岩戸城
岩戸城([松虫城 周辺城郭])
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岩戸城の口コミ情報
2025年08月25日 マグロ常陸介祐平
臼井氏の一族、岩戸氏のお城と伝わります。正和3年(1314年)臼井氏の当主臼井祐胤が亡くなると、祐胤の弟の志津胤氏は、新たに当主となった祐胤の子の竹若丸(後の興胤)をなきものとして臼井家の乗っ取りを図ろうとしますが、岩戸城主岩戸胤安が竹若丸を救出し、鎌倉建長寺に預けます。その後、岩戸城は志津胤氏に攻められ落城、岩戸一族は討死します。成長した興胤は、志津胤氏を志津城で討ち、文和2年(1353年)に岩戸城跡に西福寺を建立し、岩戸胤安の冥福を祈ったとされています。
城跡は、現在も西福寺となっています。お城は単郭方形で、西側を除く三方に土塁が残り、北側から東側にかけて土塁が巡ります。西側のお寺の入口部分と東側には虎口があり、南東の角は櫓台風に土塁が高くなっています。戦国時代末期にこの地を知行した米津氏の陣屋として使用された説(寺院と同居?)もあるようですが、鎌倉時代末期に廃城になったとは思えない程、遺構はよく残っています。臼井城から北に約2,5km、師戸城からは1,5km程の距離にあり、お寺ではありますが、戦国期においても臼井城の支城としての役割を担っていたのかもしれません。