曾我野陣屋(そがのじんや)

曾我野陣屋の基本情報

通称・別名

蘇我野藩陣屋

所在地

千葉県千葉市中央区蘇我3

旧国名

下総国

分類・構造

陣屋

天守構造

なし

築城主

戸田忠綱

築城年

明治3年(1870)

主な改修者

主な城主

戸田氏

廃城年

明治4年(1871)

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

周辺の城

生実城(千葉県千葉市)[1.4km]
有吉城(千葉県千葉市)[3.7km]
千葉城(千葉県千葉市)[4.1km]
高品城(千葉県千葉市)[6.3km]
多部田城(千葉県千葉市)[7.0km]

曾我野陣屋の解説文

曾我野陣屋は明治初期に曾我野藩の藩庁であった陣屋。

曾我野藩は現在の千葉県千葉市中央区蘇我にあり、同地は江戸期を通じて幕府の直轄地であった。だが明治3年(1870)、幕末に新たに立藩された高徳藩・戸田家が移封となったことから成立したものである。

だが成立翌年には廃藩置県があったことから、存在した時期はわずかである。

陣屋跡は現在公園となっており、遺構などは特に確認できない。

曾我野陣屋の口コミ情報

横田藤原朝臣刑部丞氏胤様[2017年07月14日]
曽我野藩は明治3年から廃藩置県まで1年程存在した藩。藩主は戸田忠綱。
忠綱の父忠至は下野宇都宮藩の家臣であったが、天狗党の乱の折、結託を疑われた藩を救い、その功で分与されて高徳藩を興した。忠綱は即位間もない明治天皇の馬術指導をしていたが、父の隠居により藩を継いだ。
明治3年曽我野藩知事に任じられ、曽我野陣屋に移ったが、廃藩置県により免官される。
その後の人生について詳しい事は不明だが、明治15年に家督を長男忠義に譲り、隠居、大正11年に此の世を去り、現在は父や祖先とともに東京の谷中霊園に眠る。

横田藤原朝臣刑部丞氏胤様[2017年07月14日]
陣屋の位置は、解説では八幡公園となっているが、正確には其処より更に東の畑地にあったとの事である。どちらにせよ、昔の曽我野の村の南の外れにあり、急拵えで造ったことが分かる。一年程しか存在しなかった為か遺構らしきものも、名残と呼べるものも見当たらなかった。
ただ、八幡公園の社は明治末期の地図に載っていた。村の入り口なのか、陣屋に関する物なのかわからないが、歴史のある物には違いない。

綱島弾正大弼八雲様[2014年02月23日]
国道357号蘇我陸橋北側信号機脇にある「八幡公園」です。GoogleMAP検索だと市原市の八幡公園が出てきますのでご注意を。
遺構は説明通り「祠」以外何もない。看板もないので、このゲームが無ければここが曾我野陣屋跡だと知るのは難しい。
祠は交通量の多い国道の脇で時代と車に流さそうにひっそりと立っている。
ビックリしたのは祠の前にブリキ板製の倉庫が居座り、限られた土地を明け渡してしまった感じがする。この現状が一層悲愴感を引き立てている。

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