小河山智光院
小河山智光院([千葉城 寺社・史跡])
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小河山智光院の口コミ情報
2026年05月23日 ラッセル下総守【】栗太郎
康正2年(1456)馬加康胤が開いたと伝わる。康胤は千葉満胤の三男で馬加城を本拠にしていた。
享徳の乱が起こると千葉氏にも飛び火し、一族や家臣は両派に別れて戦い始めた。千葉胤直ら千葉宗家が関東管領側についたのに対し、康胤は庶家の原胤房らと鎌倉公方側につきました。
康正元年(1455)康胤らは千葉家の館を攻め落とした。敗れた胤直は、一族とともに下総国千田庄の多古城や島城に逃げましたが、これらの城も攻められ胤直の一族は滅亡します。
翌年、康胤も幕府の命を受けた美濃国郡上郡から下向した千葉一族の東常緑に討たれました。
館の陥落後に康胤が創建したといわれるのが智光院です。この時代滅ぼされた者の霊が災いを引き起こすと信じられており鎮魂のため相手の館を寺とすることがあり、この場所は千葉宗家に所縁がある可能性がありますが、真相は不明です。
2020年07月23日 山内右兵衛佐伊右衛門俊胤
馬加康胤が康正2年(1456)に開基、千葉氏の祈願所であったというが、千葉氏が間もなく佐倉に移った為に荒廃したという。亥鼻の七天王塚および御茶の水不動尊の支配をしていたと云われる。









