本矢作城(もとやはぎじょう)
本矢作城の基本情報
通称・別名
- 館
所在地
- 千葉県香取市本矢作字館
旧国名
- 下総国
分類・構造
- 丘城
天守構造
- -
築城主
- 国分氏
築城年
- 鎌倉時代
主な改修者
- -
主な城主
- 国分氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 市史跡(本矢作城跡)
再建造物
- 碑
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-
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本矢作城の口コミ情報
2018年02月28日 山内侍従伊右衛門俊胤
本矢作城
本矢作城は大戸荘に移った国分胤通によって築かれたという。鎌倉期の館であったと思われ、堀や土塁といった遺構は見受けられないが、果樹園となっている部分より南に、一段下がった土地がある。人工的に造られた地形であると見られ、大崎城の二段構造に通ずるものがある。
国分氏は泰胤の代に大崎城に移ったとされるが、泰胤は鎌倉期の人物である。明治期の地図を見ると、本矢作には大規模な集落があるのに対して、大崎には集落がない。大崎城の城郭が後世拡大されたものとしても、鎌倉期に集落から離れた場所に、拠点を築いたというのには違和感がある。また、本矢作城の近くにある知足院は国分氏の菩提寺と言われ、開山は室町中期、文亀年間とされる。このことから考えるに、大崎城は本矢作城の詰城として築かれ、室町中期までは本矢作城が居館として機能していたのではないか?