輪、横堀(空堀)、障子堀、土塁、腰曲輪、櫓台、井戸

指定文化財

市史跡(物井北ノ作の古屋城跡、物井古屋城址の白磁の井戸)

再建造物

周辺の城

城城(千葉県佐倉市)[3.7km]
佐倉城(千葉県佐倉市)[3.8km]
謙信一夜城(千葉県佐倉市)[4.1km]
臼井城(千葉県佐倉市)[5.4km]
木出城(千葉県四街道市)[5.7km]

古屋城の解説文

古屋城(こやじょう)は千葉県四街道市物井にあった城である。

遺構
印旛沼へ向かって流れる鹿島川左岸の北向きの台地先端に位置する。

主郭は台形状となっており、東西方向に上辺約40m下辺約80m、南北約80mの規模となっている。主郭北側は堀切を挟んで台地先端に向かって小郭が確認され、南側は民家となっている。

現在、城跡が「物井北ノ作の古屋城跡」として、昭和52年(1977)に白磁椀が見つかった井戸が「物井古屋城址の白磁の井戸」として市の史跡にそれぞれ指定され、同年に主郭内で発見された「亀甲つなぎ散らし双鶴亀鈕鏡」が市の文化財に指定されている。

また、平成27年(2015)5月~7月にかけて城域南東端で行われた発掘調査では腰郭や土塁の他、台地平坦部の直下に障子堀が発見されている(『房文』)。

古屋城から谷を挟んで東側に位置する「北ノ作遺跡」においても、郭や土塁、障子堀などが発見されており(『房文』)、古屋城の出城としての機能を持っていたとの見方もある。

歴史
築城主・築城年代は不明だが、『四公』によると千葉氏・臼井氏一族の関連城址とし、戦国期には“千葉氏御一家物井殿居城カ”としている。それらを裏付けるように前述の発掘調査では、中世前期から16世紀代を下限とする遺物・遺構が発見されている。

また、障子堀の出土から後北条氏との関連も考えられる。

交通
JR東日本総武本線物井駅から徒歩で約15分

参考文献
『房文』:『房総の文化財 VOL.55』公益財団法人 千葉県教育振興財団、2015年10月。
『四公』:四街道市公式サイト(http://www.city.yotsukaido.chiba.jp/)。

古屋城の口コミ情報

横田主計允豊政様[2017年08月06日]
物井について
古屋城は物井に移住した千葉氏22代孝胤の三男右馬助から始まる物井氏が治めたとされる。この物井の由来が中々に興味深いものであった。時を遡る事1500年程前、6世紀前半に有力軍事氏族物部氏12世物部小事が坂東を征した功で匝瑳郡が建郡され、下総物部氏が始まったという。そこから時を下ること平安時代初期、小事の子孫を称する物部匝瑳氏が印旛郡まで勢力を伸ばした。物井の地は根拠地となり物部郷と称したそうだ。物部郷がいつから、何故、物井と称されたのかは不明だが、円福寺によるとこの集落に水の清き井戸が数多くあり、その為「物部の井戸」から「物井」と称されたと言われる。因みに現在、都市再生機構が開発している「もねの里」の「もね」とは物井の本来の発音であるそうだ。
物井には室町中期から江戸期まで修験道場として栄えた御山や木曽義仲の土着した子孫を称する名主櫻井家の守護神弁財天が祀られており、この地の歴史を感じることができる。

立花飛騨守様[2017年03月18日]
3月18日現在、工事は終わってるけど、相変わらず立ち入り禁止です。

勝手に入らないように(笑)

氣志本下総守幸兵衛様[2017年01月04日]
お正月休みに行ってみたところ、公園整備はほぼ終わっているようですが、まだ立ち入り禁止になってました。

まー武蔵守様[2016年10月15日]
公園整備工事は〜10/31とあったが今年いっぱいかかりそうな状況だ。

立花飛騨守様[2016年08月28日]
改めて、行ってみると、工事は9月いっぱいまでかかる模様。頼めば、入れてくれそうだけど。

立花飛騨守様[2016年07月26日]
公園工事は、8月、お盆過ぎまでかかるそうです。畝掘は埋め戻します。
また、北の作遺跡は、老人ホームになるようです。

雑賀様[2016年06月24日]
 
主郭は民家の敷地で、家人の方が見せて下さる場合もあるとの情報をもとに、お会いできなかったら外観だけでもと思い行ってみました(女は度胸)
 
訪れてみると、数年前とはおそらくすっかり様変わり.…というよりも現在進行形で公園として造成中(平成28年6月)
 
邪魔になる状態でもなかったので、整備中のところを作業員の方にお願いし、上がらせて頂きました(女は愛嬌)
 
まっさらに整備された主郭には、市史跡の井戸があります. 
台地最先端で防衛最前線であったはずの主郭北側は道路により消滅してしまったようです.
 
南側と西側は工事により奥まで見ることは出来ませんでしたが、土塁や空堀の一部は確認. 東側の腰曲輪は非常に分かりやすい形で残存.
 
今回見られなかった部分を含め、昨年発見されたばかりという障子堀もぜひ見てみたいので完成後に再訪したいと思います. 
なお、谷を挟んだ東側の『北ノ作遺跡』にも郭や土塁、障子堀が発見されているそうです.
 
駐車場はまだありませんが、短時間であれば近隣に駐車可能かと思います.JR駅からも徒歩圏内.

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore