松虫城(まつむしじょう)
松虫城の基本情報
通称・別名
- 松虫陣屋
所在地
- 千葉県印西市松虫談議所67他
旧国名
- 下総国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 栗林義長
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 栗林氏
廃城年
- 天正18年(1590)
遺構
- 曲輪、腰曲輪、土塁、堀切、櫓台、虎口、横堀(空堀)
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
師戸城(千葉県印西市)[4.7km]
臼井城(千葉県佐倉市)[6.2km]
大台城(千葉県印旛郡)[7.1km]
佐倉城(千葉県佐倉市)[7.1km]
謙信一夜城(千葉県佐倉市)[7.3km]
本佐倉城(千葉県印旛郡)[7.7km]
城城(千葉県佐倉市)[9.7km]
米本城(千葉県八千代市)[10.1km]
長沼城(千葉県成田市)[10.1km]
寺台城(千葉県成田市)[10.2km]
松虫城の口コミ情報
2024年07月28日 マグロ常陸介祐平
栄福寺[松虫城 寺社・史跡]
栄福寺薬師堂は、国の重要文化財に指定されており、千葉県で建立の年代が明確な最古の建造物です。棟札には「寛正七年(1466)六月柱立、応仁三年(1469)霜月上棟、文明四年(1472)二月二十三日成就」と記されています。
行基による開基と伝わるようですが、お寺の歴史については不明のようです。
古くからあるお寺ですので、館跡に創建されたわけではないと思いますが、お寺は土壇上にあり、薬師堂及び隣接する熊野神社は、北と西側を土塁が囲み、南側と東側にも土塁の残欠が見られます。狭い空間ですが、土塁は寺院のものとしては、明瞭な部類だと思われます。
2024年07月27日 マグロ常陸介祐平
龍腹寺[松虫城 寺社・史跡]
平城天皇の勅願所として大同2年(807年)に延命寺として創建され、917年に旱魃の降雨祈祷をしたところ天に昇る龍が引き裂かれ、お寺に龍の腹部が落ちてきたことから龍腹寺と改名されています。
千葉氏縁のお寺で、1231年に千葉氏の奥方の常代君が夫ので浮気に嫉妬して入水自殺し、霊魂を鎮める為に毛髪を納め如意輪観音を祀る毛堂(写真7,8枚目)があります。
また、永正5年(1508年)には、千葉氏と北条氏との戦いで焼けているようです。
東国戦記には、天正3年(1575年)小林城主原肥前国と笠神城主原豊前守が江戸崎の土岐氏や小金の高城氏に攻められ、このお寺に逃げ込み、僧兵が応戦するも焼かれたと記されているようです。
お寺は防衛機能を持っていたようで、延命地蔵尊には、山門左側や鐘楼、日枝神社の周辺に土塁状の土盛りが見られます(写真1,2,4枚目)。
梵鐘(写真6枚目)は、南北朝時代のもので、千葉県の文化財に指定されています。
東京都江東区にある深川不動堂旧本堂(江東区文化財)は、戦後になってこのお寺の地蔵堂を移築したものです。
2024年07月26日 マグロ常陸介祐平
鎌苅館[松虫城 周辺城郭]
印旛村誌に15世紀中頃に起源を有する地方豪族の館址と推測されており、館に隣接する東祥寺が、文明5年(1472年)に渡辺信濃守の開基とされていることから、何らかの関係があったのではないかと思われます。
館は、土塁と堀に囲まれた方形のもので、中央に堀状の仕切りが見られます。また、北東の隅の空堀は、曲輪とは逆向きに折れて止まっており、単郭ではないように思われます。
Googleマップの位置がズレていますので、登録した場所を参考にしてください。
お城は激薮の状態で、蜘蛛の巣と蚊との戦いとなります。また、あちこちに猪が荒らした痕跡があるので注意が必要です(罠もありました)。
2024年07月26日 マグロ常陸介祐平
松虫城
先人様の口コミ通り、城域は立ち入り禁止となっており見ることは出来ません(写真1枚目 2,3枚目は周辺)。岡見氏の重臣栗林氏の城と軍記に記されているようですが、実際にはわかっていないようです。
発掘調査も行われており、旧石器時代からの複合遺跡で、城郭としては15世紀後半~16世紀初頭に造成され、廃城後の17世紀初頭に屋敷(旗本等の陣屋として使用された可能性もあり)として使用されたようです。
近くの松虫寺は、奈良時代創建の古刹で、聖武天皇の皇女の松虫姫(不破内親王)が重い病となり、夢のお告げでこの地に下向し、薬師仏に祈り平癒したとの伝承があり、境内には松虫姫のお墓(分骨,写真7枚目)があります。松虫寺には、土塁(写真6枚目)も見られます。
2024年03月17日 千葉相模守早雲
松虫城
車で行くなら、松虫寺前に駐車場があります。付近の案内板があるので、城址までの道のりを確認するといいでしょう。その前に参拝しましょう!
駐車場脇の小道を南側に下って行き、最初の分岐で、(分かりにくい)右の小道を進むと着きます。
城址部分は私有地で立ち入り禁止となっており、また薮も凄くて中の遺構は確認出来ませんが、周囲を谷地に囲まれて守りやすい地形なのかな?とは思います。
1.北側から見た城山。
2.城山。
3.藪が酷くて入り込む余地無し。そもそも私有地で無理ですが。
4.城址に続くと思われますが、竹のバーで通せんぼされてます。
2022年05月04日 すなちゃん武蔵守
松虫城
どっから入るの?てぐらい入り口が分からず、唯一見つけた場所が竹の棒で遮断されていた。入る勇気もなく回りを徘徊していると、田んぼだらけで山城らしく高低差が数十メートル、斜面が急勾配で入る勇気も湧きませんでした。
よって、何も遺構が見れず残念でした、いつ入れるように成るのか問い合わせが必要ですね。
2017年11月26日 マッキー上総介ペン@自転車
松虫城
松虫寺からあり得ない細い道を通る。落ち葉が積もっているのでスリップ注意。
2016年08月10日
松虫城
城跡の山林は、凄まじいヤブですが、堀と土塁、郭跡、虎口らしき、土塁の切れ目も、かくにんできました。
2016年05月03日 平 右近衛大将 泰次郎 將門
松虫城
松虫城趾は松虫寺から南側400m位の場所になります
城趾外周を歩くことはできますが、城趾には入れません
このため遺構も確認できず
松虫寺に駐車場はありますがトイレはありません
城趾までの道筋は松虫寺の駐車場にある案内板で確認できます
歩いても行けますが、城趾外周を見たいだけなら、場所を確認してから車で移動した方がいいかもしれません
車の通りが少ないため路駐出来ます