師戸城(もろとじょう)
師戸城の基本情報
通称・別名
- 龍ヶ谷城
所在地
- 千葉県印西市師戸竜ノ谷756他
旧国名
- 下総国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 鎌倉時代
主な改修者
- -
主な城主
- 師戸氏
廃城年
- 天正18年(1590)
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
臼井城(千葉県佐倉市)[1.6km]
謙信一夜城(千葉県佐倉市)[2.8km]
佐倉城(千葉県佐倉市)[4.4km]
松虫城(千葉県印西市)[4.7km]
米本城(千葉県八千代市)[6.2km]
古屋城(千葉県四街道市)[6.8km]
本佐倉城(千葉県印旛郡)[7.4km]
城城(千葉県佐倉市)[7.4km]
小野田城(千葉県船橋市)[9.6km]
金堀城(千葉県船橋市)[10.3km]
師戸城の解説文
[引用元:Wikipedia「師戸城」の項目]
師戸城(もろとじょう)は、千葉県印西市師戸にあった日本の城。
歴史
築城年代、城主などについての資料は少ないが、「臼井家由来抜書」によると、鎌倉時代末期には臼井城の支城であり、臼井四天王の1人として師戸四郎が居城していたと伝えられる[1]。このことから、師戸と臼井が密接な関係にあったと推定される。戦国時代になると、原氏の支配するところとなった。
天正18年(1590年)、豊臣勢によってこの城は滅亡し、戦死者を葬ったという野の墓が近くに残されている。
構造
城郭の遺構は、昭和40年代に入って一部破壊されたが、大部分が残っている。雄大な空堀と土塁によって、4つの郭を確認できる。南側には腰郭があって、水神が祀られている[2]。
アクセス
- 京成本線 京成臼井駅から大成交通バス 師戸または印旛沼公園入口下車
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師戸城の口コミ情報
2024年09月16日 hino
師戸城
県立印旛沼公園として整備されています、城址としての案内板などほとんどありません 遺構が残ってないかと思いきや意外にも空堀などの遺構はちゃんと残っており探す楽しみもありそうです 展望台の場所に石碑があります。
2024年07月12日 地下城主ひねもぐら弾正尹
師戸城
日没近くの薄暮に訪れました。「印旛沼公園」なんて城址の名前まで伏せられてんだから、大した期待はせずに。公園の奥に本丸を配し、そこに至るまでの深い空堀二条、斜面には盛りを過ぎた一面の紫陽花。この城、6月に来たかったと思いました。
2024年06月19日 ( *¯ ³¯)っ旦
師戸城
公園となっているのでたいした遺構はないと思って行くと素晴らしい空堀があります。6月中頃くらいに行くと紫陽花が素晴らしく綺麗です。
2024年01月08日 伊東内蔵頭胤康
師戸城
師戸城は現在千葉県立印旛沼公園という公園になっています。整備されいるので見学がしやすいし、駐車場もあります。そして遺構は土塁や空堀、虎口、土橋、曲輪が綺麗に残っているのでオススメです。駐車場から東側に行くルートは遺構が見れないので城を見学するときは駐車場から西側に行くルートを進みましょう。
師戸城は14世紀に臼井城の支城として築かれました。初めは 師戸四郎という人が居城だったらしいです。戦国時代になると 原氏が居城になりました。
上杉謙信との戦では臼井城の搦め手の役割をしました。その後豊臣秀吉の小田原攻めで徳川軍により落城してしまいました。
写真①駐車場の前の空堀
写真②三の丸の土塁
写真③本丸の空堀
写真④根古屋にある説明板
写真⑤根古屋
写真⑥三の丸から二の丸への土橋
写真⑦三の丸の虎口
写真⑧公園内の展望台から印旛沼を撮った写真
2023年12月17日 はる兵部卿ちゃん
師戸城
鎌倉時代の豪族師戸四郎の居城だったといわれる。現在、印旛沼公園として城址の保護がなされ、当時の空堀、本丸、土塁跡が残されている。
ススキのなびく印旛沼を望み対岸の臼井城とともに、“つわもの達の夢の跡”に思いはせる!
2023年11月26日 こうしん
師戸城
県立印旛沼公園として整備されています。
空堀の堀底が遊歩道になっている場所もあってなかなか面白かったです。
2023年09月12日 あんどー木工頭
師戸城
おそらく、二の丸跡からは臼井城が見えてます。当時は渡しで連絡を取っていたということなので、両城ともに印旛沼隣接の城だったと思われます。(今は干拓しているので少し岸は遠く感じます)
臼井城の支城ということですが、現存の城址公園は臼井城跡より広く、空堀や土塁も大きく残っています。
二の丸跡からは周りがよく見え、今は印旛沼を見渡せる絶景スポットになっています。天気の良い日に是非!
2023年07月28日 おかっぴき
師戸城
城跡は公園になっていて良く土塁や堀が残されている。
2023年04月16日 千葉相模守早雲
師戸城
本丸、二の丸、三の丸、道場台の四つの曲輪を有します。印旛浦(当時は内海だった)を挟んで臼井城の対岸にあり、同城の支城だったそうです。
永禄九年(1566年)の上杉謙信の臼井攻めにもよくその猛攻を防いだが、天正十八年(1590年)、豊臣氏による下総攻略で落城し、臼井城と命運を共にしました。(城内案内板より抜粋)
県立印旛沼公園として整備され、三の丸、道場台は広場や遊具があるが、各曲輪を囲む土塁や曲輪を分ける空堀などの遺構は良く残っています。車でお越しの方は、駐車場も完備なのでご安心ください。
1.三の丸と道場台間の空堀。
2.本丸と三の丸間の空堀。
3.本丸と二の丸間の空堀はクランクして横矢が掛かる。
4.空堀はそのまま竪堀となって落ちる。
5.本丸・二の丸を結ぶ土橋。両脇の空堀はかなり埋まって浅くなっている。
6.空堀は浅くなっているが、土塁は残っている。
7.三の丸切岸はとても高い。
8.三の丸と道場台間の空堀は細かい折れを繰り返す。
2023年03月20日 マタローちゃん修理大夫
師戸城
臼井城から直ぐの印旛沼を渡ると、対岸東側にある。駐車場は城址公園の北側にあるが、公園内には野球場もあるので、土日に行くと停められないかも。土塁や空堀が残っており、本丸部分から南を見ると臼井城の小山が見える。
2023年01月04日 気分爽快豊後守
師戸城
印旛沼公園として整備されていることもあり、三之丸は野球場となっていました。郭を隔てる空堀は巨大で迫力があります。
2022年12月10日 ハム子勘解由次官
師戸城
堀底をバギーでも歩けるバリアフリー城
下の印旛沼が美しく見渡せ、田んぼからの角度もなかなか鋭かった。堀と土塁がある野球場にちびっ子公園
2022年05月07日 マグロ常陸介祐平
師戸城
県立公園となっていて曲輪を囲む土塁や深い空堀、土橋などを楽しむことが出来ました。千葉一族の分家の分家の居城ですが立派な作りです。
2022年04月20日 坂東満義
師戸城
印旛沼の眺望のために訪れました。空堀の様子など中世の城らしい雰囲気が味わえます。
2022年02月06日 だんでい日向守
師戸城
ここは、かなり遺構も残っているし、良く整備されていました。駐車場も、多少狭いですがありましたし、トイレもあり、展望台からの眺めも良し。気軽に行けるお城でした
2022年01月13日 RED副将軍
師戸城
臼井氏の四天王である師戸四郎の居城
公園化の中、空堀がそのまま残っています
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
14世紀に千葉氏一族の臼井氏により築城されたと伝わります。
臼井氏四天王の一人である師戸四郎が城主であったとの記録があります。
臼井城から印旛沼を挟んだ向かい側に位置し、出城としての機能と考えられています。
1566年の上杉謙信による侵攻の臼井城の戦いでは防いだが、1590年の豊臣秀吉による小田原征伐で臼井城と共に落城した様です。
見所
各郭を長大な横堀が巡っています。
主郭と三之郭を隔てる空堀は、遊歩道となっているが折れの伴う迫力あるもの。
主郭と二之郭を隔てる空堀は、周囲に比べて浅く幅も狭い。
道場台と三之郭を隔てる空堀は、かなりの深さに加えて横矢がかかります。
現在は印旛沼公園として整備され、公園化の中、遺構の残存度合いは良好です。
2021年09月24日 ごろん弾正少弼
師戸城
城跡は県立印旛沼公園になっていて、駐車場も敷地内にあります。
高台になっていて、印旛沼越しに佐倉市が遠望できます。
こじんまりしてますが、かつての城郭の面影を感じられます。
2021年05月06日 織田上総介晃司
師戸城
印旛沼公園(師戸城)の駐車場にトイレがあります。トイレに印旛沼公園のパンフレットが置いてあります。公園施設の紹介ですが、師戸城の概略図もありますのでゲットしましょう。
空堀や土塁を残しつつ公園整備されているので安心しました。
ところで沼と池と湖の違いは何なんでしょうか?
2021年03月07日 十時下総守半睡
師戸城
印旛沼公園として整備されていてウォーキングに最適^_^
2021年03月02日 ファン掃部助トム治郎
師戸城
印旛沼公園になっています。空堀をうまく利用した公園になっています。ひめやかに梅の花の香りがしていました。
2020年08月29日 との主税頭
師戸城
自然にまみれた場所で人も少なくのんびりとした時間を過ごせる場所です。
遊具もありお子様連れの方もいました。
臼井城跡から諸戸城跡へ行くと道が少しわかりにくいですが探検気分味わえます。
2019年09月29日 かお丸
師戸城
空堀がそのまま残っています😄
2019年05月04日 龍馬備中守【】
師戸城
三の丸下・敵の侵入を防ぐ切岸と空堀☆臼井氏の四天王である師戸四郎の居城と考えられている☆
2019年05月03日 龍馬備中守【】
師戸城
三の丸下・空堀☆臼井城が上杉謙信に攻撃された時は印旛沼の対岸にある臼井城を支え謙信の攻撃を防ぐ☆しかし小田原の役で千葉一族が滅ぶと同時にこの城も廃城☆
2019年05月03日 龍馬備中守【】
師戸城
本丸・二の丸を守る空堀☆千葉氏一族の臼井氏居城である臼井城の支城として鎌倉時代に築城☆
2019年05月03日 龍馬備中守【】
師戸城
本丸・二の丸間を遮断する空堀と土橋☆公園になっていて直ぐ登城可☆遺構は鮮明に残ってます☆見所満載でオススメ☆
2019年04月29日 相模守愛洲久忠
師戸城
1、2郭と3郭間の横堀。散策出来るように舗装されていますが、折れ曲がった堀底は横矢がかり。
2017年06月01日 高田山吹守道灌
師戸城
北総線印旛日本医大、京成本線臼井駅間に大成交通という路線バスがあります。師戸とというバス停です。本数は少なくも電車とバスの時間をうまく組めば免許証のない人、足弱の人でも都合よくまわれます。下車後、橋をわたり、鋪装道路を道なりにいけば県立印旛沼公園です。空堀土累、まあまあでしたでした。眼下に印旛沼が迫っており、なかなかの風情でした。臼井城の支城ということですが、水上交通の要衝として重要性があるとおもわれます。
2017年05月24日 源山城守@ポンコ2…
師戸城
臼井城の東口を出て、印旛沼の方角に歩き船戸大橋を渡ると印旛沼公園に到着。ここが師戸城址です。臼井城から徒歩12~3分といったところでしょうか。
臼井駅から臼井城までもそうでしたが、歩道があまりなく車の通行量もそこそこあるので、歩かれる方はご注意を。
師戸城址は、本丸・二ノ丸と三ノ丸を隔てる空堀があり、その大きさが印象的でした。臼井城の支城として築かれたそうですが、大小の空堀や土塁などがよく残っているせいか、その規模は臼井城を凌駕するように感じられました。
くまなく見て回る時間がなかったものの、臼井城などに隠れ、歴史の表舞台に登場することはあまりなかったですが、スマホで撮るのを忘れるほどで、一見の価値ありの城址だと思います。
佐倉市には、こういう城址がよく整備されていて、リア攻め好きな方にお勧めの地ですね。
2016年02月15日 いさん
師戸城
歩道がないため徒歩で渡るのが危険だった舟戸大橋ですが、架け換え工事に伴い仮設橋がかけられました。こちらは歩道があるので徒歩でも安全に渡れます。
2015年08月01日 永眠武蔵守釋 葱進
師戸城
城跡は現在、千葉県立印旛沼公園として整備されており、パンフレットが(城めぐり的に攻略できない)公園駐車場に常備されています。駐車場にトイレと自販機あり。
遺構をうまい具合に残して整備されていますが、遺構に関する個々の説明(案内板・標識の類)がないのが残念です。
2012年11月07日 綱島出雲守八雲
師戸城
船戸大橋から訪れる場合、橋を渡ると分岐するので西側(左側)へ進み、公園入口の看板があるので進むと駐車場が有ります。東側に行ってしまうと印旛沼の方に行ってしまい大回りになります。
駐車場にはトイレもありますが、お手洗いの水道管が壊れているらしく濁り水が出ます。
城址は公園になっており周回できる散歩道を歩くと当時の土塁が状態良く残っているのに惹かれます。公園奥には印旛沼が見渡せる展望台もあります。印旛沼周辺には大きな建物は無く、きっと戦国時代の城兵達も同じ様な風景を見ていたのだろうと思いました。
2012年09月22日 上総丹幹之介@大宰少弐
師戸城
舟戸大橋対岸から取りそびれて一年、今年は裏側から回り込むようにして攻略しました。展望台からぼんやり印旛沼の景色を見るのが好きです。
2012年07月16日 *武蔵守えぶぅ*
師戸城
公園が一周のコースになっているので回りやすい。
土塁も多く残っていて素晴らしい!
確かに上杉軍の侵攻に耐えただけの城と思えます!
なお対岸の臼井城とは印旛沼を渡しで連絡をしていたといわれています
2012年05月13日 ビバちゃん
師戸城
臼井城の支城、師戸城跡は現在、印旛沼公園となっており展望台から見る印旛沼の風景は古きよき時代の沼辺の風景を醸し出しています!
遺構も堀切が良い状態で残ってます。
師戸城の周辺スポット情報
空堀(遺構・復元物)
空堀(遺構・復元物)
三の丸切岸(遺構・復元物)
三の丸空堀(遺構・復元物)
師戸城跡模式図板(碑・説明板)
高田山城(周辺城郭)
JR佐倉駅前観光情報センター(御城印)
京成佐倉駅前観光案内所(御城印)
ふるさと広場売店「佐蘭花」(御城印)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)