御茶屋御殿(おちゃやごてん)

御茶屋御殿の基本情報

通称・別名

所在地

千葉県千葉市若葉区御殿町2、549他

旧国名

下総国

分類・構造

御殿

天守構造

なし

築城主

土井利勝

築城年

慶長19年(1614)

主な改修者

主な城主

徳川氏

廃城年

寛文年間(1661〜1673)

遺構

土塁、横堀(空堀)、虎口、土橋

指定文化財

市史跡(千葉御茶屋御殿跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

多部田城(千葉県千葉市)[2.4km]
木出城(千葉県四街道市)[3.2km]
根古屋城(千葉県八街市)[4.7km]
中野城(千葉県千葉市)[5.9km]
高品城(千葉県千葉市)[7.4km]
有吉城(千葉県千葉市)[7.8km]
千葉城(千葉県千葉市)[8.1km]
生実城(千葉県千葉市)[8.3km]
古屋城(千葉県四街道市)[8.6km]
曾我野陣屋(千葉県千葉市)[9.3km]

御茶屋御殿の解説文

御茶屋御殿は江戸初期に徳川家康が鷹狩りを行う際の休息所として造られたもの。

同様の御殿は関東にいくつかあったが、後に廃されており、この千葉市にあった御茶屋御殿も江戸初期の寛文年間には取り払われている。

だが跡地は旧態をよくとどめており、発掘調査によって様々な遺構、遺物が発見されている。

御茶屋御殿の口コミ情報

2025年12月31日 びん
御茶屋御殿



思っていた以上に規模がでかくきれいに整備されています

2025年10月06日 美濃守ルントシュテット
御茶屋御殿



御成街道沿いに案内板があるのでそこから歩いていけます。案内板周辺の林に車も数台停められます。御殿の本丸は空堀と土塁に囲まれ方形になっています。意外にしっかりした館跡でした。

2025年06月18日 ラッセル安房守【】栗太郎
御茶屋御殿

徳川家康は、慶長19年(1614)と翌年元和元年の二度、鷹狩のために東金を訪れている。この鷹狩のために、船橋からほぼ一直線で東金に向かう街道が造成された。当時、船橋と東金を結ぶ道は「東金道」でこのルートは道幅が狭い上高低差が大きく曲がりくねっていたため見通しが悪く、警備上問題あった。そこで当時の佐倉城主土井利勝が指揮をとり、船橋〜東金間を道幅三間(約5.5m)でほぼ直線で結ぶ新道を造成した。街道の造成には沿道の90余村の人々が動員された。
街道の造成と同時に、中間地点に、休憩・宿泊施設としてつくられる。現在、建物は取り壊されて残っていないが、堀や土塁は残っている。
発掘調査の結果、内部には御守殿・広間・近習部屋・賄所などがある建物や、従者の大部屋、番所、馬屋、鷹部屋などの建物、井戸があったことが確認されている。

家康の鷹狩以降、秀忠も10回ほど東金に鷹狩に来ている。家光も将軍になる前に一度東金にきているが、それ以降、将軍の東金での鷹狩は途絶え、寛文11年(1671)ころ取り壊されたと考えられる。その際、御茶屋御殿の表門は若葉区上泉の宝泉寺へ、裏門は若葉区金親町の金光院へ移築されたと伝えられている。

2025年03月02日 千葉下総守修太郎
御茶屋御殿

土塁や堀などの遺構が、意外に、よく残っていてよかったです。桜の頃にまた行きたいです。

2025年02月13日 たかっち権中納言
御茶屋御殿

2月12日にリヤ攻めしました。 以前に訪問した時は草がボウボウでしたが、2月12日に訪問時には草が刈られていて御殿があった場所の広さがよくわかりました。整備していただいている人に感謝です。

2024年09月24日 気分爽快権大納言
御茶屋御殿



リア攻めマップの通り、綺麗な方形をしていました。鷹狩りのための休憩所で、御成街道なる直線道路まで作ってしまうとは、権力者の考えることは庶民には理解が難しい。

①南の入口
②①左の堀
③①右の堀
④①左の土塁
⑤御殿内部

2024年02月18日 治部卿世界三郎太
御茶屋御殿



方形の御殿敷地、幅約5mの薬研掘の空堀、高さ約2.5mの土塁が旧態がよくわかります。確かにもう少し整備すれば良いと感じました。

2023年09月19日 noble大納言弥勒菩薩
御茶屋御殿



南側の虎口です。家康の御茶屋御殿としては、かなりきれいに遺構が残存しています!

2023年07月29日 伊達 幸村
御茶屋御殿

御茶屋御殿の説明板があるところから更に奥へ行くと堀や土塁があります。

2022年07月31日 寺蔵人頭にゃん
御茶屋御殿



御殿跡。周囲の堀は今でも確認出来ます。ただ、もう少し史跡として整備できないものなのか…

2022年07月24日 源山城守ポンコ2…いざ九州
御茶屋御殿



千葉都市モノレール千城台駅から北の御成街道へ、御成街道を東に歩いて30分弱でした。

堀と土塁で囲まれた単館の方形ですが、内側から見て高さ2㍍ちょいの土塁、土橋より見下ろした目測では深さ3㍍ほどの薬研堀、虎口を南北に設けられてるのがよくわかりました。虎口は内枡形だったようですが、枡形部分は撤去されてるものの、よく遺構が残ってました。

御成街道は、途中で道幅狭くなるところで歩道ない箇所やアップダウンのある道でしたので、歩いて向かわれる方はお気をつけて。歩道ないとこで、車のすれ違いあると、後ろで渋滞起こしてしまいました。道中、日陰は多かったので、夏場歩くのにはよかったです。
戻りは城友さんに送っていただき、助かりました。

2020年10月03日 大納言Z甲斐守369
愛染山金光院[御茶屋御殿  寺社・史跡]



徳川家康が東金での2度目の鷹狩の時に(1615年11月16日)宿泊したといわれている。
山門は御茶屋御殿の裏門を移築したといわれている。

2020年04月04日 国府左京大夫城介
御成街道(説明板)[御茶屋御殿  碑・説明板]



徳川家康が東金での鷹狩を目的のために、船橋御殿から東金御殿までの間をほぼ一直線に作られた天下人のための街道。佐倉藩主の土井利勝が三日三晩で造った伝承もあり、一夜街道という別名があります。

現在も陸上自衛隊下志津駐屯地から御茶屋御殿まで、ほぼ一直線です。特にこの説明板があるあたりは、当時の道幅のままであり、徳川家康の気分が味わえるかもしれません!

2019年05月12日 下沼下総守雄信
御成街道[御茶屋御殿  関連施設]



御成街道。徳川家康の鷹狩りのために造成された船橋から東金まで続く一直線の道。御茶屋御殿はこの街道途中に造られた休憩所。

2018年12月27日 下沼下総守雄信
御茶屋御殿

正方形の城郭の周囲に綺麗に土塁が残り、更にこの土塁の周囲を綺麗に空堀が残る。

城内へは南北にある土橋を通って入る。城内は更地であり、雑草が生い茂るが時々草を刈って綺麗にしている模様。

実際はあまり使用せず廃棄されたようだが、鷹狩りのためにこれだけの規模の御殿や直線道路(御成街道)の土木工事をさせた徳川家康の権勢をうかがい知ることができる施設跡である。

2017年05月05日 Nabeppu左馬頭
御茶屋御殿

周囲を空堀で囲まれており、空堀自体の深さは約4m程、堀底から土塁迄を見上げると、6〜7m位ありそう。入口は北東と南西にある。
教科書に出ている典型的な武士の館といった感じ。結構整備されてるので、そのまま時代劇の撮影に使えそう。

2016年10月30日 まー刑部卿
御茶屋御殿

県道53号線の御殿入口信号機を曲がりしばらくすると右手に『(株)千葉工業千葉支店』『RADCON FORMULA#7』の看板が見えてくる。御殿跡入り口はちょうどその看板の向かいです。曲ってすぐに御殿跡入口の標柱と説明板がある。更に進むと駐車出来るスペース有り。その先は方形郭のようになっており土塁と空堀が明瞭に残っています。御殿跡は草でいっぱいですがコンクリートで覆われた井戸の跡もありました。

2013年03月02日 はまびぃ下総守
御茶屋御殿

中は更地になっていますが、方形の敷地を囲む土塁と堀が綺麗に残っています。

2012年08月20日 GINTOKI
御茶屋御殿

四角の方形城館のような感じ土塁・空堀・土橋が残る!

御茶屋御殿の周辺スポット情報

 土橋(南側)(遺構・復元物)

 井戸(遺構・復元物)

 土橋(北側)(遺構・復元物)

 土塁と御殿跡内(遺構・復元物)

 土塁と御殿跡内(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 御成街道(説明板)(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 愛染山金光院(寺社・史跡)

 寳珠山 寳泉寺(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

 御成街道(関連施設)

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