坂田城(さかたじょう)

坂田城の基本情報

通称・別名

市場城

所在地

千葉県山武郡横芝光町坂田字於東655-1他

旧国名

上総国

分類・構造

連郭式平山城

天守構造

築城主

三谷氏

築城年

不明

主な改修者

主な城主

三谷氏、井田氏

廃城年

天正18年(1590)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、櫓台、虎口

指定文化財

再建造物

説明板

周辺の城

多古城(千葉県香取郡)[7.5km]
飯櫃城(千葉県山武郡)[8.6km]
成東城(千葉県山武市)[9.1km]
野手城(千葉県匝瑳市)[9.4km]
中沢城(千葉県富里市)[15.2km]
東金城(千葉県東金市)[15.8km]
前林城(千葉県成田市)[16.1km]
西野城(千葉県山武郡)[17.1km]
寺台城(千葉県成田市)[19.0km]
根古屋城(千葉県八街市)[19.5km]

坂田城の解説文



坂田城(さかたじょう)は、現在の千葉県山武郡横芝光町坂田付近にあった日本の城。

概要 

14世紀中頃千葉氏によって築城されたと伝えられている。

なお、平良兼と関連があるとするむきもあるが、良兼の時代の居館は屋形であり、関連性は薄いといえよう。

南東側に九十九里平野から太平洋を望み、北東側は栗山川を挟んで下総国と境を接し、九十九里浜中央から酒々井を経て下総国府へ至る道と、牛久を経て常陸国府へ至る道の分岐点にあり、築城当時付近は要衝の地であったと推定される。

「総州山室譜伝記」によると、坂田城はこの地方の領主だった三谷胤興の居城であったが[1]、一族で争っていたため山室氏の客将であった井田氏に付け入られることとなり、弘治元年(1555年)閏10月18日、井田友胤に急襲されて三谷氏は滅亡、井田氏に乗っ取られたといわれる。

弘治2年(1556年)に井田友胤の子井田胤徳が修復し里見氏に属した安房正木氏の永禄年間における東下総侵攻を防戦した。しかし、天正18年(1590年)の小田原征伐の際は、城主井田胤徳は小田原城にあって、坂田城にはわずかの留守部隊しかおらず無血開城、廃城となった。

支城 

支城として長倉城、小堤城、浜手城を持っていた。小堤城は康正元年(1455年)9月7日に原胤房に追われた千葉胤賢が当城で自刃し、千葉氏宗家が滅亡した場所とされている。

その他 

  • 隣接する坂田池の「ふれあい坂田池公園」とともに、城跡の一部が「坂田城梅林」として整備されている。
  • 栗山川を挟んだ北東方向の下総側に、連郭式城郭の初めとされる篠本城があり、南西方向の市町境を越えた山武市には、版籍奉還後の稜堡式城郭である松尾城がある。
  • いつ、誰が、何の目的で、造ったのかは必ずしもはっきりしないが、1000を超える千葉県の中世城郭なかでも最大級の規模のものであり、遺溝も良く残ることから城郭ファンに根強い人気がある。

参考文献 

  • 千葉城郭研究会 編 『図説 房総の城郭』(国書刊行会、2002年)ISBN 978-4-336-04433-4

坂田城の口コミ情報

2023年09月03日 syokumi 主計頭
坂田城



坂田城跡は隣接する坂田池の「ふれあい坂田池公園」とともに、城跡の一部が「坂田城梅林」として整備されており、当時の姿を残しつつも、訪れやすい城だと思いました。

私が伺ったときは梅の季節ではなかったので、他の来訪者はありませんでした。
現在は果樹園として利用されることで適度に管理の手が入り、うまく城の形を残すことができているのだなと、地元の方の愛を感じました。

2023年04月18日 国府左京大夫城介
八田砦Ⅳ[坂田城  周辺城郭]



坂田城の南西に位置する八田砦群の一つで、尾根に堀切がある

【遺構】
坂田城の南西1.8kmにある台地(比高20m)に築かれている。諏訪神社の参道脇にある尾根に、尾根を切断するように堀切が3条掘られている。

【感想】
諏訪神社がある場所は、最も高所にあり、周囲を切岸で囲まれているので、かなり主郭っぽい雰囲気が見受けられます。諏訪神社に至る参道の脇にある尾根には、あまり深くはないですが、3条の堀切があります。この辺りは、なんとなく里見や真里谷武田の城っぽい雰囲気があります。なお、八田砦Ⅳの西側に、八田砦Ⅴがありますが、特段遺構がないらしいので、訪れていません。

【アクセス】
八田砦Ⅲから徒歩2分。

【写真】
①登城口(東側)
②諏訪神社
③堀切1
④堀切2
⑤堀切3
⑥登城口(南側)

2023年04月18日 国府左京大夫城介
八田砦Ⅲ[坂田城  周辺城郭]



坂田城の南西に位置する八田砦群の一つで最も城郭らしい砦

【遺構】
坂田城の南西1.6kmにある台地(比高20m)に築かれている。長福寺の背後の高台に、2つの曲輪があり、1郭を囲うように土塁、横堀が設けられている。また、土塁の途中には1郭に入るための虎口らしき箇所もある。

【感想】
廃寺となった長福寺の背後の高台にあり、砦群の中では最も城郭らしい様相の砦です。1郭は方形をしており、土塁(一部崩落している)と、深さ3m程の空堀で守られており、八田砦群の中では一番見応えがあります。ただ、廃寺の背後ということもあり、そこそこ藪っているため、郭内の細かな遺構は見難い状態です。また、長福寺があった場所は、平場としてそこそこの広さがあるため、平時の居館があったとしてもおかしくないと思います。

【アクセス】
八田砦Ⅱから徒歩5分。

【写真】
①登城口
②長福寺跡
③西側の横堀
④北側の横堀
⑤虎口(倒竹で分かりにくいですが)

2023年04月18日 国府左京大夫城介
八田砦Ⅱ[坂田城  周辺城郭]



坂田城の南西に位置する八田砦群の一つで最も広い砦

【遺構】
坂田城の南西1.3kmにある台地(比高15m)に築かれており、砦群の中では最も広い。数段の曲輪(平場)が削平されおり、中央に土壇(古墳?)がある。

【感想】
八田砦Ⅰの直ぐ南にあり、砦群の中では最も城域が広いが、全体的に竹藪となっているので、あまり探索をすることができなかった。中央に土壇若しくは櫓台らしきものがあるが、あまり城の遺構らしきものは確認できなかった。西側に城内に入る道があるが、この集落の墓地に入るために造られたものと思われる。墓地はかなり古く、土まんじゅうがあったりするので、夜中には訪れる気が絶対に起きない砦です。

【アクセス】
八田砦Ⅰから徒歩1~2分。

【写真】
①登城口
②土壇
③城内

2023年04月18日 国府左京大夫城介
八田砦Ⅰ[坂田城  周辺城郭]



坂田城の南西に位置する八田砦群の一つで単郭の砦

【歴史】
築城者・築城年代共に不明。

「千葉県所在城館跡詳細分布調査報告書」により、「八田砦Ⅰ~Ⅴ」と名付けられている。

【遺構】
坂田城の南西1.3kmにある台地(比高15m)に、単郭の砦として築かれている。主郭には威光院と呼ばれる無人の寺院があり、本殿を囲うようにL字状の土塁があり、北側には深さ2m程の横堀(箱堀)がある。

【感想】
複数の砦で構成された八田砦群の一つで、最も北側にあり、他の砦に比べて、かなり単純な構造のため、物見台として運用されていたと思われる。土塁が東側にないことから、寺院や墓地を造成する際に削られた可能性があります。土塁を越えた寺院の西側の山林にも、何かありそうな感じがしたが、伐採した草木が大量に積まれており、踏み入ることができなかった。

【アクセス】
坂田城から徒歩15分。

【写真】
①遠景
②登城口
③主郭(威光院)
④土塁
⑤横堀

2023年04月15日 国府左京大夫城介
松尾藩公庁[坂田城  周辺城郭]



太田道灌の末裔が築いた稜堡式の城

【歴史】
明治2年(1869)9月に、柴山藩(松尾藩)の知藩事である太田資美が、正式な藩庁を建設するために、築城を始めた。翌年には、藩庁と知事邸、城下町は完成し、柴山藩から松尾藩へと改められた。明治4年(1871)の廃藩置県により、城としては未完成のまま、築城は中止となった。その後、松尾県の県庁として使用されたが、同年11月に木更津県に合併されたため、廃城となった。

築城者の太田資美は、太田道灌の末裔にあたり、幕末には掛川藩主であった。明治維新の折に、徳川宗家が駿河・遠江・三河に移封されたため、上総夷隅郡に5.3万石に移封されるが、2か月も経たずに同山辺郡へと移封されている。

名前の由来は、掛川城の南にある内堀「松尾池」及びその南にある「松尾郭」から取られており、更に町名もここから取られている。

別名:太田城

【遺構】
坂田城から南西に3.4kmほどの台地(標高35m)に築かれた稜堡式の城郭で、当初は四稜郭として設計されていたが、測量の結果、十分な広さがなかったため、三稜郭として築城された。五稜郭や龍岡城等と異なり、知事邸(現・山武望洋中学校)と藩庁(現・自動車学校)が分離している特殊な形態をしている。
三稜郭としての遺構を確認することはできないが、土塁や胸壁などの一部遺構が現存している。また、廃城時に払い下げられた建物である長屋門が山武市内に残っている。(匝瑳市内にもあったらしいが、倒壊しているとの情報あり)

【感想】
明治維新後に築城されたため、「日本最後の城」の一つであり、千葉県内に唯一の稜堡式の城郭で、更に太田道灌の末裔が築いた城という属性、盛り沢山のお城です。遺構はあまり残っていませんが、自動車学校の入口付近や、中学校の北側あたりには土塁がしっかりと残っています。更に、中学校の南側にある「汐見坂」に接する斜面は、「胸壁」と呼ばれるもので、敵の侵攻を防ぐために45度に削った斜面が今も残っています。
松尾城から南に1kmほどにある大堤交差点の近くには、松尾城の建築物として唯一残ったと思われる長屋門が残っています。この長屋門は民家の門として使用されており、国道に面しているため、見学する際は諸々注意してください。

また、松尾駅の近くにある松尾IT保険福祉センター内にある松尾藩資料館があります。図書館内に併設された小さな資料館ではありますが、入場料は無料ですので、リア攻めする前には、是非訪問してみてください。

【アクセス】
JR総武本線・松尾駅から徒歩10分。

【写真】
①石碑(教習所のコース内にあり)
②教習所入口に残る土塁
③④中学校の北側に残る土塁
⑤汐見坂と胸壁の説明版
⑥汐見坂と胸壁
⑦長屋門

2022年07月23日 源陸中守@ポンコ2…①
坂田城



総武本線横芝駅より先達の口コミに従い歩くこと25分で、横芝中学テニスコート向かいの登城口に到着。この登城口まで平坦な道のりながら日陰は全くなく、この時期に歩くなら適宜水分補給は必須です。(本日の気温33℃)

中学側の登城口はわかりにくいですが、近くにフォトの大きな看板がありますので、ご参考まで。登城口から無城(主郭)につながる階段や案内板があり、ここは草を気にせず進めますが、急な階段です。ただ数分で主郭に行けます。標高30㍍の南北に長い舌状台地とありましたが、比高は20㍍ほどかと思います。

急斜面の上にある主郭は土塁含め内部は草が茂っており、かろうじて見台(馬出曲輪)や登城(ニ郭)につながる道筋のみ、歩けるようになってます。フォトのように城内の案内板は充実してます。各郭間には堀も残ってますが、はっきり形状を知りたい方には、夏はその欲求を満たせないです。
ただ、下草に覆われながらも横矢掛なども確認できるとこはあります。空堀の設けられ方が北に重点を置かれてるようで、そちら側がウィークポイント、南側は坂田池が台地際まであったのかもと想像してしまいました。
ニ郭は梅林になってますが、それを囲う土塁、周囲の堀は残っており、梅の花咲く頃は香りも良さそうです。一番北側の梅林になってる三郭は虎口くらいしか遺構確認できずでした。

電車の本数が少ないためそれとにらめっこしてたものの、遺構に時間忘れ時計見て慌てて横芝駅まで走りましたが、走れば15分弱でした。

2022年06月06日 マグロ常陸介祐平
松尾藩公庁[坂田城  周辺城郭]



日本最後の城の1つで明治2年に着工された西洋式の多角形要塞洋式のお城(三稜郭)だったようです。遺構は教習所前に土塁の痕跡が見られますが、ほとんど残っていないようです。松尾駅前に松尾藩資料館があります。

2022年03月06日 千葉相模守早雲
坂田城



無城(主郭)から郭が一直線に並ぶ連郭式城郭。主郭の脇には見台(馬出し)を備えています。登城(ニ郭)と三郭には梅林が広がり、毎年坂田城跡梅まつりが開催されています。

郭は改変されるものの、郭を取り囲む土塁や空堀などの遺構は十分確認出来ます。主郭背後の城郭南側には坂田池公園があり、当時も坂田池や湿地帯が広がり、後ろ堅固だったと思われます。

写真①無城(主郭)切岸
写真② 登城(ニ郭)と三郭間の空堀
写真③ 見台(馬出)を囲む空堀

2021年01月22日 ファン掃部助トム治郎
坂田城



坂田池公園に駐車し県道を横断しところから登ると数分で無城にたどりつく。梅咲く頃になるとJRのイベントもあり千客万来で盛り上がるが今年はどうかな。

2020年11月29日 下総守アラタさん
坂田城



広大な城域、はっきり残る横矢掛、誰もいない城跡(笑)

坂田池運動公園に駐車し、徒歩で3郭へ続く坂道から登城。 じっくり回って1時間半、虫やクモの巣に悩まされることなく楽しめました。
写真は馬出郭から本郭への通路です。 フレーム外ですが、左右に横矢掛あり。

2017年05月05日 カーネル
坂田城

総武本線横芝駅の改札を出て、線路沿いに右(西)に進んで、すぐに線路を超えます

上町三差路の信号で右折して、坂田池を左に見ながら北上です
池のすぐ北が本丸なのですが、登り口がさらに北なので、ぐるっと遠回りします
北上を続けると坂田城の看板があるので、左斜めに坂を登ります
3分くらい登ると梅園にでてここが四郭で城の看板もあります。ここまで舗装路

折り返して南下して梅園の3郭を超えると、掘と土塁と土橋がすごいです
道はキレイに整備され、木々も間伐されて見晴らしがよく、解放感があるお城です

本丸から三の丸に抜けると、城の西側に降りる階段があるので、こちらから帰りました

大通にでるとこちらにも城の案内図があります
駅から往復と見学時間で1時間半でした

2016年10月15日 まー刑部卿
坂田城

坂田池公園駐車場に駐車したが土曜日の午後はほとんど埋まってしまいます。中学校テニスコート前にある階段は結構急勾配で登りにくいかと。ぐるっと周ると上り勾配の道路があるため上っていくと外城の畑に出るとそこに説明板有り。左折し直進すると三郭(畑)の説明板有り。更に左折すると姫塚がありますが崩れている。三郭から土橋渡るところに空堀あるが藪で見にくいです。道なりに進むとニノ郭説明板有り。ニノ郭から空堀を見ながらいくと本郭になるが倒木あったりするため足下注意。中学校テニスコート向かいの階段登るとすぐに本郭に出ます。

2016年01月17日 藤井伊賀守
坂田城

とにかく巨大な城郭!

空堀、土塁など良好にのこっています。外郭の深くて折れを伴う空堀は圧巻!見応えある城跡です。

2015年09月17日 摩虎羅**
坂田城

隣接する坂田池の「ふれあい坂田池公園」に車を停めて訪れました。
遠景写真はここから池越しに撮るのがベストです。

標高30㍍位。
階段が設けられ登りやすい城跡です。
主要部である一郭、二郭、三郭周辺は整備された遊歩道があり歩きやすい上、大規模の土塁や空堀が確認できとても見応えがありました。

城跡には多くの梅林があります。県下最大とも言われているそうです。
毎年2月中旬~3月に梅祭りがあるようなのでその時期に訪れるのも良いかなと思います♪

2011年01月18日 足軽越中守一歩
坂田城

本丸、二ノ丸は雑木林、それ以外は梅の木が植えられている。それでも広さは実感できる。長さが1.5kmあるらしい。全体を空堀で囲み、一部は二重になっている。

坂田城の周辺スポット情報

 空堀(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 説明板(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 松尾藩公庁(周辺城郭)

 八田砦Ⅰ(周辺城郭)

 八田砦Ⅱ(周辺城郭)

 八田砦Ⅲ(周辺城郭)

 八田砦Ⅳ(周辺城郭)

 八田砦Ⅴ(周辺城郭)

 金刀比羅神社(寺社・史跡)

 松尾藩資料館(関連施設)

 登城口(その他)

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