実籾城(みもみじょう)
実籾城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 千葉県習志野市実籾本郷
旧国名
- 下総国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 不明
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
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馬加城(千葉県千葉市)[1.4km]
鷺沼城(千葉県習志野市)[3.5km]
小中台城(千葉県千葉市)[4.4km]
米ケ崎城(千葉県船橋市)[6.7km]
高根城(千葉県船橋市)[6.9km]
船橋城(千葉県船橋市)[6.9km]
夏見城(千葉県船橋市)[7.1km]
金堀城(千葉県船橋市)[7.9km]
金杉城(千葉県船橋市)[8.1km]
米本城(千葉県八千代市)[8.6km]
実籾城の解説文
[引用元:Wikipedia「実籾城」の項目]
実籾城(みもみじょう)は、千葉県習志野市実籾本郷付近にあった日本の城。
実籾高校から水田を挟んだ南東の方向に、こんもりとした台地がある。この台地の上部から土塁が発見され、その特徴から戦国時代の城であったと考えられる。現在はかなり樹木によっておおわれているが、土塁の上から見ると藪(やぶ)ごしに下の谷がよく見渡せ、城として好立地であることが窺える。しかし、遺跡の様子から見るとあまり大きな城ではなく、砦のような規模であったと考えられる。
また、この地域には千葉氏一族の尼僧が千葉氏滅亡のおりに逃げのびたことに関連する抜け穴の言い伝えもあり、戦国時代の息吹を感じさせる場所になっている。
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実籾城の口コミ情報
2024年08月19日 HAL2000壱岐守
実籾城
京成線実籾駅の南、県立実籾高校のやや南にあったとされる城。戦国時代の千葉氏の城の一つとのこと。県道57号の西に広がる畑の隅にあります。浜田川に対して出っ張った台地になっている場所で、川沿いにあるパターゴルフ場から見ると、城郭のおおよその形が想像できます。本丸跡地と考えられる場所は、私有地を通らねば行けないが、「立入禁止」の看板が幾枚も置かれていることから察するに、城を見にずけずけ入られることを好もしく思われてなさそうなので撤退。
周囲は、小規模だが浜田川の段丘になっているため、道がかなり入り組んでいる、かつめちゃめちゃ狭い。自分はレンタサイクルで登城したが、車で来るのは避けるべき。
2024年08月19日 HAL2000壱岐守
長胤寺館[実籾城 周辺城郭]
お寺の名前は、長胤寺(ちょういんじ)。ここに館を築いたのは、武石長胤(ながたね、千葉常胤の息子の武石胤盛の曽孫)。ややこしい。鎌倉時代の館なので、城郭というよりは花見川沿いの長作集落を見渡せる台地の上にあります。
2024年08月18日 左衛門佐マサ
実籾城
私有地になっており中に入ることは叶いませんでしたが、小高い場所にある神社が城址の様です。
2020年12月06日 山内右兵衛佐伊右衛門俊胤
実籾城
実籾城は下総地方によくある低地に突き出た舌状台地の城である。城跡とされる場所には妙見社が建っており、周辺には遺構らしき土塁が散見される。しかし普通の住宅地なのでウロウロする訳にも行かず、はっきりとした事はわからない。江戸時代に御成街道が本郷北側に開通すると町の中心も街道沿いに移った様で、西中山無量寺や大原神社が実籾本郷から街道沿いに移されている。その為か本来の集落の姿が分かり辛い。
実籾城があったとされる場所には、かつて妙光山観音院惣持寺と呼ばれる尼寺があった。鎌倉時代初期、千葉常胤の曾孫である千葉介胤綱が七歳の娘藤姫を仏門に入れ、授戒して執善と名を改めた藤姫が庵を設けたのが後の惣持寺であった。以来、惣持寺の庵主は代々千葉一族の女性が務めていったという。この事から、実籾城は惣持寺を守る警備兵の番所であった可能性が考えられる。
千葉氏が小田原征伐で滅亡する際、惣持寺の尼僧であった梅室院香譽清薫比丘尼が実籾を脱出している。清薫比丘尼は胤綱より300年ほど後の千葉介胤富の娘であるという。清薫比丘尼は実籾を脱すると高根村(船橋市高根町)の中村三郎兵衛(高城氏家臣とみられる。千葉氏側近として香取神宮領の裁量をしていた中村氏の一族か?)の邸宅に拠り、その後押切村(市川市押切)の及川善右衛門(中村三郎兵衛と同じく高城氏家臣と思われる、押切村に移住したか?)の邸宅へと移って、そこで死没したといわれる。
押切村のある行徳地域には、鎌倉時代に千葉氏の崇敬を受けた日蓮宗の寺院が多く存在する。その中には千田胤保の妻、清寿尼が開基となった清寿寺がある。千田胤保は家康側近である成瀬正成の配下となっており、清薫比丘尼は中村三郎兵衛を介して千田胤保と縁のある行徳の千葉氏旧臣を頼ったのであろう。清薫比丘尼自身も日蓮宗であったのかも知れない。清薫比丘尼が去った後に惣持寺は観音寺と名を改め再興されるが、明治期に入ると廃仏毀釈の煽りを受けて廃寺となってしまったという。
実籾に現存する西中山無量寺は武石氏の祈願寺であったとされる。また実籾の西にある屋敷という地域は、馬加城築城中に馬加康胤が屋敷を置いた地であったという。こうした寺院や地域の歴史から、実籾周辺は元々武石氏の所領であったものを千葉宗家に提供したという事が考えられる。
2020年12月06日 山内右兵衛佐伊右衛門俊胤
実籾城
大原大宮神社の伝承と平安時代の千葉氏内紛
実籾駅北にある八幡稲荷神社の由緒によると、大原大宮神社を創建したのは千葉氏の将兵であったという。「嘉承2年(1107)、千葉氏一族に内紛抗争が起こり、亥鼻に住むことを潔いとしない将兵達が実籾本郷に移住し、農耕を営んだ。」との事だ。
伝承における内紛抗争の勃発は、千葉常胤の曾祖父平常長が死去した時期と重なる。平常長は天仁元年(1108)頃に死去したとされ、次男の常兼が惣領を継承した。内紛は常兼の惣領継承に関わるものであったのだろうか?
時期的に近い(と言っても30年近く過去の出来事だが)千葉氏の抗争というと承暦4年(1080)頃にあったと見られている平常長と埴生恒直の抗争がある。承暦4年(1080)に兄の常長が弟の恒直を殺害したという伝承もあり、恒直の所領は常長の子・常門が継承している。
内紛があったというのはあくまで神社の伝承であり、大原神社の創建自体、天治元年(1124)の事であるともされている。仮に創建が天治元年(1124)だとしたら、今度は常兼が死去した時期{大治元年(1126)}に近い。本当に内紛抗争があったのかどうかも怪しいが、もしあったとしたら、常長、常兼、常重の3代の代替わりに際して何かがあったか、平常長と埴生恒直の抗争の余波らしきものがあったのではないかと考えられる。
尤も、八幡稲荷神社の創建が享徳の乱の頃とされるので、八幡稲荷神社創建時にあったと思われる馬加康胤郎党の定住と千葉氏内紛が大原大宮神社の創建と綯い交ぜになって伝承されたというのが一番あり得る話だが。
2020年12月06日 山内右兵衛佐伊右衛門俊胤
西中山無量寺[実籾城 寺社・史跡]
創建不詳。武石氏の祈願寺であったという。天正18年(1590)、千某氏(千葉氏の事と思われる)滅亡の際に罹災、慶長19年(1614)の御成街道開通時に、村民鶴田重右衛門が当地に移して再興したという。現在は真言宗寺院だが、元は日蓮宗であったという。
2020年12月06日 山内右兵衛佐伊右衛門俊胤
大原大宮神社[実籾城 寺社・史跡]
天治元年(1124)創建とも嘉承2年(1107)創建ともされる。御成街道の開通に伴って文禄元年(1592)に街道沿いへ遷座。明治41年に大宮神社を合祀した。
2020年12月06日 山内右兵衛佐伊右衛門俊胤
八幡稲荷神社[実籾城 寺社・史跡]
西暦1450年前後に当地に定住した千葉氏が当社を創建したとされる。実籾西側にある屋敷という地域の存在から、馬加康胤の郎党が定住したと考えられる。
2020年08月09日 山内右兵衛佐伊右衛門俊胤
屋敷天津神社[実籾城 寺社・史跡]
馬加城築城中にこの地に馬加康胤が居住した事から、地名が屋敷となったという。この神社は康胤が妙見菩薩を祀る為に創建したという。江戸時代に平田篤胤が天之御中主神を北斗七星の神とした事から、明治の神仏分離の際に神社は妙見菩薩から天之御中主神を祭神に替えた。当社も祭神が天之御中主神となっている。
2020年08月09日 山内右兵衛佐伊右衛門俊胤
天戸稲荷神社[実籾城 寺社・史跡]
明応2年(1493)十二社として創建。千葉氏家臣亘内蔵之亟永行らにより稲荷神社に改宗され、字矢の内に遷座されたという。暦応2年(1339)に足利尊氏の召し出しに応じて上洛した奥州武石氏当主武石広胤が、宇多・伊具・亘理の三郡内の所領を安堵された事から亘理姓を称した。亘永行はこの亘理氏の一族であると考えられ、奥州に移った武石氏と下総に残った武石氏の交流が窺える。
2020年08月09日 山内右兵衛佐伊右衛門俊胤
長作城[実籾城 周辺城郭]
長胤寺の北東にある舌状台地上にあった城。場所からして武石一族の城であったとみられる。2004年末に宅地開発で消滅したという。
2020年08月09日 山内右兵衛佐伊右衛門俊胤
長胤寺館[実籾城 周辺城郭]
正元元年(1259)に長作の地を領地とした武石氏5代武石長胤の館。弘長2年(1262)に館を真言宗寺院とした。境内に土塁が残っている。長胤寺は天文14年(1545)に日蓮宗に改宗した。
2019年04月05日 えんちゃん
実籾城
主郭は土塁で囲まれており、現在は民家が建っています。鉄塔がある所は曲輪か見晴台であったかもしれせん。平らで広場の様になっています。
近くの神社に九曜紋あり、千葉氏系の城であることも確認できました。