長沼城(ながぬまじょう)

長沼城の基本情報

通称・別名

所在地

千葉県成田市長沼字城ノ内499他

旧国名

下総国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

結城朝教

築城年

不明

主な改修者

主な城主

長沼氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

寺台城(千葉県成田市)[5.8km]
大台城(千葉県印旛郡)[6.4km]
松虫城(千葉県印西市)[10.1km]
前林城(千葉県成田市)[11.7km]
本佐倉城(千葉県印旛郡)[12.8km]
中沢城(千葉県富里市)[12.8km]
龍ケ崎城(茨城県龍ケ崎市)[13.1km]
江戸崎城(茨城県稲敷市)[13.1km]
神宮寺城(茨城県稲敷市)[14.3km]
師戸城(千葉県印西市)[14.6km]

長沼城の解説文



file:Naganuma Castle (Chiba) 07.jpg|thumb|250px|長沼城址遠景 長沼城(ながぬまじょう)は、千葉県成田市長沼にあった日本の城。結城氏の一族長沼氏の居城であった。

概要 

詳細な築城時期は不明だが、長沼朝教によって室町時代に築かれたとされる。

戦国時代にも長沼氏の居城として続いていたようである。近世以後については不明。

嘗ては、長沼という沼に半島状に突き出した台地であったが、現在、長沼は干拓され周辺は水田地帯となっている。

構造 

天然の丘を生かした平山城で、単郭の中世城郭である。

遺構 

主郭部分は現在城址公園「長沼市民の森」[1]となっており、碑が建てられている。周囲の藪にかすかに堀状の構造物や土塁の跡などが見られる。

長沼城の口コミ情報

2026年01月08日 マグロ常陸介祐平
助崎城[長沼城  周辺城郭]



助崎城は、大須賀氏初代胤信の築城とされています。元々大須賀の名字は千葉常長の7男の常継が香取郡大須賀保を領したことに始まりますが、上総広常に連座し、所領が千葉介常胤に移ったことで常胤の4男胤信が相続し、大須賀氏の初代となったようです(千葉一族のサイト参照)。

大須賀氏の本流が松子に移った後は一族の助崎大須賀氏の城となっています。松子城に関しては、胤信の長男で2代目の通信の時代に存在したともされるので、9代憲宗の子で助崎大須賀氏の初代宗幸が分家する14世紀の終わり頃から15世紀初頭までは、松子城の支城として一族もしくは家臣が守ったということでしょうか。助崎の大須賀氏は松子の本家に従わず、独自の勢力として存在しており時には対立関係にありました。北条氏の支配下となってからは、遠く岩槻城や滝山城の守備に詰めるなど、酷使されていたことが記録されています。天正18年の小田原の役では、当主が小田原に詰め不在の中、留守を守る姫は薙刀をふるい奮闘しています。姫は円通寺に落ち延び尼になったとされ、落ち延びる時に馬で飛び越えた川は「尾羽根川(お跳ね川)」と名付けられ、円通寺には薙刀が今も伝わっています。また、円通寺の門は、助崎城のものを移築したとされています(先人様が写真を投稿)。

助崎城跡の標柱から主郭(Ⅰ郭)に進み、左側に空堀のある坂になった虎口(北側)を抜けると郭に出ます。北側と南側には土塁があり、南側にも虎口が見られます。南側虎口の下は狭い帯郭状の削平地となっており、東側から空堀となり主郭を囲みます(写真1~5枚目)。道路となっている西側の堀切(写真6枚目)の先はⅡ郭ですが、現在は畑となっています(写真7枚目)。Ⅲ郭(今回未確認)は主郭の北側ですが、間には鍛治作と名付けられた現在畑となっている窪地となっています(写真8枚目)。

城域は広く、標柱には下総地区でも最大規模の城郭遺跡と書かれています。整備されている状態ではありませんが、主郭周辺の遺構はよく残っていました。

2026年01月07日 マグロ常陸介祐平
成毛城[長沼城  周辺城郭]



大須賀氏初代胤信の8男範胤が成毛を領して成毛の地に城を築いたとされます。範胤は、三浦一族の津久井氏の娘を正室とし、三浦泰村に臣従して宝治合戦で捕らわれています。その後は宇都宮氏を頼って芳賀郡君島に住み君島嗣胤と改姓改名し、範泰(則泰後成胤)~胤時と宇都宮家の家臣として戦国期まで存続しています。また、範泰の子孫にはこの地に残ったものもいたようで、東和泉城や久井崎城の城主として存続、一族からは矢作城主国分氏や東金城主酒井氏の家臣になるものもいたようです。成毛城は成毛氏の東和泉城の支城もしくは一族の城として戦国期まで存続したと思われます。

成毛市民の森の最上部が城址となります。駐車場に車を停め、遊歩道を登ったところにお城があるはずでしたが、たどり着いてみると、急傾斜地崩壊対策の工事中で、遺構は破壊されたところで残っていませんでした。2025年のGoogleマップの衛星写真は工事前ですので、ギリギリアウトと思われます(12月23日訪問)。人の命に関わる工事なので致し方ないことですが、タイミングを逃してしまいました。規模はないものの、枡形虎口や土塁、堀切が残っていたようですので残念です。

目の前には、三峯山砦が残っているようですが、日没前の為スルーして助崎城へと向かってしまい未確認です。

2026年01月06日 マグロ常陸介祐平
東和泉城[長沼城  周辺城郭]



成毛城からは南西に約500m、成毛氏のお城とされています。大須賀氏初代胤信の8男範胤が成毛を領して成毛を名乗ったことに始まります。成毛氏は数流に別れたようで、大須賀本家の松子城そばの久井崎城の城主にも見られますが、助崎大須賀氏の勢力範囲と思われる成毛に近い東和泉城の城主としても戦国期まで存続したようで、明治40年に発刊された東国闘戦見聞私記によると天正9年(1581年)に滑川(菊水山)城主織田左京太夫政治の助崎城攻撃の際に東和泉城も攻められ、成毛八郎教胤が自ら火を放ち終焉を迎えたとされているようです。近くの養泉寺は教胤の娘が父の菩提を弔うために建立したとされますが、教胤の読みは初代範胤と同じで、滑川城は小田氏の勢力範囲とされ、織田を名乗るのは不自然な感じがします。また、天正12年に滑川城すぐそばの龍正寺(滑河観音)に、成毛太郎左衛門尉知行之内として助崎城主大須賀邦秀が寄進した判物の写しが伝わるようで(青柳文書)複雑です。

いずれにしても主郭には星神社が鎮座していますので、大須賀氏の一族に関連するのは間違い無さそうです。

この辺のお城としては珍しく、道案内や説明板(写真3枚目)が設置されています。道案内に従い民家の間を登ると、IV郭と主郭にあたるⅢ郭の間の堀切に出ます。IV郭に遺構は見られませんが、Ⅲ郭の隅の虎口(写真2枚目)を上がると星神社が鎮座しており(写真3枚目)、背後には土塁に堀切があり(写真4,5枚目)、左側には土橋が見られます。その先のⅡ郭は土橋の左側に土塁が見られます。笹薮で侵入を拒むかのようですが、怯まず進むと5~6mで薮を抜け歩きやすくなり、Ⅱ郭とⅠ郭を仕切る土塁を伴う堀切を見ることが出来ました(写真6~8枚目)。派手さはありませんが、遺構の保存状態は良好です。

2026年01月05日 マグロ常陸介祐平
大生城[長沼城  周辺城郭]



お城の来歴や城主などは伝わらないようです。大須賀氏の助崎城から南西に約1km、荒海城から東に約1km程に位置し、主郭には妙見宮(星神社)が鎮座することから大須賀氏に関連するお城と考えられています。

主郭の神社裏には土盛りが見られますが、一般的な神社の構造と思われます。参道途中には、西から南にかけて帯郭があり、三峯神社の石祠は塚の上に鎮座しています。主郭の西側は畑となっている郭が2段見られます。また、畑の北側の切岸下には墓地付近に城郭構造のような地形が見られます。

明確なお城の構造は見つけられませんでしたが、全国文化財総覧によると城址は縄文・弥生・平安・中世・近世の複合遺跡で、遺構として土坑1基・腰郭2ヶ所・空堀3条が検出され、中世から近世の遺物としてはかわらけ・内耳鍋・瓦質土器・青磁・陶器・五輪塔・板碑・碁石・銭貨が出土しており、居館として使用されたお城だったようです。

2026年01月04日 マグロ常陸介祐平
荒海城[長沼城  周辺城郭]



千葉介常胤の4男で大須賀氏の初代胤信の3男胤村が荒海地区に土着し、荒見(荒海)を名乗っています。平安時代末期から鎌倉時代初期と思われ、千葉一族でも古くからの家となります。荒見(海)氏は戦国時代まで存続しており、軍記物では岡見氏の重臣栗林義長との戦いでその名が見られるようです。

お城には、子安神社の鳥居から入りました(写真1枚目)。先人様が書かれているように、入りづらい雰囲気がありました。子安神社の石祠の先をさらに直登すると主郭に出ます。郭内はかなりの薮ですが、南側の切岸沿いは比較的進み安くなっており(写真4枚目)、10m程進むと枡形状にクランクして坂となる虎口があります(写真2,3枚目)。さらに進むと小さな祠があり(写真5枚目)、東側には堀切に沿って土塁が見られます(写真6,7枚目)。堀切はそのまま主郭を囲む帯郭となっています。堀切の東側は細長い郭となっていますが居住できるスペースではありません(写真8枚目)。

小規模なお城で薮化していますが、遺構はよく残っています。

2025年02月17日 ClaD壱岐守リハビリ開始
東和泉城[長沼城  周辺城郭]



南側の道路沿い(入口に標柱あり)から神社までは普通に登れるのですが、その裏に最初の堀切があり、そこから先は冬でも全面的に藪です。
2番目の堀切の両端には仕切があり、西側は一段下の郭も断ち切っていて、浅くなっているものの障子堀になっています。
北端の郭は中央に土塁があり、少し低くなっている北側との間に虎口があります。
小規模ですが、上記の遺構はもう少し注目されてもいいように思います。

2024年11月13日 マグロ常陸介祐平
長沼城



下野長沼氏の後胤の長沼朝教が築城し、戦国期は子孫の五郎武俊が居城したようです。長沼という地名は戦前に干拓により消滅した大きな沼の昔からの名称のようですので、下野の出ではなく、在地名をつけた千葉氏の系統かもしれません。また、印東氏や大野氏も異説としてあるようです。

独立した丘に築かれた単郭のお城で、低い土塁が囲み、北西部には削平されていない物見台のような高台があります。郭の下段にはぐるりと帯郭が囲み、南側にある稲荷神社付近は後世の改変かもしれませんが腰郭状にやや広くなっています。

長沼の地は、長沼の利権をめぐる争い「長沼事件」の起きた土地で、福沢諭吉の介在で地元を救ったことから、諭吉に対して恩義を感じ、今でも地区の役員が福沢家を訪れているようです。

2024年11月13日 マグロ常陸介祐平
西大須賀城[長沼城  周辺城郭]



耀窟神社が城址となります。資料の少ないお城で、日本城郭大系には「独立台地に位置し、単郭方形をなしている。」とのみ書かれています。削平された曲輪は東西に広く、堀切や土塁といった城郭的な要素は見られません。お城の南側には帯曲輪が見られ、派出所の裏には妙見殿が祀られていることから、千葉氏に連なる一族のお城と思われます。城主は大須賀氏の家臣の西大須賀氏と推測されているようですが、大須賀氏の一族でしょうか。神社鳥居近くに住む年配の方にお城について尋ねてみましたが、「ここが城跡と言う人もいるが、よくわからない。」とのことでした。

Googleマップでは、お城の北側に案内されてしまいますが、入口は南側の県道からとなります。

坂東28番札所の滑河観音から、500m程の距離です(写真4枚目)。

2023年09月01日 ねこじる武蔵守
長沼城



集落の中のこんもりとした山にある城跡。
稲荷神社のとなりにあるゴミステーション脇に車をおかせてもらい🏃見学。石段もあり整備されてました。
長沼市民の森という名前の公園です。
木々の間から飛行機✈️が見えます。敵の襲来もこうして確認と思いを馳せます。
先人様も書かれてる通り、道が狭く生活道路になっています。車の往来もあり。城跡の規模は小さく。一周しても30分もかかりません。

2023年03月20日 マタローちゃん右衛門督
長沼城



国道408号から急にやたら狭い道に入るため、普通乗用車は止めた方が良い。軽自動車なら何とか通る事が出来るが、運転に自信の無い方は、離れた場所で駐車スペースを見つける事を強く勧める。軽自動車で草木を擦りながら城の北側に回り込むと城への登り口があり、その前に何とか停車。平山城なれど遺構は解りにくく、本丸部分には何故か展望台がありました。

2021年03月13日 国府左京大夫城介
東和泉城[長沼城  周辺城郭]



大須賀氏一族の成毛氏の居城

【歴史】
築城年代は不明だが、戦国期に築城されたと推定されている。
築城者は不明ではあるが、戦国期にこの地を治めていた大須賀氏が築城か。
「東国闘戦見聞私記」によると、天正9年(1581)に滑川城の織田左京太夫に攻められ、時の城主・成毛八郎教胤は城に火を放ち自害している。
別名:日の出城

【遺構】
助崎城の南西2.6kmに位置し、荒海川の南にある比高20mほどの細長い台地にあります。
成田市内にあるお城では珍しい連郭式で、4つの郭で構成されています。土塁や土橋、各郭を区切る空堀など遺構はしっかりと残っている。また、Ⅲ郭には、千葉氏の城郭ではお馴染みの星神社があります。

【感想】
空堀等の遺構はかなり綺麗に残ってはいるのだが、Ⅲ郭を除き、ほぼ藪となっています。空堀内も藪になっており、一見郭間の移動が出来ないように見えますが、土橋があるので、それを利用して郭間を移動することができます。Ⅰ郭-Ⅱ郭間は両端に、Ⅱ郭-Ⅲ郭は中央に土橋があります。Ⅳ郭は、日暮れ間際で時間もなく全く探索していない。この周辺にあるいくつかの城郭を探索する際に、改めて探索してみようと思っています。
それまでに、少しは藪がなくなっているとありがたいです。改めて写真を見ると、藪で遺構がよく分からない状態になっているorz
また、成田市内の城郭では珍しく縄張り図付きの説明板があります。

【アクセス】
成田線・久住駅から徒歩25分。
東側と西側からそれぞれ登城することができるが、案内板があるのは県道64号線の東側だけです。

【写真】
1:東側の登城口
2:Ⅲ郭(右)-Ⅳ郭(左)間の堀切
3:説明板
4:Ⅲ郭にある星神社
5:Ⅱ郭-Ⅲ郭間の空堀にある土橋
6:Ⅰ郭-Ⅱ郭間にある空堀
7:西側の登城口

2021年03月12日 国府左京大夫城介
名古屋城[長沼城  周辺城郭]



下総にもあります名古屋城

【歴史】
築城年代、築城者とも不明。
位置的に助崎城の支城で、大須賀氏が築城したと考えられる。
別名:城山

【遺構】
助崎城から北北東1.4kmの広大な台地が城域で、大部分は農地となっているが、曲輪、土塁、空堀などの遺構は一部残っている。
台地南東部にある1郭は空堀と土塁で区切られている。2郭はほぼ耕作地となっているが、所々不自然な段差が存在しているが、遺構かは不明である。1郭と2郭の間には、幅30mほどの空堀の跡らしきものがある。また、1郭に向かう途中にも、土塁と横堀で囲まれた曲輪が残っている。

【感想】
千葉にも名古屋城があります(笑) これは、「根古屋」がなまって「名古屋」になったようです。
さて、この名古屋城は台地全体がお城というかなり広大な城域ですが、ほぼ農地になっており、台地の南側部分に遺構が残っている状態です。
この城の見所は、1郭に向かう途中にある郭で、深さが5m程の横堀で囲まれており、その下には腰曲輪らしき場所もあったのですが、倒木・倒竹によって人の侵入を完全に拒んだ状態になっています。個人的な見解になりますが、この曲輪の土塁や横堀から、独立した3郭とも言える曲輪だったのではないかと推測したりしています。
余湖さんのHPでも書かれていますが、本当にアクセスの仕方が分かりにくいお城です。小御門神社のある西側からしか登城することができません。アプリの国土地理院の地図には、Google mapには表示されない道も表示されていますので、それを見ながら、登城することを推奨します。

【アクセス】
成田線・久住駅から徒歩で60分。
車の場合は小御門神社に駐車し、徒歩15分程度。

【写真】
1:3郭の土塁
2:3郭の空堀
3:2郭
4:1郭と2郭の間にある空堀跡
5:1郭の虎口
6:1郭

2021年03月12日 国府左京大夫城介
小御門城[長沼城  周辺城郭]



藤原(花山院)師賢卿が配流された地

【歴史】
元弘2年(1332)頃か?
元弘の変において、後醍醐天皇が笠置山に入るため、身代わりとして比叡山に入った藤原(花山院)師賢公が下総に配流時の屋敷跡(十日屋敷)と伝わる。十日屋敷の由来は、師賢公がこの地に配流され、十日後に薨去されたからです。また、地名の由来である小御門(小帝)は、前述した後醍醐天皇の身代わりで比叡山で鎌倉幕府軍と戦った藤原師賢公のことを指しています。
その後の歴史は不明だが、現在の遺構からして戦国時代に改良され、大須賀氏の砦として用いられたと思われる。

【遺構】
助崎城の北北西1.3kmほどに位置し、小御門神社の南にある山林の中にあります。
台地の南端部にある三角おにぎり状の単郭で、土塁と空堀が明瞭に残っている。また、主郭内には藤原師賢公の記念碑があります
城の遺構ではありませんが、小御門神社(明治15年建立)は、建武中興十五社の一つで藤原師賢公が祀られています。神社内には、師賢公の墓と伝わる公家塚があります。

【感想】
土塁や主郭を囲う空堀など遺構の状態はよく、大須賀氏の居城である助崎城を守る出城の一つであることは十分に伺うことはできます。特に、南西側の空堀は薬研堀となっており、幅広な上、かなり深く、一番の見所だと思います。ただ、主郭の状態から推測すると、全く整備されていない訳ではないようだが、主郭の南側や空堀内は藪や倒木があり、藪漕ぎに慣れてない人にはやや厳しいかもしれません。
また、城の北側にある小御門神社は、それほど大きな神社ではありませんが、御祭神は災いから護ってくれる「身代わりの神様」なので、是非お参りしてみてください。

【アクセス】
成田線・久住駅から徒歩で60分。
車の場合は、小御門神社の駐車場を利用可。

【写真】
1:北側の土塁
2:主郭にある藤原師賢公の記念碑
3:北側の空堀
4:南西側の空堀
5:小御門神社
6:藤原師賢公の墓と伝わる公家塚

2021年03月04日 国府左京大夫城介
荒海城[長沼城  周辺城郭]



大須賀氏の一族・荒見氏の居城

【歴史】
築城年代は不明(鎌倉時代初期か?)。
大須賀胤信(大須賀氏初代)の三男・胤村が荒海の地を領し、荒見氏と称した。

【遺構】
長沼城の南東1.6kmに位置し、荒海川と根名木川に挟まれた比高30mほどの台地に築かれている。
城の構造としては、方形単郭であり、周囲を腰曲輪で囲んでいる。主郭の南西部には、クランク状の虎口が明瞭に残されている。また、北と東の尾根を切断するように堀切があり、その東尾根上には物見台があります。
なお、地名は「あらうみ」だが、城名は「あらみ」と呼びます。

【感想】
主郭は完全に竹藪となっており、内部をほとんど確認することはできなかった。一方で、主郭部以外は里山としてある程度管理されており、多少の倒竹はあるが、歩きにくくはない。南西部の虎口をはじめ、2つの堀切など遺構はきっちりと残っています。
大須賀氏の本拠地である助崎城と比べると、あまり戦闘を意識した城の造りにはなっておらず、中世の居館の延長線上にあるお城というイメージを受けます。

【アクセス】
成田線・久住駅から徒歩20分。
登城口は子安神社の背後を直登するか、成田市荒海共生プラザの背後からとなります。共生プラザからのルートが登りやすいと思います。子安神社側は民家の脇にあるので、若干入りにくい感があります。

【写真】
1:登城口(子安神社側)
2:共生プラザの裏手に登城口があります
3:主郭南西部の虎口
4:堀切(東側)
5:堀切(北側)
6:東尾根上にある物見台

2021年03月02日 国府左京大夫城介
幡谷城(要害城)[長沼城  周辺城郭]



助崎城の西を守る出城

【歴史】
築城年は不明だが、戦国時代には築城されている。
築城者は、大須賀(多部多)胤秀の子・幡谷民部胤盛。

【遺構】
助崎城の西・1.2kmにある比高30mの舌状台地に築かれている。単郭の構造ではあるが、台地自体が極めて急峻な地形になっており、天然の要害である。やや南側が緩やかなため、南側に堀切や土塁の跡らしきものが見受けられる。

【感想】
台地自体が天然の要害であるため、あまり手が加えられていない。しかし、登城口にあたる南側には堀切や土塁の跡と思われる場所があったが、道を造る際に改変や藪によって、はっきりとは分からなかった。また、主郭は完全に畑となっているが、かなり広いので、それなりの兵力は常駐でき、助崎城の出城としては十分だと考えられる。

【アクセス】
久住駅から徒歩で20分。
登城口は南側になり、道幅は狭いが城内に通じる舗装された道はあります。おそらく城内の畑仕事用に造られたものだと思います。

【写真】
1:標柱
2:登城口(右側が城内への道)
3:主郭の虎口
4:主郭
5:幡谷城遠景(南東側から)

2021年03月02日 国府左京大夫城介
助崎城[長沼城  周辺城郭]



千葉六党の一つ助崎大須賀氏の居城

【歴史】
築城年代は諸説あり不明。小田原征伐後に廃城になったと思われる。
築城者は、千葉六党の一つ大須賀氏で、後に松子大須賀氏(本家)と助崎大須賀氏(分家)に分裂している。

【遺構】
尾羽根川の北にある比高20mほどの台地に築城されており、3つの郭から構成されている。
南端にある1郭は元々方形居館を戦国期に改良したのか、周囲を横堀で囲み、更に外側の土塁を高くすることで、深いところで10mほどの高さがある。また、北側は二重の空堀となっている。
1郭と2郭の間は、5,6mほどの切通(現在は道路)となっており、2郭自体はほぼ畑となっているが、西側には腰曲輪がある。3郭は、ほぼ藪と化しているが、高台に入るあたりに人一人が通れるほど虎口が残っている。北側にある乗願寺が大手門にあたる。
また、ここから南東1.4kmほどにある圓通寺には、助崎城が廃城時に東表門と大手門が移築されたと伝わっている。

【感想】
1郭を囲う横堀が圧巻で見応えがあります。深く幅広な横堀は戦国期の房総の城では、かなり珍しいと思います。史料等によると、大須賀氏は北条氏にかなりこき使われていたようで、結果として北条領内の城を見る機会には恵まれたようです。その成果が助崎城の横堀となったのかと思います。ただし、あまり整備されていなく横堀は藪や倒木で一周するのはほぼ不可能なのが残念でたまりません。1郭の南東部には、千葉氏ゆかりの妙見石仏がありますが、石灯篭が倒れっぱなしになっているのは…
助崎城の大手門にあたる場所にある乗願寺の住職は、国定忠治の子分である板割の浅太郎の養子の子孫にあたるとのことです。住職によると、昔は大須賀氏の法名が刻まれた梵鐘があったようですが、太平洋戦争時に供出してしまったそうです。 

【アクセス】
成田線・久住駅から徒歩で45~55分。
東表門と大手門がある圓通寺は助崎城から徒歩20分。

【写真】
1:標柱
2:1郭と2郭間の切通
3:1郭の横堀
4:1郭の妙見石仏
5:2郭の腰曲輪
6:3郭の虎口
7:伝東表門
8:伝大手門

2012年08月10日 *武蔵守えぶぅ*
長沼城

なお、このサイトには登場しないものの、近くには『広の台城址』や『子の神城址』などもある(どちらも遺構はほとんど見られない模様)。

2012年08月10日 *武蔵守えぶぅ*
長沼城

国道408号を利根川から南に向かうと出会う。成田方面からだと豊住の工業団地より少し先。城跡は公園になっているが、人もいないため心おきなく散策できる。城跡はとしてより明治時代の『長沼事件』についてを推しているようで少し残念であった。案内板に「眺望がなんちゃら」とあるのに主郭部の展望台からは枝で何も見えないのが残念でならない!もう少し整備して欲しいものである。

長沼城の周辺スポット情報

 石碑(碑・説明板)

 助崎城(周辺城郭)

 幡谷城(要害城)(周辺城郭)

 荒海城(周辺城郭)

 小御門城(周辺城郭)

 名古屋城(周辺城郭)

 東和泉城(周辺城郭)

 広の台城(周辺城郭)

 高岡陣屋(周辺城郭)

 西大須賀城(周辺城郭)

 下福田城(周辺城郭)

 成毛城(周辺城郭)

 大生城(周辺城郭)

 三峯山砦(周辺城郭)

 登城口(その他)

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