荒海城
荒海城([長沼城 周辺城郭])
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荒海城の口コミ情報
2026年01月04日 マグロ常陸介祐平
千葉介常胤の4男で大須賀氏の初代胤信の3男胤村が荒海地区に土着し、荒見(荒海)を名乗っています。平安時代末期から鎌倉時代初期と思われ、千葉一族でも古くからの家となります。荒見(海)氏は戦国時代まで存続しており、軍記物では岡見氏の重臣栗林義長との戦いでその名が見られるようです。
お城には、子安神社の鳥居から入りました(写真1枚目)。先人様が書かれているように、入りづらい雰囲気がありました。子安神社の石祠の先をさらに直登すると主郭に出ます。郭内はかなりの薮ですが、南側の切岸沿いは比較的進み安くなっており(写真4枚目)、10m程進むと枡形状にクランクして坂となる虎口があります(写真2,3枚目)。さらに進むと小さな祠があり(写真5枚目)、東側には堀切に沿って土塁が見られます(写真6,7枚目)。堀切はそのまま主郭を囲む帯郭となっています。堀切の東側は細長い郭となっていますが居住できるスペースではありません(写真8枚目)。
小規模なお城で薮化していますが、遺構はよく残っています。
2021年03月04日 国府左京大夫城介
大須賀氏の一族・荒見氏の居城
【歴史】
築城年代は不明(鎌倉時代初期か?)。
大須賀胤信(大須賀氏初代)の三男・胤村が荒海の地を領し、荒見氏と称した。
【遺構】
長沼城の南東1.6kmに位置し、荒海川と根名木川に挟まれた比高30mほどの台地に築かれている。
城の構造としては、方形単郭であり、周囲を腰曲輪で囲んでいる。主郭の南西部には、クランク状の虎口が明瞭に残されている。また、北と東の尾根を切断するように堀切があり、その東尾根上には物見台があります。
なお、地名は「あらうみ」だが、城名は「あらみ」と呼びます。
【感想】
主郭は完全に竹藪となっており、内部をほとんど確認することはできなかった。一方で、主郭部以外は里山としてある程度管理されており、多少の倒竹はあるが、歩きにくくはない。南西部の虎口をはじめ、2つの堀切など遺構はきっちりと残っています。
大須賀氏の本拠地である助崎城と比べると、あまり戦闘を意識した城の造りにはなっておらず、中世の居館の延長線上にあるお城というイメージを受けます。
【アクセス】
成田線・久住駅から徒歩20分。
登城口は子安神社の背後を直登するか、成田市荒海共生プラザの背後からとなります。共生プラザからのルートが登りやすいと思います。子安神社側は民家の脇にあるので、若干入りにくい感があります。
【写真】
1:登城口(子安神社側)
2:共生プラザの裏手に登城口があります
3:主郭南西部の虎口
4:堀切(東側)
5:堀切(北側)
6:東尾根上にある物見台









