千葉城(ちばじょう)

千葉城の基本情報

通称・別名

猪鼻城、亥鼻城

所在地

千葉県千葉市中央区亥鼻町1-23-1他

旧国名

下総国

分類・構造

平山城

天守構造

複合式層塔型[4重5階/1967年築/RC造模擬]

築城主

千葉常重

築城年

大治元年(1126)

主な改修者

千葉氏

主な城主

千葉氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(猪鼻城跡(含七天王塚))

再建造物

模擬天守(千葉市立郷土博物館)、石碑(猪鼻城祉)

周辺の城

高品城(千葉県千葉市)[2.3km]
曾我野陣屋(千葉県千葉市)[4.1km]
生実城(千葉県千葉市)[4.6km]
小中台城(千葉県千葉市)[5.7km]
多部田城(千葉県千葉市)[6.2km]

千葉城の解説文

亥鼻城(いのはなじょう)は、千葉県千葉市にあった日本の城。1126年(大治元年)、千葉常重が築城した。

城跡は1909年(明治42年)以降公園として開放され、1988年(昭和63年)に歴史公園「亥鼻公園」として整備された。亥鼻山の中腹には、外観を日本の近世城郭の天守建築を模して1967年(昭和42年)に鉄筋コンクリート構造で建設された千葉市立郷土博物館(通称、千葉城)がある。

千葉城の口コミ情報

横田民部丞藤原朝臣氏胤様[2017年07月09日]
その後の亥鼻山
千葉氏が亥鼻を去った後、亥鼻山はどうなったのか、一説には千葉氏へ圧力をかける為、里見氏が出城を築いたとも言われているが定かではない。その後、亥鼻山は意外な人物の名とともに現れる。1674年水戸光圀の甲寅紀行の中に「千葉の町を出づるところの左の方に古城あり。伊野花と云ふ」とある。この事から、江戸時代にはいのはなの名と、古城であったとの認識があることが分かる。時は下り、明治42年、公園として開放された。更に時は下り昭和12年、この地に千葉護国神社が創建される。千葉空襲で焼けてしまうが、再建され、昭和42年に千葉公園そばに御遷座。同年、現千葉市立郷土博物館(所謂、千葉城)が建設される。

横田民部丞藤原朝臣氏胤様[2017年07月09日]
亥鼻城は1126年に千葉常重が大椎から拠点を移したのが始まりとされている。然し、現在ではその拠点は亥鼻山ではなく、その麓にある千葉家庭裁判所周辺にあったと考えられている。その辺りには戦前、千葉宗胤が開基したという宗胤寺があり、古くから栄えていたことには違いなかろう。
では、亥鼻山とは何か。解説文にある様に、13世紀には墓域、14世紀には宗教的な施設、15世紀に入り城郭として機能していたとすると、時代とともにその役割を変化させて来たと考えるのが妥当だ。墓域というと、亥鼻より北に千葉山という台地があり、其処が常胤よりの千葉氏累代の墓地といわれている。だとすれば、もし、亥鼻山が墓域であったとしたら、それは千葉氏のものでなく、その土地に元より住んでいた者達のもので一種の聖域であったのではなかろうか。
14世紀になると亥鼻山の周囲に続々と千葉氏に纏わる寺が建てられるようになる。此れは千葉氏が聖域に手を出せる程にこの地に馴染んだ事の表れではないか。
15世紀ともなると、不安定化する情勢に合わせて、その頃には完全に千葉氏のものとなった亥鼻山に砦を築いた。筋書としてはこんな所か。

横田民部丞藤原朝臣氏胤様[2017年07月09日]
亥鼻の地名は亥の方角(北西のやや北寄り)に突き出た舌状台地に由来するという。言うなれば亥の方角の鼻状台地か。南東に709年創建と言われる千葉寺がある為、千葉寺より亥の方角という事だろうか。
考えられている城の広さは外郭も含めると相当なもので、馬加城、本佐倉城を凌ぐ規模ではないだろうか?城の西部、神明社のある場所が1郭、亥鼻公園が2郭、郷土博物館が3郭、そこから東側、千葉県文化会館や千葉大学亥鼻キャンパスのある場所が外郭部1、土橋の様な道を挟んで、医学部付属病院がある場所が外郭部2、矢作トンネルを挟んで、水道局の高架水槽がある場所が矢作砦といわれている。特に外郭部1と外郭部2を繋ぐ道は土橋の様に見え、実際に土橋と考えている方もおられる様だが、明治末期に作られた地図にはその様な物は見られない。そもそも、距離も長く、高さもある為、土橋として造ったのであればかなりの規模の工事となった筈、外郭を繋ぐ道の為に其処までする余裕もないだろうし、あったとしても私が普請を任されたとしたら、他の部分の防御を堅める。恐らく、病院を建てる際に、アクセスを良くする為に造られたと考える方が妥当であろう。

やさぐれ征夷大将軍やなんちゅ様[2017年05月23日]
昔から天守のあるお城と知ってましたが偽物だと思ってたので訪れる事はなかったのですが千葉氏関連の展示に興味を抱き初登城しました。
もちろん天守は模擬ですがこの亥鼻の地に居館を構えた時期があったらしいです。
模擬天守内は郷土博物館になっており無料で開放されてました。
3Fに房総平氏関連の資料が展示されておりスタッフの方から平将門や千葉常胤などの興味深いお話をしてもらいなかなか有意義な時間でした。
残念ながら日曜だと言うのに訪れる人は少ないみたいで博物館専用の駐車場もガラガラでしたので穴場としてはオススメです。

藤井伊賀守様[2016年01月15日]
遺構は、土塁、堀切跡と、明瞭性にとぼしいですが、模擬天守の資料館が、昨年から無料になったそうです。

GINTOKI様[2012年08月20日]
千葉城の郷土博物館は、主に千葉氏関連の展示が豊富!

ビバちゃん様[2012年05月04日]
千葉城の中が史料館になっていて¥60と格安なのに資料もなかなか豊富でオススメです!

徳川内大臣源朝臣康武様[2010年07月21日]
[武将像]千葉介常胤像
模擬天守前に鎮座。

「発見!ニッポン城めぐり」を始めるには?

「発見!ニッポン城めぐり」は、iPhone・Androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「発見!ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「発見!ニッポン城めぐり」 発見!ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore