金堀城(かなぼりじょう)
金堀城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 千葉県船橋市金堀町字殿山
旧国名
- 下総国
分類・構造
- 複郭式平山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 高城氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、帯曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
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周辺の城
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小野田城(千葉県船橋市)[3.8km]
米本城(千葉県八千代市)[4.1km]
高根城(千葉県船橋市)[6.5km]
金杉城(千葉県船橋市)[6.8km]
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佐津間城(千葉県鎌ケ谷市)[8.0km]
小森城(千葉県白井市)[8.3km]
金堀城の解説文
[引用元:Wikipedia「金堀城」の項目]
金堀城(かなぼりじょう)は、千葉県船橋市金堀にあった中世の日本の城。
概要
印旛沼に注ぐ桑名川沿いに位置し、資料は乏しいが、当地周辺に勢力を張った臼井氏一族が拠ったものと考えられている。
構造
桑納川と金堀川に挟まれた台地端に占地し、船橋市史に掲載された金堀城跡実測平面図によると、正方形状の主郭と、主郭の西側の長方形の郭の二郭が認められる。周囲に馬場跡等の地名が残ることから、城域は左記二郭を主郭部としてより広範囲に及んでいたものと考えられる。
内郭については、四周を土塁が回り、南面を除く三方には加えて空堀が設けられていた。また、西及び北側には横矢掛が、南側には突出した土塁を伴う虎口、東側には土塁を伴う横堀が、それぞれ設けられた厳重な構えとなっていた。一方の外郭は、南端を除く三方に低い土塁が廻るものの、空堀は設けられていなかったとされる。このため、西側の区画は郭ではなく、内郭のみの単郭様の城館であったと考える向きもある。
考古資料
遺構
1970年代に主郭部の大半が削り取られ消滅したが、北面および東面の空堀、土塁が残る。
参考文献
- 千野原靖方 『東葛の中世城郭』 崙書房、2004年、ISBN 4-8455-1101-0、17-20頁。
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金堀城の口コミ情報
2024年06月21日 あんどー主計頭
坪井城[金堀城 周辺城郭]
奥に見える丘が城趾かと思いきや手前の畑がその場所と公園にある説明板が示してます今や遺構は全く確認できません
畑に立ち入るわけには行かないし笑
2024年04月12日 あんどー主計頭
吉橋城[金堀城 周辺城郭]
急カーブの坂道を上がったところにおそらく主郭があります。かなり切り立った道で、土塁・虎口のようです。主郭と思われる場所は、今も広大な広場でゲートボール場で使用してるのかな?その広場の片隅に石碑がひっそりと佇んでいます。隣の貞福寺は高台にあり、こちらは二の丸跡だったのではないかとのこと。
この日は人気がなく、カラスが大量に舞っており、かなり不気味な雰囲気で少しゾクッとしました笑
2024年04月12日 あんどー主計頭
金堀城
石碑や説明板もなく、なんとなくで散策。竹藪の険しい道しか歩けず、土塁のようなものを確認はできました。
2024年02月06日 RED副将軍
吉橋城[金堀城 周辺城郭]
境内に土塁が残る高木氏の居城🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代、築城主は不詳。
城主に吉橋胤俊や高木伊勢守の名が伝わります。
吉橋胤俊は千葉氏一族とされ、1247年の宝治合戦で臼井氏が没落した後に千葉氏が吉橋郷を支配しており、その頃に築かれたとも考えられています。
戦国時代には高木伊勢守が吉橋城を居城として勢力を奮ったとされます。小金城の高城氏との関係性が推測されますが不明。
1537年頃に北条氏の侵攻により落城したと云われます。
見所
桑納川南岸の台地上に築かれています。
方形の主郭は四方を土塁が巡り、南側に坂虎口が開口。土塁の南西部に城跡碑が立っています。
主郭南側は切通し道を介して二郭であった貞福寺の境内と続いており、境内にも土塁と思われる高まりが残ります。
2023年04月17日 マグロ常陸介祐平
吉橋城[金堀城 周辺城郭]
残念ながら土塁に囲まれて石碑もある主郭は、虎口と思われる入り口にチェーンが張られていて見ることが出来ませんでした。
お隣の貞福寺も城域のようで、本堂脇や墓地の周辺に土塁が残っています。写真の道路も堀切かもしれません。
2023年04月17日 マグロ常陸介祐平
金堀城
竪堀と思われる通路を歩いてきた地元の方に城について尋ねたところ、数十年前に土砂販売のために壊してしまい、遺構は残っていないとのことでした。訪れる人が多く、よく城について質問されるそうです。
写真の堀と思われる構造も、トラクターを通すために広げていて、元の姿ではないとのことです。
わかりずらい写真ですが、2枚目の竹がバラバラに積まれた先が原形に近いと思われる東側に落ちる竪堀です。
2023年04月17日 マグロ常陸介祐平
楠が山館[金堀城 周辺城郭]
近くにある吉橋城落城の際に、重臣の吉橋一族が逃げて住んだ場所と伝わっているお城です。
農道突き当たりの藪の中に城址があります。入り口は狭い虎口のようで、中に進むと20m四方の土塁に囲まれた狭い曲輪となっています。右奥の土塁は曲輪の先に続いていてT字になっています(曲輪が土塁で仕切られている?)。右の土塁の脇には短い土塁が並び、その奥にも土塁が見られます。また、入り口の20m程手前にも北に伸びる土塁があります。土塁が目立つ割には堀は目立ちません。
全体的に薮のため、奥までは入りませんでしたが、桝状の曲輪がならぶ不思議な感じの縄張りです。
城とは関係ありませんが、畑を隔てた道路沿いには、わずかですが幕府放牧場の野馬土手が見られます。
2023年04月17日 マグロ常陸介祐平
八木ケ谷城[金堀城 周辺城郭]
長福寺周辺が城址となります。ツツジの咲いている所と王子神社のある場所が土塁ですが、ツツジがビッシリ満開で、キレイではありますが史跡としては微妙です。裏の市民の森にも薄めですが土塁のような土盛りが見られます。